「斎藤さん」
 総司は弾んだ声でその名を呼び、斎藤に飛びついた。
 とたん、ぎゅっと抱きしめられ、慌ててその胸を叩いて抗議する。
「もうっ……そういうの無しです」
「と言われても……」
 抱きついてきたのはそっちだと言いたかったが、斎藤は何も言わずに済ませた。


 何しろ、二人の関係はどこまでも微妙なのだ。
 念兄弟になろうとは言われたが、喜んだのも束の間、総司の態度はまったく変わらなかった。
 相変わらず誘えば応じてくれるが、甘い雰囲気になったことなど一度としてない。
 あの時思ったとおり、総司は、念兄弟や契りの意味がわかっていないとしか思えなかった。


「そんな事より、あのね」
 抱擁のことをそんな事とすっぱり切り捨て、総司はにこにこしながら斎藤を見上げた。二人、神社の奥へと歩き出しながら、話をつづけてくる。
「斎藤さんにお礼が言いたかったのです」
「? 何ことだ」
「ほら、この間、教えてもらった刀屋さん。研ぎで行ってみたら、とってもいい刀を見せてもらうことが出来て」
「へぇ……それは良かった」
「綺麗な刀なんですよ。斎藤さんのおかげです」
「ふうん」
 見ただけなのに喜んでいる素直な総司に、斎藤は目を細めた。
 総司は素直な性質で、どんな小さな喜びも大切にするし、それを素直にあらわすのだ。そこが総司のとてもいい処だった。
「じゃあさ」
 斎藤は小首をかしげるようにして、総司を覗き込んだ。
「そんなに感謝してくれているなら、お礼をもらってもいい?」
「お礼? はい、私に出来ることなら」
「接吻して欲しいんだけど」
「!」
 さすがに接吻の意味はわかったらしい。
 総司の目が見開かれ、なめらかな頬がさっと赤くなった。だが、すぐに唇をとがらせると、にべなく撥ねつけた。
「それは駄目です」
「どうして」
「私の全部、土方さんのものだから」
「おれ、総司の念兄弟なのに?」
 ちょっと低めた声で問いかけると、とたんに、総司の表情が翳った。俯き、小さな声で答える。
「……ごめんなさい」
 俯いたことで、男の目をひいてしまう白い項、そこにさらりとかかる黒髪を眺めながら、斎藤は(反則だよなぁ)としみじみ思った。


 こんなふうに申し訳無さそうになってしまった総司に、何か出来る訳がないのだ。
 ましてや、責められる訳がない。
 本当なら、無理やりでも全部奪ってしまいたいのに。
 それが出来ないということは、やはり、総司への気持ちがそこまで熱くないという事なのか。
 否、そうではないだろう。
 ただ、斎藤の性質に反しているだけなのだ。
 斎藤は、総司を決して傷つけたくなかった。
 どんな事があっても傷つけたくないし、総司を傷つけてまで、そのすべてを奪いたいなどとは思わない。
 誰よりも好きだ、愛している。
 だが、己の想いよりも大切なことは、総司の幸せだった。
 総司が笑顔でいてくれることが、何よりも、斎藤の願いなのだ。


(やっぱり、土方さんから奪うなんて、おれには無理かもしれないなぁ)


 総司にとっての一番の幸せは、土方の傍にあることなのだから。
 斎藤は青空を見上げた。
 きれいに晴れ渡った春の空だ。
 しばらくの間、それを眺めてから、斎藤は意を決したように総司を振り返った。
 そして、言った。
「総司、話があるんだ」













「……総司です」
 障子の向こうからかけられた声に、筆を走らせていた土方の手がとまった。
 一瞬、考えたが、「入れ」と応じた。声が僅かに掠れてしまったが、それに総司は気づかなかったようだった。
 総司は入ってくると端座し、静かな声で巡察の報告を始めた。
 七日ぶりの報告だった。今までは島田にさせていたのだが、今日は島田が非番で休んでいる。そのため、総司自身が仕方なく報告に来たのだろう。
 土方は、微かに目を伏せるようにして報告をしている総司の姿に、視線をあてた。
 きれいな花のようだ。
 華奢な身体に黒い隊服を纏っているさまが美しい少女の男装のようで、艶めかしく倒錯的だった。
 なめらかな頬に伏せられた長い睫毛、ふっくらとした桜色の唇。膝の上に置かれた白い手。
 何もかもが、息を呑むほど綺麗で愛らしかった。
「……」
 男の視線に気づいたのか。
 不意に、総司が顔をあげた。潤んだような瞳が戸惑いがちに土方を見つめてくる。
 胸奥を射抜かれた気がした。


