「土方さん!」
原田と別れた後、総司は土方に詰め寄った。
「どうするんです、あんなことを言って」
「あんな事?」
「私と土方さんが、そのっ、念兄弟だったということ……ですよ」
頬を赤らめつつ口ごもる総司に、土方は目を細めた。しばらく眺めた後、ふいと視線をそらす。
「昔のことだから、いいだろう」
「昔って……」
「それとも、何か?」
土方は小首をかしげると、意地悪く笑ってみせた。
「おまえは昔のことに、今も拘っているというのか」
「そ、そんなことありません!」
「なら、いい」
自分から言い出したことなのに、総司の答えを聞いたとたん、土方は不機嫌そうになってしまった。そのまま背を向け、歩き出そうとする。
それをぼんやり見送っていると、突然、土方が振り返った。
「今から出かけるからな」
「え」
総司は目を見開いた。
「外出されるのですか」
「あぁ」
頷く土方を前に、総司は思わず安堵の表情をうかべてしまった。やったー、ちょっとの間だけでも土方さんから解放される! と思ったのだ。
ところが。
「何を嬉しそうな顔をしている」
土方は不機嫌な表情のまま、つけつけと言った。
「そんなに俺と離れるのが嬉しいか」
「え、その、まぁ……」
「だが、喜ぶのはまだ早い。おまえも一緒に外出するからな」
「えーっ!」
総司は思わず叫んでしまった。
「どうして? 何で私までっ」
「おまえは俺の小姓だろうが」
「小姓だからって、外出まで」
「つべこべ言わずについて来ればいいんだよ。後で玄関に来い」
相変わらずの俺様ぶりで言い切ると、土方は今度こそ歩み去ってしまった。
遠ざかるその広い背を、総司は物を投げつけてやりたい気分で睨みつけた。
(なーにが昔なの! 昔、昔って、ほんの十日前のことじゃないっ)
そうなのだ。
土方と総司が念兄弟だったのは、ほんの十日前までのことだった。
新選組の中では知られていないことだったのだが、十日前までは、熱愛真っ最中の恋人同士だったのだ。あることが切っ掛けで大喧嘩となり別れてしまったが、だからと言って気持ちが全く消えたという訳ではない。
今でも、別れても好きな男であることには変わらないのだ。
(そりゃ、土方さんはもう何も思ってないだろうけど……)
総司はしゅんとなって俯いた。
やっぱり、自分ばっかりが好きだったのかなぁと思ってしまう。
でなければ、別れて間もない元恋人を自分の小姓に指定したり、あれこれ無茶を言いつけたりしないだろう。愛情がなくなったからこそ、出来ることなのだ。
というよりも、初めから愛情なんてあったのだろうか。
喧嘩の原因だって、愛情がないから別れるなんて結論になったんじゃないのかなと、ついつい考えてしまうのだ。
「あー、なんか考えていたら暗くなってきた。もうやめようっと」
総司は大きく首をふると、歩き出した。
向こうが昔のことと思っているのなら、こちらもいい加減割りきってしまえばいいのだ。
土方さんは、昔の男。
昔、ちょっとつきあっただけの人。
そう何度も自分に言い聞かせながら、総司は玄関口へ向かった。だが、そこに人影はない。
「何それっ? ここで待ってろって言ったじゃない」
嘘をつかれたのかと思いつつ、総司は玄関の外へ出た。すると、向こうの方から馬が近づいてくる。
「?」
呆気にとられている総司の前まで来ると、土方は手綱をひいて馬をとめた。
敏捷な動きで軽々と飛び降りてから、笑う。
柔らかく額に乱れた黒髪に、きらきら輝いている黒い瞳、笑みをうかべた形のよい唇。
すっと、こちらへさし出された手に、どきりとした。
「待たせたな」
その笑顔はきれいで優しくて、めちゃめちゃ格好よくて、総司は思わずぼうっと見惚れてしまった。
だが、すぐにハッと我にかえる。
「待たせたなじゃなくてっ」
「待ってねぇのか」
「待ちましたけど! 問題はそこじゃなくてっ、何で馬なの!?」
「これか?」
土方は馬の方をふり返った。
「馬に乗っていった方が早いだろう」
「早いとかじゃなくて、馬なら私がついていくことなんてないでしょう?」
「そうか?」
「だって、私に傍を走れとでも言うのですか。無理ですよ、絶対」
「そんな事させるはずがねぇだろうが」
呆れたような口調で言った土方は、さっさと鐙に足をかけ、再び馬にひらりと跨ってしまった。その上で総司に向けて手をさし出してくる。
「ほら、捕まれよ」
「は?」
「聞こえねぇのか、この手に捕まれって言っているんだ」
俺様な言い方にカチンときたが、総司は仕方なく手をさし出した。すると、手が掴まれ、土方が軽く身を乗り出す。次の瞬間、ふわりと身体が浮いたかと思った時にはもう、総司は馬に乗せられていた。
「え? えぇっ?」
「何を慌てている。おまえ、馬に乗ったことがねぇのか」
「ありますよ! でも、何で私が」
前なの? 後ろじゃないの?
