一方、総司の方は。
 やはり、ちょっと落ち着かない気分で歩いていた。
 とにかく、すれ違う人のほとんどが自分たちをふり返り、まじまじと見ていくのが気になって仕方がない。
「……」
 思わず立ち止まり、自分の姿を見下ろしてしまった。
 袂を広げ、きゅっと唇を噛みしめる。
 それに、お磯がふり返った。
「? 総ちゃん?」
 立ち止まったままの総司に、歩み寄った。
「どうしたの?」
「……やっぱり、こんな着物着なきゃよかった」
「え?」
 驚くお磯を前に、総司ははぁっとため息をついた。
「だって、皆がじろじろ見ていくから……私、そんなに変なのかなぁ。やっぱり、こんな綺麗な着物、似合うはずもなかったのに……」
「え、総ちゃん……」
 お磯の目がまん丸になった。が、次の瞬間、ぷーっと吹き出した。
 びっくりする総司の前で、けらけら笑い始める。
「いやだ、何いってんの! 総ちゃんたら、もう……っ」
「な、何?」
「どうして、皆がふり返ってくのか、その理由わかってなかったの? それで、さっきから元気なかった訳?」
 お磯はくすくす笑った。
 手をのばし、総司の頬を両掌ではさみ込んだ。顔を近づけ、その瞳を覗き込む。
「いい? 教えてあげるから、ちゃーんと聞きなさい」
「う、うん」
「皆がふり返ってゆくのはね、総ちゃんがとっても可愛くて綺麗だからなのよ!」
「……え」
 総司の目が大きく見開かれた。
 それに、お磯は言葉をつづけた。
「いつもより綺麗な着物を着て、もっともっと綺麗になってる総ちゃんに、皆見惚れてるの」
「うそ……」
「嘘なんかじゃありません。あたしだってね、女の子なのに負けちゃって悔しいんだから。小町娘の名が泣いちゃうわ」
 あーあとため息をついてみせたお磯に、総司は視線をさまよわせた。
 男なのに、綺麗だとか可愛いとか云われて、それも小町娘のお磯に云われ、喜んでいいのか何なのか今一つわからない。
 だが、ようやく理解したのは、皆が見てゆくのは呆れてるためではないという事だった。
 それに、ほっと安堵の息をついた。
 思わず微笑んでしまう。
「ありがとう、お磯ちゃん」
「うん」
「綺麗とか可愛いとか、よくわからないけど……でも、変だと思われてないって事だけはわかったから」
「やれやれね」
 お磯は肩をすくめた。
「これで一件落着って訳だから、桜を見に行きますか」
「うん!」
 総司は喜んで頷き、お磯の手を握りしめた。手を繋ぎ、歩きだそうとする。
 その時だった。
 視界の端に、ある人の姿が映り、総司は息を呑んだ。
「!」
 慌ててふり返ってみると、それは確かに──歳三だった。
 仕事帰りのため、大工の職人姿だ。
 それがまた粋で、黒い着物が、黒髪と黒い瞳によく似合っていた。
 大人の男らしい艶に、道ゆく女は誰もがふり返ってゆく。
 だが、歳三はそんな事に全く無頓着のようだった。土手の上がり途中に佇んだまま、総司たちだけを真っ直ぐ見つめている。
 どきりとするほど鋭い視線だった。
 だが、歳三が来てくれた事で有頂天になった総司は、兄の様子にまったく気づかなかった。可愛い顔がぱっと輝く。
「兄さん!」
 思わず声をあげ、大喜びで駆け寄ってゆきかけた。
 ところが、だった。
 総司が自分に気づいたと知ったとたん、歳三はくるりと背を向けてしまったのだ。踵を返し、さっさと土手を降りていってしまう。
「え……兄さんっ?」
 大きな瞳が驚きに見開かれた。
 何が何だかわからない。
 だが、今、兄は自分を無視したのだ。
 背を向けてしまったのだ。
 いったい、何があったのだろう。
 どうして?
 何かあったの?
