無言のまま、歳三は眉を顰めた。
 それに、総司はズリズリと後ずさった。というよりも、無意識のうちに後ずさり、どんどん歳三と距離を置いていたのだ。
「私、一人で遊んでいますから、十分楽しんでいますから、そのっ」
「総司」
「なので、あのっ、失礼致しますッ」
 そう言って身をひるがえそうとした途端だった。
 不意に歳三の手がのび、総司の手首を掴んだ。ぐいっと引き寄せてくる。
「ちょっと待てよ」
「……ッ」
「おまえ、何だ、その喋り方」
 完全な詰問口調だった。
「何で、俺にそんな喋り方するんだ? いったいどうしちまったんだよ」
「も、申し訳ありませんっ」
 総司は思わず謝っていた。彼に掴まれたまま、手をぶんぶん振り回す。
「と、とし…ひ、土方…さんがお嫌なら、やめます。だから、すみません」
「はぁ? おまえ、俺のこと……」
「ごめんなさい!!」
 盛大に大声で謝ってから、総司は彼の手をもぎ放した。そのまま、くるりと背を向けると、すごい勢いで駆け去ってゆく。
 どんどん遠ざかる総司の背を、歳三──もとい、土方は呆然と見送った。
 そして、ぼそりと呟いたのだった。
「……何なんだよ、いったい」













「……総司に嫌われた」
 突然、土方が吐いた言葉に、近藤は訝しげに顔をあげた。
 二人で食事をとっている時だった。
 いや、別に二人で食事をとろうとした訳ではない。外出やら用事やらが重なり、食事が遅くなってしまった土方が行ってみると、近藤が一人で飯をガツガツかき込んでいたのだ。
「おお、歳か」
 そう言っていつもどおり、にかっと笑ってみせる近藤の隣に、土方は腰を下ろした。自分も食事を始める。
 しばらくは黙々と食べていたのだが、不意に、低い声で呟いた。
「俺、何かしちまったのかな」
「は?」
「総司に嫌われた」
「……」
 近藤は訝しげに顔をあげ、親友の顔を眺めやった。相変わらず整った横顔をこちらに見せ、きれいな箸つかいで食事をしている。
「嫌われたって、総司にか?」
「あぁ」
「まさか」
「そのまさかが現になっているんだよ」
 そう言って、土方はため息をついた。
「なんか、俺、しちまったのかなぁ」
「したとかどうとかより、本当の事なのか? 総司はおまえに懐きまくっているだろうが」
「この間迄はな。今じゃ、俺の顔を見たとたん、逃げ出す始末さ」
「逃げ出す? 話すことも出来んのか」
「話したことはあるが、遊びに行こうと誘った途端、えらく慌てて、変な言葉遣いで断って逃げちまった」
「変な言葉づかいって、何なんだ」
「敬うっていうか、丁寧な言葉だよ」
 近藤は首をかしげた。
「丁寧……もともと、総司は丁寧な言葉づかいをしていると思うが」
「あんた、相手にはな。けど、あいつ、俺には、けっこうぽんぽん物を言っていたんだぜ? むろん、そんな処も可愛いと思っていたが」
「歳、おまえ」
 近藤はふと、遠い目になった。
「総司が宗次郎だった頃から、惚れ込んでいたものなぁ。あの頃は、おまえが危ない道に走ったと思って心配した」
「危ない道って何だよ」
「まぁ、その、な?」
 もごもごと近藤は誤魔化し、また飯をかきこみ始めたが、言いたいことはわかる。


 つまりは、親友が幼児趣味に走ったのではないかと、びびっていた訳だ。
 しかも男の子相手だぞ!?と、ドーン引きもの。
 もっとも、それは的中というか、宗次郎限定なら完全に大正解だったのだが。


「俺は総司だけが可愛いんだよ、あいつ以外は全部いらねぇ」
「うむ。確かに、総司は可愛いな。気立てもよいし、可愛いから、新入り隊士たちの間でも大層な人気だ」
「……本当かよ」
 土方は低く唸ってしまった。


 ただでさえ総司に避けられている今、下手をすれば、鳶に油揚げ状態になってしまうのだけは避けたかった。
 こっちがどれだけ長年、我慢してきたと思うのだ。


 それに、近藤がどんどん追い打ちをかける。
「ほら、最近入ってきた斎藤って男は、急接近しているらしいぞ。同じ年で剣術も優れているから、話があうのだろう」
「斎藤って……あの吊り目野郎か」
「そんなに吊り目か?」
「少なくとも垂れ目ではないだろう」
「確かに。だが、吊り目とも違わないか?」
 問いかける近藤に首をふって(斎藤が吊り目だろうが垂れ目だろうが、そんなもの、どうでもいいのだ)、土方は話を元に戻した。
「とにかく、総司に避けられているんだ。何でだと思う?」
「そりゃあ、おまえ、決っている」
 近藤は重々しく答えた。
「年頃になったからだろう」
「はぁ? 年頃?」
「ほら、よくある、年頃になると父親や兄を嫌う娘の心境だ」
「総司は娘じゃねぇよ」
「そうか? あの初さ、素直さ、純真さ、似たようなものだと思うがなぁ」
「……」
 思わず、土方は押し黙ってしまった。


