「……あ」
 総司は小さく声をあげると、手をそっとさしのばした。
 川岸に植えられた桜は今、満開を迎えていた。時折、はらはらと風に散らされ、花びらが舞い落ちてくる。
「綺麗……」
 そう呟きながら、両手の中の桜の花びらを大きな瞳で見つめた。
 だが、その総司の方が、まるで花の精のように可憐で美しく、周囲の目を集めまくっていた。傍を通る者たちが皆、ちらちらと総司に視線を送ってゆくのだ。
 何しろ、まるで絵のような光景だった。
 満開の桜樹の下、花のように可愛らしい少年が佇んでいる。
 さらさらした柔らかな髪をきちんと結い上げ、華奢な躯に、質素だが清潔な着物を纏っていた。
 綺麗に澄んだ大きな瞳も、ふっくらした頬も、ちょっと紅をさしたような甘い唇も、まるで可憐な人形のようだった。
 この少年の兄であり恋人でもある歳三が、いっそのこと誰にも見せたくないと思ってしまうのも、当然のことだった。
 思うどころか、そう口にもしているのだ。
「……けど、まさか、人形の箱にしまっとく訳にもいかねぇからな」
 そう呟いた歳三に、総司は意味がわからず小首をかしげただけだった。本人はまったく自覚がないのだから、始末におけない。
 あまりにも可愛い恋人をもつと、色々と苦労もあるのだ。
「……総ちゃん!」
 突然、ぽんっと後ろから肩を叩かれた。
 ふり返ると、そこには近所に住む女友達であり元許婚のお磯が立っていた。小さな包みを手に、にこにこ笑っている。
「今、帰り? じゃあ、ちょうど良かった」
「え?」
「おいしいお団子もらったの。一緒に食べない?」
 お磯の誘いに、総司はぱっと顔を輝かせた。
 いくら料理が上手の総司でも、さすがに菓子は作れない。もともと歳三が甘いものを好まないという事もあったので、つくる必要もなかったためだったが。
 だが、しかし、総司は甘いものがだい好きだ。
「食べる!」
「じゃ、今から総ちゃんの家で食べよ♪」
 お磯はうきうきした口調で云った。ちらりと桜を見あげてから、ふふっと笑う。
 それに、総司は不思議そうに小首をかしげた。
「? どうしたの?」
「ん、やっぱり、花より団子よねぇと思って」
「お磯ちゃんったら……でも、お花も綺麗だよ」
「そうね。だけど、こんな処でぼーっと桜見あげてたら、また歳三さんに怒られるわよ」
「どうして?」
 総司は不思議そうに目を丸くした。
 それに、お磯はかるく肩をすくめてみせた。
 まったくもって、全然わかっていないのだ。
 あんな処で佇んでいる総司を、どれだけ大勢の男女が見ていたことか。わざわざふり返ってゆくものまでいたのだ。中にはあまり良からぬ事を考える人間もいるだろう。
 これだけ可愛いのだから気をつけるべきだと、お磯でも思うのだから、歳三の心労は推して計るべしである。
「わからないならいいけど……でもね」
 お磯は真剣な顔で云った。
「これだけは云っておくからね。絶対絶対、知らない人についてっちゃ駄目よ。おいしいもの食べさせてくれるって云っても、駄目なんだからね」
「……うん。でも、それ……この間やっちゃったから」
「えぇっ? いつ?」
「お正月の初詣で、兄さんとはぐれた時に……」
 お磯はため息をつき、大げさに首をふってみせた。
「無事だった事を喜ぶべきでしょうけど……うーん。やっぱり、知らない人についていっちゃったか……」
「やっぱりって何?」
「こっちの話。で、その人には御飯とかご馳走になった訳? 何もされなかった?」
「甘酒ご馳走になっただけだよ。それに、何もされなかったし……すごく優しい言葉をかけてもらったし」
「優しい言葉?」
「うん、綺麗だとか別嬪だとか……」
「何それ! 遊び人じゃないのっ」
 思わずお磯は叫んでしまった。何を思いだしたのか、ぽっと可愛らしく頬を染めている総司が心配になってくる。
「そりゃ、総ちゃんは可愛くて綺麗で別嬪さんだけど、でも、初めて逢った相手にそんな事さらさら云っちゃうなんて! 絶対、遊び人よ!」
「そうかなぁ」
「総ちゃん、もっとしっかりしなきゃ! 誑しこまれてからじゃ、遅いんだからね」
「そんな事ないと思うけど、すっごくいい人だったよ」
「遊び人でもいいのっ?」
「そういう訳じゃないけど……でも、遊んでると云ったら、兄さんだって……」
 総司の大きな瞳が不意にうるうるっとなった。
