総司が怪我を負った。
 巡察の最中、浪士と斬り合いになり、足に傷を負ってしまったのだ。ただし、斬られた訳ではない。乱闘になった処の足場が悪く、下の土手へ滑り落ちてしまったのだ。
「……なーんか、間が悪すぎね?」
 そう言ったのは、十番隊組長の原田だった。
 帰営した総司はすぐに医師の手当を受け、今、自室の布団の上で座り込んでいた。その細く白い右足にまかれた晒が痛々しい。
 原田の言葉に、総司はしょんぼりと俯いてしまった。
「そう…ですよね。申し訳ないです」
「いや、おれに謝ることじゃないし、総司のせいじゃないし」
 慌てて手をふった原田は、だが、ちょっと困った顔で傍らの斎藤を見た。
「けどさ、どうすんの、明日からの大坂出張。斎藤と一緒に行く予定だった訳だろ? 一番隊、三番隊引き連れてさ」


 大坂出張は数日前から決められていた事だった。
 大掛かりな仕事になるため、精鋭である一番隊、三番隊がそれぞれ出動することになっていたのだ。むろん、その組長である総司、斎藤も共に行くことになっていたのだが。


「大坂まで歩くのは無理だし、足を怪我しているから馬にも乗れないし、まさか駕籠って訳にもいかないし……」
 うーんと考えこむ斎藤に、原田が肩をすくめた。
「いや、大坂まで行く手段よりさ、あっちに行ってからの方が問題。その足で仕事出来んの? 無理だろ、絶対」
「無理です…よね? やっぱり」
 相変わらずしょんぼりとしたまま答える総司を、原田は気の毒そうに眺めやった。


 総司が何を気にしているのか、わかっているのだ。
 あの男の反応や態度を気にしているに違いなかった。
 だが、避けては通れないことだ。
 隊内のことである以上、副長を無視して進められるはずがない。


「……土方さんには言ったのかい?」
「!」
 びくりと総司の肩が跳ねた。
 が、すぐに顔をあげると、今までしょんぼりしていたのが嘘のように、思いっきり勝ち気な口調で言い切った。
「あの人には全然関係ありませんから!!」
「関係ないって、そりゃ無理な論法だろー。土方さん、副長だし」
「……」
 むうと押し黙ってしまった総司に、斎藤がぼそりと言った。
「とりあえず、オレが報告しておいたよ」
「えっ!」
 総司は目を見開いた。斎藤を見た顔には、ありありと「そんな!」という非難の色があふれている。
 それに、斎藤は困ったように肩をすくめた。
「出張行くのオレだし、明日どうするのか決めないといけないだろう?」
「それはそうですけど、でもっ」
「とにかく、土方さんは考えて判断すると言っていた。そろそろ何か言ってくる頃じゃ……」
 言いかけたその時だった。
 刻むような足音が廊下を近づいてきたのだ。それに、原田がやれやれという表情になり、総司がますます拗ねたような表情になる。
「入るぞ」
 一言だけ声をかけただけましなのか、だが、返事も待たず、障子がガラリと開かれた。
 中に居た三人は無言で、今、部屋に入ってきた男を一斉に見上げた。


 すらりと引き締まった長身に黒い隊服を纏っている様が、端正で、不思議と艶やかな印象をあたえる男だ。
 きれいに結い上げられた艶やかな黒髪に、すっと眦が切れ上がった目。漆黒の澄んだ瞳。形のよい唇から、引き締まった頬から顎にかけての線まで、見惚れてしまうほど整っていた。
 街を歩けば、十人中十人の女が振り返るだろう。
 実際、江戸でもさんざんもてていたが、京に来てからも花街で絶大な人気があるという噂だった。
 だが、見た目と中身が比例しているということは少ない。
 実際、彼の場合もその通りで、性格は超俺様で自分を中心に世界はまわっていると、本気で思っているに違いない(と、総司は思っている)。
 親友で局長である近藤などは事あるごとに、「歳は本当はいい奴なんだよ」と庇うが、総司は(近藤先生は絶対騙されている!)と強く思っている。


 そんなことをつらつら一瞬にして考えた訳ではないが、とりあえず、いやだなと思う気持ちが顔に出てしまったのだろう。
 土方は切れ長の目で総司を一瞥してから、いきなり言い放った。
「総司を一番隊組長から外す」
「……はぁっ!?」
 思わず叫んだのは総司だった。
 ものすごい勢いで立ち上がりかけ、怪我した足に力を入れてしまったため、がくっとつんのめったが、慌てて支えてくれた斎藤に縋りつつキャンキャン噛み付いた。
「私を一番隊組長から外すって、それ、どういう事なんですっ」
「どういう事も何も、言葉通りだ」
 斎藤に支えられているというより半ば抱えられている総司に、土方は形のよい眉を顰めたが、すっと視線をそらせた。低い声でつづける。
「おまえを一番隊組長から外すことにした。どのみち、その脚では指揮もとれないだろう」
「だからって」
「なら、大坂出張に行けるのか、向こうで一番隊の指揮をとれるのか、その足で戦うことが出来るのか」 
 容赦なくたたみこまれ、総司はむうっと黙り込んでしまった。


