「……鈍すぎるだろ」
短い沈黙の後、返された答えに、総司は「え?」と目を見開いた。
それに、土方はさっさと離れの中へ入っていきながら、言葉をつづける。
「鈍すぎるって言ったんだ。何が、副長と小姓だよ」
「え、だって、そうでしょ。実際、土方さんと私は」
「ふうん、そうか。そうなのか」
土方は部屋の縁側に出ると、そこに腰を下ろした。不機嫌そうな様子で胡座をかいた膝に片肘をつく。
「おまえにとっては、俺はもう昔の男ってことだよな」
「……」
「ほんの数日前のことだが、それでも別れ事は事実だ。だから、ずーっと嫌そうな顔をしていたし、別れた男なんざに誘われて迷惑だったという訳だ。まぁ、それでも俺は構うつもりがなかったけどな」
「……」
総司はすぐ傍に端座し、沈黙したまま土方の言葉を聞いていた。
もちろん、言いたいことは山程ある。だが、何よりも思ったのは、何それ!? だった。
じゃあ、これは別れた相手への彼流の意地悪だったということなのか。
総司はむかむかしたので、思わず口に出してしまった。
「そんな言い方するってことは、私を誘ったのは意地悪だったという事ですか?」
「……はぁ?」
土方は心底呆れた表情で、総司を見やった。形のよい眉を顰め、剣呑な色を瞳にうかべる。
「意地悪だ? 何を言ってやがる。俺がそんな馬鹿らしい事をする男に見えるのか」
「だって、私を小姓にしたり、あれこれ言いつけたり、こんな所に誘ったり、他に理由が思いつかないんですけど」
「そんな事もわからねぇのかよ」
「全然わかりません。土方さんと違って、私、子供ですから」
「……本当に子供だな」
ため息まじりに呟かれ、かぁっと頭に血がのぼった。
どうせ、どうせ、子供だもの!
私なんか、土方さんより九つも年下だし、恋愛経験も少ないし。
恋愛相手なんか、土方さんしか知らないしっ。
最後の言葉だけは口に出して言った。
とたん、土方が奇妙な表情で、総司を見下ろした。
「……恋愛相手は、俺だけか?」
「そうですよ、当然でしょう? 私の初恋は土方さんなんだものっ」
勢いで叫んでから、総司は自分が何を言ったかに気づいて頬を熱くした。初恋が彼だなんて、あらためて言うと、とんでもなく恥ずかしい。
羞恥に耳朶まで赤くしている総司に、土方は少し黙ってから問いかけた。
「初恋が俺だってことは知っているが……けど、その後も経験ねぇのか」
「? 経験って?」
「恋愛だよ。俺と別れた後、他の男……例えば、斎藤と仲良くなったんじゃねぇかと思っていたんだが」
「斎藤さん? どうして、ここに斎藤さんが出てくるの?」
きょとんとして総司は問いかけた。それに、土方は苛立った様子で答える。
「俺に聞くなよ。さんざん噂になっていた相手だろ。おまえと斎藤が懇ろな仲だと噂になっていたから、俺は腹がたって」
「えぇっ? 何それ! 聞いていません、知りませんよ、そんなの」
「噂になっている事にも気づいていなかったのか」
そう呟いてから、土方は切れの長い目で総司を見つめた。どこか、憂いをおびた黒い瞳で見つめられ、どきりとする。
「だが……実際そうなのだろう? おまえは俺よりも斎藤がいいから、俺との別れをあっさり承諾したんじゃねぇか」
「いったい何を言っている訳? 私は身に覚えがまったくないんだけど」
きっぱり言い切った総司に、土方は眉を顰めた。
「なら、何故、あの時、別れをあっさり承諾したんだ。おまえ、二つ返事だったじゃねぇか」
「……」
総司は思わず沈黙してしまった。
二つ返事だったなんて、そうせざるを得ない状況だったのだ。
本当は悲しくて切なくて、別れるなんて絶対やだ! って叫びたかったけれど。でも。
俯き、ぎゅっとひざ上に置いた手を握りしめた。
「土方さんの……噂、聞いたから」
「俺の噂?」
「あの……土方さんが近々、奥様を娶られるって……」
「はぁ?」
今度は土方が呆れ返る番だった。
いったい何を言われているのか、さっぱりわからない。
呆気にとられている土方の前で、総司は小さな声で言葉をつづけた。
「土方さんが奥様を娶られる、それも綺麗な方で……家柄もよくて申し分なくて。それで、それで……私なんか、もういらないんだって思ったから……縋ってもみっともないだけだし……」
「総司」
土方は思わず手をのばし、総司の肩を抱いた。顔をあげさせると、涙をいっぱいにためた大きな瞳で見上げられる。
いじらしいその表情に、胸がたまらなく痛くなった。
「すまん」
「……っ」
