理玖と会ったのは偶然だった。
 出来ることなら会いたくなかったと、総司は心から思った。
 別に、理玖が嫌だった訳ではない。むしろ、とても好感のもてる女性だった。さすがに土方が選んだだけはあると思った。だが、だからこそより一層、辛くなってしまったのだ。
 その上、よりによって、土方と二人幸せな日を過ごしていた時だった。久しぶりにとれた非番。それも、珍しく土方がつきあってくれた神社でのお祭り。
 総司はかなりはしゃいでいた。


「土方さん、あのね」
 子供の頃のように無邪気に腕に手を絡めたり、頬を押し付けたりした。
 何度も彼を見上げ、話しかけた。
 それに、土方もまったく嫌がったり拒絶したりすることなく、優しく応じてくれた。総司の話に楽しそうに笑い、総司が誰かにぶつかりそうになると肩を抱いて己の方へ引き寄せ、時折、髪をくしゃりと撫でてくれたりもした。
 それが嬉しくて嬉しくて、本当に舞い上がってしまっていたのだと思う。
 だからこそ、理玖と会った瞬間、どん底に突き落とされた気持ちになってしまったのだ。


「理玖と申します」
 にっこりと艶やかに微笑みながら、理玖は挨拶した。まるで、大輪の花がぱっと咲いたようだった。
 それに思わず息を呑んでしまう。
 彼の腕に無意識のうちにぎゅっとしがみついてしまったのだが、それを驚いたせいだと思ったのだろう、土方が優しく笑いかけてくれた。
「総司、こいつが理玖だ。理玖、これがいつも話している俺の弟分の総司だ」
 華やかな理玖の笑顔に、総司は目を伏せた。俯いたまま、小さな声で答える。
「……総司と申します」
 声が震えたかもしれなかった。


 今まで、土方が沢山の女とつきあってきたことは知っていた。
 だが、不思議と彼女たちと会ったことがなかったのだ。
 そのため、総司は土方の女たちに対して、ぼんやりとした印象しか持っておらず、嫉妬もしないで過ごしてくることが出来た。
 しかし、今、目の前に、はっきりとした存在として理玖がいるのだ。
 それも、総司が到底叶わないような、誰が見ても土方に似合いの美しい女が。


 土方は総司の様子がおかしいことに気づいてくれたのだろう。
 理玖に、また後日なと言って、その場から離れてくれた。少し離れた所に行ってから、問いかけてくる。
「どうした、気分でも悪いのか」
「ちょっと……人いきれしたかも」
「確かに、熱っぽい顔をしているな……すまん」
 突然謝られ、驚いた。顔をあげると、土方が心配そうに眉根を寄せ、少し身をかがめるようにして覗き込んでいる。その黒い瞳にある優しさに、泣きたくなった。
「土方、さん……」
「本当にすまん。もっと早く気づいてやるべきだった」
 そう言ってから、土方は、駕籠を呼んでくるからと足早に去っていった。その広い背をぼんやりと見送った。


(優しい人、優しいけど……残酷な人)


 その優しさが総司を傷つけていることに、彼はまったく気づかないのだ。
 片恋している総司にすれば、優しくされれば、つい期待してしまう。もしかしたらと、あり得ない希望を抱いてしまう。
 いっそ突き放してくれた方が、冷たくされた方が、この恋も諦められるのに、諦めようとした傍から優しくされる今の状況では、いつまでもずるずると彼のことを想いつづけてしまうのだ。
 しかも、土方はまったく総司の気持ちに気づいていない。
 だからこそ、平気で自分の恋人である理玖を紹介してくるのだ。その残酷さが、憎らしいぐらいだった。


(いっそ思い切れたらいいのに)


 総司は、自分でもどうすることも出来ない想いに、きつく唇を噛みしめた。












 総司の毎日はとても忙しい。
 一番隊組長であり、筆頭師範代でもあるため、日々、忙しく過ごしているのだ。
 だが、それ以上に多忙であるのが土方だった。新選組副長の激務は凄まじいものだった。いったいいつ休んでいるのかと、周囲が思ってしまう程だ。
 その上、非番の時は自分の女と遊んでいるのだから、たいしたものだと斎藤は思っていた。
「何であれで倒れないのか、さっぱりわからないよ」
 そう言った斎藤に、総司は大きな瞳を向けた。ちょっと桜色の唇が尖っている。
「斎藤さん、その言い方じゃ、土方さんが倒れるの願っているみたいなんですけど」
「いや、そんなつもりはないけどさ」
 斎藤は肩をすくめた。


 三番隊組長である斎藤は、新選組の中で、総司とその腕を並び称されている剣客だ。
 滅多にない事だが、二人が稽古をする時など、見物人で黒山の人だかりになる。総司はその華奢で玲瓏とした姿形とは裏腹に、天才的な剣さばきを見せ、斎藤もそれに十分対抗できるものだった。
 だが、普段の斎藤はなかなか整った顔だちの、飄々とした若者であり、総司のいい友人だ。もっとも斎藤の方は友のつもりは全くなく、長年、総司に片恋していた。総司にもその気持ちはしっかりと伝えてある。