(こんなにも……総司は綺麗だったのか)


 息を呑む思いだった。
 愛していると、自覚したからこそなのか。
 それとも、総司が斎藤に愛されているからなのか。
 否、そうではないだろう。
 総司は初めから、綺麗だったのだ。
 その清らかで素直な優しい性質のままに。


(俺は……何を見ていたんだ)


 求めるものは、すぐ傍にあったのに。
 考えてみれば、女を選ぶ時、女とつきあっている時、いつも総司と比べていた。
 総司の方がもっと綺麗だ、総司の方がもっと優しい、素直で可愛いなどと、幾度も比べていたのだ。
 その事からもわからなかったことが、不思議な程だった。
 こんなにも総司を愛していることに。


「……総司」
 低い声で、土方は呼びかけた。
 それに、総司がびくりと肩を震わせる。どこか怯えたような様子に苛立ちを感じながらも、土方はそれを抑えこんだ。
 せめて嫌われたくなかった。
 愛していることを伝えるつもりはない。総司が斎藤と結ばれた今となっては、彼の想いなど押し殺すべきものだった。
 だが、以前のような関係には戻りたかった。仲の良い兄弟のように、総司に傍にいて欲しかったのだ。
「その……すまなかった」
 土方は出来るだけ感情を抑えた声で言った。
「おまえが誰に片思いしようが、おまえ自身のことなのに、要らぬ口出しをした。あんな事を言って悪かったと思っているんだ」
「土方さん……」
 総司の目が見開かれた。驚いた顔で、土方を見ている。
 それに、「許してもらえないのか」と問いかけると、慌てて首をふった。
「違うの…です。ただ、驚いたから」
「驚いた?」
「だって、土方さんが謝るなんて思ってなくて……」
「全部、俺が悪かったんだ。謝って当然だろう」
「でも……土方さんは……」
 言いかけ、総司は唇を噛みしめた。そのまま俯いてしまう。
「何だ」
 土方は問いかけた。
「言いたいことがあるなら、今のうちに言えよ。もうすぐ山崎が来ちまう」
「あ」
 それを聞いた総司は、逆に慌ててしまったようだった。腰をあげ、すぐさま立ち去ろうとする。
「す、すみません。土方さん、忙しいのに」
「総司、待て」
 思わず手をのばした。その細い手首を掴んで、引き寄せる。
 だが、力の加減を誤ってしまったのだろう。彼の膝元に総司の華奢な身体が倒れこんできた。
 ふわりと甘い花のような香りがたち、男の理性を突き破る。腕に感じる華奢な身体、頬にふれた髪に、土方は堪えられなくなった。
 思わず、総司の躰を両腕に抱きしめてしまう。
「!」
 あまりに突然のことに対応できないのか。土方に抱きしめられた瞬間、身を固くしたが、総司は抵抗一つしなかった。
 ただ、おとなしく男の腕に抱かれている。
「総司……」
 冷たい髪に指さきを滑りこませた。かき乱し、一筋すくいとって口づける。
 そのまま、首筋に顔をうずめた。唇を押しあて、花びらを散らす。
「あっ……」
 可愛い声をあげ、総司がぴくりと躰を震わせた。それをより深く抱きすくめた。
 二度と離したくないと思った。
 これは、俺のものだ。
 そんな思いが腹の底から突き上げた。


