「……は?」
 斉藤は一瞬、頭の中が文字通りまっ白になった。
 それを聞いたとたん、思考力皆無状態に陥ってしまったのだ。
 だが、そんな斉藤の前で、総司はつぶらな大きな瞳でじーっと彼を見つめている。
 その台詞をつむぎ出した唇は、ふっくらと桜色で可憐で。
 まるで美しい花びらのようで。
 あぁ、なのに!
 なのに。

(い、今……なんて云った?)

 唖然としたまま見下ろした斉藤に、総司はちょっと小首をかしげた。
 不思議そうに斉藤を見つめてから、問いかけてくる。
「斉藤さん?」
「……」
「斉藤さん? 聞こえてる?」
 再度の問いかけに、斉藤はのろのろと頷いた。絞り出すような声で答える。
「……聞こえてるよ……」
「良かったです。じゃあ、教えてくれませんか? さっきの私の問いの答え」
「答え」
「そうです」
 総司は膝を抱え込むと、小さな手ですべすべした頬をそっと押さえた。
「だって……やっぱり、こういうの聞く相手ってなかなかいませんし」
「あー、うん」
「それに、まさか兄さんに聞く訳にはいかないでしょう?」
「そ、そうだな。確かにまずいな」
「ね?」
 総司は可愛らしく小首をかしげ、微笑んだ。ぱっと花が咲いたような、可憐な笑顔だ。
 誰もが心洗われるような、清楚で可愛らしい笑顔だった。
 だが、だからこそ、信じがたい。
 先程の台詞が。
 斉藤はまだ信じられない思いで、総司をじっと見つめた。それを、総司も不思議そうにじーっと見つめ返す。
 それから、云った。
「もしかして……やっぱり、聞こえてませんでした?」
「え」
「さっきの問い。斉藤さん、お仕事に一生懸命だったから。そんな時に話しかけてごめんなさい」
「い、いや、その」
「でもね、私、ずっと悩んでいたのです。やっぱりちゃんと知っておきたいって思うから、だから、もう一度聞きますね」
「えっ」
「あのね」
 総司は真剣な表情で、ぐっと前に身をのりだした。
 そして、さっきの台詞をくり返したのだ。
「男の人同士の契りって、具体的にはどうするのですか?」
「…………」
 斉藤は絶句したまま、総司を見つめた。
 というか、正直、このままどこかへ逃げ出したい気持ちだった。
 そりゃ知ってはいるけれど、総司を前に教えてやる気には到底なれなかった。というか、何で! 何で、彼がこの初で可愛らしい総司に、男同士の契りについて教えてやらなければならないのだ。


 そんな事、実際においしい思いをするあの男がすればいい事ではないか!


 斉藤の心の叫びは叫びとして、総司は「きっと教えて貰える」とばかりに、大きな瞳をきらきらさせている。
 その期待いっぱいの表情に、知らないと答えようとしていた斉藤は「うっ」と呻いた。


 いったい、何と云えばいいのか。
 答えるなどできるはずもなく、だったら、この状況をどう打開すればいいのか!


「……うぅっ」
 突然、斉藤が先程よりずっと苦しげな声で呻いた。腹のあたりを掌で抑え、蹲る。
 それに、総司は目を見開いた。
「さ、斉藤さん!?」
「……きゅ、急にさしこみが……っ」
「えぇっ!? 大丈夫?」
 慌てて総司が斉藤の背をさすり、あれこれ水やら何やらさし出してくれる。
 そのうち、斉藤の腹痛もおさまったのだが、そんな騒ぎのせいで、総司はすっかり問いかけの事も忘れてしまい、「お大事にして下さいね」という笑顔を残し、家へと帰っていった。
 それを、斉藤は罪悪感とともに見送りつつ、ほっと安堵の息をついた。
 つまるところ、斉藤は逃げたのだ。


