えっ? これ、誰ッ!?
本気でそう思った。
嘘でも冗談でもない。まったく、全然わからなかったのだ。
総司は目をまん丸にして、彼だけを見つめた。
近藤たちと一緒に京へのぼってきたのは、この春のことだ。
いろいろあったが、そんな事はまぁうっちゃっておいて、総司は初めての京生活を思いっきり満喫していた。
お菓子は美味しいし、色々と綺麗なところはあるし、総司が好きな可愛い小物は沢山売っているしで、毎日うきうきと楽しく暮らしていたのだ。
しかも、傍にはいつも大好きな彼がいてくれるのだから、尚のことだった。
彼とは、兄代わりである土方歳三のことである。
姉たちと一緒に暮らしていた頃は、いつも庭先から誘いにきてくれた。
九つも年が離れているのに、当時、宗次郎と呼ばれていた少年は、彼に懐きまくったのだ。姉のお光が「まぁまぁ、本当に宗次郎さんは歳三さんが好きなのねぇ、おほほほ」と笑うぐらいだった。
歳三はいつも明るく陽気で、気さくだった。悪戯っぽいところもあり、子供っぽさや自分勝手な面も見せたが、それも彼の魅力となっていた。
宗次郎は彼が大好きだった。
江戸の試衛館に入ってからは、ほとんど歳三に育てられたようなものだった。
「歳三さん、歳三さん」と甘える宗次郎を、歳三はめろめろと言ってよいぐらい溺愛しまくった。あれは育てると言わんだろう!と、近藤が力説しまくっていたが、そんな事ガン無視で、歳三は宗次郎を可愛がりまくった。色々なところにも連れていってもらったし、遊んでもらったし、いつもいつも一緒だった。
総司にとって、歳三は、甘すぎるぐらい甘い、大好きな優しい兄代わりだったのだ。
もちろん、それは今も変わらない。
だが、しかし。
その歳三の身に、ある日、とんでもない事が起こった。
いや、彼にとってはなんて事ないことなのだが、総司にとっては、まさに青天の霹靂だったのだ……。
彼らが結成した浪士組が京都守護職会津藩のお預かりになるということは聞いていた。
そのための交渉に、近藤や土方たちが赴くことも知っていた。
何しろ、昨日も、総司は歳三と話したばかりだったのだ。
「歳三さんも行くの?」
そう訊ねた総司に、歳三は小首をかしげた。
「まぁ、そうなるだろうな」
「なんか、いい加減な答えー」
「仕方ねぇだろう。こっちは右も左もわからねぇんだ」
歳三は肩をすくめた。
黒い前髪が額にかかっている。それを片手で煩わしげにかきあげながら、はぁっとため息をついた。
「あぁいう堅苦しいところに行くなんざ、気が進まねぇが、行かなきゃならないだろうなぁ」
「近藤先生が困っちゃいますよ」
「けどさ、めかし込んで行く事になるそうだぞ」
「めかし込んで?」
「さすがに、この格好で会津藩を訪れるというのは無理だろう?」
「……」
総司は思わず、歳三の格好をじーっと眺めてしまった。
……確かに、これはまずいだろう。
黒髪を軽く束ねているだけで、前髪は額にかかっているし、きちんと整えられているとは言い難い。
髭もあまりあたっていないし、纏っている着物も質素なものだしで、どこからどう見ても、その辺りをウロウロしている浪人そのものだ。
「……うーん、確かにまずいかも」
「だろう?」
「でも、どうするのですか? ちゃんとした着物なんて持ってないでしょう?」
「八木家で借りるんだとさ」
「ふうん……
総司は何気なく相槌をうった。
しかし、その時は、まさかこんな事になるとは思ってもみなかったのだ。
翌日の昼頃のことだった。
素振りの練習をした総司は、またお菓子でも買いに行こうかなぁと、うきうきしながら庭を横切った。
その時だった。
屋敷の戸がカラリと開き、一人の男が歩み出てきたのだ。大股に庭を横切ってゆく。
「……?」
総司はきょとんと小首をかしげた。
妙にこの屋敷内にもの馴れた様子だが、まったく見たことのない男だったのだ。
警戒心とともに声をかけようとした時、突然、男がこちらを見た。とたん、微かに笑う。
「総司」
(……え?)
