「な、何でそうなるんだっ」
思わず叫んでしまった斎藤を、総司は大きな瞳でじっと見つめた。
ことりと首をかしげる。
「だって、すっごく土方さんのこと、気にしているから。恋しているのかなぁって思ったのです」
「ここ、恋って、オレがあの人に!? 冗談じゃないよッ!」
考えただけでゾゾゾーッと寒気がするとばかりに叫んだ斎藤に、総司は不思議そうに訊ねた。
「そうなの? あの人って、恋する対象にならない人?」
「だから、そうじゃなくて」
「とっても優しくて、いい人ですよ。女の人にはもてるけど、男の人には人気ないのかな」
「そうじゃない! そうじゃないんだ!」
必死に抗弁する斎藤の気持ちに、どこまでも天然な総司はまったく気づいていない。のんびりした口調で「不思議ですよねぇ」と呟いてから、とことこと歩きだしていった。
それを呆然と見送った斎藤は、不意に、後ろに気配を感じた。ぱっと振り返れば、にやにや笑う原田が立っている。
よっと手をあげてから、言った。
「はじめちゃん、報われないねぇ」
「……なんです、そのはじめちゃんって」
「え、斎藤一って言うんだろ?」
「そうですけど」
「で、あらためて、はじめちゃんさぁ、総司に手を出そうっての、やめておいた方がいいと思うけど」
「手を出そうなんて……」
「していたじゃん。でも、ここで生きのびたかったら、やめた方がいいよ。はじめちゃんだって、夜道で背後からバッサリは嫌だろ?」
にんまり笑いながら、恐ろしい事を言う原田を、斎藤は眺めた。
「夜道で背後からバッサリって、なんですか、それ」
「土方さんのこと」
「え、いや、だから、オレは違うのです。土方副長のこと……」
「違う違う。そうじゃなくて、総司を宝箱に入れて、めろめろ溺愛しまくっている土方さんに、バッサリ斬られちゃうってこと」
「……」
斎藤は思わず沈黙してしまった。それから、おそるおそる訊ねる。
「……そんな怖い人なんですか」
「怖いねぇ。他の事ならともかく、総司のことになると本性むきだしになるねぇ、あの人」
「そうなんですか」
しみじみと語る原田に、斎藤は、江戸にいた頃何があったのだろう? と思ったが、慌てて知りたくもないとブンブン首をふった。
だが、一方で、めちゃめちゃ可愛い総司との関係は絶ちたくない。
「オレ、別に念兄弟とか狙っている訳じゃないですけど」
斎藤はきっぱりと言い切った。
「総司とは仲良くしていきたいのです。友として」
「友として」
にやにや笑いながら繰り返す原田に、斎藤はむっとしたが、言葉をつづけた。
「友達づきあいなら、大丈夫でしょう? そこまで縛るのもおかしいと思うし」
「さぁねぇ。土方さんに聞いてみればいいじゃん」
「出来ますか! そんなことっ」
「出来ない? そんな事ないと思うけど?」
さんざん脅かしておいて、それはないだろうと思うが、原田は他人事だと飄々としている。それに、斎藤はやってられないとばかりに、ぺこりと一礼すると、無言で歩み去っていった。
とたん、原田は後ろをふり返る。
「土方さん、立ち聞きかい?」
「……」
角から現れた男の姿に、原田はにやにや笑いをむけた。
「趣味が悪いねぇ。出てこればいいのに」
「出られる状況か、あれが」
「いつから聞いていた訳?」
「おまえが斎藤に呼びかけた時からだ」
「なるほど」
原田はふむふむと頷いてから、で?と土方に視線をやった。それに、訝しげに土方が視線を返す。
「何だ」
「だからー、総司とはじめちゃんとのつきあい、認めるの? ってことだよ」
「認めん!」
「一刀両断だね。けど、それは総司が怒るんじゃね?」
「……」
とたん、困惑した表情になってしまった土方を、原田は面白そうに眺めた。ちょっと黙ってから、土方が妙に気弱な様子で訊ねてきた。
「怒ると思うか?」
「怒るだろうねぇ。っていうか、認めるとか認めないとか、今、言える状況じゃないっしょ?」
「よく知っているな」
「まぁね。しかし、あんたも早く何とかしなくちゃ、総司とられちゃうよ」
「わかっている。わかっているが、どうしようもない」
「……」
原田はちょっと呆れた表情で、土方を眺めた。それに、また、何だ? と土方が見返す。
「いや、さ」
やれやれと首をふった。
「あんだけ女にもてて、たらしで、頭も切れるのに、本気の恋になると、ここまで駄目になっちまうかねぇと思っただけ」
「……悪かったな」
「総司に聞いてみたのかい?」
「何を」
「なんで避けるんだってことだよ」
「聞ける状況なら、聞いているさ」
はぁーっと、土方は嘆息した。
微かに眉を顰めている表情が、本当に男前そのものだ。