 確かに土方の言葉どおりだった。
 この状態で戦えるとはとても思えない。
 だからこそ、斎藤も土方に相談したのだろう。
 だが、しかし。
 むかむかしてくるのは、噛み付いてやりたいという衝動がこみあげてくるのは、どうしてなのだろう。


 黙りこんでしまった総司の代わりに、斎藤がとりなすように言った。
「大坂に総司が行けないことは、さっき報告した通りです。それよりも、実際にどうするのかを聞きたいのですが」
「おまえが一番隊の指揮もとれ」
「え、オレがですか」
「出来るだろう」
「出来ないことはないですけど」
 無理難題を押し付けられた斎藤は、思わずため息をついてしまった。


 ただでさえ慣れない大坂の街で、自分の部下である三番隊だけでなく一番隊をも指揮することは、いくら斎藤であってもなかなかの負担なのだ。
 それに、つまりは、総司と一緒に大坂へ行けるはずだったのが、結局、自分一人で行かなければならない、総司を京に残していかなければならないことに、ついついため息が出てしまう。


 うんざりしていると、土方が不機嫌そうに問いかけた。
「不服か」
「いや、まぁ不服というか、不服じゃないというか」
「……」
 ぶつぶつ呟いている斎藤を一瞥し、土方は何かを言いかけたが、結局はやめた。短い沈黙の後、くるりと背を向けたかと思うと、無言でそのまま出て行ってしまう。
 特徴のある足音が遠ざかっていくのを確かめてから、総司が叫んだ。
「何あれ!? めちゃくちゃ腹がたつー!」
「そ、総司、声がでかい」
「だって! 私、足を怪我しただけですよ。そりゃ、出張いけなくなりましたけど、それでいきなり一番隊組長を外すってどうなんです、それ!」
「いや、まぁ、実際に指揮する隊がいない訳だし、指揮できないし」
「斎藤さんは土方さんの味方をする訳ですか!」
「そんな訳ないって。オレだって、総司と大坂へ行けないのは面白くないし」
 つい本音が出てしまったが、総司は斎藤の言葉の意味にまったく気づいていないようだった。こくりとうなずき、無邪気に答える。
「ですよね。二人で大坂見物しようかって、言っていましたものね」
「……」
「なのに、ごめんなさい。一緒に行けなくて、一番隊の面倒までかけちゃって本当に」
「いや、それはいいんだ。それはいいんだが……」
 想いが伝わらないじれったさに口ごもる斎藤を、総司は不思議そうに眺めた。傍らでは状況を理解しきっている原田がにやにやしながら眺めている。


 実際の話、斎藤は長年、総司に片思いしてきた。
 それこそ、逢った時からなのでかれこれ何年になるのか。
 逢った時から今もかわらない、小町娘顔負けの愛らしさ、可憐さ。
 つやつやした絹糸のような黒髪に、ぱっちりとした大きな瞳、長い睫毛。真っ白なしみ一つないなめらかな肌に、ふっくらとした桜の蕾のような唇、甘く澄んだ声、細い指先、華奢な身体つき。
 その何もかもが、斎藤の心を鷲掴みにしてしまったのだ。
 しかも、総司は可愛いだけではなかった。
 気立てもよいのだ。優しくて素直だし、少し気が強いところはあるが、まっすぐでいつも一生懸命だった。
 凛としたところもあり、一番隊組長であることからもわかるように、行動力もある。剣術の腕はもはや天才的で、斎藤が唯一負かせない相手だとも言えた。
 で、その総司に斎藤はべた惚れなのである。
 ただし、あくまで一方通行。
 総司が斎藤のことを単なる友人としか思っていないことは明らかで、空振り状態が続きまくっていることも周知の事実なのであった。


「とりあえず、大坂にはオレが行ってくるよ」
 斎藤は仕方なく言った。
「その間、総司はしっかり養生して怪我を直した方がいい」
「だね。まぁ、歩きまわるぐらいは出来るだろうけど、少なくとも稽古は休んだ方がいいんじゃねぇの」
「稽古を休むのはいいんですけど、私、何をしていればいいのでしょう」
 不安げな表情で、総司は呟いた。
 それに、原田は「のんびり休んでいればいいのさ」と言ったし、斎藤も「休んでいること」と言った。
 だが、しかし。
 そうは問屋がおろさなかったのである……。