「……兄さん、待って……!」
 驚くお磯を残し、総司は駆け出した。
 どんどん遠ざかってゆく兄の広い背中だけを追いかけて───








 空は綺麗に晴れ渡っていた。
 それを見あげ、歳三はちょっと息をついた。
 総司が待っているだろうと急いで仕事を切り上げ、この隅田川の墨堤へやって来たのだ。
 ついでに途中で売っていた団子を買い、その包みを懐に入れていた。むろん、総司の好物だという事をよくよくわかっての行為だ。
 可愛い弟──恋人のためなら、どんな事でもしてやりたかった。
 武士の身分であるならともかく、今の町人の身分では、贅沢をさせてやる事もできないが、それでも出来るだけの幸せをあたえてやりたかったのだ。
 花のように可憐で、誰よりも大切な恋人なのだから。
 そんな事を思いながら、歳三は土手をのぼった。風に吹き乱される黒髪を、わずらわしげに片手でかき上げる。
 ふと、彼の視線が前方に向けられた。
 とたん──息を呑んだ。
「!」
 桜並木の下だった。
 柔らかな春の光景の中、可愛らしい少年と少女がいたのだ。
 揃いで誂えたらしい着物を纏い、そうして佇んでいる様は花のように可憐で、まるで雛人形のようだ。
 誰が見ても似合いの一組だった。
 そう感じたのは歳三だけではなく、傍を通り過ぎてゆく人々の声が耳に入った。
「まぁまぁ、綺麗な子たちねぇ」
「よく似合っていて、まるで人形さんみたいじゃないの」
「ほら、見て。可愛いわ、お雛さんみたい」
 彼らの言葉に、歳三は胸奥が刺し貫かれたように痛んだ。
 誰が見ても似合いなのだ。
 そう、それは当然のことなのだろう。あれが正しい姿なのだから。
 本来なら、結ばれるはずだった二人。もと許婚。
 それを引き離したのは、総司からごく普通の優しい幸せを奪いとったのは───
「……」
 思わず、ぎりっと奥歯を噛みしめた。
 悔しさと嫉妬と、罪悪感で、頭がおかしくなりそうになる。
 その時だった。
 視線を感じたのか、総司がこちらをふり返ったのだ。ぱっとその瞳が輝く。
「兄さん!」
 だが、それを見る事さえ出来なかった。
 こちらへ来ようとしている総司を、受け止める勇気さえなくて。
 歳三は視線をそらすと、踵を返した。まるで逃げるように足早に歩き出してゆく。
 そのくせ、背で総司の気配を探っていた。
 追ってくるのか、それともお磯と去ってしまうのか。
 だが、すぐ掛けられた「兄さん、待って!」という声と追ってくる気配に、歳三は歓喜した。
 ほろ苦い思いに自嘲しつつも、追ってきてくれた恋人の存在に、躯中を熱くしてしまう。
 まるで恋をしたての男のようだった。だが、自分でもどうしようもない。
 こんなにも、自分はこの弟に囚われているのだから。
 誰よりも何よりも、愛しくて愛しくてたまらない───
(……ったく、この俺がざまぁねぇよ)
 己自身に舌打ちしたい気分で、歳三はより足を早めた。
 きっと、自分は不機嫌な顔をしているに違いない。
 追ってきてくれた事は嬉しいが、こんな無様な自分を可愛い弟に見せたくなかったのだ。
 だが、総司は必死になって追いかけてきた。
 彼が完全に土手を降り、人気の少ない通りに入っても諦めなかった。
 どれぐらい時が過ぎた頃だろうか。
 突然、後ろで「あっ!」という声があがった。
「!」
 驚いてふり返ると、総司がものの見事に転んだ処だった。
 着慣れない着物で足をとられたのか、それとも、歳三を追う事だけに必死だったのか。
 むろん、歳三は慌てて駆け戻った。
「総司、大丈夫か!」
「……ぅ…ん……」
 頷くが、総司は痛そうに顔をしかめていた。その傍にしゃがみこみ、優しく抱き起こした。
 見てみると、膝をすりむき血も出ている。
「待ってろ」
 歳三は立ち上がった。
「今、手ぬぐいを水で濡らしてくるからな」
 そう云って走り出そうとした歳三の袂が、突然、強く引っぱられた。
 驚いて見下ろすと、総司が大きな瞳で見あげていた。その瞳は潤み、今にも涙がこぼれ落ちそうだ。
「いっちゃやだ……っ」
 縋りつくように、云った。
「お願い、兄さん……行かないで」
「ちょっと水で濡らしてくるだけだ」
「だって……兄さんまた行っちゃうから、だから……っ」
