とにもかくにも、である。
その日から(正確にはその日の夜から)、土方の小姓として過ごす総司の日々が始まったのである。
一番初めの関門は、食事だった。
「給仕しろ」
俺様に言い切った土方に、総司は桜色の唇を尖らせた。だが、小姓が給仕をするのは当然のことだ。
総司はてきぱきと食事の用意をすると、土方の飯碗をとってよそおうとした。ところが。
「おまえの分はどうした」
「え?」
総司はきょとんとして、土方を見上げた。それを彼は不機嫌そうに見返す。
「おまえの分はどうした、と聞いているんだ。まさか、もう飯くっちまったのか」
「そんな早くありませんよ」
「なら」
「私は原田さんたちと広間で……」
「ここで食事をしろ」
「はぁ!?」
思わず聞き返してしまった。
「ここで食事って、どうして?」
「おまえは俺の小姓だろう」
「だから、給仕はしますよ。でも、食事ぐらい別でとってもいいでしょ」
「おまえはそんなに俺と食事をするのが嫌なのか」
「いやですよ!」
「どうして」
「それ、私に聞く訳!?」
叫んだ総司に、土方は軽く肩をすくめた。
「あぁ、嫌がられる理由がわからねぇな。とにかく、つべこべ言わずにここで食事しろ」
「……」
「さっさとしろ」
どこまでも俺様に命じてくる土方に、総司はむうっとしたまま立ち上がった。仕方なく自分の膳をとってくると、土方と向き合って食事を始める。
魚をほぐしていると、不意に、その皿がすっととられた。え? と顔をあげれば、土方がさっさと魚をほぐしている。
それに慌てて手をのばした。
「自分でやります! っていうか、何で土方さんがやるの」
「下手で見てられねぇよ」
「! 下手で悪かったですね。昔から苦手なんだもの」
「わかっている。だから、やっているんだろうが」
土方はきれいに魚をほぐすと、総司に皿ごと返した。仕方なく「……ありがとうございます」と言ってから、受け取り、食べ始める。
その後も、土方は総司に茶を入れてやったり、総司の好物と嫌いなものを取り替えたりした。これではどちらが給仕されているのか、わからない程だ。
だが、ここで断るとまた機嫌が悪くなると思い、黙ってされるがままになっていた。
食事の後、総司が膳を片付けている間に、土方は風呂に入ったようだった。ところが、入れ替わりに総司が風呂に入って戻ってくると、土方が既に布団を敷いている。
「わ、私がやりますっ」
「その足じゃ無理だろう」
「大丈夫です。私、小姓ですから」
強気に言い切った総司は部屋に入り、布団を敷こうとした。が、怪我した足に力が入りにくく、かくんと畳に膝をついてしまう。慌てて抱きとめようとした土方もろとも、布団の上に転がってしまった。
「あ、ご…ごめんなさい」
慌てて身を起こそうとした総司は、思わず息を呑んだ。
偶然にではあったが、土方が総司にのしかかるような体勢になっていたのだ。
見上げれば、まだ少し濡れている黒髪が額に乱れ、熱っぽい光を湛えた黒い瞳が総司を見下ろしていた。寝着の袷からは褐色の肌がのぞき、大人の色香を纏いつかせている様がたまらない。
息を呑んだまま固まっていると、土方は一瞬だけ目をふせた。男にしては長い睫毛が頬に翳りをおとす。
ゆっくりと土方は布団の上に肘をつき、身をのりだした。総司の耳もとに唇を寄せたかと思うと、そっと囁きかける。
「……一緒に寝ようか」
「!」
総司の目が見開かれた。ぼんっと音がしそうなほど、耳たぶまで真っ赤になってしまう。
掠れた低い声に、背中がぞくぞくっとした。
だが、すぐに真っ赤な顔のまま、ぶんぶんと首をふった。
「なっ、ななな、何を言って……っ」
「何って、至極当然のことだと思うが」
「当然って」
「そうだろ? おまえ、俺の小姓じゃねぇか」
あっさり言い切った土方に、総司はなめらかな頬を紅潮させ、口ごもった。
「こ、小姓と言っても、私、そんな、い、色小姓とかじゃないし」
「色小姓」
呆気にとられた表情で呟いたかと思うと、突然、土方が笑いはじめた。驚いて見れば、おかしくておかしくて堪らないとばかりに、くっくっと喉を鳴らして笑っている。
総司の肩に顔をうずめ、笑い続ける男に、総司はしばらくの間、呆然としていた。だが、次第に怒りがこみあげてくる。
「そんなに笑うことないでしょう! そ、それは、私なんて魅力ないってわかっていますけど」
