「……は、はぁぁぁ!?」
総司が叫んだ。
余程驚いたらしく、目を大きく見開いている。
「ど、どうして、こ、ここ恋人って……それって、つまり」
「念兄弟ってことだよ。いいだろ?」
「私、全然よくありません」
「何で」
「土方さんとじゃ、所帯もてないし」
「へぇ」
土方はちょっと驚いた。あまりにも意外な言葉だったのだ。
「おまえ、所帯もちたかったのか?」
「昔からの夢なのです」
総司はうっとりと夢見るような表情になった。視線を宙に飛ばしている様は、ちょっと怖い。
「大好きな人と一緒に暮らす家とか、その人のために色々やってあげるとか」
「色々って、何をやるんだ。色事か」
「違いますよっ」
総司は耳朶まで真っ赤にして、叫んだ。
「な、何を言っているんですか。そうじゃなくて、ご飯をつくってあげたりとか、着物を整えてあげたりとか……」
「ちょっと待てよ」
土方は思わず遮ってしまった。何か話がおかしい。
「おまえ、それっておかしくねぇか? 普通、飯をつくったり着物を整えたりするのは、嫁の方だろう。おまえがする事じゃない気がするぞ」
「……」
総司はことりと小首をかしげた。しばらく考え込んでいたが、やがて、呟く。
「それもそうですね……なんか、おかしいですね」
「だから、おまえ、逆なんだよ。その場合、相手は女じゃなくて、男だ」
「えー、でも、男の人じゃ、所帯……」
「所帯なんざ、どうとでもなる。二人一緒の家に住むってのが夢なら、いつか、俺が家を買っておまえを住まわせてやる。だから、総司ッ!」
土方はいきなり膝を進めると、がしっと総司の手を握りしめた。
「俺の恋人になってくれ」
「……土方さん」
「絶対、幸せにする!」
「えー、でも……」
総司は思わず考え込んでしまった。
なんか、違う気がした。だいたい、ついさっきまで避けていた人、それも兄代わりだった人がいきなり恋人になるというのは、どうなんだろう。
何か大事なものがスコンッと抜け落ちている気がするのだ。
(だけど……)
おずおずと顔をあげると、濡れたような黒い瞳で見つめられていることに気づいた。
とたん、ドキリと心の臓が跳ね上がる。
(この人って、本当に格好いい……)
今まで逢った事がないぐらい、それこそ見た事がないぐらい、格好良くてきれいな顔をしていた。それに、上手く言えないが、独特の華やかさというものがあるのだ。
すらりと引き締まった長身にまとった着物は黒で、それがよく似合っている。
艶やかに結い上げられた黒髪、濡れたような黒い瞳、男にしては長い睫毛、形のよい唇にいたるまで、何もかもがきれいだった。男前そのものだ。
それが熱っぽい瞳で見つめてくるのだから、初な総司がぼうっとなってしまうのは当然の事だった。
「……い、いいですよ」
総司は小さな小さな声で答えた。
ぽっと頬がまた赤くなる。なんとなく恥ずかしくて俯いてしまった。
「恋人……になってもいいです」
「本当か!?」
土方の顔がぱっと輝いた。嬉しそうな笑顔になり、総司の手をぐいっと引っ張る。あっと思った時には男の腕の中で抱きしめられていた。
「すげぇ嬉しいよ! ありがとう、総司」
「あ、は、はい」
「これから、仲良くしような」
「……はい」
返事をしながら、総司はかなり混乱していた。
正直な話、恋人の意味がわからないのだ。
仲良くと言われても、じゃあ、今まで彼と仲良くなかったのかと言えば、そうではない。
いつもいつも一緒だったし、仲良くしてきた。可愛いと言われたこともあるし、子供の頃など抱っこされたり、頬っぺに口づけられたり(何度も何度も、数え切れないぐらい)してきたのだ。
だが、土方が言う『恋人として仲良くする』は、また違うのだろう。
何か、違うことをするに違いない。それが何なのか、疑問と不安がうずまいていたが、こんなに喜んでくれている土方に、今更、やっぱりやめておきますとは言えない。
それに、総司自身、大好きな歳三さんと離れていることはとても悲しかったのだ。
そんな事をつらつらと総司が考えていることに気づかず、土方が問いかけた。
「それから、さ」
「はい」
「おまえ、俺の呼び方、これからどうするんだ」
「え」
小首をかしげた総司に、土方はちょっと眉を顰めた。
「最近、俺のこと……歳三さんって呼ばねぇだろう」
「あ」
総司は可愛らしく目を瞬かせた。それから、また、ぽっと頬を染める。
「だって、なんか歳三さんって感じじゃないんだもの」
「……」
「それに、他の人も皆、土方さんって呼んでいることに気づいたのです。だから、これからも、そう呼びますね」
今更な事を言ってにこにこ笑う総司に、土方は肩をすくめた。
まぁ、何でもいいのだ。
とりあえず、総司が自分の恋人になってくれた。
それで良しとするべきだろう。
自分に言い聞かせるように、土方はそう思った。
だが、しかし!