「……総司、許せ」


 思わずこっそり手をあわせる斉藤だった。












 卵焼きが載ったお皿をことんと置き、総司は彼を見上げた。
 それに、膳を前に坐った歳三は、優しい笑顔をむける。とたん、総司のなめらかな頬がぽっと赤くなった。
 ちょっと目をあわせてから、もじもじと俯いてしまうあたりが、初な恋人らしくて可愛らしい。
 そんな可愛い弟を見つめる歳三の黒い瞳が、とろけるように優しくなった。今すぐでも抱きしめ、そのすべすべした頬っぺたに唇を押しあててやりたいが、それだけで済まなくなるのは目に見えている。
 総司が一生懸命つくってくれた食事を食べるのが先だと、歳三は視線を戻した。
「じゃあ……食べようか」
「はい」
 総司はこくりと頷き、襷をほどきながら、兄の前にちょこんと坐った。
 二人して「いただきます」と手をあわせてから、少し遅めの夕飯をとり始めた。今日は、歳三の仕事が長引いたため、ほんの少しだけ遅くなってしまったのだ。
「遅くなっちまって、悪い事をしたな」
 焼き魚を綺麗に箸でほぐしながら、歳三が云った。
 それに、総司は「ううん」と首をふった。
「お仕事だもの。当然だと思っています」
「そうか、ありがとう」
 歳三は頷いてから、ふと気がついたように訊ねた。
「今日はどうしてたんだ?」
「え?」
 味噌汁を飲んでいた総司が、顔をあげる。大きな瞳がじっと自分を見るのを感じながら、歳三は言葉を重ねた。
「今日は、穂波屋へ行ったのか」
 小稲の宿の事である。
 そこへ料理を習いがてら働きに行く事を、先日、歳三は許した。だが、それでも心から賛成している訳ではない。
 その証に、表情が僅かに硬かった。だが、そんな兄の様子に気づくことなく、総司は小さく笑った。
「え……あ、行ってません」
「……そうか」
「色々お家の用事があったし、それに」
 総司は無邪気に答えた。
「お昼からは斉藤さんのとこにいました」
「斉藤の?」
「えぇ。少し聞きたい事があって」
「聞きたいこと?」
 訝しげに眉を顰める歳三に、総司はこくりと頷いた。
 だが、それきり説明する気はないらしく、ご飯を食べている。
「……」
 歳三は箸をとめたまま、微かに唇を噛んだ。



 ……よくよく自分でもわかっているのだ。
 他の事ならば常に冷静であり思慮深い方でもある自分が、総司の事になると、まるで人が違ったようになってしまう。
 狂おしいまでの独占欲と執着心を剥き出しにし、総司のすべてを束縛してしまいたくなるのだ。その執着心と独占欲は、我ながら空恐ろしいほどだった。
 時々、歳三も思ったものだ。
 恋する男というのは、こんなふうに狂気じみた行動をとってしまうのか──と。
 それとも、これは自分だけなのだろうか。

 何もかも、知っていたい。

 総司のすること、総司のすべて、総司のことならどんな事でも……一つ残らず知っていたい。
 そして。
 いつまでも、己の手の中にいて欲しい。
 どこへも行かないで欲しい。
 そう──願ってしまうは、男の身勝手なのだろうか。

(……やっぱり、身勝手なんだろうな)



 歳三は目を伏せ、ほろ苦い笑みを口許にうかべた。
 わかってはいるのだ。だが、それでも堪えきれない。
 子どもっぽい嫉妬だ、独占欲だと、自らを嘲りつつ、今もやはり、問わずにはいられないのだ。
「いったい、何を聞いたんだ?」
「え?」
 総司は小首をかしげ、きれいに澄んだ瞳で彼を見つめた。
 箸をとめ、聞き返してくる。
「何のお話ですか?」
「だから、さっきの。斉藤に聞きたかった事という話だ」
「あ、はい」
 こっくりと頷き、総司は卵焼きを箸できりわけた。「これ、兄さんのね」と云ってから、言葉をつづける。
「そんな……たいした事じゃないのです」
「たいした事じゃねぇなら、俺にも云えるだろう」
「うーん、でも」
 総司はくすっと笑った。
「結局、答え、貰えなかったし。だから、もういいのです」
「……」
「あ、兄さん、ご飯おかわりですか?」
「……あぁ」
「じゃあ、はい」
 両手をさし出した総司にお椀を渡しながら、ちらりとその可愛い顔を見やったが、どうも誤魔化すとかそういうものではないようだ。もともと、この素直で優しい総司がそんな事をするはずもないが。
 結局、何の話なのか教えて貰えなかった事に妙な疎外感を覚えつつも、再度訊ねるような真似もみっともなくて、歳三は黙り込んだ。
 それを、総司は大きな瞳でじいっと見つめた。

(……云えるはずないもの)

 そもそも、兄に聞けないから、斉藤に訊ねたのだ。
 原田との会話で察するに、兄はずっと我慢してきたらしいし、そんな兄に聞けるはずがない。
 だいたい、その聞いた事を、このだい好きな兄と自分はするのだ。まだ何をするのか具体的にはよくわからないが、口づけや抱擁よりもずっとずっと、どきどきするような事なのだろう。
 たぶん、女性とするのと同じような事をするに違いない。
 もちろん、女性との事もそれほど詳しく知っている訳ではないけれど、前に見ちゃった、原田さんが持ってた春画本から考えると───