九つも年下の可愛い子を溺愛した挙句ふり回されまくっても、絵になっちまうんだから、いい男ってのは得だねぇと眺められている事にも気付かず、つらつらと言葉を続けた。
「けど、話をすることさえ出来ねぇんだ。話しかけようとした途端、逃げられちまう」
「何でか、理由はあんたなりにわかっているのかい」
「わからん。けど、近藤さんが言うには、年頃の娘っ子みたいなものじゃねぇかって事だが……」
「年頃の娘っこ!」
原田は思わず笑った。
「あの近藤さんにしては、上出来の表現だね。言い得て妙というか、半分あたっているかもしれないなぁ」
「半分って、原田、おまえ知っているのか!?」
思わず土方は身をのりだしてしまった。今にも掴みかかりそうな勢いだ。
「俺を総司が避けている理由、知っているのかよ!」
「まぁね。けど、本人から聞かなくちゃ駄目だと思うよ」
「おい」
「そんな目で睨んでも駄目だって。ただ、これだけは言っておくけど、総司はさ、まだまだ子供なんだよ。仕事とかでは大人だが、恋とかに関してはまだまだね」
「わかっている……」
少し沈んだ声音で答える土方を、面白そうに眺めながら、原田は言った。
「ま、あんたのために言ってやるけど、総司、少しだけ大人になりかかっているよ。まさに、年頃になったってことかな」
「年頃……」
「とにかく、鳶に油揚げ状態にならないようにする事だね」
言いたいことだけ言うと、原田は、向こうで呼んでいる永倉に、「おう」と手をあげた。すたすたと歩み去ってゆく。
それを見送ることなく、土方は腕を組むと、考え込んだ。
年頃だと、近藤にも言われた言葉だった。
だが、それで引き下がるわけにはいかないのだ。どれだけ長いこと、総司だけを見つめてきたことか。
初めて会った時、総司は、というか、宗次郎は、それはそれは可愛い砂糖菓子みたいな少年だった。今も、華奢な身体つきや幼い顔だち、言動から、ついつい子供扱いしてしまいがちだが、どこか大人びた事も確かだった。
そろそろ食べ頃──いや、その、年頃だとは、思っていたのだ。
だが、いきなり総司の態度が変わったことに、土方は戸惑わずにはいられなかった。
少しずつの変化ならわかるが、あまりにも突然だっために、驚いたのだ。
「とりあえず、もう一度頑張ってみるか」
しばらく考えた末、そう結論づけた。よし! と拳を握りしめる。
原田に言われたとおり、鳶に油揚げの状態になったらどうしようもないのだ。それだけは絶対絶対避けなければならなかった。
土方は一人頷くと、歩きだしていったのだった。
ところが、だ。
会いたくないと思っている相手には会えても、会いたいと思う相手には会えないのが世の不思議である。
屯所中をさんざん歩いて探し回っても、総司にはまったく会うことができなかったのだ。
これはどう考えても、意図的であるとしか思えなかった。
(俺、そこまで嫌われちまったのか?)
土方は自室で、がっくりと項垂れた。
頭を抱え込み、何でなんだっ!? と叫びたい気分である。
(そんな嫌われるような事したか!? いや、絶対してねぇよな)
自分でそう言い聞かせても、誰も同意はしてくれない。
土方はため息をつき、文机の前に腰を下ろした。そこには書類が山積みになっている。それに、思わず眉間の皺が深くなった。
「……」
副長と言えば聞こえがいいが、その実、雑用係に似たものがありすぎた。近藤たち局長は接待だなんだと忙しくしているが、土方はほとんど屯所に篭りきりだった。
何しろ、仕事の量が半端ではないのだ。決済すること、交渉ごとの書類、手配すること、もう頭の中がぐちゃぐちゃになりそうなぐらい、山積みになっている。
新しい組織をつくるのだから、当然のことなのだが、やる事が多すぎるのだ。それが今、ほとんど土方の肩にかかってきている。
「あー、なんか俺、キレちまいそう」
はぁっとため息をつき、土方は書類を取り上げた。その時だった。
コトンと外で音が鳴った。誰かが障子の前に膝をついたのだ。
「……?」
そのくせ、いつまでたっても訪いすら告げない相手に、土方は眉を顰めた。ふり返る。
「誰だ」
仕方なく声をかけた。
それに、短い沈黙の後、答えが返った。
「えっと……その、総司です」
「!?」
慌てて立ち上がった。ここで逃してなるものか! と大急ぎで部屋を横切り、障子をスパーンッと押し開く。
すると、縁側に膝をついた格好で、総司が彼を見上げていた。いきなり自動ドアの如く開いた障子にびっくりしたらしく、目を見開いている。
「あ、あの」
「ちょうど良かった」
「え」
土方はできるだけ優しく笑いかけた。もちろん、本心は、せっかくやってきたウサギさんを、すぐさま部屋に引っ張り込みたいオオカミさんなのだが、必死に自制している。