 そう云いざま、総司は両手で歳三の躯にしがみついてきた。彼の腰あたりに顔をおしつけ、ぎゅっと抱きつく。
 それに、歳三はため息をついた。
「……しょうがねぇな」
 一瞬だけ、優しく抱きすくめてやった。
「おまえが怖がっても無理ねぇか。逃げた俺が悪かったよ」
「兄さん……」
「ほら、一緒に行こう。俺の背におぶされ」
 歳三が背をむけてやると、総司は嬉しそうにおぶさってきた。
 子供の頃はよくおんぶもしたが、最近ではとんとなかった事だ。
「しっかり掴まってろよ」
「はい」
 素直に返事した総司を背負ったまま立ち上がると、歳三は歩き出した。
 近くの井戸までどれぐらい道のりがあるか、わからない。
 だが、いつも力仕事をしている彼からすれば、華奢な弟の躯など軽いものだった。
「……」
 誰よりも愛おしいぬくもりを己の背に感じながら、歳三は静かに目を伏せた。








 井戸で手ぬぐいを濡らし、近くの小さな神社で手当をした。
 総司は石段に腰かけ、その前に歳三は片膝をついた。優しく泥や血をぬぐってから、手ぬぐいでおおってくれる。
「とりあえずは、って奴だな。家に帰ったら薬を塗ってやるよ」
 そう云いながら立ち上がった兄を、総司は大きな瞳で見あげた。何か云いたげに、じっと見つめている。
「? 何だ?」
「兄さん……もう怒ってない?」
「え?」
「さっき、怒っていたでしょう……?」
 総司は俯き、しゅんと小さな肩を落しながら云った。細い指さきが縋るように、歳三の袖を掴んでいる。
「何回も呼んだのに、ふり返ってくれなくて。どんどん先へ行っちゃって……すごく怖かったの」
「……」
「私が悪い事をしたのかなぁって、一生懸命考えたけど……やっぱりわからなくて」
 長い睫毛が淋しそうに伏せられた。
「ごめんなさい。兄さんの気持ちを嫌にさせたのなら、謝りますから……だから、ごめんなさい」
「……総司……」
 総司の言葉を聞いていた歳三の胸に、たまらない程の罪悪感が込みあげた。
 勝手に嫉妬して、苛ついて。悪いのは自分の方なのに。
 こんな身勝手な兄に繋がれている事を、怒るべきなのは、総司の方なのに……。
「……兄…さん?」
 総司の目が大きく見開かれた。
 不意に、男の両腕が細い躯を引き寄せたかと思うと、ぎゅっと強く抱きしめられたのだ。
 歳三はその絹糸のように柔らかな弟の髪に顔をうずめた。
「すまねぇ……」
 掠れた低い声が謝った。
「本当に、すまねぇ。俺が悪いんだ、おまえはちっとも悪くねぇよ」
「兄さん?」
「俺が勝手に、くだらねぇ焼きもち妬いちまっただけだ」
「やきもち?」
 不思議そうに、総司は小首をかしげた。
「それって……私にですか」
「あたり前だろうが」
「でも、いったいどうして? よくわからないんだけど……」
「……」
 思わず苦笑した。
 自分の置かれていた状況も、周囲の視線も、歳三の男心も全くわかっていない総司の幼さが、憎らしくもあり愛おしくもある。
「……おまえは、本当に可愛いな」
 その可愛い顔を覗き込み、そう囁いた。
 突然の甘い睦言と、自分を見つめてくれる男の濡れたような黒い瞳に、総司のなめらかな頬がぽっと火照った。
 だが、すぐに兄の胸もとに凭れかかると、また訊ねた。
 やっぱり、どうしても気になるのだろう。
「ね……やきもちって、何? 兄さん、何でやきもち妬いてたの?」
「わからなきゃいいさ」
「え、どうして? 教えて下さいよ」
「内緒だ」
 桜色の唇を尖らせた総司に、くすくす笑った。
 そっと頬を指さきで撫で、口づけてやる。
 腕の中、すぐ従順になった少年を抱きしめながら、歳三は目を伏せた。
(……総司……)
 わざわざ、教えようとは思わなかった。
 出来る事なら、みっともない自分を、この弟には知られたくなかった。
 恋愛なら山ほどこなしてきたくせに、本気の恋──可愛い総司の事になると、すぐ狼狽えたり短気になったりしまう。
 優しい大人の恋人のふりをしながら、その実、本当はあんな些細な事でやきもちを妬いたり、落ち込んでしまう男なのだと、よくよく自覚しているだけに。
 それを、総司には知られたくなかったのだ……。
「……そろそろ戻ろうか」
 歳三は口づけを終えると、総司の手をとった。そっと立ち上がらせてやりながら、笑いかける。
「早く戻らねぇとまずいだろ」