「あ、いや、そういう事ではなく、おまえを悲しませたことを謝っているんだ。おまえが泣いている事にも気付かず、俺は自分勝手な事ばかりをしていた。けど、総司、違うんだ。俺は妻なんか娶らねぇよ」
「え? だって……」
「噂は嘘っぱちさ。俺にはそんな予定まったくねぇし、だいたい、可愛いおまえがいるのに何でそんな事しなきゃならねぇんだ?」
「……土方、さん」
小さな声で彼の名を呼んだとたん、総司の瞳から涙がぽろりと零れた。そのまま土方の胸もとに縋りつくと、せきを切ったように泣き出す。
だが、それは悲しいとか辛いとかゆえの涙ではなく、安堵したゆえの涙だった。
土方は甘やかな気持ちで、腕の中の小柄で華奢な恋人を優しく抱きすくめた。柔らかな髪に頬をよせながら、囁きかける。
「おまえが好きだ、愛している。ずっと……俺の傍にいてくれないか」
「……っ」
総司は泣きながら何度も何度も頷いた。
声に出しての返事はなかったけれど、彼の着物を縋るように掴んだ指さき、柔らかく凭れかかってくる華奢な躰が、何よりの答えだった。
「愛してる……」
もう一度囁きかけると、土方は、ようやく取り戻した──いやいや、数日ぶりに取り戻した恋人を抱きしめ、そっと優しく口づけたのだった。
「何で、こうなっちゃっている訳?」
斎藤は呆然と呟いた。
大坂での仕事はとんでもなく大変だった。
いろいろとことがありすぎて、それこそ文字通り奔走しまくったのだ。
だが、それらを必死に迅速に片付けてきたのは、京にいる総司の元へ早く帰りたいがためだった。
なのに、どうして!
この状況になってしまっているのか。
三番隊組長斎藤が大坂での超大変な仕事を片付け、速攻で帰ってみると、状況は一変していた。
土方と総司が、いわゆる公認の仲となっていたのだ。
それも、土方がしっかり念兄弟であることを公表し、総司は俺のものだと睨みを聞かせた上でのことだと聞いて、斎藤は、がっくりきた。
前々から怪しいとは思っていた二人だった。
だが、それでも、数日前から急に二人の関係が刺々しいものになり、機会到来かもと思っていたのだ。なのに、その矢先の大坂出張、これはそのためだったのかと斎藤は唸った。
「絶対に仕組みましたよね」
そう言った斎藤に、土方は肩をすくめた。
「何を言ってやがる、俺が可愛い総司に怪我なんざさせる訳ねぇだろうが」
「そっちじゃなくて、オレ一人が行くようにってことです。初めから、オレと総司を大坂出張に行かせる気なんてなかったでしょう」
「あぁ、なかった」
きっぱり断言してから、土方は不気味なぐらい爽やかな笑顔になった。
「どうやって邪魔してやろうかと思っていたから、正直な話、総司の怪我は棚からぼた餅だった」
「可愛い総司の怪我が、ですか」
嫌味ったらしく言った斎藤に、土方は黙ったまま形のよい唇の端をあげてみせた。
当然、斎藤にしても、土方が、溺愛しまくっている総司に、わざわざ怪我させる気など毛頭ない事はわかっているが、一矢報いてやりたい気持ちはある。
結局の処、斎藤にすれば、せっせと汗水たらして大坂で奔走している間、土方は総司といちゃついていた訳だから、面白くないのは当然なのである。
「そうは言うがな」
土方は胡座をかいた膝上に肘をつきながら、笑ってみせた。
「なかなかの苦労だったんだぜ。あいつの好みそうな場所を探したり、必死に口説いたりしてさ」
「それも楽しんでのことでしょう。百戦錬磨の副長が何を言っているんですか」
そう言った時、廊下の方で足音がした。総司がぴょこんと顔をのぞかせる。
「あ、斎藤さん」
総司はにっこりと明るい笑顔になった。
「お帰りなさい、大坂どうでした」
「……ただいま」
帰営してからあれこれありすぎて、総司とはまだ顔をあわせていなかったのだ。だが、あらためて逢った総司の輝くような笑顔に、がっくりしてしまう。
総司は、とてもとても幸せそうで、可愛らしくて綺麗だった。
大きな瞳はきらきらと輝き、なめらかな頬は桜色で、ふっくらとした唇は愛らしい笑みをうかべている。
それもこれも、皆、この目の前にいる男のせいだと思うと、斎藤は、大声で「面白くないー!」と叫んでやりたくなったが、我慢した。後で、穴でも掘って叫ぶことにする。
「大坂は大変だったでしょう? ごめんなさい」
総司は言いながら部屋に入ってくると、今までのように斎藤の傍ではなく、土方の隣に坐った。土方もごく当たり前のように総司が身を寄せるのにまかせている。
「いや、別に大変って訳じゃないけど……総司、怪我の方は?」