「おれとしては、恋敵の身体を気遣う気なんて全くないんだよな」
「斎藤さん」
 困ったように総司は目を伏せてしまった。なめらかな白い頬に長い睫毛が翳りをおとし、ぞくりとするぐらい幼い艶っぽさが漂う。
 これが無意識なのだから怖いと思いつつ、斎藤はその白い手をとった。
 だが、総司は素早く、ぱっと手を引いた。大きな瞳で睨みつけられる。
「そういう事したら、もう会わないって言ったはずです」
「ごめん。けど、会わないも何も、新選組にいる限り……」
「屯所の外では、という話です」
 きっぱり言い切った総司に、斎藤は肩をすくめた。
 もう何度目かの逢瀬だった。
 とは言っても、艶っぽい料亭の離れなどに誘うことが出来ている訳ではない。甘いものが好きな総司につきあい、甘味屋に行ったり、祭りに行ったりしているだけだ。
 今日も一緒に祭りに行った帰りだった。その時に、前に土方と祭りに行った話になり、彼の女である理玖のことも出てきたのだ。
「土方さんの様子は、どうだったんだ?」
 そう訊ねた斎藤に、総司は小首をかしげた。
「どうって?」
「だから、理玖って女に対してだよ。今度こそ本気って感じだったのか?」
「……そんなのわかるはずないでしょう」
 総司は、きゅっと唇を噛みしめた。
「私、土方さんの女の方に逢ったこと自体、初めてなんだから。比べることが出来ないし」
「なるほど」
「でも」
 足元の小石を、ぽんっと蹴った。
「きれいな女の人でしたよ。とても綺麗で花みたいで、気立ても良さそうでした」
「……」
「それに、理玖さんを最初に見つけたのは土方さんで……土方さんの方から声をかけて、それで……」
 深く俯いてしまった総司に、斎藤は胸が痛くなった。
 その時、どんな想いだったのか。自分も総司に恋しているだけに、よりわかる気がしたのだ。
 思わず手をのばし、その細い肩を抱いてしまう。それに、総司も今度は抗わなかった。斎藤の腕の中で、きつく唇を噛んでいる。


 そんな辛い恋なんて、やめた方がいい。


 言葉が喉元まで突き上げた。
 だが、それを斎藤は言うことが出来なかった。
 総司がどんな想いで土方を見つめてきたか、よくわかっていたからだ。明るく振る舞いながら、無邪気で可愛らしい弟として笑いかけながら、その胸奥で切なく泣いていたことを知っていた。
 ずっと片恋してきただけに、総司の想いは手にとるようにわかっていたのだ。
 やがて、西本願寺が近づいてくると、総司は斎藤の手から離れようとした。それに思わず引きとめようとする。
「総司」
 おれはずっと、おまえの傍にいる。
 そう言おうとした、その時だった。
 不意に足音が後ろから近づいたかと思うと、総司の身体が乱暴に引き寄せられたのだ。
 驚いて見れば、そこには土方が立っている。
「土方、さん」
 びっくりしている総司に構わず、土方はその腕を掴んだ手の力を緩めなかった。剣呑な目を斎藤に向けてくる。
 形のよい唇から、凄みのある低い声がもれた。まるで、獣が相手を威嚇する時のようだ。
「……何をしている」
「何って、屯所に帰る処ですが」
「誤魔化すな。今、総司を抱き寄せていただろう。おまえ、こいつに言い寄っているんじゃねぇだろうな」
 きつい口調で詰問され、斎藤はかっと頭に血がのぼるのを感じた。彼にしては珍しく、声を荒げてしまう。
「言い寄っていたら、悪いですか! 土方さん、あなたには関係ないことでしょう?」
「関係ないはずがあるか。こいつは俺の可愛い大切な弟だ。男なんざにやるかよ」
「はぁ? 何を言っているんですか、そんなの総司の自由じゃないですか。何で、あなたが決めるのです」
「総司は気立てのいい娘と娶わせるんだよ。それが一番の幸せなんだ」
「そんなもの、あなたが勝手に決めたことでしょう! あぁ、あぁ、おれは総司が好きですよ。確かに惚れていますし、何度も言い寄っていますよ」
「斎藤」
「けど、そんな偉そうに言うあなたは、何ですか。さんざん総司を傷つけて蔑ろに……」
「斎藤さん……っ!」
 突然、総司が悲鳴のような声をあげた。土方の腕から逃れ、必死になって斎藤に縋りつく。
「やめて、斎藤さん。お願いだから」
「総司……」
「もう何も言わないで。私、そんなこと言って欲しくない」
 懇願する総司に、斎藤もそれ以上何も言うことが出来なかった。ただ辛そうに眉根を寄せると、自分に縋りつく総司を引き寄せる。
 それらの光景を、土方は無言のまま見つめていた。
「……」
 やがて、土方は何も言わぬまま二人に背を向けた。その場から立ち去ってゆく。
 西本願寺の門をくぐっていく彼の背を、総司は切ない想いのまま見つめた。