と言いかけ、ぎゅっと後ろから抱きしめられたことで息がとまってしまった。
何しろ、土方の腕の中に閉じ込められるような形で馬に乗っているのだ。いくら昔のことだと言っても、やっぱり気にならないと言えば嘘になるだろう。
耳朶まで真っ赤になって俯いてしまった総司を、土方は複雑な表情で見下ろしたが、それも一瞬のことだった。すぐさま手綱をさばき、馬の方向を変えさせる。
走りだした馬の上で、総司はもう何も言えなかった。言っても仕方がないと思ったし、正直な話、久しぶりの彼の腕の中はとてもとても居心地がよかった。
男前の武家姿の男と、可愛らしい若侍の二人乗りはとても目立つらしく、街ゆく人々のほとんどが振り返っていた。だが、土方はまったく気にする様子もなく走らせてゆく。
走らせると言っても怪我をしている総司のことを気遣ってか、とても緩やかな歩みだった。
「どこへ行くのですか?」
そう訊ねた総司に、土方はかるく肩をすくめた。
「さぁ、どこだろうな」
「どこだろうなって……」
「おまえの行きたい所でいいぜ? たまにはおまえの意見も聞いてやる」
「聞いてやるって、どこまで俺様なんです。っていうか、何で私が行き先を決めるのです」
「俺がどこでもいいから」
「はぁ? 用事があって出かけたんじゃないのですか」
「用事なんかねぇよ。今日は非番だしな」
「非番って! じゃあ、公用でもないのに私、つきあわされたってことですか」
総司は思わず非難の声をあげてしまった。それに、土方は悪いかという態度で見下ろしてくる。実際、口にも出した。
「悪いか」
「悪いですよ! 公私混同じゃないですか」
「どこが」
「だって、私は土方さんの小姓であって、前みたいな関係じゃないんですから」
「前みたいって?」
「……」
しっかりわかっていて訊ねてくる男の意地悪さに、総司は桜色の唇をぎゅっと噛みしめた。大きな瞳で訴えかけるように見上げる。
その途端、土方は不意に狼狽えた様子で、視線をそらせた。総司の方を見ないようにしながら、言葉をつづける。
「……おまえが行きたい処がねぇなら、俺が決める。いいな?」
「いいも何も、この状態で反対できますか」
「一応、聞いてやったんだ」
軽口をたたきながら、土方は馬の腹を蹴った。それ程早く走らせたのではないが、少し駆け足になる。だが、後ろから土方が包みこむようにしっかりと抱いてくれるため、何も怖くなかった。
しばらくして、土方が馬をとめたのは、一軒の屋敷の前だった。綺麗に整えられた庭や門構えに、総司は思わず振り返ってしまう。
「ここ、どなたのお屋敷ですか」
「店だ」
「は?」
「商いをやっている店だ」
そう言うと、土方は先に馬から飛び降り、総司にむかって両手をさし出した。優しいまなざしと仕草に、思わず従ってしまう。娘のように抱きおろされてから、はっと我に返ったが、土方はごく当然の事と思っているようだった。
屋敷はとても静かで落ち着いた佇まいだった。中に入ってみると、料亭とまではいかないが、料理を出す店らしく、女将が優しく迎えてくれる。
土方は幾度か訪れたことがあるらしく、女将と和やかに話をしていた。
その間、総司は辺りをきょろきょろと見回してしまった。
とても柔らかな雰囲気の店だ。料亭のように格式張った感じはしないが、おいしそうな料理の匂いがして、誰もがゆったりと寛げそうだった。
土方が自分の身元を明かしているのかはわからないが、常連らしく女将や小女たちと軽口をたたいている。
確かに、そうして見ていれば、土方は端正な容姿をもった武家であり、人をそらさない笑みとなめらかないい声で話すため、人好きするだろう。
とくに、女性にもてて当然なのだ。
とたん、総司はあることを思い出して、むかっとしたが、黙って土方の様子を眺めていた。
てっきり奥の方へ案内されると思っていたが、土方は女将たちとの話が終わると、総司を連れて庭の方へ入っていった。奥に小山のようなものがあり、それを登っていく。
冬なので樹木の葉は落ちてしまっているが、それでも綺麗に整えられた茂みなどが美しかった。小山を登り切ると、そこには小さな離れがあった。
