「おまえ、そんな事を言ったのか」
 近藤は呆れたように、すぐ隣を歩く土方を眺めた。
 黒谷屋敷からの帰り道だった。妙に朝から考え込んでいる土方から、近藤が話を聞き出したのだ。


 正直な話、呆れ返った。
 いったい何をやっているのだと思ったし、鈍いにも程があるだろうと思った。
 土方に総司が片思いしていることは、誰が見ても明らかなのだ。
 気づいていないのは、土方自身だけ。
 傍にある愛らしく清楚な花をふり返らず、せっせと花から花へ渡り歩いている。
 挙句、男は許さんなどと言われれば、総司が怒って当然だろう。


 呆れる近藤の傍で、土方は目を伏せた。
「俺だってわかっているよ……言い過ぎたと思っている」
「思っているなら、さっさと謝れ」
「そうは思ったが、あれからずっと避けられているんだ。完全に嫌われちまったみたいだ」
 深々とため息をつく土方を、近藤は眇めた目で眺めた。少し躊躇っていたが、やがて、訊ねた。
「一度前から聞こうと思っていたが、おまえ、男色などは拒絶する方なのか」
「え?」
 土方は不思議そうに近藤を見た。一瞬、考えてから、すぐに首をふった。
「いや、そんな事はねぇよ。恋愛をするのに、男も女もねぇだろう」
「ならば、総司に対してのみ反対するのはおかしくないか」
「あれは……」
 前髪を煩わしげに片手でかきあげ、目を細めた。
「混乱しちまったんだ。総司が、どこかの男に好き勝手されていると思った途端、頭に血が完全にのぼっちまった」
「歳、おまえ」
「もしも、その男が目の前にいたら、斬っちまいたいぐらいの気持ちだった」
「……」
 近藤は、土方の独白に、唖然とした。


 そこまでわかっていて、そんな気持ちにまでなっていて、それでも総司への想いを自覚できていないのだ。
 鈍すぎるを越していると思った。
 まさに、恋人の言動にふりまわされ、嫉妬し、苦悩する男そのものだった。
 これで弟としての愛情なのだと言い切るのだから、呆れたものだ。


「だが」
 軽く咳払いした。
「まさか、本当にそんな事が出来る訳ではないだろう。おまえは実の兄という訳でもないし、それに、総司が男に惚れることが間違っている訳でもない」
「それはそうだが」
 土方は足をとめると、真剣な表情で近藤の方へ向き直った。
「俺は、総司が幸せになって欲しいと思っているんだ。総司が可愛い気立てのよい娘と所帯をもって、幸せになって欲しいと」
「おまえ自身の手で幸せにしてやりたいとは、思わんのか」
 ぼそりと言ってしまった近藤に、土方は何も気づいていないようだった。
「は? 俺自身の手って……あぁ、そりゃ幸せにしてやりたいと思うよ。幸せにしてやりたいと思って、ずっと可愛がってきたんだ」
「いや、そういう意味ではなくてな」
 言いかけ、朴訥な近藤はどう説明してよいかわからず、黙りこんだ。


 もともと恋愛体験は、この男の方がずっと豊富なのだ。
 さんざん遊び馴れているし、本来は、人の感情の動きにも明敏なはずだった。
 なのに、どうして、総司に対してだけはこうも鈍いのか。


 土方が不思議そうに近藤を見た。
「近藤さん?」
「いや、何でもない。それで? これからどうするつもりだ」
「なんとか捕まえて、謝ってみる」
「謝るのか。だが、おまえは納得した訳ではないだろう」
「総司が男とつきあう事か? 納得できる訳がねぇだろう! ……けど、俺がどうこう言っても、総司は夢中になっちまっているみたいだしな」
「その片思いの相手にか」
「あぁ。せめて、その男を殴ってやりてぇよ。総司みたいな奴に片思いされて知らん顔しているんだからな」