 凄まじいまでの独占欲と執着。
 狂おしいほど溺れていく、堕ちていく。
 この綺麗で愛らしい若者に。


 土方はたまらず、その髪に頬を擦りよせた。
 愛しているという想いのまま、ほっそりとした躰を強く抱きすくめる。
 総司の躰は、土方がほんの少し力をこめれば壊れてしまいそうなほど、細くて華奢だった。それがより愛しさをつのらせる。
「……副長」
 その時だった。
 突然、廊下の方で声がした。山崎が来たのだ。
 それに、総司がはっと我に返ったようだった。瞬間的に土方の胸を両手で押し返し、その腕の中から抜け出ようとする。
 だが、それを土方は許さなかった。より強く抱きすくめ、細い躰を己の腕の中に閉じ込める。
 そのまま問いかけた。
「山崎か」
「はい、入ってもよろしいでしょうか」
「……いや、悪いが、後にしてくれないか。所用が出来た」
「承知致しました」
 丁寧に答えると、山崎は去っていった。それに、総司がほっと安堵の吐息をもらす。
 随分と緊張していたようで、土方と山崎が言葉をかわしている間、息をつめていたのだ。それに、思わず、くすっと笑ってしまう。
 とたん、総司が怒った顔で彼を見上げた。
「土方さん、どうして」
「何だ」
「どうして、こんな事をするの」
 大きな瞳が潤み、ぞくぞくするぐらい色っぽい。そんな自覚は全くない総司に、土方は微笑んだ。
「どうしてだと思う?」
「わかりません。私、土方さんのこと……わからないから。それに」
「何だ」
「土方さん、その、だ…男色、嫌いなはずでしょう? 嫌悪していたでしょう? なのに、どうして」
「俺は別に嫌ってなんざいねぇよ」
 土方はあっさりと否定した。それに、総司が「え」と目を丸くする。
「好きになるのに、男も女もねぇだろう。ただ、おまえが男に好き勝手されると思うと、腹がたったんだ。嫌だったんだ」
「嫌って……」
「誰が、可愛い大切だと思っているおまえを、男の餌食にしたいと思うんだ。それぐらいなら、俺が」
「……」
「俺が奪ってやる」
「!」
 総司の目が大きく見開かれた。


 今、とんでもない事を言われた気がした。
 好きだとか、愛しているとか、そんな事を言われた訳ではない。
 だが、もっと直接的な、生々しい男の声を聞かされた気がしたのだ。


 呆然としている総司の細い肩が掴まれた。
 見上げれば、土方が真剣な表情で見下ろしている。
「総司、おまえが」
「はい」
「おまえが斎藤の念兄弟だということは、わかっている。だが、俺はおまえを手放すことなんざ出来ない。おまえがいないと、俺は生きていけねぇんだ。この数日も苦しくて辛くてたまらなかった。おまえに傍にいて欲しい、おまえさえいてくれれば、他には何もいらないと思った。だから」
「ちょっ、ちょっとまって下さい」
 いつもの寡黙はどこへやら。立板に水のごとく口説いてくる土方を、総司は慌てて押しとどめた。
 完全に頭が混乱してしまっているし、いろいろとお互いに誤解があるようだ。
「あの、土方さん」
 総司は小さな声で言った。
「誤解があるみたいなんだけど……その、私、斎藤さんの念兄弟じゃありませんよ」
「念兄弟じゃない? 嘘をつくな」
 土方は眉を顰めた。
「俺は見たんだ、おまえたちが抱き合っている様をな」
「え、それって……神社で? あれは、斎藤さんに刀屋さんを教えてもらって、嬉しくて抱きついただけです」
「刀屋?」
「えぇ、とてもいい刀を見つけたんですけど……と、とにかく、私は斎藤さんと何ともありません。一度、念兄弟になりましょうって言ったけど、でも、やっぱりその気になれなかったし」
「その気になれないって……おまえ」
「斎藤さんと話しあって、今までどおりの友人でいることになりました」
「なら、おまえ、斎藤とは何もないのか」
「だから! さっきから何度も言っています。私、斎藤さんとは念兄弟じゃないって」
「好きだ」
 突然、言われた言葉に、総司は目を見開いた。
「え」
 固まっている総司にかまわず、土方は真摯な声でつづけた。
「俺はおまえが好きだ、愛してる」
「……っ」
 声が出なかった。ただ呆然と、土方を見上げてしまう。
 それを、土方は深く澄んだ黒い瞳で見つめた。
「今回のことでよくわかったんだ、俺自身の気持ちが。今更なんだって言われるだろうが」
「……だ、だって、土方さん……たくさんの女の人……理玖さんも……」
「理玖とは別れた。あいつも俺には本気じゃなかったからな。けど、言っておくが、それが理由じゃねぇぞ。先に、おまえなんだ。おまえに惚れているってわかったから、理玖と別れたんだ」
「ほん…と?」
 総司は両手で唇をおさえた。信じられないという表情だ。
 土方は微かに目を伏せた。
「わかっている。おまえには好きな男がいるんだよな」
「え、えぇ。そうです、けど」
 頷いた総司に、土方は苦痛を覚えたように顔を歪めた。視線をそらせる。
「他に好きな男がいるおまえに、こんな事を言っても無駄だとわかっている。本当は告げるつもりじゃなかった。けど、おまえと久しぶりに会った途端、我慢ができなくなったんだ」
「……」
「俺はむろん、おまえの心をその男から奪ってやりたい。だから、せめて教えてくれないか」
「何を…ですか」
「おまえの好きな男が誰か、だ」
「……」
 総司は黙ったまま土方を見つめた。それから、ちょっと躊躇いがちに訊ねる。
「土方さん、あの、その人が誰かということを知って……どうするの?」
「さぁな。斬り合いになるかもしれんし、話し合いで終わるかもしれん。とりあえず、会わない事にはどうにもならないだろう。……それとも、俺が会った事のある男なのか」
「えぇ、まぁ……会った事は、ありますね」
「いつだ」
「よく会っていますよ。それこそ、毎日」
「なら、隊士か! 幹部か、平隊士か」
「えーと、その、幹部ですね」
 総司は言いながら、笑い出しそうになるのを堪えた。
 この副長室に来るまでの落ち込んでいた自分が不思議なぐらい、今はうきうきとして幸せで幸せでたまらない。