それで良しなどと笑って済まされぬ、ものすっごい忍耐と労力の日々がこの先待ち受けていることを、彼は知らない……。
「えぇっー!?」
斎藤は思わず仰け反ってしまった。
その前で、総司はちょっと桜色の唇を尖らせた。
「そんなに驚くことですか」
「いや、だって、この間、言ったじゃないか」
思わず斎藤は言ってしまった。
「土方さんと念兄弟じゃないって」
「うん、でも、あの後、状況が変わったのです。めでたく念兄弟になりました!」
そう言って、えっへんと胸をはる総司に、斎藤はとんでもなく落ち込んでしまった。
原田にはあれこれ誤魔化しはしたが、やはり、総司が好きなのだ。
ほとんど一目惚れだったのだ。
あの怖いと噂の男前な副長のものでないのなら、いつかはと夢見ていたこともあった。
なのに、電光石火の早業で、あっさり総司はあの男のものになってしまったとは!
「いったい、何でそうなった訳?」
「何でって」
総司はきょとんと目を丸くした。
「決っているじゃないですか、土方さんに、恋人になってくれって言われたからです」
「いや、だから、何でそういう展開に……」
「うーん」
うなってから、総司はふと顔をあげた。大きな瞳でじっと見つめる。短い沈黙の後、問いかけた。
「もしかして、斎藤さん、がっかりしている?」
「え」
「やっぱり、そうなんだ!」
そう言った総司に、斎藤は一瞬、自分の気持ちが伝わっていたのかと思った。
だが、そう世の中うまくはいかない。というか、この天然仔猫ちゃんに、秘めた想いなど伝わるはずがないのだ。
総司は、ちっちっと指をふってみせた。
「でも、駄目ですからね。土方さんは私の念兄になったんだもの、ちゃんと諦めて下さいよ」
「……って、なんか誤解が」
「誤解なんてしていませんよ。斎藤さんは私の恋敵、でも、これからも友達づきあい宜しくお願いしますね」
「あ、あぁ……」
憐れ、永遠の報われぬ男斎藤は、もはや頷く他なかった。
ここまで恋敵認定された状態で、どう誤解をとけと言うのか。
せめて友達として認識されていることに、感謝すべきなのか。
そんな彼に、総司は可憐そのもので、にこっと笑いかけたのだった。
さて、恋人となった二人であるが、当然のことながら、それからの道のりは平坦ではなかった。
というか、舗装されていない道の如くデコボコだらけだったのである。
「まずは……道行きだな」
土方は副長室であれこえ考え込んでいた。
今まで自分がつきあってきた女たちと違い、総司はとても初だし天然だし、子供だ。
しかも、自分の顔に惚れて一緒にいるだけってことも、よくよくわかっている。
だが、それを土方は全く悲観する気はなかった。
男前な顔が好きって言うのなら、それをしっかり利用して心底惚れさせてやる! と固く決意している。
意外と、前向きな男なのである。
「けど、そんなに俺、変わったかな」
土方はちょっと小首をかしげた。
本人にはさして自覚がないのだ。ちょっと髪を整え、無精髭をやめて、着物を整えただけで、こんなにも周囲の反応は変わるのかと逆に戸惑っていた。
むろん、自分が男前だということは、よくわかっている。
というか、もともと、(俺って顔いいよなぁ)と自己陶酔……いや、自覚はあり過ぎるほどにあったのだ。
だが、ならば、どうして、身なりを整えなかったかと言えば、面倒の一言に尽きた。
総司に会う前だったのだが、やたらもてた彼は、女が原因の騒動に何度も巻き込まれていた。
彼自身にそんなつもりはなくても、ちょっと笑いかけただけで誤解した女に追い掛け回されたり、その旦那が乗り込んできて騒ぎになったり、さんざんなめにあったのだ。
むろん、もてるのはいい。
だが、それに付随する諸々のことが面倒だった。
だから、もう身なりを整えるのをやめてしまったのだ。髪も適当に結い、無精髭、着古した着物ばかり身につける歳三を見て、姉であるおのぶなどは、「顔しか取り柄のないあんたが、何やってんのよーッ!」と、ぎゃあぎゃあ怒ったが、知ったこっちゃなかった。
とりあえず、面倒事さえ避けられたらよかったのだ。
その後、総司と出会うことになったが、自分を変えようと思わなかった。
総司はまだまだ子供だったし、娘ではないため、男前かどうかなどあまり関係ないだろうと思っていた。
ほとんど一目惚れで、可愛い可愛いと甘やかすうちに、どんどん好きになって、俺の恋人はこいつしかいない! とまで思うようになったが、それでも、身なりは整えなかった。