 ……なら、おまえ、自分を殴れ。


 とは、言わなかったが。
 近藤はどこまでも鈍い友に、ため息をついたのだった。












 土方と顔をあわさなくなって、五日の時が過ぎた。
 避けるようにすると、意外と顔を合わせなくとも過ごしていくことが出来るのだ。西本願寺が広いこと、打ち合わせがまったくなかったことも幸いした。
 土方は総司を追いかけているようだが、総司にすれば、今は会いたくなかった。


 これ以上、我慢出来ない気がしたのだ。
 今までだって、ぎりぎりの処で堪えていた。
 土方が女とつきあっていること、総司の想いに気づいてもくれないこと。
 みんな、仕方がないことなのだと何度も何度も自分に言い聞かせ、なだめすかすようにして日々を過ごしてきたのだ。
 だが、土方は、総司の恋心を否定した。
 男など許さんと言い切ったのだ。
 それはつまり、土方自身が男色を嫌悪しているという事なのだろう。
 総司は、想うことさえ許されないという事実に、愕然とした。
 今まで抱いてきた恋心ごと己を否定されたような気持ちだった。


「もう……思い切っちゃおうかなぁ」
 総司は西本願寺の縁側で坐りこみながら、呟いた。
 頭上に、きれいな青空が広がっていた。春らしい柔らかな色あいの空だ。


 小さな幸せしか望んでいなかったのに。
 彼の弟としてでいいから傍にいて、それで、時々、笑いかけてもらって、ずっと憧れて愛して、彼のために戦ってゆくことが出来る。
 そんな小さな幸せが自分には似合いだと思っていた。


 なのに、それさえも指の間から零れ落ちようとしている今、総司はもうどうすればいいのかわからなかった。
 否定されてしまった恋心を抱いたまま生きてゆけるほど、強くなかった。
 そんな自信、どこにもなかった。
「……」
 深くため息をついた時だった。
 傍らでおこった気配に、どきりとした。
 期待半分、不安半分で、慌てて振り返る。だが、そこに立っていたのは斎藤だった。
「……斎藤…さん」
「ごめん、邪魔したか?」
「いいえ……大丈夫です。ぼんやりしていただけだから」
「そうか。その、これを買ってきたんだ」
 斎藤は歩み寄ってくると、総司が好きな菓子をさし出した。総司は、ぱっと表情を明るくした。
「わぁ、可愛い。これ、好きなんです」
「知っている。今、ここで食べるか?」
「えぇ、頂きます」
 横に坐る斎藤を見ながら、そう言えば、斎藤とも五日会っていなかったと思った、土方のことでいっぱいすぎて、斎藤にまで気持ちが回らなかったのだ。
 それを申し訳なく思いながら、総司は斎藤から菓子を受け取った。小さく千切って口にはこぶ。
「おいしい……甘くて優しい味ですね。ありがとうございます」
「いや、たいしたものじゃないし」
「それでも、わざわざ買ってきてくれたのでしょう? それが嬉しいのです」
 にっこり笑う総司から、斎藤は視線をそらせた。低い声で言う。
「お礼を言われるような事じゃないよ。それに……おれ、悪い事をしたと思っているし」
「悪い事?」
「この間のことさ。土方さんの前で、あんな事を言うべきじゃなかったと思っている」
「……」
「あれから、その、顔も合わせていないのだろう? 喧嘩でもしたのか?」
「喧嘩……そうかもしれませんね」
 総司はふと長い睫毛を伏せた。
「あれも喧嘩って言うのかなぁ。土方さんが男は許さんなんて言って、私がそれに余計なお世話って叫んで」
「えっ、そんな内容だったのか」
「あ、でも、大丈夫ですよ。相手は斎藤さんって事じゃないから、もちろん、本当のことは話していないし」
「うーん、それもなぁ」
「斎藤さんが相手と言った方が良かったですか? でも、その前に、土方さんから言われましたしね」
「何を」
「斎藤さんに気持ちがないのに優しくするのは酷だって」
「……それ、土方さんが言うことか? いや、おれに気持ちがないって二人の間で断言されているのも、ちょっとあれだが……」
「でしょ!?」
 斎藤の後半部分の呟きを完全に無視し、総司は叫んだ。
「土方さんにだけは言われたくないですよね。あの人、本当に鈍いのです。自覚がないというか……まぁ、今まではそれでも良かったんですけど」
「けど?」
「男は許さんなんて、土方さん、そういうの嫌いなんだ、同性相手なんて考えた事もないんだってわかって……」
「……」
 斎藤は胸奥が痛くなるのを感じた。