 確かに、総司のあの潔癖さ、純真さには、さんざん手を焼かされてきたのだ。
 というか、天然ぶりにめちゃめちゃ振り回されたと言ってもいい。
 男として認めてほしい! と何度も思ったが、空振りばかりで、抱きしめても頬にふれても、のほほんとしているだけだ。
 挙句、まるで花魁に入れ込む男のように贈り物まで、さんざんしたのに、それも全部「ありがとうね、歳三さん」で、ばっさり強制終了させられてしまった時の虚しさときたら、今思い出しても涙ものだった。
 せめて、お礼に、頬っぺたへのチューぐらい欲しいなぁと思ったりしたが、筋金入りの天然鈍感総司にそこまで望めるはずもない。


「……まぁ、確かに、あいつは娘っこみたいな処があるよな」
「だろう?」
「けど、何で急に俺だけ嫌がるんだ? 父親みたいな存在と言ったら、あんたもだろう。あんたは嫌がられていないじゃねぇか」
「それは人徳というものだ」
 そう言って、うむと満足げに頷く近藤を、土方は思わず半目で眺めてしまった。口には出さないが、内心、何言ってやがるんだ、この狸! と思っている。
「だいたいさ」
 土方は話をまた引き戻した。
「あいつ、俺のこと、なんて呼んだと思う?」
「歳さんか」
「それならまだいいよ。土方さん、だぞ! えらく他人行儀な言い方だと思わねぇか」
「他人行儀と言えばそうだが、おれはとっくの昔に、近藤先生と呼ばれているぞ」
「だから、あんたの事はいいんだよ。今は俺と総司の問題なんだ。いきなり、土方さんなんて呼ばれて、返事もできなかった」
「そんなに驚くことか?」
 不思議そうに、近藤が訊ねた。
「おまえ、他の連中には、土方さんと呼ばれているだろうが。まぁ、俺からは歳、だが」
「だからさ、他の連中はどうだっていいんだよ。要は、俺と総司のことなんだ」
「……おまえ、本当に、自分中心の男だな」
「違う。総司中心なんだ」
「わかった、わかった」
 近藤は呆れたようにため息をついてから、言った。
「とにかく、総司は大人になりつつあるって事だろう。おまえも大人なら、少し鷹揚に見守ってやれ」
「鷹揚……」
 土方は思わず呟いてしまった。
 一瞬、自分は総司に対してあれこれ束縛しすぎなのか、細かすぎるのかと、不安になったのだ。
 それで嫌われてしまったのかと思ったとたん、余計にドーンと落ち込んでしまった。
 土方はどっぷり沈んだ様子になると、食事のつづきを始めた。が、上の空であることは、箸が泳いでいることからもよくわかる。
 近藤はそれを横目で見ながら、やれやれと、ため息をついたのだった。












 一方、総司はますます追い詰められていた。
 何しろ、土方から逃げ出してしまったのだ。
 というか、実際彼に会ってみて、まともに会話も出来ない事が判明した。自分でも訳がわからないぐらいのぼせたので、何を口走ったのか、ほとんど覚えていない。
 ただ、土方さんと呼んだ時の、呆気にとられた彼の顔だけは覚えていた。
「……びっくりしたよね」
 総司は、はぁっとため息をついた。


 何しろ今までずっと、歳三さんと呼んできたのだ。
 それこそ、初めて会った時からだった。なのに、「土方さん」なんて呼び方、びっくりされて当然だ。
 だが、総司にとって、今の彼はまったくの別人だった。
 端正な顔だちに、すらりと引き締まった長身。濡れたような黒い瞳も、形のよい唇も、皆、大人の男特有の艶にあふれていた。
 やんちゃな不良少年めいた若者だった彼が、突然、とびきり格好いい極上の大人の男になってしまったのだ。
 どうしても、別の男にしか思えなかったのだ。
 だから、「土方さん」と呼んでしまった。
 今まで通り、ふざけたり甘えたり、ましてや馴れ馴れしく「歳三さん」と下の名で呼ぶことなど、出来るはずもなかったのだ。


 もう一度ため息をつきながら、ぽんっと小石を蹴った。それがコロコロと転がった先に、人がいた。
「あ」
 顔をあげた総司は、かるく目を見開いた。
 それに、最近仲良くなったばかりの若者が「やぁ」と手をあげる。


 斎藤一だった。
 入隊してきたばかりなのに、剣術の腕、その落ち着いた物腰から、一目置かれる存在になっている。
 総司は、この斎藤と気があった。
 むろん、土方とは違うが、とても楽に仲良くなることが出来たのだ。