近藤が道場主だった試衛館は貧乏道場だったし、皆、浪人そのもののボロい格好をしていた。そのため、今の格好があたり前のようになってしまっていたのだ。
もっとも、その頃でも女にはそこそこもてていた。むろん、昔程ではなかったが。
久々に会った近藤などは驚いていたが、それでも、土方が面倒事が嫌だからと言うと、納得した顔になった。近藤も何度も土方の揉め事に巻き込まれ、仲裁役やら何やら押し付けられてきたので、同意したのだろう。
結局、土方は総司に惚れた後も、自分を変えなかったし、鏡もほとんど見ないため、そんな事ほとんど忘れていた処もある。
そのため、京にのぼってから、黒谷屋敷へ行くことになった時、髭を剃って髪を整え、上質の着物に着替えた自分に、興味も関心もなかった。別に変わったつもりなど、まったくなかったのだ。何の意識もしていなかった。
だから、驚いた。
総司に「歳三さんじゃない」と言われた時、心底驚いたのだ。
男前でびっくりしたと言われて、「え、今まで俺のこと、どう思っていたんだ?」と聞きたくなったが、それはやめた。ちょっと聞くのが怖い気もしたのだ。
とにかく、このままでは総司が離れてしまうと焦ったが、幸いにして、棚からぼたもち状態で、恋人にすることが出来た。
好いた惚れたの感情が総司に今はなくても、なんとなく流されていても、それでもいい。可愛い総司が自分のものになってくれればいいのだ。
それに、せっかくのこの機会を逃さず、しっかり恋人にしてしまえば言うことはない。
「で、道行きだよな」
ふむと頷いた土方は、総司が祭り好きだったことを思い出した。
だが、京に来たばかりで祭りがどこで行われているかなど、まったくわからない。
どうしたものかと考えた土方は、遊び好きの原田に相談してみることにした。
原田は京に来てばかりなのは同じであるくせに、仕事に忙殺されている土方と違い、遊んで遊んで遊びつくしているのだ。腹ただしい限りだったが、総司を恋人として手にいれた彼にとっては、しっかり利用すべき存在だ。
「祭りー?」
いきなり聞かれた原田は、小首をかしげた。
相変わらず春画本をめくっている。
「なんだって、祭りなんかが気になるんだい?」
「そんなもの決まっているだろう。総司を連れていくからだ」
「へぇ、あんた、とうとう行動を起こしたのか。告白でもするのかい」
「いや、それはした。で、めでたく念兄弟になった」
「……」
さすがの原田も、これには驚いたようだった。目を丸くしている。
しばらく黙ってから、しみじみと呟いた。
「やっぱり、百戦錬磨の男は違うねぇ。見上げたもんだよ、ほんと」
「おまえには言われたくない。で、どうなんだ。心あたりがあるのか」
「祭り、ねぇ。うーん、最近はないけど……そうだ、市はどうだい?」
「市?」
訝しげに訊ねる土方に、原田は頷いた。
「神社で市があるんだよ。色々な小物や菓子とかが売られるから、総司も喜ぶんじゃねぇの」
「なるほど」
「少し行けば、出会い茶屋もあるぜ。市に行った後、連れ込めば色々できるだろ?」
「そこまでは考えてねぇよ」
「何で」
「総司に逃げられる。じっくり攻めていくつもりだからな」
「へーぇ」
原田は、世にも珍しい動物でも見るような目で、土方を眺めた。それに構わず、神社の場所と市が開かれる日時を聞き出した。よし、と頷いて、立ち上がる。
軽く礼を言ってから、土方は総司を探すために廊下へ出た。屯所の中を歩いてゆく。
確かに、原田の言葉どおり、今までの女相手なら道行きついでに、出会い茶屋もありだろう。
それどころか、会ったその日に情を交わした事もあったのだ。というか、そっちの方が多い。
だが、総司相手にそんな真似はできなかった。絶対逃げられるに決まっているのだ。
そうなれば、元も子もないだろう。
土方はあちこち屯所の中を探し回った挙句、ようやく総司を見つけ出した。
ところが、だ。
総司は、その斎藤とかいう男と仲良く話していたのだ。しかもしかも、ぎゅうっと、その白くて小さな手まで握られている。
こちらに背を向けている総司の表情はわからなかったが、斎藤はやたら真剣な表情だった。一生懸命、何か話している。
しばらく様子を見ていると、口説かれているようだった。
「……」
思わず眉間に皺が入ってしまった。