 総司の気持ちが手にとるようにわかったのだ。
 己の恋心ごと否定されたように感じたのだろう。
 辛くなって当然のことだった。
 ずっと幼い頃から土方だけを見つめ、恋し、愛してきたのだ。
 なのに、そんな事を言われて傷つかないはずがない。


 黙りこんでいると、不意に、総司が澄んだ声で言った。
「もう思いきっちゃおうかな」
「え」
「あの人のこと、この際きっぱり思い切っちゃおうと思います。その方が楽になれるし」
「ら、楽にはなれると思うけど、でも」
「斎藤さん、私とつきあいません?」
 不意に自分の方へ話が飛び、斎藤は驚いた。呆気にとられ、総司を見る。
「つきあうって……おれと?」
「えぇ。斎藤さん、私とつきあいたいって言っていたでしょう? 言い寄ってくれていたんじゃないですか」
「そりゃそうだけど、つまり、念兄弟になる、ち、契りもかわすってことなんだぞ。総司はそれでいいのか」
「念兄弟……契り……」
 そう呟いてから、総司は大きな瞳で斎藤を見上げた。
「えっと、その……契りは、もうちょっと待って欲しいですけど」
「当たり前だ。待つよ、おれとつきあってくれるだけで嬉しいし」
「ありがとう、斎藤さん」
 にこにこ笑っている総司に、一瞬、念兄弟や契りの意味がわかっているのだろうかという疑念が浮かんだが、それは考えないことにした。
 とりあえず、総司とつきあうことが出来るだけで幸せなのだ。
 この優しくて素直できれいな総司を、誰よりも幸せにしてやりたかった。ずっとそう心の底から願ってきたのだ。
 あの鈍くて何もわかっていない男になど、渡す必要は全くもってないのだから。


(今更返せと言ってきても、絶対に返さないからな)


 そう固く決意した斎藤の傍で、総司はふたつ目の菓子を手にとっていた。












 理玖との関係は気楽なものだった。
 恋とは言えないことは確かであり、むしろ、仲間のような意識だった。
 理玖は恋多き女であり、土方のことも姿形で気にいったのであり、性格まで気にいった訳ではなかった。そのため、土方がかなり複雑な性質の持ち主であることがわかると、あたしには手におえないわねと笑った。
「よく言う」
 土方は肩をすくめた。
「俺みたいな男ともつきあってきただろう」
「確かにそうだけど、でも、つきあうだけ。一緒になろうとは思わないわ、無理に決まっているもの」
「じゃあ、今、どうして俺とつきあっている」
「楽しいからよ、それに、あたしには本当に好いた人がいるし」
「理玖のそういう処がいいな」
 喉奥で低く笑った。


 男女の関係は結んでも、情に流されることはない。縋りついてくることもない。
 その時だけを楽しんでいる彼女が、いっそ清々しいぐらいだった。
 むろん、理玖が自分の本当の相手だとは思わない。
 つきあって一月、そろそろ別れて他の誰かを探すべきな気がした。


