細い手首を掴んで引き寄せた。
じたばた暴れる総司を、逃がすものか! とばかりに、土方は抱きしめた。
だが、胸はずきずき痛んでいる。何しろ、恋人やめるとまで言われたのだ。それに傷つかない男がいるだろうか? いや、いない(反語)。
「なぁ……総司」
土方はその華奢で小柄な身体を抱きすくめ、耳もとに唇を寄せた。そっと囁きかけてやる。
とたん、総司がぴたりと動きを止めた。息をつめている。
追い打ちをかけるように間近で覗き込み、じっと見つめてやると、耳朶まで赤くなってしまった。その反応に気を良くし、言葉をつづけた。
「そんなに俺がいやか……?」
「い、嫌じゃありません、けど」
「なら、そういう事するのが怖いのか? 俺相手だと考えられねぇか」
「な、なんか……その、恥ずかしいと言うか、想像できない、のです」
総司は途切れがちに、答えた。細い指さきが男の着物の襟元をぎゅっと掴んでいる。
「ずっと、兄さんみたいに思ってきた歳三さんと、そういう事するのって、なんか不思議で恥ずかしくて……」
「けど、おまえ、俺が別人みたいだと言っていただろ?」
「そうだけど。でも、やっぱり、中身は、歳三さんだもの」
「ふうん」
そう呟いてから、土方は、そっと総司の頬を撫でた。そのまま首筋から耳後ろに指さきをすべらせる。
たちまち、総司はうっとりと瞳を潤ませてしまった。心地よげに凭れかかってくる。
それに、くすっと笑った。
「すげぇ可愛いな」
「……え?」
「可愛いって言ったんだよ。俺にふれられて、気持ちよさそうにしているおまえが可愛い」
「そ、そんな気持ちよくなんてっ」
「いいんだろ? 嘘つくなよ」
くっくっと喉を鳴らしながら、土方は総司の頬や首筋にふれた。時折、唇を押しあててやる。そのたびに甘い吐息をもらす総司が、可愛くてたまらない。
「なぁ……こういう気持ちいいこと、もっとして欲しくねぇか?」
「え、ぁ……っ」
「気持ちいいことしたいだろ? 恋人が愛しあうってのは、そういう事なんだぜ」
「そう…なの?」
総司は不思議そうに目を瞬いた。
「気持ちいいこと、なの?」
「あぁ」
「怖いことや、痛いことはないの?」
「ない」
きっぱりと断言したが、ちょっとだけ罪悪感がちくちく胸奥を突っついた。
正直な話、土方も同性相手は全くの初心者だ。だが、色々と聞きかじってはいる。
痛いことや怖いことが全くないというのは、きっぱり偽りだ。
しかし、ここは嘘をついてでも、総司を納得させておく必要があった。
でないと、せっかく捕らえたこのウサギはたちまち逃げ出してしまうだろう。
そんな事、絶対我慢できるはずがなかった。
彼の思いなど知る事もない総司が、しばらく考え込んだ後、おずおずと言った。
「じゃあ、いい…かな?」
土方は内心、やったぜ!と両手をあげて喜びつつ、それを表に出さないようにした。
にっこりと笑いかける。
「二人で、いっぱい気持ちよくなろうな?」
「はい」
こくりと頷いた総司は不意に居住まいをただした。きちんと座りなおすと、大きな瞳で見上げてくる。
そして、甘く澄んだ声で言った。
「私、何も知らないから面倒かけちゃうと思いますけど、よろしくお願いしますね」
その瞬間。
土方は、総司の周囲に、パパパーンッと花吹雪が飛び散るのを見た気がした(幻覚)。
初で純真で素直な総司が、もう可愛くて可愛くて可愛くて。
あぁ、本当に、よくぞここまで可愛く育ってくれた! っていうか、俺、よく頑張ったよなぁ……。
なーんて、しみじみ感慨に耽っていると、総司が不思議そうに彼を見上げてきた。ちょっと不安そうに訊ねる。
「土方さん、私、なんか間違っちゃいました?」
「え」
「それとも、やっぱり、何も知らないのって困ります? なら、私、色々と勉強して……」
「そんなものしなくていい!」
慌てて土方は遮った。
彼は、この素直で初な総司が可愛いと思っているのに、色々と勉強なんざされた日には目もあてられない。
というか、どこで何を色々と勉強するというのか。
「おまえは何も知らなくていいんだよ。俺が全部、ちゃんと教えてやるから」
「そうなの?」
「あぁ。それに、俺はおまえのそういう所が可愛いんだから」
土方の言葉に、総司はちょっと目を瞬いた。なめらかな頬を赤くして、俯く。
その細い肩を抱きよせながら、囁いた。
「だから、な? 約束しろよ?」
「え、何?」
「俺の恋人やめるとか、絶対言わないこと」
「……」
総司はちょっと考え込むような表情になった。それに言葉をつづける。
「あれって結構傷つくんだ。俺はおまえがすげぇ可愛いから、絶対手放したくないし、今更別れたくないし」
「うん……」
総司はこくりと頷いた。ちょっと申し訳なさそうな表情になっている。
「ごめんなさい、あんな事を言って」
「あぁ」
「もう言いません。やめるなんて絶対言わないから」
「約束だ」
「はい」
こくりと頷いた総司に、土方は微笑んだ。それに、ぱっと顔を赤くする総司の顎を掴み、仰向かせる。
そのまま、ちゅっと口づけた。
軽く、一瞬だけ。
「!?」
総司は目を見開いた。
そして。
顔を真っ赤にしたと思った次の瞬間、後ろへバッタンと倒れてしまったのだった。
暗転。
(…………は? はぁあぁッ!?)