「魅力? おまえには十分あるだろ」
「なら、どうしてそんなに笑うのです」
「そうだなぁ」
土方は小首をかしげた。まだ、くっくっと笑いながら、総司の頬に口づけた。
「ただの小姓なんかではなく、色小姓にしてやりたいって俺が思っていたからかもしれねぇ」
「……え、えぇっ!?」
頬に接吻された事以上に、男の言葉に衝撃を受けてしまった。
まさか、そんなふうに思われていたとは、考えてもみなかったのだ。
一瞬、怯えたような表情になってしまったのだろう。
それに土方もすぐさま気づいたようだった。身を起こすと、子供をあやすように、ぽんぽんと総司の頭をたたく。
「冗談だ、からかっただけだよ」
「そ…うですよね、冗談に決まっていますよね」
「あぁ」
どこか喉に絡んだような声で答えてから、土方はあらためて布団を敷き始めた。それを目で追いながら、総司も身体を起こす。
二人して黙りこんだまま布団を整えたが、それでも、そこに漂っている空気は決して先ほどまでの気まずいものではなかった。どこか甘いような、切ない雰囲気だ。
(どうしよう……)
総司は困惑してしまった。
先程までのぴりぴりとした犬猿の仲そのものの状態なら、まだ何とか切り抜けられる自信があった。だが、こんな甘い柔らかな雰囲気の中で、土方と同じ部屋に休むなんて本当に出来るのだろうか。
気がつけば、無意識のうちに布団を彼のものから離していた。部屋の端へ端へと引っ張ってゆく。
それに気づいた土方が眉を顰めた。
「おまえ、そんな端っこで寝るのかよ」
「私、その、端っこが好きなので」
「嘘つけ、おまえ、いつも部屋のど真ん中で寝ているじゃねぇか」
そう言った土方は「あぁ」という表情になった。はぁっとため息をつくと、片手で髪をかきあげる。
「そんなに警戒するな、襲ったりしねぇよ」
「お、襲うって」
「だから、おまえ、俺に手込めにでもされると思っているんだろう。そこまで俺も飢えちゃいねぇから、安心しな」
そう言い切るなり、土方はこちらに背を向けて布団の中に入ってしまった。
総司は気落ちして俯いた。
(……そう、だよね)
彼が自分に今更手を出すことなど、万に一つもないのだ。
いつも華やかな花に囲まれている彼なのだ。
江戸の時はもちろん、京にのぼってからも土方は花街でさんざんもてているようだった。付け文もよく送られてくるし、美しい女にしなだれかかられている姿を見かけたこともある。
そんな彼が、今更、自分なんかに手を出すことなどありえなかった。
痩せっぽっちで病持ちで、しかも同性だ。手を出す必要なんてどこにあるのだろう。
さっき、魅力があるなんて言ってくれたが、あれも彼一流の冗談なのだろう。そんなことあるはずがないのだから。
だいたい、自分に魅力があったら、どうして……
「ったく……!」
不意に、土方が叫び、勢い良く起き上がった。
びっくりして顔をあげれば、切れの長い眦をつりあげ、男がこちらを見据えている。
ぎゅっと唇を噛んだ総司に、微かに顔をゆがめた。
「……そんな泣きそうな顔、するなよ」
「泣きそう、なんて……」
「しているだろ、今。俺はおまえを安心させるために言ったんだ。なのに、何でそんなふうにとっちまうんだ?」
「そんなふうって……別に、私は何も考えていません」
「嘘つけ。おまえが落ち込んでいるのなんざ、お見通しなんだよ」
「何それ」
先程までの落ち込みも忘れ、総司は唇を尖らせた。勝ち気そうな大きな瞳で、じっと土方を睨みつける。
「それじゃまるで、土方さんは私の気持ちも全部、わかるみたいじゃないですか」
「あぁ、わかるぜ」
「嘘ばっかり! そんなのわかる訳ないでしょう? 人の気持ちなんてわからないから、私の気持ちなんてわからないから、こんな事出来るんじゃない」
「こんな事って?」
「……こ、小姓にしたことです。よりによって、私を小姓にした事に決まっています」
「ふうん」
土方は布団の上で胡座をかいたまま、唇の片端をあげてみせた。
「なら、おまえは俺の気持ち、わかっているのかよ。少しでも斟酌したことがあるのか」
「え」
「俺がおまえを小姓にした理由、わかっているのかって聞いているんだよ」
「わかりません」
ばっさりと言い切った総司に、土方は形のよい眉を顰めた。見るからに不機嫌そうな表情になると、はぁっとため息をつく。