「……あっ!」
 不意に声をあげた総司に、歳三が驚いて顔をあげた。
「何だ」
「……」
「総司……?」
 呼びかけられ、総司は、はっと我に返ったようだった。
 たちまち耳朶までかぁっと真っ赤にすると、なぜか「ご、ごめんなさいっ」と謝ってくる。
 歳三は形のよい眉を顰めた。
「? 何を謝っているんだ」
「う…ううん」
 総司はふるふると首をふった。そのたびに、後ろで結わえた黒髪がふわふわ揺れて、何とも愛らしい。
「な、何でもないのです。ただ、ちょっと気がついただけだから」
「何を」
「……」
「総司?」
「……ごめんなさい、何でもないの」
 総司は小さな声で答えると、また箸を動かし始めた。
 それを、歳三はしばらく眺めていたが、やがて、諦めたように食事へ戻った。だが、彼の端正な顔は、不機嫌そうな表情をうかべている。
 先程から何を聞いても、答えるのを拒まれるのだ。機嫌も悪くなろうというものだった。
 しかし、そんな兄の感情の揺れにまったく気づいていない総司は、あれこれ考えつづけた。

(そうか、そうだよね。春画ってのがあるんだ)
(八郎さんに聞けば、きっと教えてくれるはず。あの人なら知ってるはずだもの)
(明日、穂波屋さんへ行ってこようっと)

 一件落着とばかりに、総司はこっくりと一人頷いた。その可愛い顔には、嬉しそうな笑みがうかんでいる。
 それを歳三は切れの長い目で見やりながら、どうにもよくわからない弟の行動に、小さくため息をついたのだった……。












「……で?」
 八郎は胡座をかいた格好で、面白そうに訊ねた。
「いったい、何を聞きに来たんだい?」
「……えーと」
 総司は小さく笑ってから、細い指をそっと組み合わせた。
 ぽかぽか陽気の昼下がり。朝から大急ぎで家の用事を片付けた総司は、いそいそと穂波屋へとやってきたのだ。
 だが、生憎、八郎は留守だったため、井上と一緒に板場で働き、それはそれで楽しかった。そうして一段落したところへ、ようやく八郎が帰ってきたのだ。
 小稲は宿の仕事があるので席を外しており、今、八郎の住まいになっている部屋には、総司と八郎しかいなかった。
 これを知れば、歳三は「あの男と二人きりになんざなるな!」と怒るだろうが、そんな事、総司はもちろん思いも寄らない。
 今、総司の頭の中は、例の事でいっぱいだった。
「……あ、あのね」
 総司は甘く澄んだ声で、ようやく切り出した。膝の上においた手をぎゅっと握りしめる。
「どうしても教えて欲しいのです。八郎さんなら、きっと知ってると思ったから、ここに聞きに来たのです」
「そりゃ断言はできねぇけどな」
 八郎は僅かに苦笑した。
「けど、まぁ……知ってる事なら、教えてやるよ」
「本当に?」
「あぁ、云ってみな」
「うん、あのね」
 総司は顔をあげ、大きな瞳で八郎を見据えた。
 そして、一気に云った。
「あのっ、男の人同士の契りというのは、いったいどうするのですか?」
「…………」
 口許に湯飲みをはこびかけていた八郎の手が、ぴたりと止まった。
 まさか、そんな事を聞かれるとは思ってもみなかったため、唖然とした表情で総司を見ている。
 それに、総司は斉藤に云った事と同じようなことを、一生懸命云いつのった。
「兄さんに聞くのは恥ずかしいし、でも、私、よく知らないし。どうしても知りたいのです、教えて欲しいのです」
「……何で、そんなこと知りたいんだい」
「心づもりのためです」
 総司は胸をはり、元気よく答えた。
「兄さんだって、何にも知らない私よりも、少しは知識があって、きちんと心づもりしている私の方がいいと思うから」
「それは……どうかねぇ」
 八郎は苦笑し、それから、云った。
「って云うより、まず聞きたいね。何だって、おれなら知ってると思ったんだい?」
「え、だって、八郎さんは絵師でしょう? そういうの見たりする事あるんじゃないかと思ったのですけど」
「まぁ……確かに」
 曖昧に頷いた八郎を、総司は真剣な顔で見つめた。
「私はどうしても知りたいのです」
「……」
「兄さんがとても我慢しているって聞いたし……私も十五だし。きちんと兄さんの恋人になりたいのです」
「なるほどねぇ」
 八郎は柱にもたれかかり、腕を組んだ。
「事情はわかったが、本当に、おれが教えちまっていいのかね」
「え?」
「おれなんざが教えたって知ったら、あの兄さん、それこそ怒り狂うと思うぜ?」
「どうしてですか?」
 心底不思議そうに訊ねた総司に、八郎はくっくっと喉を鳴らして笑った。
「そりゃ、決まってるだろ。あの兄さんにとっちゃ、おまえさんは大切に大切に育ててきた可愛い弟、恋人だ。その可愛い恋人に、色々教えていってやるってのも、男の楽しみなのさ。なのに、先におれが全部教えちまったと聞いたら、怒らねぇはずがないだろ?」
「……そういうもの……ですか?」
 総司はきょとんとした顔で、小首をかしげた。