総司は寝込んでしまった。
いわゆる知恵熱というものだろうか。
土方にすれば、何でだよーっと叫びたい気分だろうが、初な総司にとって、例の出来事は少々、いや、かなり刺激が強すぎたのだ。
(あれが、おつきあいってものなのかなぁ)
初で素直で箱入り娘同然の総司は、布団の中でごそごそと身動きしながら、考えた。連れ帰られたその日は熱が出たが、今はもう下がっている。
しかし、なんとなく土方の顔を見るのが恥ずかしくて、そのまま布団の中にこもっているのだ。それでも昼頃には起きようと思っている。
昨日、恋人として土方と一緒に初めての道行きをした。
市を歩き回っているうちは良かったのだが、料理屋に入ってしばらくして雲行きが怪しくなってしまったのだ。
おつきあいが、どんなものなのか、土方にはっきりと言われてびっくりした。
まさか、男の人と女の人がするようなことを、自分たちもするなんて考えてもみなかったのだ。
それも、あの歳三さんと!!
子供の頃から一緒で、楽しくて優しくていつも遊んでくれた人。
憧れの気持ちはあったし、大好きだと思っていたけれど、優しい大好きなお兄さんという位置づけだった彼が、突然とびきり格好いい男になり、その上、自分の恋人となったのだ。
しかもしかも、接吻までしてしまい、彼の話ではこれから先、契りまでするのが普通だという。
総司の頭の中はぐちゃぐちゃだった。
「……うー、わからないよ」
歳三さんのことは、大好き。
でも、接吻とかって、好きな人とするものじゃないの?
あ、私は歳三さんのことが好きだから……違う違う! そうじゃなくて、問題は恋!
歳三さんに、恋しているか、恋してないか。
「恋…しているのかなぁ」
はぁっとため息がもれた。
これ以上考えると、また熱があがってきそうな気がして、目を閉じる。
土方とのおつきあいってものの行く先に、たちこめる暗雲を見る気がした総司なのだった(いや、それは土方さんの台詞)。
一方、恋人に迫った挙句、気絶されてしまった男の方である。
寝込んでしまった総司を訝しく思った近藤から、さんざん問い詰められていた。
「おまえ、絶対なんかしたんだろう!」
「何も……いや、たいした事してねぇって」
「歳、おまえがたいした事だと思ってなくても、総司にとっては大事なのだ! そこがおまえはわかっとらんっ」
「……」
思わず口を開きかけて、結局のところ閉じた。が、言いたいことは山ほどある。
あれが?
あれが大事だったと言うのかよ?