思わず、きょろきょろと辺りを見回してしまった。
聞き慣れた声が自分を呼んだのだ。
「歳三さん?」
思わず周囲を見回しながら、呼び声を返した。すると、例の男が苦笑した。
「おまえ、どこ見ているんだよ」
「……は?」
総司は目をパチパチとさせた。何が何だか、理解できなかったのだ。
それに、男は歩み寄ってくると、総司の目の前に立った。かるく身をかがめ、顔を覗き込んでくる。
「どうした、体調でも悪いのか?」
「……」
「総司?」
「……」
唖然とした。
どう見てもどう確かめても、目の前の男から、歳三の声が発せられていたのだ。
ということは、ただ一つしか考えられない。
「……と、とと、歳三さんー!?」
上擦った声で訊ねた総司に、彼は不思議そうに首をかしげた。一瞬、眉を顰めてから、かるく頷いてくる。
その表情がまた男の色気にあふれていて、心の臓がどきりと跳ね上がった。
思わず後ずさり、目の前にいる男をまじまじと凝視してしまう。
(何これっ、どういうこと? っていうか、この人誰っ!?)
まったくの別人だった。
いや、総司がわからなかったのだから、別人そのものだ。
のばし放題で適当に束ねられていた黒髪は、今、すっきりと艶やかに結い上げられていた。いつも前髪がかかっていたため、よくわからなかった秀麗な眉、すっと眦が切れ上がった目に、深く澄んだ黒曜石のような瞳。引き締まった口許や、頬から顎にかけての鋭い線が、男の精悍さを際立たせている。
逞しく鍛えられた長身に纏う着物は漆黒の紋付きで、まるで誂えたように彼によく似合っていた。武家の正装姿がこれほど似合う男も珍しいだろう。
顔だちや躰つきは、今までの歳三となんら変わることはない。
だが、整えられない髪や無精髭、質素で着古した着物が、歳三の魅力や精悍さ、涼し気な佇まいを、大きく割り引いていたことは確かだった。
そのことを、総司は今、とことん思い知らされていた。
(この人、こんなに格好よかったの! こんな綺麗な顔をしていたのッ!?)
呆然と、彼を見上げた。
今まで見たことがないぐらい、綺麗な顔だった。それも、どことなく男の色気というか、華があるのだ。人を魔力のように惹きつけてしまう艶があると言えばいいのか。
ぼーっと見惚れていると、歳三は苦笑した。いつもどおり、ぽんっと総司の頭に手をのせてくる。
「おまえ、何、豆鉄砲くらったみたいな顔しているんだよ」
「……」
「? 俺がめかし込んでいるから、びっくりしたのか? 言っただろ、会津藩に行くからだって」
「聞きました。聞きましたけど……で、でも」
もごもご口ごもっていると、道の方から近藤の声がした。どうやら歳三を呼んでいるらしい。
それに、歳三はふり返った。
「今行くよ」
いつもどおり屈託のない声で答えると、歳三は総司の方をもう一度だけふり返った。にこりと笑いかける。
「じゃあ、行ってくるな」
「は、はい……」
頷いた総司に、優しく微笑んでから、歳三は踵を返した。さっさと歩きだしてゆく。
それをぼうっと見送っていた総司は、頬がびっくりするぐらい火照っていることに気づいた。思わず手の甲を頬にあてる。
(……熱い……)
まるで酒に酔ってしまったようだった。ぼうっと頭が霞んでいる。
きっと、歳三という男に酔わされてしまったのだ。あまりの変わり様に驚いているところに、あの笑顔だ。総司のような初な若者がぼうっとなって当然だった。
濡れたような黒い瞳で見つめられ、優しく微笑みかけて。
罪作りなぐらい、きれいな笑顔だった。
(でも、びっくりして当たり前じゃない? あんな歳三さん、初めてなんだもの)
出かける気になんて全くなれなかった。
よろよろと屋敷の方へ戻っていく。総司は今あった事を考えてみようとしたが、どんどん訳がわからなくなってくる。
いや、歳三が変身したことではない。(はっきり言って、総司にとって、あれは変身以外のなにものでもなかった)
そうではなく、それに対しての自分の気持ちの方がわからなかったのだ。
どうして、こんなに胸がどきどきするのか。緊張してしまったのか。
総司は縁側に腰かけると、はぁっとため息をついた。
翌日になっても、あまり状況は変わらなかった。
つまり、歳三がである。
黒谷屋敷での交渉ごとの後、何をどこで工面したのか、彼らは花街に繰り出したらしい。そこで、歳三はやたらもててしまい、挙句、女から文やら着物やらを山のように贈られたのだ。
それらの着物を着た歳三は、今までの彼とはまるで別人だった。浪人そのものだった姿は、今や、どこからどう見ても生まれながらの武家だ。