「はぁ? こ、小姓―!?」
 思わず叫んでしまった。
 非難と怒りがこもったに違いない。
 大きな瞳で睨みつけてしまったが、目の前に坐る男はどこ吹く風だった。
 斎藤が後ろ髪ひかれる思いで大坂へ出張していったのが今朝のことだったが、昼ごろ、副長室に呼び出された総司に新しい人事が言い渡されたのだ。
 副長付きの小姓を命じる、と。
「何ですか、それ。っていうか、なんで私が」
「やることないだろう」
「そ、それはそうですけど、でも、よりによって小姓! それも副長のなんて!」
 なんて! と総司が言った瞬間、土方の眉がぴくりと跳ね上がったが、内心を露わにすることなく答えた。
「局長付の小姓は既にいるからな、副長付けしかないだろう」
「い、伊東先生のは」
「伊東参謀にも小姓は既についている」
「う。じゃあ、局長付けだとか副長付けだとか以前に、なんで小姓なんです! 他に何か」
「おまえ、小姓の仕事を甘く見ているだろう」
「違います、けど」


 甘く見ていることは全くなかった。
 近藤の部屋に行った時など、忙しく立ちまわっている小姓を見て大変だなぁと思っていたのだ。
 だから、小姓が楽だと思っている訳ではない。
 それよりも何よりも、土方の小姓になるというのがまずいのだ。


「とにかく何か他の仕事を割り当ててもらえませんか。料理の方でもいいですし」
「隊士たちが腹を壊したらどうするんだ」
「何ですか、それ! 私の料理がまずいってこと? だったら、小姓だってやばいでしょう。小姓ならお茶を入れることもあるし」
「茶を入れるのと料理は違う」
「そうじゃなくてっ」
「とにかく」
 土方はそれで話を打ち切るつもりなのか、ばさっと袴の裾を払って立ち上がると言い放った。
「これは決定事項だ。今日からおまえは俺の小姓として勤めること。以上」
「い、以上って……」
 あまりの強引さに絶句していると、土方は大股に部屋を横切った。だが、障子に手をかけて部屋を出る寸前、振り返った。
「あぁ、そうだ」
「まだ何かあるんですか」
「小姓だから離れた部屋では困る。すぐに用事を言いつけられねぇからな。おまえの布団や荷物一式、俺の部屋に運び込んでおけよ」
「はぁああーっ!?」
 今度こそ、総司は大声で叫んでしまった。
 呆れ返ってものも言えないとはこのことだ。


 なんで! どうして! よりによって!
 この人と同室にならなければならないのか!?


「冗談じゃないですよっ、そんなの絶対お断り!!」
 そう叫んだ総司に、土方は目を細めた。
「ほう、なら、おまえは夜中に急な手入れが起こった時、その足であの離れた部屋から俺の部屋まですっ飛んでこられるのか」
「……それ…は難しい、かなと思いますけど」
「なら、おとなしく荷物を運んでおくんだな」
 そう言い切ると、土方はさっさと部屋を出ていってしまった。
 総司はしばらくの間呆然としていたが、そこへ顔をのぞかせた山崎に、はっと我に返った。
「あ、副長なら」
「いえ、違います」
 おだやかに山崎は言った。
「副長の命令で、沖田先生のお荷物を運ぶよう言いつかりましたので」
「え?」
 びっくりする総司を前に、山崎はさっさと荷物を部屋に運び入れた。
 電光石火の早業とはこのことか。
 運んでおけと言われたが、運ぶ間もなく運び込まれてしまったのだ。
 総司は慌てて身をのりだした。
「ちょっ、ちょっと山崎さん!」
「はい、何でしょう」
 実直な山崎はきちんと荷物を置き、布団は押し入れにしまいこんでから、振り返った。すっと端座し、訊ねてくる。
「私がこの部屋に入ることになった理由とか、知っているのですか」
「もちろんです。副長から伺いました」
「私が、土方さんの、こ、こ……」
「小姓ですね」
 頷いてから、山崎は奇妙な笑みをうかべた。
「まぁ、副長も機会を逃さず上手く……いやいや」
「???」
「とにかく、お励み下さい。今まで副長はいっさい小姓を置かずにこられたのです」
「それがなんで私なのですか」
「副長にお聞きになればよろしいのでは? 今まで置かれなかった小姓として、何故任命されたのかと」
「聞きましたよ! でも、一番隊組長の役目が果たせないからとか、何もすることないからとか」
「成程、では怪我が治るまでのことです。お励みになって下さいますように」
 山崎は納得したかのように一礼すると、部屋を出ていってしまった。
 もちろん、総司は全くもって納得していない。
 自分の荷物が運び込まれてしまった土方の部屋をぐるりと見回し、呟いたのだった。
「どうしよう……」


















玲奈さまからのキリリクです。甘甘展開です。ラストまでおつきあい下さいませね♪