「こんにちは」
 ぺこりと頭をさげた総司に、斎藤は笑った。
「同じ年なのに、丁寧だなぁ」
「そうですか? でも、まだ会ったばかりだし」
「もう少しくだけてくれた方が、オレも楽だよ」
 そう言いながら、斎藤は手にしていたものを差し出した。それに、きょとんと総司が目を瞬かせる。
「? 何ですか?」
「菓子。通りがかったら、なかなか美味そうだったから」
「え、斎藤さんって、甘いもの食べられるんですか」
「あまり甘すぎなければ」
「やった! じゃあ、一緒に甘味処に行きましょ? 私、京に来てから行ってみたいなぁと思っていたけど、なかなか行けなくて」
「いいけど、でも」
 斎藤は不思議そうに、総司を見下ろした。
「オレでいいのか? もっと他に、一緒に行きたい人がいるんじゃないか」
「もっと他にって」
「ええっと、ほら、あの副長……やたら男前の、そうだ、土方副長だよ」
「……」
 とたん、総司がピキッと固まってしまった。斎藤から貰ったお菓子を手にしたまま、固まっている。
 かなり長い沈黙の後、どもりながら訊ねた。
「ど、どどど、どうしてそう思うのですかっ?」
「どうしてって、おまえ、めちゃめちゃ仲良いんだろ? 念兄弟じゃないかって、噂で聞いたけど、あれ、違うのか?」
「ね、ね、念兄弟ィ──!? 歳三さんと私がっ!?」
 思わず、以前どおり歳三さんと叫んでしまったが、そんなこと、総司は全く気づいていないようだった。
 かぁぁあっと耳朶まで真っ赤になりながら、ぶんぶん両手をふりまわす。
「な、何でそうなるのですっ、どうしてどこから、そそ、そんな噂がッ」
「どこからだったかなぁ。とにかく、噂で聞いたんだ。それ聞いた時、オレ……がっかりしたけど」
 後半は小さな声で呟かれたため、総司の耳には届かなかった。とにかく、総司は新しく知った事実に、文字通りパニックになっていたのだ。


 衆道の契りを結んでいると思われていたこともショックだが、それよりも、相手が土方として噂されていることに、頭の中が真っ白になった。
 恥ずかしいとか、どきどきしてしまうとか、そういう風に周りから見られているんだとか、いろんなことが一気にドドドーッと押し寄せてきたのだ。


 何しろ、総司は、土方が危惧しているとおり、とことん初だった。
 男との契りはもとより、女と関係したこともない。
 口づけさえ未だの、ぴかぴかの純真ぶりなのだ。生娘同然と言ってもいい存在で、男所帯で育った割にはそういった知識がまったくの皆無だった。
 それはある意味、土方にも責任の一端があった。
 総司に余計な知識を入れさせないように、ふわふわ真綿で包むように育ててしまったのだ。その上、土方に会う前は、姉や母だけの女所帯だ。そんなこと知らされるはずもなかった。
 だから、総司は今も、そこらの生娘よりも初で純真で、天然そのものだった。


 原田などが聞けば、「よくぞ、土方さん、ここまで頑張ったねぇ。感心するよ」とのたまうぐらいの、純真ぶりなのだ。ある意味、絶滅危惧種か。
 むろん、衆道や念兄弟の意味はわかっている。
 ただし、どんな行為をするのかとか、どんな関係になるのかなど、深い知識は全くない。
 だが、それでも、そういう知識が全くなくても、今まで兄として認識してきた、それも、最近めちゃめちゃ男前になってしまった彼とそういう関係だと見られていることに、もう今すぐ転げ回りたいぐらいの羞恥心を覚えてしまった。
 それは何も、土方が嫌だとか、そういう事ではない。
 なんか、もう、ただただ恥ずかしいのだ!


 そんな総司に、
「じゃあ、違う訳?」
 斎藤は奇妙なぐらい熱心に訊ねた。
 顔を真っ赤にして「うわー」とか言っている総司を、覗き込む。
「土方副長とは、そういう関係じゃないってこと?」
「そういう関係も何もっ、あの人は、兄がわりですから」
「念兄ってこと?」
「そうじゃなくて、本当の兄がわりです。だいたい、とし、ひ、土方さん、すっごくもてるじゃないですか」
「もてるのか?」
 訊ねる斎藤に、総司はこくりと頷いた。自然と、細い眉を顰め、桜色の可愛い唇を尖らせてしまう。


 面白くなかったのだ。別に羨ましい訳ではない。
 ただ、彼が女にもてていること、女たちからきゃあきゃあ言われていることが、めちゃめちゃ面白くなかった。
 自分だけの彼をとられたような気がしたのだ。


 本当はわかっていた。
 彼がとてもとても端正な顔をしていること、きちんと身なりを整えれば、きっと格好いいだろうなぁと幾度も思ったことがあったのだ。
 まさか、あそこまで男前になるとは思っていなかったが。
 だが、しかし、総司しか知らないはずだった。彼のきれいな顔も、きれいな瞳も、そのすらりとした長身が逞しいことも皆、総司しか知らないはずだったのだ。
 なのに、今は皆が知っている。
 この斎藤だって言ったのだ。えらく男前、と。
 そう思ったとたん、総司は「あ」と声をあげた。
「もしかして、斎藤さん」
「え?」
「土方さんのことが好きなの? 念弟になりたいって思っているの?」
「!?」
 少し高めのよーく透る声で総司に訊ねられ、今度は斎藤がピキッと固まった……。