「兄さんだって……すごく遊んでたもの。とっかえひっかえ綺麗な女の人とつきあってたし……」
「……」
 お磯は沈黙してしまった。
 よーく考えてみれば、この総司の今の恋人は、立派なたらしなのだ。どれだけ女遊びが激しかったかは、近所に住んでいたお磯もよく知っている。
 遊び人を相手にすることは、謂わば経験済なはずだった。
「……で、でもね」
 お磯は気を取り直し、言葉をつづけた。
「でも、今は総ちゃん一筋でしょう? 改心したんだから、そういう昔の事は忘れてあげなきゃ」
「もちろん、それはわかってるよ。私だってもう十五才だもの。大人なんだから、ちゃんと理解してあげるつもり」
「えらいっ、総ちゃん」
 ぱちぱちとお磯は拍手した。それに、総司がちょっと恥ずかしそうに笑う。
 その時だった。
「楽しそうね」
 突然、優しい声が後ろからかけられた。
 それに驚いてふり返ると、家の前、一人の美しい女性が佇んでいた。傍には駕籠もとまっている。
 総司の顔がぱっと輝いた。
「姉さん!」
 離れて住む、実の姉お光だった。一度は総司を引き取ったが、総司の気持ちを一番に考えてくれた優しい姉だ。
 嬉しそうに駆け寄り、総司は問いかけた。
「どうされたのですか? 今日は何かご用事でも?」
「お花見に誘いに来たのよ」
 にっこりとお光は微笑んだ。
「明日なのだけど、とてもいい場所をとってあるの。それで、総司さんもどうかしらと思って」
「お花見ですか」
「もちろん、歳三さんもお誘いしていいのよ。ふたり一緒に来てちょうだい。たくさんご馳走も出るし、おいしいお菓子も用意してあるから」
「わぁ、とっても嬉しいです!」
 そう歓声をあげてから、総司はある事に気がついた。大きな瞳でお光を見つめる。
「……あの、姉さん。お磯ちゃんも誘ったら駄目ですか?」
「お磯ちゃん?」
「ほら、あっちに立っている娘さん……私の大事なお友達なんです」
「もちろん、いいわよ」
 お光はにっこり微笑んだ。
「大勢の方が賑やかで楽しいわ。それに……ふふっ、可愛い娘さん連れなんて、総司さんも隅におけないわね」
「え? そういう事では……」
「そうだ」
 ぽんっと手をあわせ、お光は目を輝かせた。
「いい事を思いついたわ! 総司さんたち、明日はまずお店の方へ来てちょうだい」
「お店の方……ですか?」
「えぇ、そうよ。約束ね」
 何を思いついたのか、お光はとてもとても楽しそうな表情だ。その姉を、総司は不安そうに眺めた。
「あの……何をするつもりなのですか?」
「ふふっ、それは明日のお楽しみ」
 そう云ってから、お光は駕籠へ歩み寄った。駕籠に乗る直前、総司の方をふり返り、にっこり笑いかける。
「明日、お昼前にはお店の方へ来てね」
「え、あの……姉さん……っ」
「楽しみに待ってるわ」
 弾んだ声で云ってから、お光は駕籠に乗り込んだ。戸惑う総司の前から、えっほえっほとかけ声とともに、お光を乗せた駕籠は去っていってしまう。
 それをぼんやり見送っていると、お磯が駆け寄ってきた。
「綺麗な人ねぇ。あれが総ちゃんのお姉さん?」
「うん、そうだけど……何を考えているのかなぁ」
「え?」
 訝しげにお磯は小首をかしげた。
 それに、「ううん、何でもないんだ」と首をふってから、総司は明日の花見へのお誘いをした。
 もちろん、花より団子のお磯は、ご馳走とお菓子という言葉に大喜びで承諾だ。
 うきうき喜ぶお磯を前に、総司はちょっと複雑な心境だった……。








「……花見? お光さん達と?」
 歳三は秀麗な眉をかるく顰め、聞き返した。
 それに、総司は真剣な顔で、こっくりと頷いた。
 もう夜も更け、夕飯もお風呂も終わって二人して布団へ入る時刻だ。
 もっと早く云おう云おうと思ってはいたのだが、なかなか切っ掛けが掴めず、こんな寝る直前に告げる事になってしまった。
 だが、そうなったのには、もちろん、理由がある。
 歳三は口には決して出さないが、総司がお光の店へ遊びに行ったりするのを、あまり快く思っていないようだったのだ。
 お光との外出を告げると、いつも少しだけ悲しそうな辛そうな表情になる。
 おそらく、前の総司を手放した時の記憶や、実の姉と引き離している事の罪悪感などが、彼の中で渦巻いてしまうのだろう。
 そんな兄の表情を見ると、総司も胸が痛かったので、なかなか云い出せなかったのだ。 