すっきりと整えられた髪も、髭をきちんと剃ったことで、よくわかるようになった端正な顔も、逞しく引き締まった長身も、全部が全部、人を惹きつける魅力にあふれていた。男前という言葉そのものだ。
だが、総司が一番不審に思ったのは、周囲の反応だった。最近、知り合ったばかりの八木家の人々は驚いていたが、近藤や原田など、昔から歳三をよく知っている人々は誰も驚いていなかったのだ。当然のように、彼と接している。
頭の中を「?」マークいっぱいにして悩みまくった総司は、とうとう聞いてしまった。
「どうして、びっくりしないのですか?」
そう訊ねた総司に、原田は「?」という顔で春画本から顔をあげた。
腹ばいになって、彼の愛読書である春画本を見ていたのだ。その傍に、総司はちょこんと座っている。
「びっくりって、何が」
「歳三さんのことです」
総司は膝をすすめ、一生懸命言葉をつづけた。
「急に変わっちゃって、私、びっくりしているのです。あんなにきれいな顔をしているなんて、知らなかったし、なんというか……」
「あぁ、男前ぶりのことかぁ」
原田はくすくす笑った。
「そりゃ、おれたちはびっくりしねーよ。江戸の頃から知っていたからさ」
「え、知っていたって……どうして」
「だいぶ昔のことだけどさ。昔は、けっこう身ぎれいにしていたし、男前そのものだったから」
「……そうでしたっけ」
「ずっと前のことだよ。だから、たぶん見たことがないと思うね」
「……」
総司は思わず、ガーンとなってしまった。
今まで、歳三のことなら知らないことは何もないと思っていたのだ。
それぐらい、二人は一緒に暮らしてきた。
なのに、自分の知らない歳三がいたなんて、めちゃめちゃショックだった。
「あ、混乱しちゃった?」
原田がちょっと心配そうに訊ねた。それに、慌ててぶんぶんと首をふる。
だが、その実、頭の中は完全にパニクっている。
「じゃ、じゃあ、あの、本当の歳三さんって、今の歳三さん……なんですか」
「??? なんかすげぇややこしい言い方だけど、総司は、今の土方さんが苦手なんだ」
「……う」
ずばり問いかけられ、思わず言葉に詰まってしまった。
苦手、というのとは少し違うかな? と思う。
とにかく戸惑っているのだ。
今までずっと一緒にいた兄が、突然、とびきり極上の格好いい男になったことに。
「苦手……じゃないけど、なんか話しづらくて」
「ふうん、中身は変わらねーと思うけど?」
原田は小首をかしげた。
「相変わらず、すげー強引で自分勝手だし、ちょー俺様で上から目線だし」
「えぇっ? 歳三さん、全然違いますよ」
思わず総司は力説してしまった。
「すっごく優しいし、誰よりも親切で、いつも私のこと考えてくれている人です」
「……それ、総司限定だから」
「え?」
ぼそりと呟いた原田の言葉が聞き取れず、聞き返してしまったが、原田は何でもねーよと笑ってみせた。
「とにかく、中身は同じ土方さんだし。だから、今までどおりでいいんだって」
「今までどおりって言われても……」
実際、それが出来ないから、困っているのだ。
総司は部屋から出ると、廊下を歩きながら、はぁっとため息をついた。
「どうすればいいのかなぁ」
自分でもどうすることも出来ないのだ。
あれは歳三さんだ、大好きな兄がわりの人だと、何度も何度も言い聞かせて。
だが、しかし、状況はまったく変わらなかった。
どこからどう見ても、別人に見えてしまう男に、今まで通りの態度をとれるはずがない。
総司はこう見えても、かなり人見知りの方なのだ。長くつきあってからでないと、なかなか心を開くことが出来ない。
なのに、ずっと頼りにしてきた、誰よりも傍にいてくれた彼がまったくの別人になってしまったのだ。
そのことが、総司を困惑させていた。
「うー……どうすればいいのっ」
頭をかきむしりそうになった時、突然、後ろから声をかけられた。
「総司」
「あ、はーい」
気軽に返事をして、総司はふり返った。だが、次の瞬間、ぴきんと固まる。
そこにいたのは、今の今まで思い悩んでいた男、歳三だったのだ。
「……」
呆然と立ち尽くしている総司に、歳三はさっさと歩み寄ってきた。
もちろん、男前ぶりはまったく変わらない。今日もすっきりと艶やかな黒髪を結い上げ、黒い瞳、褐色のなめらかな肌に、濃紺の着物がよく映えている。
切れの長い目が、総司を見下ろした。
「今、暇か?」
「え」
「これから、一緒に出かけねぇか? 最近、あまり遊んでやってないだろう」
「い、あ、いいい、いいです。別に」
どもりながら慌てて手を振る総司を、歳三は訝しげに見下ろした。
「いいって、何が」
「だから、そのっ、お、お気遣い頂かなくても結構でございますっていうことですッ!」
「……」
歳三の形のよい眉が顰められた。