「そうだよな。おまえって、そういう奴だものな。俺の気持ちなんざ考えもしないで、自分勝手にこっちを振り回しやがる」
「そ、それはこっちの台詞でしょう!?」
思わず叫んでしまった。
ここまで俺様で自分勝手で周囲も自分も振り回しまくっている男に、どうして言われなければならないのか。
「あなたの方こそ、自分勝手だし、私の気持ちなんて考えないし、振り回してばかりじゃない」
「あぁ、そうさ」
土方は開き直ったのかどうなのか、あさりと認めた。
「俺は自分勝手だし、周囲を振り回すさ。俺は人に従うのも、周りにあわせるのも真っ平御免だからな」
「自覚あるんだ」
「あるよ、ありますよ。その上で俺は行動しているし、だいたい、そんな俺をおまえは」
「もういいです!」
総司が土方の言葉を遮った。
これ以上言い合いを続けていても、不毛なだけだと思ったのだ。
「とりあえず今夜は寝ます。土方さんも明日早いでしょうから、さっさと寝て下さい」
「……」
「寝て下さい」
「……わかったよ」
渋々といった口調で答えると、土方は布団に戻った。こちらに背を向けて寝入ってしまう。
総司はつんと唇を尖らせたまま、同じように布団にもぐりこんだ。やっぱり、土方の方には背を向けて眠りに入る努力をする。
どう考えても二人とも寝付けそうにない夜が、過ぎていったのだった……。
「おはようさん」
元気よく、原田が声をかけた。
それに、総司は膳を持ったまま振り返った。
「……おはようございます」
「何か、元気ないねぇ」
「原田さんは、いつもながら元気ですね」
「おうよ、朝は気持ちよく晴れ晴れとが、オレの信条だからね」
「そうですか」
あっさり受け流した総司に、原田は首をかしげた。朝の膳を片付けに向かう総司の横にならび、その可愛らしい顔を覗き込んだ。
「なーんか影背負っちゃっているけど、何かあった訳?」
「あったも何も、原田さんだって知っているでしょ。私が土方さんの小姓になったこと」
「まぁ、うん」
「あれこれ無茶なことを言われて大変なんです」
「無茶なことって?」
「副長の部屋で寝ることや、食事を給仕だけでなく一緒にとることや」
「へぇ」
原田はにやにやと笑った。
「土方さんもやるねぇ。さすが、策士」
「何が策士なんですか。ただの俺様でしょう」
「ま、確かに俺様だけどね、土方さんの心情も少しは汲んであげなきゃ」
「それ、土方さんにも言われましたけど」
総司は膳を戻すと、手を洗ってから向き直った。
「どういう事か、全然わかりませんよ。無茶を言われているのは私の方なんですよ、なのに何で」
「うーん、土方さんも報われないねぇ」
「……」
原田の言葉に少しは思い当たるところがあるらしく、総司は桜色の唇を尖らせた。が、何も言わないまま黙り込んでいる。
それに、原田はぽんぽんと肩をたたいた。
「オレ、知っているから。いや、隊のみんなは気づいてないみたいだけど、オレは知っているんだよ」
「知っているって……え」
総司は思いっきり固まった。目を丸くしている。
「まさか、原田さん、あの」
「別にそれでどうこう言うつもりねーし、ぶっちゃけ応援しているかな」
「……」
「土方さんと総司、念兄弟だよね?」
「!」
総司が後ずさったとたん、どんっと誰かにぶつかった。それに慌てて振り返ると、非常に間が悪いのかよいのか、とにもかくにも噂の相手が立っている。
深く澄んだ黒い瞳が総司を一瞬だけ見下ろしてから、原田に向けられた。
土方は総司の腕をとって軽く押しのけると、原田の前に歩み寄った。腕を組み、唇の端をかるくあげてみせる。
「俺と総司が何だって?」
凄味のある低い声で問いかけられたが、原田は飄々としたものだった。あっさりと答える。
「念兄弟だよねって言ったんだよ。そうだろ?」
「いや、違う」
土方は即座に否定をした。それに、総司が「だよね」という顔でこくこく頷く。
原田は「今更、隠さなくても」と言ったが、土方は取り合わなかった。きっぱりと言い切る。
「俺と総司は念兄弟なんかじゃねぇよ」
「……」
「少なくとも、今はな」
「? ってことは、これから先はそうなるってことかい?」
原田は小首をかしげ、思わず問いかけた。
土方は首をふった。
そして、こう答えたのだった。
「昔は念兄弟だったということだ。つまり、俺は総司の昔の男だな」