確かに、菖蒲の言う通りだった。
 呼び出しともなれば、こちらから客を選ぶことが出来るし断ることも出来る。
 酒の相手だけして、さっさと帰してしまうという手もあるのだ。
 どうしてもの場合は仮病を使う遊女も多い。


「少しの間……だけですよ」
かなり長い沈黙の後、しぶしぶ承知した総司に、菖蒲は、ぱっと顔を輝かせた。
「ほんとっ? 助かるわー」
「店の人は全部、一緒になって騙すのですか」
「そうしなきゃ仕方ないでしょ」
「でも」
 総司は、しっかりと念押しした。
「娘でもない私が花魁なんてやるのです。ばれる可能性大ですよ」
「大丈夫、大丈夫」
「菖蒲さんは呑気だなぁ。とにかく、ばれても知りませんからね。もしもの時は、とんでもない騒ぎになりますよ」
「どのみち、大騒ぎよ。やってもやらなくても、うちの店の面子丸つぶれなのだから」
「まぁ、そうですけど……」
 というわけで、総司は、雪花花魁にばけることになったのだ。
 それからは、廓言葉を教えられたり所作などを学ばされたりした。芸事も一通りやらされたが、もともと利口な総司だ、物覚えは早かった。
 その上、化粧して美しく着飾った姿に、誰もが度肝を抜かれた。まさに、雪花花魁そっくりだったのだ。
「これなら、皆、騙されるわ。雪花花魁そのものだもの」
 総司が花魁の姿で現れたとたん、唖然としていた菖蒲はその姿を見回してから、しみじみと呟いた。その言葉に、店の誰もが頷いた。
 そして。
 今日、雪花花魁として総司は店に初めて出たのだ。
 よりによって、その初日。
 雪花花魁を指名したのは―――













 初日から呼び出しがかかったと聞いて、面倒だなぁと思った。
 雪花花魁として振る舞うからには、仕方がないことだが、断っちゃおうかなぁと一瞬思った程だ。
 だが、その客の名を聞いた瞬間、文字通り、ひっくり返りそうになった。
 思わず叫んでしまう。
「ひ、土方…歳三…―っ!?」
「知っているの? あぁ、知っていて当然よね」
 総司の素性を知らない菖蒲は、あっさり頷いた。
「京で名を馳せてから有名だもの。新撰組というところの副長さんらしいわよ」
「……」
「かなり怖い人らしいけど、でも、昔から吉原ではよく遊んでいる人だから、大丈夫よ。ちゃんと弁えているはずだし」
「……」
 彼のことは、菖蒲に説明されなくても知っていた。というか、ずーっとよく知っている。
 新撰組副長であることも、冷徹で容赦ない仕事ぶりも、女遊びにかけては百戦錬磨の男であることも。
 そして、そして。


(めちゃめちゃ格好よくて、本当は優しくてけっこう情に脆くて、私を弟みたいに可愛がってくれた人……)


 途端、ずきっと胸が痛んだ。
 京に捨ててきたはずの片恋が、呼んだー?とばかりに起きてきそうになる。
 それを慌てて胸奥にぎゅうぎゅう押し込めながら、総司はどうしようと思った。
 真剣に、やばいかもしれなかった。初日からバレてしまう可能性があるのだ。
 何しろ相手は、ずっと兄弟のように育った相手だ。いくら化粧をしていても、なんか似ているなと思われてしまう可能性があった。そこからバレないと誰が言えるだろう。
 いくら何でも初日からこけるなんて、総司の沽券に関わる。ここは何としても乗り切りたかった。
 となれば、断った方がいいに決まっているのだ。


(……だけど)


 一方で、自分が断れば、他の女が彼の傍に侍るのだということにも、気がついた。それに、もやもやとした黒いものが胸の奥に広がる。
 自分は彼の恋人でも妻でもないのに、こんな事を思うなんていけないのだが、それでも、やっぱり嫌なのだ。他の女の人と仲良くしてほしくないのだ。それが花街での遊びであっても。
 彼を誰にも渡したくない!


 総司は、きっと顔をあげた。
「わかりました。行きます」
「本当? ごめんね、総ちゃん」
 ほっとしたように、菖蒲が言った。それに、こくりと頷く。
「私も武士です。武士に二言はないのです」
「……総ちゃん、その格好で言うと、ものすっごい違和感」
 心配そうな菖蒲をよそに、総司はもう一度鏡の中を覗き込んだ。念のため、にっこりと微笑んでみせる。
 彼に飽きられないように、少しでも綺麗な自分を見せたいと思ったのだ。身代わりであっても、彼に逢えるのならこんな嬉しい事はないのだから。
 そして、緊張したまま店へ出たのだが、実際、会ってみると、土方はまるで総司の正体に気づいていないようだった。
 それはそれでちょっと複雑だが、この化粧と装では仕方がないかもしれない。
 どこの誰が、弟のように可愛がってきた若者が花魁になっていると思うだろう。


「土方さん、また来るって、言ってた……」
 総司は、ぽつりと呟いた。
 おそらく新入り隊士募集のために江戸へ戻ってきているのだろう。
 初めは、京にいるはずの彼が何でここに!? と驚いたが、十分ありえることなのだ。
「もう一度ぐらい……逢ってもいいかなぁ」