「え……?」
「お磯ちゃん、放り出して来ちまったんじゃねぇか」
「……あ……!」
 今頃、気がついたのか、総司は大きく目を見開いた。
「どうしよう! めちゃくちゃ怒ってるかもーっ」
「かもな」
「でも、私、兄さんを追いかけるのに夢中だったから……」
 そう云った総司に、歳三はかるく身をかがめた。
 まっ白な耳朶に唇を寄せ、低い声で甘やかに囁いてやる。
「……恋しい俺しか目に入ってなかったか?」
「!」
 男の言葉に、ぼんっと総司の顔が真っ赤になった。
 図星だからか、反論することもできず、耳朶まで桜色に染めあげて俯いてしまう。
 それに、歳三は思わず喉を鳴らし笑った。
 何も心配する事などないのだ。
 こんなにも、この可愛い少年は彼を好いてくれているのだから。
 彼を追いかけるのに夢中だったと、素直に気持ちを告げてくれた恋人。 
 だが、それでも、もっともっと独占したかった。
 もっと愛したい。
 愛されたい、と。
 そう願ってしまうのは───
(……男の我が儘かもな)
 そんな事を考えながら、もう一度、歳三は可愛い恋人の躯を抱きしめたのだった……。








 さて、桜吹雪が舞う中。
 こちらへ戻ってくる総司に一番初めに気づいたのは、お光だった。
 よくよく見れば、すらりとした長身の男が傍にいる、
 それに、お光はふふっと笑った。
 ごくごく当然のことのように、しっかり手を繋ぎあっている処が微笑ましい。
(でも、そうね)
 こちらへ歩んでくる二人を眺めながら、お光は思った。
(当然のことなのかもしれないわね。だって、このふたりは好きあってる仲なのだから)
「もう、総ちゃんったら!」
 饅頭を食べていたお磯が、戻ってきた総司に頬をふくらませた。
「いくら恋しい歳三さんがやっと来たからって、一言ぐらい断ってってよ。心配するじゃない」
「ごめんね、お磯ちゃん」
 総司は慌てて頭を下げた。それに、傍らから歳三も謝った。
「すまねぇ。俺が悪かったんだ、総司を怒らないでやってくれ」
「怒ってませんけど、すっごく心配したのよ。いつまでたっても戻ってこないし……何してた訳?」
「え、ぇ……あ、えっと……」
 顔を真っ赤にして俯いてしまった総司に、お磯は肩をすくめた。
 わざとらしく袂を広げると、ばさばさっと扇いでみせる。
「まだ春なのに、暑いわねぇ」
「お、お磯ちゃんったら……っ」
 ますます赤くなった総司を見かね、歳三が傍らから助け船を出した。
 結局は、何とか話もおさまり、二人は花見の席についた。
 お光がまだ手つかずの重箱を渡してやると、総司はそれを歳三の前に広げた。傍に寄りそい、甲斐甲斐しく世話を焼いてゆく。
 何とも微笑ましい光景だった。
 しばらく食事をつづけた後、歳三はお磯と話をし始めた。
 それを聞くともなしに聞いていた総司は、ふと気づいたようにお光の方をふり返った。
 不思議そうに小首をかしげる。
「……姉さん?」
「なぁに?」
「どうしたのですか、何だか……とっても楽しそう」
「ふふっ」
 お光は小さく笑い、寄りそい坐っている歳三と総司を眺めた。
 誰もがふり返るほど端正な容姿をもつ男と、花の精のように可愛らしい少年。
 桜の花びらが舞い散る中。
 先ほど以上に、周囲から注目をあびてしまっている二人だった。
 まるで、花が咲いたようだ。
 艶やかに。
 可愛らしく。
「……ほんと、お似合いね」
「え?」
 総司の目が見開かれた。
 お光は微笑んだ。
「桜の花みたいに綺麗で……歳三さんと総司さん、とってもお似合いよ」
 その言葉を聞いたとたん。
 総司は、恥ずかしそうに、嬉しそうに長い睫毛を伏せた。
 そして。
 なめらかな頬を染めあげたのだった。


      ほんのり
      ……桜色に















[あとがき]
 このお話は、平井堅の「きみの好きなとこ」を聞きながら、書きました。とってもイメージでしたので。
 歳三さんの苦悩、総ちゃん、ぜーんぜんわかってません。けっこう天然なので。これからも、歳三さんの苦労は果てしなく続く事でございましょう(笑)。
 やっぱり、のんびり甘いお話は書いてて楽しいです〜。また、更新したら、読んでやって下さいね♪


長いお話へ戻る          「恋待蕾」の扉へ戻る