竹林を背にした離れでどこか可愛らしい。
「こんな所に離れがあるんですか」
総司がびっくりすると、土方は振り返った。
「あぁ。ここで食事をしようと思っているが、それでいいか」
「え、でも……高いんじゃ……」
「もっと高い処にも連れていってやっただろうが」
くすっと笑いながら言われた男の言葉に、頬を染めた。つきあっていた頃、土方に幾度か料亭などにも連れていってもらったことがあるのだ。
「そうですけど」
「それに、目的は食事やこの離れじゃねぇよ」
土方はそう言うと、きょとんとしている総司に、庭の方を指し示した。
竹林に囲まれた中に、小さな池がある。影になっているためか冷えるらしく、薄く氷が張っていた。
覗き込んでみると、氷は綺麗に澄みきっているため、氷の下で泳いでいる美しい錦鯉がはっきりと見える。
「綺麗……!」
総司は思わず歓声をあげた。
薄い透明な氷ごしに見える色鮮やかな錦鯉は、艶やかだった。とても神秘的な感じさえする。
「これをおまえに見せてやりたいと思ってな。うまく氷が張っていてよかった」
「錦鯉がとても綺麗ですね。氷の中に閉じ込められているみたい」
「実際、閉じ込められているんだろうな。綺麗なものは閉じ込められた方がより美しく見えるのかもしれん」
「……?」
男の声音に奇妙な響きを感じて、総司は思わず土方を振り返った。とたん、深く澄んだ黒い瞳に見つめられ、どきりとする。
総司は慌てて視線を池に戻した。
「そ、そうですか? 閉じ込められていてもそうでなくても、綺麗なものは綺麗だと思いますけど。それに、その、鳥なんかは自由に飛び回っている方が綺麗だし」
「あぁ、そうだな。確かに、おまえは鯉っていうより、小鳥だな」
「は?」
突然自分に話をふられ、総司は呆気にとられた。意味がわからず、土方をまた見上げてしまう。
「私が小鳥、ですか? 何でそうなるの」
「実際、そうだろう。おまえは俺が大事にしてやろうと思っても、こっちの手を突っつき回して逃げる小鳥だろうが」
「いつ私があなたの手を突っつき回したの」
「ものの例えだ。小鳥が気にいらなければ、仔猫か。引っ掻きまくる懐かない仔猫だな」
「だーかーら、何でいつのまに私が小鳥になったり仔猫になったりしているんです。土方さんの話って全然わからない」
ぷんと唇を尖らせた総司に、土方は黙ったまま肩をすくめた。「わからなけりゃいいさ」と低い声で呟くと、さっさと離れの中へ入ってゆく。
それを慌てて追いかけようとした総司だったが、怪我をしている足に力を入れてしまったためだろう。
「あ!」
と声をあげた瞬間、思いっきり前へ転んでしまった。
それに、土方が驚き、慌てて駆け寄る。抱き起こしながら、その顔を覗き込んだ。
「大丈夫か、怪我はないか」
「大丈夫です、ちょっと転んだだけだから」
「すまない」
謝る土方に驚き、総司は顔をあげた。大きな瞳で彼を見上げてしまう。
「? どうして、土方さんが謝るの」
「いや、先に行ったからな。おまえの怪我の事を気遣わなかった」
「そんなの当然じゃないですか。私たちはもう……念兄弟じゃないし」
「……」
「あ、えーと、そろそろご飯が来るかも」
総司は立ち上がり、急いで離れにむかって歩き出した。それに、土方は無言のまま歩いてくる。
奇妙な沈黙が落ちてしまい、総司は、まずいことを口にしちゃったかなと思った。
だが、事実なのだから仕方がない。
土方と総司がつきあっていたのは昔の事で、今はただの副長と一番隊組長の関係に過ぎないのだから。
そこまで考えて、あれ? と小首をかしげた。
ただの副長と一番隊組長が、こんな料理屋に来たり、馬に二人乗りしたり、一緒に池の鯉を眺めたりするのだろうか。
「どうした」
立ち止まってしまった総司に、土方が訝しげに声をかけた。
それに、くるりとふり返った総司は訊ねた。
「土方さんは、どうして」
「何だ」
「どうして、私を誘ったのですか? 何でここに連れてきたの?」
「……」
「副長と一番隊組長……じゃなくて、小姓の関係なのに。どうして?」
「……」
総司の問いかけに、土方は眉を顰めた。