 理玖は黒い瞳で土方を見た。
「ねぇ、そろそろ別れようかなって思っているでしょ」
「よくわかったな」
「わかるわよ。でも、あたしと別れてから、他の女を探したら駄目よ」
「悋気をやいているのか」
「馬鹿言わないで、そんな事あるはずないでしょ」
 理玖は小さく笑った。
「そうじゃなくてね、少しは周りを見てみたらってことよ。遠くばかり眺めていないで」
「遠くばかりを眺めているか」
「そうね。あなたって、遠くばかりを見ている男の子みたいな処があるから」
 確かにそうかもしれないと思った。


 女遊びをくりかえしたりしているうちに、すぐ傍にいる総司が男に恋をしている事に、まったく気づかなかった。
 可愛い弟として育ててきて、総司のことなら全部わかっているつもりでいたのに。
 いつの間にか、総司自身がどこか遠く、彼の手が届かない処に行ってしまった気がしたのだ。


(俺は、それが淋しかったのか……?)


 総司の恋している相手が男だとわかった瞬間、あんなにも腹がたったのはその為だったのだろうか。


 理玖の家からの帰り道、土方は考えた。
 だが、いくら考えても自分の気持ちが掴めず、短く舌打ちした。いらいらしながら髪をかきあげる。
 最近、奇妙なぐらい苛立っていた。むろん、原因はわかっている。
 総司が傍にいないためだ。
 あの細い指さき、澄んだ瞳、きれいな甘い声、すべてがひどく懐かしかった。
 傍に戻ってほしいと、心の底から願った。
 総司が傍にいないと、こんなにも苛ついてしまうのだ。
 どんな女に対しても抱いたことがない感情だった。


(……どんな女に対しても?)


 土方は、ふと眉を顰めた。
 これでは、まるで総司を女扱いしているようだった。
 だが、実際によく考えてみれば、彼自身が総司に対して抱く気持ちは、女に対するものとよく似ていた。
 傍にいて欲しい、自分にだけ笑いかけて欲しい。
 あの細い身体に他の男がふれる事を考えただけで、あれは俺のものだと叫び出したくなる。
 それはまるで、恋人を溺愛する男そのままだった。


(恋人……)


 息を呑んだ。
 今まで掴めそうで掴めなかったものが、一瞬にして形となったのだ。
 奇妙なぐらいの苛立ち、総司への怒り、抑えきれない己の感情……。
 そのすべてが、ある事を認めることで理解できた。
「……俺は、総司に惚れていたのか」
 思わず片手で口元をおおった。


 信じられないとは、思わなかった。信じがたいとも思わなかった。
 あまりにも傍にいすぎて、子供として可愛がりすぎていたためか、総司を恋愛対象として考えてこなかったのだ。
 だが、いつの間にか、土方にとって、総司は誰よりも大切で愛しい存在となっていた。
 弟としてではない。
 一人の若者として、総司を心から愛していたのだ。


 土方は一度、瞼を固く閉じた。
 それから目を開くと、ゆっくりと屯所に向かって歩き出す。屯所に戻ってから、もう一度よく考えようと思ったのだ。
 だが、その歩みは暫くいった処で不意に止まった。
 神社の鳥居の陰だった。
 きれいな愛らしい若者が鳥居をくぐり、駆け込んでいく。明るく無邪気な笑顔だ。
「斎藤さん」
 澄んだ声で呼んだ次の瞬間、総司は、鳥居の奥にいた斎藤の腕の中へ飛び込んでいた。斎藤もあたり前のように受けとめ、ぎゅっと抱きしめる。
 二人は身体を離したが、仲良く寄り添い、神社の奥へ歩き出した。楽しそうに笑う総司の声が、呆然と立ち尽くす土方のもとまで届いてくる。
「……」
 何もすることが出来なかった。
 言葉ひとつ掛ける事ができなかった。
 傍から見ても、幸せそうな二人だった。
 まさに、愛しあい、信頼しあう恋人たちの姿だ。


(もう……手遅れなのか)


 目を伏せ、静かに踵を返した。
 独り歩き出した土方の肩を、風が撫でていった。