 恋が実るって、こんなに幸せなことなのだ。
 でも、ここまで来る道は長かった。ずっとずっと悩んで辛い思いをして、つれない土方の態度に泣いて。
 そんな自分のことを考えたら、少しぐらい意地悪してもいんじゃない?


「幹部……」
 そんな総司の思いに気づかぬまま、土方は眉を顰めてしまった。
 見れば、その黒い瞳には苦痛の色が濃い。
「……」
 切なく寄せられた眉や、噛み締められた唇、憂いを帯びた黒い瞳。
 それらを見るうち、総司は自分の胸がきゅんと痛くなるのを感じた。意地悪しようなんて気持ちが消えてしまう。


 こんなにも、私は彼が好きなのだ。
 彼が傷ついたり、辛い思いをすることが、一つとして堪えられないぐらいに。
 だから。


「あのね」
 総司は甘えるように長い睫毛を瞬かせ、土方を見上げた。
「その人はとても男前で頭もよくて……優しい人なんです。他の人にはともかく、私にはとても優しいの」
 だが、土方はその言葉にも全くわからなかったようだった。
 ちょっと淋しそうに微笑んだ。
「……そうか。おまえは、本当にその男が好きなんだな」
「えぇ、好きですよ」


 どうして、わからないのだろう。
 男前で頭が良くて優しい男なんて、彼しかいないのに。
 誰が見てもわかりきったことなのに。


 総司は仕方なく、とっておきの手を出すことにした。
 これでわからなかったら、本当に、この人って鈍すぎ! と思いながら。
「私、その人のことが大好きなんです」
「……」
「男前で格好よくて頭が良くて強くて、優しくて、でもね、時々ちょっと意地悪で冷たくて、子供みたいなところもあって。隊士や浪士たちからは、鬼なんて呼ばれちゃっている新選組副長が大好きなのです!」
 そう口早に告げると、総司は勢いよく土方の胸もとに顔をうずめた。
 どきどきしながら、彼の反応を待つ。
 沈黙の後、はっと息を呑んだ気配がしたかと思うと、突然、乱暴に引き寄せられた。きつく狂おしく、息もとまるほど抱きしめられる。
 低い声が耳もとで囁いた。
「総司」
 ───そして。



 あとは
 野となれ花となれ! なのである。


















最後までお読み下さった皆様、ありがとうございます!
ラストの言葉は、野となれ山となれにかけています。土方さんだけの花となっちゃえなのです。というか、土方さんだけの花になりたいっていう、総司の気持ちかな。もちろん、土方さんはこれから先、総司という可愛い花だけを大切に愛してゆくことでございましょう。
素敵なリクを下さったわかさま、ありがとうございました♪ そして、ラストまでおつきあい頂いた皆様、本当にありがとうございました。