「うん……駄目、ですか?」
 おそるおそる訊ねた総司に、歳三はちょっと視線をそらせた。
 敷かれた布団の上に胡座をかいて坐り、ちょっと乱れた黒髪を片手でかきあげる。
「駄目って訳じゃねぇが……随分、急なんだな」
「お花見だから。桜って、いつ満開になるかよくわからないし……」
「そうだな。いいよ、行っておいで」
 優しく微笑みながら云ってくれた兄に、総司はちょっと困った。小首をかしげ、甘えるように歳三の寝着の袂をくいくいっと引っ張る。
「……あのね」
「ん?」
「兄さんもどうぞって云われてるんですけど。明日、駄目ですか?」
「え、俺?」
 歳三は驚いたように目を見開いた。
 ちょっと考えこむような表情になる。
「うーん、けっこう仕事こんでるしなぁ」
「ほんの少しでいいんです。お昼時とかに来てくれたら嬉しいの。だって……」
 総司はなめらかな頬を、ぽっと桜色に染めた。
「私、やっぱり、だい好きな兄さんとお花見するのが一番嬉しいし……」
「……」
 歳三は沈黙し、可愛い弟を見下ろした。
 それに小首をかしげて見あげたとたん、思いっきり引き寄せられた。気がつけば、その細い躯は男の腕にきつく抱きしめられている。
「え、あ……兄さん……?」
「おまえって、ほんっと可愛いな。可愛くて可愛くて、あぁ……早く喰っちまいてぇよ」
「た、食べちゃうの?」
 男の言葉の意味がわからず、総司はちょっと怖がるような声で訊ねた。
 それに、歳三はくっくっと喉を鳴らし、笑った。
「本当に喰っちまう訳じゃねぇよ。他の意味があるんだ」
「? よくわかりません」
「わからなくていいさ。まだ、おまえには早いからな……俺もちゃんと待ってやる」
 歳三は総司のまっ白な首筋やなめらかな頬に唇を寄せながら、囁いた。
「総司、好きだ。おまえだけが大切なんだ……俺の宝物だ」
「ん、兄さん……私も好き、だい好き……っ」
 桜色の唇が奪われ、甘い甘い口づけがあたえられる。
 うっとりと目を閉じた総司に、深く唇を重ねがら、歳三はその細い躯を着物ごしに掌で撫でさすった。
 本当は、この玉のような白い肌にふれたいのだが、それはもう少し後にすべきだと、重々承知しているのだ。
「ぁ…ん、んんぅ…ん……ぁ……っ」
 総司が甘く喘ぎながら、おずおずと細い両腕をのばした。柔らかく、兄の首をかき抱いてくる。
 珍しく積極的な弟の様子に、歳三も躯の芯がかっと熱くなるのを感じた。だが、それを押し殺し、愛しい少年の躯を強く抱きしめる。
 絶対に傷つけたくなかった。
 この愛おしい弟を。
「……総司、好きだ……」
「ん、私も……ん……」
 甘い抱擁と口づけをくり返す恋人たちを、窓ごしに月がそっと見つめていた……。








 翌日、総司はお磯と一緒に、お光の店へ向かった。
 仕事がうまくいったら、後で歳三も来てくれる事になっている。
「総司さん、いらっしゃい」
 お店に入ると、すぐさまお光がにこにこしながら出てきた。店の者たちも皆、あたたかく総司を迎えてくれる。
「お磯ちゃんもいらっしゃい」
「今日はすみません」
 お磯はぺこりと頭を下げた。
「あたしまでお呼ばれしちゃって……」
「いいえ、大勢の方が賑やかですもの。存分に楽しみましょうね。さ、二人とも上がってちょうだい」
 お光に案内され、二人は奥の部屋へ通された。
 その部屋に入った総司は、ちょっと驚いた。隣でお磯が歓声をあげる。
「わぁ、綺麗!」
 中には衣紋が二つあり、そこに男物と女物の小袖が掛けられてあったのだ。染めが美しく、とても鮮やかだ。ぼかし桜を散らした模様が何とも艶美だった。
「気にいった?」
 お光はにこやかに着物を取り外し、お磯に手渡した。
「これは、私が昔着ていたものだけど、総司さんがここへしばらくいた間に、お揃いで男物を作ってもらったの。とても綺麗でしょう?」
「えぇ、色違いなんですね。こんな綺麗な着物、いいなぁ」
「じゃあ、着てみてくれる?」
「え」
 驚くお磯に、お光はにっこり笑いかけた。
「あなたたちのために、用意したのよ。帯もちゃんとあるわ。二人でお揃いで着れば、まるで雛人形さんのようになると思うの」
「あの、姉さん」
 慌てて、総司はお光に歩み寄った。
「お磯ちゃんはともかく、私には無理ですよ。こんな綺麗な着物、似合いません」
