「また、女を変えたらしいな」
仏頂面でそう言った近藤に、土方は小さく笑った。
新選組の局長室だった。
西本願寺に越してきて初めての春だ。殺伐とした世の中でも、京の春は美しく人の心を浮き立たせる。
最も、この男は年中あちらこちらの花へと遊びまわっているようだったが。
「近藤さんにしては、よく知っているな」
「おれにしては、は余計だ。それよりも、本当なのか」
「本当だ」
「いったい何人めだ。いつになったら、おまえは落ち着くのだ」
「さぁ、わからねぇな」
土方は胡座をかいた膝に片肘をつき、形のよい唇の端をあげてみせた。
悪戯っぽい表情が魅力的だ。こんな処にも女が騒ぐ原因があるのだろうと、近藤は眺めた。
実際、男の目から見ても、土方は惚れ惚れするほどのいい男だった。
しなやかに引き締まった長身に、端正な顔だち。艶やかな黒髪から、切れの長い目、漆黒の澄んだ瞳、形のよい唇に至るまで、本当に錦絵から抜け出てきたような男ぶりだ。
土方には、華があった。
彼がそこに現れただけで、ぱっと人目を惹いてしまう華やかさがあるのだ。
そんな彼を、京の女たちが放っておくはずなかった。江戸の頃からもてていたが、京にのぼってからの比ではない。あちこちの芸妓にも手をだし、美しい女から女へと渡り歩いているという事だった。
まさに、遊び人だ。
だが、彼なりに信条があるのか、つきあっている時は一人だけに限っていた。誰かとつきあっている間は、一切浮気をしないのだ。
真剣につきあい、相手にも優しくしてやっている。そのためか、別れた後も修羅場になったという話は聞かなかった。
「要領がいいのか、悪いのか」
そう呟いた時、障子の外から声がかけられた。
茶を運んできた小姓かと思って答えれば、すっと障子が開き、しなやかな動作で総司が入ってくる。
近藤は、愛弟子の姿に目を細めた。
「おお、総司か。どうした」
「お茶をお持ちしました」
「一番隊組長のおまえがすることではないだろう」
思わずそう言った近藤に、総司は小さく花のように笑った。
「たまにはしたいなと思ったのです。近藤先生と土方さんのお話の邪魔をするつもりでは、なかったんですけど」
「邪魔なものか、なぁ、歳」
「あぁ」
土方は頷き、総司が差し出した茶を一口飲んだ。
「……うまいな」
そう言った土方に、総司は、ぱっと顔を輝かせた。
「嬉しいです。土方さんにそう言ってもらって」
「俺にって、どういう意味だよ」
「だって」
総司はちょっと首をすくめた。
「土方さん、いろいろと花街で遊んでいるでしょ? もっと上等でおいしいお茶を飲んでいるだろうなぁって思うし」
「おまえが入れてくれたのが、一番うまいよ」
そう言って微笑みかける土方に、総司はなめらかな頬を染めて俯いてしまった。
近藤は苦々しい思いで二人を眺めた。
(無自覚だから、始末におけんのだ……)
総司は土方に昔から片恋をしてきた。
だが、それに土方が気づいたこともないし、応じたことも一切ない。確かに可愛い弟としてかわいがって来たし、慈しんできたが、その想いが一線を越えることはなかったのだ。
むろん、総司は娘ではない。
だが、それが土方にとって弊害になっている訳ではないようだった。
弟としてしか見ることが出来ない。可愛い大切な愛し子として、総司は土方の中に存在しつづけているのだ。
(何しろ、宗次郎が九つの頃から知っているからなぁ)
まだ江戸の試衛館に入る前から、土方は総司を「宗次、宗次」と呼んで可愛がり、おぶってやったり手をひいてやったりしてきたのだ。
道場に来てからは、半ば土方自身が育てたようなものだった。だからなのか、土方にとって、総司はどうしても子供にしか見ることが出来ないのだ。
だが、総司は子供ではない。
総司は美しく聡明な若者となり、剣術の腕も隊随一だった。一番隊組長として決断力も行動力もあるし、一番隊隊士たちから絶大な信頼と尊敬を一身に受けている。
総司を子供としてしか捉えることが出来ないのは、土方ぐらいのものだった。
(おれから見ても、総司はきれいで気立てもよいし、歳にはもったいないぐらいだ。なのに、こいつは)
まったく恋愛対象として見ていない。
そのくせ、無自覚だからこそ、総司に先ほどのような声をかけることも出来るし、とびきりの笑顔を向けることも出来るのだ。むろん、土方にとって、総司は特別な存在であることは確かだったが。だが、しかし。
片恋している総司は、可哀想すぎる気がしてならないのだ。
「? 近藤さん、どうした」
どことなく苛立っているのが伝わったのだろう。
土方が訝しげに問いかけてきた。それに、むっとした顔で懐手をした。
「別に何でもないが、歳、おまえは本当に鈍い男だな」