「あの、ごめんなさい」
 総司は帰営してすぐ、副長室を訪れた。
 この事で土方と気まずくなってしまうのが怖かったのだ。
 想いが報われないことはわかっているだけに、せめて、彼の可愛い弟として傍にいたかった。二人の関係を壊したくなかったのだ。


(こんな私って、ずるい)


 斎藤は総司のために言ってくれたのだ。
 それをわかっていながら、自分は土方に疎まれることを酷く恐れている。
 恋とは、どこまで身勝手になれるものなのか。


 土方は文机にむかって書類に目を通していたが、総司の言葉に手をとめた。ふり返り、低い声で問いかける。
「何故、おまえが謝るんだ」
「だって……」
「それとも何か、おまえは既に斎藤と念兄弟の契りでも結んだのか」
「そ、そんなことしていませんっ」
「なら、念兄という訳でもないのに、斎藤の言ったことに対して謝る必要もないだろう」
「でも……土方さん、怒っているし」
「あぁ、怒っているな」
 土方はため息をつき、文机に片肘をついた。
「あんな所で男に肩を抱かれているんじゃねぇよ。隊士に見られたらどうするんだ」
「すみません……」
「斎藤にはあまり近づくな」
「え」
 顔をあげると、土方はどこか痛みを覚えるような表情で、総司を見ていた。
「あいつはおまえに想いをかけている。それに応えることが出来ねぇなら、誘いに応じたり優しくするのは残酷だ」
「……っ」


 彼だけには言われたくない言葉だった。
 こんなに想っても愛しても、ふりかえってくれないのに。優しくするくせに、愛してくれないのに。
 その彼にどうして、こんな事を言われなくちゃいけないの?


 悲しみよりも怒りの方が先にたった。
 儚げな外見と裏腹に、総司の性格は本質的にとても勝ち気なのだ。
「土方さん」
 声が震えたかもしれない。総司は大きな瞳で土方を睨みつけた。それに、土方が驚いたように見返す。
「何だ」
「斎藤さんのこと、私の勝手だと思います」
「総司」
「私は確かに、斎藤さんの想いに応えることは出来ていません。でも、土方さんだって、同じことしているでしょう? あなたみたいに好かれる事が多い人だもの。好きになってくれた人と全部、つきあった訳じゃないし、想いに応えたはずがない」
「……」
「そりゃ、私だって片恋の苦しさはわかっています。好きで好きでたまらなくて、絶対に応えてもらえないとわかっていても、思い切ることなんて出来ない。そんな辛さも切なさもわかっている。だから……っ」
「……総司」
 不意に、低い声が総司の言葉を遮った。それに、え? と顔をあげる。
 土方は鋭い瞳で、総司を見据えていた。息を呑むほど、きついまなざしだった。
「おまえ……恋をしているのか」
「……あ」
「誰かに惚れているのか。相手は誰だ」
 声音の激しさに、総司は目を見開いた。まるで、不義密通が見つかり、問いつめられているかのようだった。
 そんな事を思った瞬間、叫んでいた。
 悔しくて、悲しくて。
 思い切り叫んだ。
「相手は……男の人です!」
 そう叫んだ瞬間、土方の目が見開かれた。驚愕の色がその瞳にうかぶ。
 だが、総司はもう止められなかった。
「その人のことが好きなの、愛している。でも、相手が誰かなんて絶対言わな……」
「総司ッ」
 不意に、土方が手をのばしてきた。肩をつかまれ、その瞳を覗きこまれる。
「おまえ、本気で言っているのか。冗談じゃねぇよ……男が相手なんざ、俺が許さん」
「どうして? 男の人が相手なのは、そんなにいけない事なの? 別に私の勝手じゃない」
 総司は勝ち気そうな瞳で、土方を見上げた。
「私は、この恋を捨てるつもりも、諦めるつもりもないから。私はもう、土方さんの思い通りになる子供じゃない」
「総司! いい加減にしろ」
「いい加減にして欲しいのは、私の方だもの! 可愛い弟って何なの? 私は子供じゃないんだから!」
 叫びざま、土方の手をふり払った。そのまま立ち上がり、障子を引き開ける。
 副長室から飛び出した総司は、一心に自分の部屋へと向かい走った。すれ違う隊士たちが驚いた顔で振り返っていたのは、わかっていたが、応じることなど出来なかった。
 自室へ戻ると、固く障子を閉めきった。
 俯き、きつく唇を噛みしめる。
 ぽろぽろと涙が頬をこぼれ落ちていった……。