「俺も話があったんだ」
「……」
「時はとらせねぇから、とりあえず入ってもらっていいか」
男の言葉に、総司は迷ったようだった。彼が息をつめたまま見ていると、やがて、こくりと頷く。
そろそろと部屋に入ってくる総司を確かめてから、土方は文机の前に腰を下ろした。その前に、総司も坐る。
だが、そこで沈黙が落ちてしまう。
しばらくの間、土方はなんて言おうかと思って悩んだが、とにかくと口火を切った。
「その、何だな」
「……」
「えらく久しぶり、の気がするな」
言ってから、(何言っているんだ、俺)と思った。もっと気のきいた事を言いたいが、どうにも頭が回らない。
原田がここにいれば、あんた何やっているんだいと言われそうだが、仕方がないのだ。
好きでもない女を口説くためなら(むろん、男の欲望を吐き出すためだけにだが)、幾らでもペラペラ出て来る口説き文句が、まったく出てこない。
それどころか、何を言っていいのかさえ、わからないのだ。
それきり黙ってしまった土方に、総司が顔をあげた。大きな瞳で、じっと見つめてくる。
「……あの」
小さな声でためらいがちに、言った。
「私……とし、ひ、土方さんとこのままになるのは、嫌だと思ったのです」
「このまま……って、その、今の状況のことか?」
「この間は逃げちゃって、ごめんなさい。でも、どうしてもわからなくて。他の皆が受け入れていることが不思議で、原田さんに聞いてみたら、江戸にいた頃も昔は今と同じだったと言われましたし。それで、私だけが知らなかったんだなぁ、知らないところがあったんだなぁと思ったら、余計にわからなくなって、それで」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ」
今まで黙っていたことの反動か、それこそ立て板に水の如く喋りだした総司を、土方は慌てて押しとどめた。しばらく考えてから、訊ねた。
「その、悪いが、俺の方が全然わからねぇ」
「え」
「おまえの言っていることがわからないんだ。他の皆が受け入れているとか、同じだったとか、いったい何のことを言っているんだ」
「土方さんのことです」
「?」
心底、不思議そうにしている土方に、総司はぎゅっと唇を噛んだ。それから、下を向くと、一気に告げた。
「だって、変わっちゃったんだもの! 歳三さんじゃないのです」
「はぁ……?」
「めちゃめちゃ格好よくなっちゃって、大人の男の人って感じで、今まで私と一緒にいてくれた歳三さん、どこかに消えちゃったんだもの……っ」
最後の方は、少し涙まじりの声だった。
それに、呆然と聞いていた土方は、はっと我に返った。何があっても総司が泣く事だけは堪えられないのだ。それが自分故であるのなら、尚の事だった。
「すまん!」
思わず謝っていた。
(ここ、俺が謝るところか?)という疑問が頭の片隅をよぎったが、長年の習慣とは恐ろしいもので、ついつい頭を下げてしまう。
「おまえにとって、今の俺は別人みたいに思えるってことだよな。じゃあ、えーと、そうだ、すぐに前の古い着物に着替えよう。髭もあまり剃らないようにするし、髪も……」
言いかけたとたん、総司が顔をあげた。きっぱりと言ってくる。
「そんなの嫌です」
「……」
せっかくの提案を、あっさり却下され、思わず黙り込んでしまった。
じゃあ、どうすりゃいいんだよ? と、拗ねたくなる。
だが、その前で、総司は言葉をつづけた。
「私、確かに、今のあなたは歳三さんじゃない人に見えちゃいますけど、でも、格好いい土方さん、好きなのです。見とれちゃうのです。だから、そんな無精髭なんて絶対に嫌です」
「格好いい俺がいいってことか?」
「歳三さんとは別人だけど、でも、今のあなたも……嫌じゃないから。格好いいなぁと思うから、だから、わざわざ元に戻さないで下さい」
「……」
土方はうーんと腕を組んで、考え込んでしまった。
格好いいとか、好きとか、見とれるとか、いろいろと嬉しい言葉をかけられたが、それはとても喜ばしい事なのだが、一方で状況は変わらないのだ。
総司が今までどおり懐いてくれて一緒にいてくれるならいいが、もちろん、一歩進めて深い関係になれたら尚のこと美味しいのだが、今のまま避けられっぱなしでは納得できない。
しばらく考えこんでいた土方は、やがて、顔をあげた。その濡れたような黒い瞳で、じっと総司を見つめる。
とたん、ぱっと頬をあからめる総司に、訊ねた。
「今の俺が好きか? 格好いい方がいいか?」
「はい」
「じゃあ、交換条件だ」
土方はにっこりと笑いかけた。それこそ、極上の笑顔で。
「おまえが俺の恋人になること。そうしてくれたら、今のままの俺でいてやるよ」