 きちんと前もっていろいろ知識をえて、心づもりをしていた方がいいと、思っていたのだ。
 そうすれば、何も知らなくて兄を困らせたり、また我慢させたりする事もないだろうと。
 でも、それは間違いだったのだろうか──?


「だからさ、具体的には云わねぇよ」
 八郎は苦笑まじりに、淡々とした口調で云った。
「いろいろ細かい処は、あの兄さん自身に聞きな。っていうより、聞かなくてもそのうち教えてくれるさ」
「……はい」
「ま、心づもりって云うなら、この程度かね」
 八郎は立ち上がり、机の上から一枚の紙をとってくると、それをひらりと総司の方へかざしてみせた。
 とたん、総司の顔がぱっと真っ赤になってしまう。
「は、八郎さん! それ……っ」
「春画ってやつだよ。こいつは男と女のものだけど、まぁ似たような事をするって訳さ」
「……っ」
 総司は一瞬ちらりと見ただけで、慌てて顔を伏せてしまった。どうにも恥ずかしくてたまらないのだ。
 その様子に、八郎はちょっと笑い、春画をしまってくれた。総司はほっと安堵の息をつく。
「……私……」
 細い指さきをもじもじと組み合わせ、総司は長い睫毛を伏せた。先程の名残か、白い項がうっすらと桜色に染まっているさまが、何とも艶めかしい。
「絵のような事をするんじゃないかって……少しはわかってました……」
「わかってたなら、話は早いじゃねぇか」
「でも」
 総司は顔をあげ、また真剣なまなざしで八郎を見た。
「それって、やっぱり男の人はとってもしたい事なのですか? 我慢するの辛い事なのですか?」
「うーん……そりゃ、まぁ」
 八郎は困ったように笑った。
「おまえさんたち、一緒に暮らしてるんだろ? あの兄さんも色々辛いだろうとは思うよ」
「辛い……」
「ほら、おまえさんが目の前で着物かえたりとか、そういうのされると、堪らなくなっちまうだろうし。それに……寝る時も同じ部屋なんだろ?」
「えぇ」
 総司はこっくり頷いた。
「同じお布団です」
「……は?」
 八郎が目を瞬いた。今、信じられない事を聞いたぞ!?と、総司を凝視する。
「同じ……布団?」
「はい。同じお布団で眠ってます。兄さんが私を抱っこして眠るのです」
「……」
「ずっと昔から、毎晩そうしてきたんですよ」
 にこにこと可愛らしい笑顔で話してくれる総司に、八郎は思わず天井を見上げてしまった。
 今、初めて、あの兄に心底同情した。

(そりゃ……我慢っていうより、苦行だよ!)

 恋しい可愛い相手を抱きしめ、一緒のお布団で毎晩眠るだけなんざ──そんなこと、よく出来たものだ。
 この様子では何もしてないだろうし。
 あの男の我慢、忍耐は、きっぱり筋金入りだ。


「……あのさ」
 八郎は表情をあらため、かるく坐りなおした。
 それに、総司が「はい?」と小首をかしげる。
「少しだけ、話をしようか」
 そう云ってから、八郎はいったん口をつぐんだ。目の前にちょこんと坐っている少年を見つめる。
 まだ十五だからこそ、幼さゆえの艶も漂わせた、可憐な少年。
 清楚な着物につつまれた華奢な躯は、むろん、穢れ一つ知らなくて。
 あの男がどれほど大切に優しく、それこそ真綿に包みこむように育ててきたか、よくわかるというものだった。
「話って……? 今、してると思うのですが」
「そうじゃなくさ」
 八郎は僅かに苦笑した。
「男の我慢と辛さの理由……についての話」
「?」
「まぁ、話を聞くだけ聞いて、後の判断はおまえさんがしな」
 そう云った八郎を、総司は大きな瞳でじっと見つめた。
 そして、真剣な表情になると、こっくり頷いたのだった。















[あとがき]
 どんな話を八郎さんがしたかは、次回のお楽しみという事で(笑)。忍耐忍耐の歳三兄、頑張れっと思って下さった方は、投票やちょこっとメッセージの方から宜しくお願いします♪