初恋の子供がするような接吻で、ひっくり返った挙句、熱まで出してしまった総司に、土方は深々とため息が出る思いだった。
この先にあるだろう長い長い道程を考えると、その苦難がしみじみと思いやられる(やっぱり、暗雲)。
(契りなんて、いつ出来るか……下手すりゃこのまま未来永劫……)
なーんて事をつい気弱に考えてしまい、土方は慌ててブンブンと首をふった。
とんでもない話だ。
彼だって若い男だった。それなりに欲望もあるし、好きな可愛い恋人がいるのに手出しできないなんて、ぞぞっとする話だった。
我慢、忍耐はある程度覚悟していたが、それにも限度というものがある。
「なぁ、近藤さん」
「何だ」
「あんた、奥方と床入りって、婚儀の夜にすぐ出来たか」
「…………」
「当然、生娘だったんだろ? なら色々と難しかったんじゃねぇか? 一気に口づけから契りまでいっちまったのか、それとも……」
「……歳、おまえ」
唸るような低い声に、あれこれ考えながら話していた土方は「ん?」と顔をあげた。見れば、近藤は今にも怒りが爆発しそうな鬼瓦もかくやの顔になっている。
「おまえには気配り、遠慮というものがないのか!」
「え?」
「そんな夫婦のことに立ち入って聞くか、普通。配慮ってものがあるだろう」
「いや、ない。人の事なんざに興味ねぇよ。ただ、俺も悩んじまっていてさ」
「初夜がどうのでか? おれは総司のことを話していたのだぞ。なのに、何でこんな話になって……」
言いかけた近藤が不意に、ぴたりと言葉を途切れさせた。クワッと目を見開いた。
「おまえ、総司に手を出したのかッ!」
「え」
「そうなのだろう? あの初で素直な総司に手を出したのか! それも無理やり! だから、総司は寝込んでしまったのだなっ? そうなんだなっ!?」
胸ぐらを掴まんばかりの近藤に、土方は慌てて否定した。というか、肯定したが最後、そこにある大きな鉄瓶で思いっきり殴られる予感がしたのだ。
「出してねぇよ! 誓って言うが、出してない!」
「なら、何故、総司が寝込んでおる!?」
「その……接吻をしたのさ」
躊躇いがちに言ってから、土方は弁明した。
「言っておくが、これは無理やりじゃねぇぞ。だいたい、俺と総司は恋人同士なんだ、念兄弟なんだ。だったら、接吻ぐらいするだろ?」
「念兄弟……いつの間に、そうなったのだ」
近藤は何をどう考えたらいいのか、わからんという顔つきで言った。
「この間まで無視されたとか何とか、言っておったではないか」
「そうなんだ。で、まぁ色々とあって仲直りして、で、恋人同士になったんだ」
「わかるようなわからんような説明だな。で?」
「つまり、恋人同士になった俺たちは道行きに出かけて、途中で入った料理屋で楽しく時を過ごしたのさ。その時、軽く接吻したんだが、とたん、総司がひっくり返ってしまったという訳さ」
「歳、おまえ」
近藤はしみじみと親友の顔を眺めた。
「生娘相手というか素人娘を、相手にした事がないだろう」
「ねぇよ。そんなもの面倒くせぇだろう」
「だから、わからんのだ。総司にとって、その接吻がどれだけ大事だったか。だいたい、あの総司だぞ? もっと上手く流れにそってする事が出来んかったのか」
「……つまり、俺のもっていきようが下手だったと」
「そういう事だな」
近藤はきっぱりと切り捨て、湯呑みの茶をすすった。
それに全くもって納得のいかない土方は眉間に皺を寄せ、考え込んでしまった。
まさか、この近藤から、色恋沙汰に関して下手だと断じられるとは。だが、しかし、色々とまずかったのは確かかもしれない。だからこそ、総司は寝込んでしまった訳なのだから。
(けどさ、じゃあ逆に聞きてぇよ? あの場合、どんなふうに接吻すりゃ良かったんだ)
近藤に言った通り、土方は生娘や素人娘など、まったく相手にした事がなかった。さんざん遊んできたが、どれもこれも遊び慣れた女ばかりだったのだ。
だが、一方で、幼くて初で素直な総司のことはよくよくわかっている。いや、わかっているつもりだった。しかし、こうなった以上、総司の初さ、純粋ぶりは、彼の理解の範疇を超えていたという事なのだろう。
「……」
はぁっとため息をついた土方を、近藤が眺めた。それから、面白そうに言ってくる。
「たらしの歳にしては、なかなか手こずっているようだな」
「他人事だと思っているだろう」
「うむ。しかし、総司がおまえの毒牙にかかるのは、あまり良い気分ではない」
「毒牙ってなんだよ、毒牙って! 俺は蛇か」
「蛇というより、狼だろう」
「どっちでも同じ事じゃねぇか」
そう言ってから、土方は思わず舌打ちした。
いっそ、近藤の言葉どおり狼になってしまいたい気分だった。
狼になって、あの可愛い兎を狩ることが出来たらどんなにいいだろう。
牙をたてた瞬間、甘い声で泣くかもしれないが、それこそ、こっちをより狼化させてしまうだけだ。
もちろん、傷つけたりはしない。
そっと甘噛みして、自分の巣(この場合、出会い茶屋か)にささっと連れ帰って、とろけるぐらい濃密でめちゃめちゃ甘い時を過ごすのだ。
想像するだけで、あっという間に昇天してしまいそうな妄想(?)だったが、今の彼にとっては、それこそ雲上ごとく遥か遠い夢物語だ。
(けどさ、おかしくねぇ?)
土方は近藤の部屋を出てから、廊下を歩きつつ、眉間に皺を刻んだ。
自分は総司の恋人なのだ。
であるはずだった(ちょっと自信が……ないが)、なのに、契りが手が届かぬ夢物語だなんて、絶対絶対理不尽すぎるではないか!
しかし、現実に、総司は自分が接吻しただけで寝込んでしまうぐらい初で、箱入り娘同然で、だから、ここまで悩んでいるわけで……。
「土方さん」
つらつら考え込んでいた彼に、後ろから声がかけられた。
「あぁ」
それに何も考えないままふり返った土方は、目を見開いた。