「……何でもないと言いながら、ひでぇ言い様だな。俺が鈍いか? そうは思わねぇが」
「だから、鈍いのだ。遊びまわる前に、もう少し周りを見回したらどうだ」
「周り?」
不思議そうに聞き返し、土方はぐるりと部屋の中を見回した。
「? 別に何も変わった様子もねぇが」
「……そういう事ではない」
近藤はぐったり疲れる気持ちで、答えた。
どこまでも鈍い男に、いっそ何もかもぶちまけてやろうかとも思う。
だが、状況を察した総司が縋るような瞳で、こちらを見ているのに気づくと、何も言えなくなった。
遠くで鐘が鳴り、それに近藤は、はっと我に返った。
色恋沙汰に振り回されている場合ではないのだ。いくら春でも、新選組は忙しい。
「出かけてくる」
そう言って立ち上がった近藤に、土方は小首をかしげた。
「接待か」
「そんな処だ」
あまり嬉しそうではなく近藤は頷き、慌ただしく局長室を出て行った。
それを見送り、土方は総司に笑いかけた。
「案外、近藤さん、女の処だったりしてな」
「土方さんと一緒にしないで下さい」
「おいおい、俺は近藤さんみたいに女を囲ったりしねぇよ」
「それはわかっていますけど」
総司は桜色の唇を尖らせた。
別に、わかって欲しい訳ではない。
伝えることもない恋だと、諦めている。
それでも、他の女と仲良くしているのを見ると、辛い気持ちになってしまうのは仕方がないことなのだ。先日も、土方がつきあっているという女と、ばったり逢ってしまったから尚更のことだった。
子供の頃から、彼に憧れていた。
好きという気持ちが、やがて、恋愛感情に変わっていくのにも時はかからなかった。
総司は早くから道場に入った事もあり、見た目はともかく、他の子供よりも精神的に大人びた少年だったのだ。十五の年になる頃には、土方に対して初恋ゆえの激しい感情を抱いていた。
だが、土方はまったく振り返ってくれなかった。総司を他の誰よりも可愛がり、愛しんでくれたことは確かだが、そこに恋の熱情はなかった。一度だって、彼から熱っぽい瞳で見られたことなどない。
それは仕方がない事なのかもしれなかった。娘であるならともかく、総司は彼と同性であり、九つもの年下なのだ。彼が恋愛対象として見なくても、仕方がない。
挙句、さんざん遊びまわり、次から次へ美しい女と懇ろになっている土方に、いい加減、思い切った方がいいとは思うのだが。そろそろ初恋も終わりにしなきゃと、思ってはいるのだが。
(それでも諦めきれない私って……)
はぁと、ため息をついてしまった総司を、土方は眇めた目で眺めた。
不意に問いかけてくる。
「おまえ、女を囲いたいのか?」
「はぁ?」
思わず聞き返してしまった。
突然の問いかけに、唖然とする。
「囲うって、何ですか。それ」
「だよなぁ。おまえなら、まず先に嫁取りだよな。けど、妾の方がいいって言うんなら、俺が一肌脱いでやってもいいんだぜ?」
「結構です」
妾だとか嫁取りだとか、今の総司には到底考えられない事だった。土方を思い切ることが出来ないかぎり、難しい相談だ。
総司は大きな瞳で土方を見つめた。その視線に気づいた彼が、くすっと笑う。
「何だ、俺のことか?」
「え」
「そんな事を言うなら、そっちはどうなんだってことだろ? 俺も女を囲うより嫁取りだな。ちゃんとした伴侶を探しだして、一生を共にしたいね」
「意外……」
思わず呟いてしまった総司に、土方は肩をすくめた。
「おまえ、俺がただ遊んでいるだけって思っているだろ。そうじゃねぇよ、あれでも相手を探しているんだ。選んでいるんだよ」
「一生を共にできる伴侶を、ですか」
「あぁ」
「で、見つかったのですか?」
内心どきどきしながら問いかけたが、総司がほっとしたことに、土方は首をふった。
「いや、全然。こいつかなと思うことは何度かあったが、やっぱり違うんだよな。どこか何かが違うってことさ」
「ふうん……」
永久に見つからなければいい! とまでは思わなかったが、当分、せめて総司が土方を思い切ることが出来るまでは見つからなければいいと、切に思った。
片思いしているだけでも辛いのに、ここで彼が妻など娶ることがあれば、どうすればいいのかわからなくなってしまう。
わぁわぁ泣きわめいて、皆を驚かせてしまうかもしれないと思った。
いや、土方の婚儀の席には必ず招待されるだろうから、そこで思いっきり泣いて、この鈍感男―! ばかー! と叫んでやったら、どれだけすっきりすることか。
まぁ、総司の性格からすれば、そんな事出来るはずもなかったが。
そんな事をすれば、土方の婚儀もぶち壊しになってしまうだろうし。
せめて、穴を掘って叫ぶぐらいのことにとどめておくべきだろう。
そんな事を考えていると、ついつい口に出してしまった。