「だいぶ良くなりました。斎藤さんが大坂にたってから、土方さんの小姓にされたりして色々大変だったけど」
総司がちょっと桜色の唇を尖らせて言うと、土方が肩をすくめた。
「大変って一緒に飯食ったり、遊びに行ったりしただけだろうが」
「初めの方は土方さんに意地悪されていると思っていたんだもの。でも、後は優しくしてもらいましたから……」
なめらかな頬をぽっと桜色に染める総司を見ながら、斎藤は、どう優しくしてもらったんだ! と聞きたくなったが、不毛なだけな気がしてやめた。
それ以上、熱々念兄弟の会話につきあっている気にもなれず、「では、オレは所用がありますので」となんとか口にして、さっさと部屋を出た。
土方はそれを見送ることなく、総司に訊ねかけた。
「さっきも答えていたが、本当に怪我の方は大丈夫なのか」
「大丈夫です。かなり治ってきているんですよ」
「なら、良かったが。しかし」
微かに眉を顰めた。
「あんな所で土手に落ちるなんて、おまえにしては珍しいな。まぁ、敵を斃してからだった事は幸いだが……」
言いかけ、はっとしたように口をつぐんだ土方を、総司は大きな瞳で見つめた。それから、不意に叫んだ。
「やっぱり気づいていたんですね!」
「気づいたって、何が」
「だから、土方さん、あの場にいたでしょう。で、こっちを見ていたでしょう?」
「……あぁ」
気まずそうに頷いた土方は、口早に言葉をつづけた。
「つけていた訳じゃねぇよ。新選組の隊服が見えて、そう言えば巡察の道順だったなと思って覗いたんだ」
「綺麗な女の人連れで」
総司にしては低い声での言葉に、土方は驚いた顔をした。
「そこまで見ていたのか。あぁ、もしかして、俺に気をとられて転んだとか」
「知りませんっ」
拗ねたように、ぷんと顔をそむけた総司に、土方はくっくっと喉奥で笑った。可愛くてたまらないという表情で、総司の細い躰を抱きよせる。
総司は怒った様子でそれを押しのけようとしたが、より深く抱きしめられてしまった。
「もうっ、私、怒っているんですから」
「すげぇ可愛いな」
「土方さん」
「おまえが気にすることじゃねぇよ。あれは、俺がおまえの機嫌をとろうと思って行った店の娘でな、釣り銭が間違っていたからと追いかけてきてくれたんだ」
「……え」
びっくりして目を見開く総司の前に、土方は文机の上に置いてあった包みをさし出した。開けてみると、愛らしい小鳥の根付けが出てくる。
「わぁ、可愛い……小鳥ですよね、これ」
「あぁ、おまえに似合う気がしてさ」
「ありがとうございます」
にこにこしながら嬉しそうに受け取る総司に、土方は目を細めた。なめらかな頬に、ちゅっと口づけてから、もう一度胸もとに抱きよせる。
「なぁ、総司」
「何ですか」
「おまえ、そろそろ巡察に出たいとか思っているだろ」
「当然です」
総司は先ほどとは打って変わって、きっとした表情で彼を見上げた。
「怪我も治ってきていますし、いいでしょう?」
「駄目だ」
きっぱりと土方は断言した。
「完全に治った訳じゃねぇだろう。まだもう少しは、駄目だな」
そう言った土方に、総司はぷうっと頬をふくらませてしまった。可愛らしい仕草がたまらない。
土方は総司の躰を子供のように膝上に抱き上げると、その耳元に唇を寄せた。そっと囁きかける。
「せっかく仲直りできたんだ。もうしばらく、俺の傍にいたくねぇのか?」
「そ、そりゃいたいですけど……っ」
「なら、あと少しぐらい、俺の小姓やっていろよ」
職権乱用しまくりの事を言ってくる土方に、総司は桜色の唇を尖らせた。
だが、離し難いと言わんばかりに抱きすくめてくる男に、仕方ないなぁという表情になった。
俺様なくせに。
恋人には優しくて甘甘で、意外と情にもろいところがあって。
それで、ちょっと淋しがり屋なところも知っているから。
そんな彼が、大好きだから。
総司はそっと土方の胸もとに凭れかかった。
そして。
「わかりました。小姓やってあげます、もう少しだけね」
甘い声で答えてから、土方の広い背に手をまわし、ぎゅっと抱きついたのだった。
「きみの笑顔が好き」これにて完結です。
玲奈様の素敵なリクから発生したお話、とっても楽しく書くことが出来ました。土方さんの小姓になる総司、思いっきり萌えまくりの設定ですよね! 甘甘で書かせて頂きました。少しでも、玲奈様、そして、皆様が楽しんでくださったら、とっても嬉しいです!
玲奈様、本当に素敵なリク、ありがとうございました♪ そして、お読み下さった皆様、ありがとうございました♪