「あら、とってもよく似合うわよ」
「だって……」
「じゃあ、総司さんは綺麗なものが嫌い?」
「もちろん、好きです。こういう綺麗な着物を見ると、いいなぁと思うし」
「なら、良かったわ。さ、手伝ってあげるから、二人とも早く着替えてね」
「……」
 さすが、商家の妻。
 夫と共にとはいえ、だてに老舗の大店を切り盛りしている訳ではないのだ。
 結局、総司もお磯もあっさり言いくるめられ、着替えさせられる事になってしまったのだった。








 さて、お花見である。
 隅田川の墨提に植えられた桜樹はとても美しく、当然のことながら見物客も多いので、かなりの賑わいだった。
 お光はしっかり場所取りをしてあったため、大きな桜樹の下に、その席が設けられてある。
「さぁ、総司さんもお磯ちゃんも、どんどん食べてね」
 弾んだ声で、お光は云った。
 それに、お磯は嬉しそうに頷き、先ほどからぱくぱく食べている。だが、その横で総司はあまり食事が進まなかった。
 もちろん、とてもとてもおいしい。
 だが、総司には二つ気になる事があったのだ。
 一つは、やはり、恋しい兄──歳三がいつまでたっても来てくれないこと。
 そして、もう一つは、周囲にいる人々や、通りすがりの人々がむけてゆく視線だった。総司とお磯を誰もがふり返ってゆくのだ。
 総司は着せられた着物を見下ろし、ため息をついてしまった。
(……やっぱり、似合わないんだ。こんな綺麗な着物、私は娘じゃないし、似合うはずもなかったのに……)
 むろん、それは全くの誤解である。
 道ゆく人々は、総司のあまりの可愛らしさ、可憐さに、うっとりしたような視線をむけてゆくのだ。
 お磯とそうして並んで坐っている様はとても似合いであり、一対の可愛らしい雛人形のようだった。
「あら、総司さん」
 総司の手元に気づいたお光が、心配そうに細い眉を顰めた。
「あまり食べてないのね……口にあわなかった?」
「え。そんな事ありません」
 慌てて総司は首をふった。
 それに、お光は綺麗に盛りつけられた重箱の一つを差しだした。
「じゃあ、もう少し食べて。ね? これは、わたしが総司さんの為に作ったのよ」
「はい」
 こっくり頷き、総司はその料理を箸でとりわけた。口にはこび、ちょっと嬉しそうに笑う。
「……おいしいです」
「よかったわ」
 さすが姉弟というべきか、お光の料理の腕前もなかなかのものなのだ。
 巧みに勧めるお光のためと、おいしい料理のおかげで、総司も少しずつ箸が進み始めた。それに、気にしていたらしいお磯もほっとした表情になる。
 やがて、食事があらかた終わると、お磯は云った。
「ね、総ちゃん、あっちへ行ってみない?」
「え?」
 小首をかしげた総司に、お磯はにこにこ笑った。
「さっき、お光さんに聞いたんだけど、あっちにね、とっても大きな桜の樹があるんだって。あたし、見てみたいな」
「大きな桜樹?」
「そうなのよ」
 傍らからお光が優しく頷いた。
「とても大きな桜の樹で、今が満開だから綺麗だと思うわ。二人で見てらっしゃい」
「え、でも、姉さんは?」
「わたしはこの間、旦那さまと来たからいいの。さ、いってらっしゃい」
 お光に促され、総司は立ち上がった。
 やはり綺麗なものを見るのは嬉しいので、ちょっと弾んだ足取りでお磯とともに歩いてゆく。
 それを見送り、お光は微笑んだ。
「……お似合いねぇ」
 こうして遠目に見ても、似合いの一組なのだ。
 お揃いの着物を纏い、そうして並んで歩いてゆく様は、微笑ましいほど可愛らしかった。すれ違う人々も皆、そう思っているらしく、誰もがふり返っている。 
(……歳三さんは、どう思うかしらね)
 ほんのちょっとだけ。
 そんな事を思ったお光は、ふふっと悪戯っぽく笑いながら、満開の桜の樹木を見あげたのだった……。













 

[あとがき]
 前編、歳三さんの出番、少なかったですね。後編はかなり出てきますので。かわりに、女性陣が出まくり〜。お光さんもお磯ちゃんも、ちゃきちゃきした女性だから、うさちゃん総ちゃんはなかなか大変です。早く歳三さん行ってあげなきゃ!(笑)
 後編、また読んでやって下さいね♪


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