「土方さんって……本当に鈍いですね」
「は?」
土方が目を見開いた。それから、不意に苦笑する。
「おまえ、近藤さんと同じこと言うなよ」
「だって、そう思ったんですから」
「どこが。俺のどこが鈍いって言うんだよ。俺ぐらい、明敏な男はいないって思うけどな」
そう言って笑いかける土方に、総司はもう一度ため息をつきたくなった。
(確かに頭はいいよね。でなきゃ新選組副長なんてやってられる訳ないし。でもね、でも、肝心な処では思いっきり鈍いじゃない)
想いが伝わらないじれったさに、総司はいらいらしながら土方を見たが、相変わらず全く気づいていない。
「……」
また、ため息をつきたくなった。
土方が今つきあっているのは、理玖という女だった。
さっぱりとしていて美人なところが気にいっている。向こうから好きになって、土方につきあってくれと言ってきたことからも、相当、気が強い。
ちょうど土方もつきあっていた女と別れたばかりだったので、すんなりつきあうようになった。
ただし、惚れた訳ではない。なんとなくつきあっているだけという感じだ。
(俺が鈍い、か)
土方は理玖が待っている家へ向かいながら、心の中で呟いた。
近藤も総司も口を揃えて、鈍い鈍いと言ってきたが、さっぱり意味がわからないのだ。
逆に、他人よりは人の気持などにも明敏な方だと自負している。なのに、近藤も総司も鈍いと言ってくるということは、彼自身が気づいていない何かがあるのだろう。
(それを言わねぇんだからな)
何か言いづらいことであることはわかるが、理由も言わずに鈍いと言われては、土方も苦笑する他なかった。
ましてや、可愛い総司からの言葉だ。傷ついたことは確かだが、責め立てる気には到底なれない。
土方にとって、総司はまさに掌中の珠だった。
幼い頃から可愛がり、慈しみ、育ててきたのだ。文字通り、道場の入ってからは彼自身の手で育てたようなものだった。
無邪気に懐いてくれる宗次郎が可愛くてたまらず、まるで花魁に入れ込んだ男のように道場へせっせと通ったことは事実だ。
その宗次郎も総司と名乗るようになり、今や、剣術の腕は天才的で、新選組一番隊組長として立派に働いている。
だが、それでも、土方にとって、総司はいつまでたっても、大切ないとし子だった。
守ってやらなければならない、手をひいてやらなければならない、そう常に思いながら見守っている。
今日は総司に嫁という話題になって、内心動揺してしまったが、やはりそういう時期なのかと思いもした。土方にとってはまだまだ子供だが、世間一般的には、とうの昔に妻を娶っていてもおかしくない年齢なのだ。
総司よりも九つ年上の彼自身が未だ独り身であることを考えれば、言えた義理ではなかったが、それでも、総司に嫁取りを考えなければいけないのかと、思った。
「可愛い嫁さんを探してやらねぇとな」
思わず呟いた言葉に、理玖が不思議そうに振り返った。髪を器用にまとめながら、問いかける。
「何? 何か言った?」
「いや、こっちの話だ」
理玖は一度嫁いだことがある。だが、夫と何があったかは知らないが、離縁され、家に戻されていた。実家である店には跡取りである兄がいて居場所がなく、親が用意した小さな家で一人暮らしをしている。
「そう? 嫁さんとか聞こえたけど」
江戸で生まれ育った理玖は、江戸弁を話す。そのことも土方が気にいっている理由の一つだった。
理玖は、くすっと笑った。
「もしかして、奥様でも娶られるの?」
「いや、俺じゃねぇよ。ほら、前に会っただろ、俺の弟分の」
「あぁ……あの綺麗な」
一度、理玖は、神社でのお祭りの時に総司と会い、挨拶した事があるのだ。その時、総司は土方と一緒に歩いていたのだが……
「綺麗なお人だと思ったけれど、あの人が嫁取りをされるの?」
「そろそろかもしれねぇってことだよ。俺が探してやらなきゃならねぇが」
「……歳三さんが?」
理玖は一瞬、黙ってから、訊ねた。その意味ありげな口調に、土方が眉を顰める。
「何だよ」
「別に。でも、鈍いわね」
「はぁ?」
今日三度目の鈍いに、土方は呆気にとられた。近藤、総司ときて、今度は理玖だ。もっとも、総司と違って、理玖相手に遠慮する気など全くない。
「何で俺が鈍いんだ。いったい、どういう意味だよ」
「鈍いから、鈍いって言っているのよ」
理玖は肩をすくめた。
「男って皆、鈍いものね。あたしの旦那もそうだったけど」
「さっぱり意味がわからねぇな」
「わからなきゃいいのよ。でも……そんな事になったら、本当に可哀想」
「理玖……?」
訝しげに眉を顰める土方の前で、理玖はゆるく首をふった。
わかさまからのキリリクのお話です。ラストまでおつきあい下さいませね♪