 思わず願ってしまった。
 逢いたい、と。


 大好きな――片思いの相手なのだ。
 ずっとずっと憧れ、恋してきた男。思い切るつもりで江戸へ戻ってきたのに、全然忘れられない日々を送っていて。
 そんな総司の前に突然現れた彼。
 今度こそ、心の奥まで射抜かれてしまった。


「それに……ばれたらばれた時かも」
 本当の兄のように可愛がってくれた土方のことだ。驚きはしても、怒りまではしないだろう。めちゃめちゃ叱られそうな気はしたが。
 総司は化粧を落としながら、はふと吐息をついたのだった。












「簪……綺麗ですね」
 ちょっと複雑な表情になりつつ、雪花は簪を受け取った。
 それに、土方は眉を顰めてしまう。
「気にいらなかったか?」
「いいえ、とても綺麗で気にいりました。ありがとうございます」
 おしとやかな笑みをうかべ、雪花は礼を言ってくれた。
 が、どこかあまり気乗りではない。というか、先日の根付の時のように、素直に喜びをあらわしてくれない事に、ちょっと気落ちする。
 翌日の夜、また訪れた土方を、雪花は初めから部屋へ通してくれた。そのまま酒肴が運ばれる。
 気をつかってくれたのか、二人きりだ。
「昨日の根付の方が良かったようだな」
「あちらも綺麗でしたけど、この簪も綺麗です」
「なら、今すぐつけてくれないか」
 そう言うと、雪花は自分の髷から一本の簪を抜いた。そして、自分でさそうとして、ふと気づいたように男を見上げる。
 潤みがちの綺麗な瞳に見つめられ、土方はどきりとした。紅をさした唇が囁く。
「……あなた様が付けて下さいますか」
「あぁ」
 喉に絡んだような声になった気がした。
 だが、土方はしいて平気なふりをすると、膝をたて、雪花に近寄った。銀色の簪をすっとさしてやる。
 それに、雪花は「ありがとうございます」と、甘く澄んだ声で応えた。先日も思ったが、やはり、声がとても似ている。
 愛する総司に。
「……似ている、な」
 思わず言ってしまった土方に、雪花が「えっ」と声をあげた。驚いてみれば、どこか怯えたような顔で彼を見ている。
 それを訝しく思いながら、言葉をつづけた。
「おまえの声だよ。俺の知った者に似ているんだ」
「そ、そうです……か」
「いや、気のせいかもしれないが」
「その方は、あなた様とはどのような……?」
 可愛らしく小首をかしげるようにして訊ねてくる雪花に、土方は少し躊躇ったが、答えた。
「俺の弟同然の者だ。明るくて元気いっぱいで、ちょっと我儘なところもあって」
「……」
「けっこう気が強くてな、まだまだ手を焼かされる」
「……」
 黙りこくってしまった雪花に、土方は、つまらぬ話題だったかと思った。さり気なく話を変える。
「ここに来て、雪花は長いのか」
「はい」
 雪花はこくりと頷いた。
「禿だちですから」
「それにしては、廓言葉があまり慣れていないな」
「そ、そうですか。申し訳ありません」
「謝れと言っているのではない。かえって新鮮でいい」
「ありがとうございます」
 礼を言ってから、雪花はつぶらな瞳で彼を見上げた。
「あなた様は、ずっと江戸にお住いですか?」
「いや、違う」
「新撰組の方だと伺いました。京でお働きとか……」
「そうだ。ただ、今回は新入隊士募集のため、江戸へ下向した。それが片付いたらまた帰京する予定だ」
「いつ頃……?」
「そうだな、あと十日ほどか」
 土方は答えてから、ふと気づいたように雪花を見た。
「十日程しかいねぇからな。悪い、おまえの馴染みにはなれん」
「……」
「もっとも、おまえはもうすぐ身請けされるのだろう。どこかの旗本と聞いたが」
「えぇ、まぁ……」


 確かにそうだが、実際、身請けは無理だった。
 というか、早く本物の雪花が見つかることを祈るしかない。


 そんな事をぼんやり考えていると、不意に、土方が杯を投げ出した。そのまま雪花の手首を掴んでくる。
 はっとして見上げると、男の膝もとに引き寄せられていた。がくりと身体が傾いで、男の腕の中に倒れ込むような形になる。
「あ」
 思わず声をあげた。慌てて逃れようとするが、どこをどう抑えられているのか、身動きできない。


(ど、どうしよう……!)


 内心わたわた慌てながら、雪花――もとい、総司は彼を見上げた。余程怯えた表情になっていたのだろう。
 土方は目を見開いてから、ふっと苦笑した。
 片手をそのなめらかな頬にすべらせてくる。
「とって食ったりしねぇよ」
「……」
「しかし、本当に変わった花魁だな。こんな初な生娘のような顔をするとは」
「あ、あの……」
「それとも、これも手管の一つか。なら、上手くあたっているな」
 低い声で呟き、土方は総司の細い顎を掴んだ。そのまま仰向かせ、顔を近づけてくる。


(きゃー、土方さんに接吻されるーッ!)


 思わず、ぎゅっと目を閉じてしまった。
 だが、次に、額にふれた感触に、息を呑む。柔らかな唇の感触が、額に、瞼に、頬に、首筋にふれたのだ。
 それは甘く優しい愛撫のようで、総司を夢心地にさせてしまう。
 土方はそのまま総司の華奢な身体を膝上に抱き上げると、そっと抱きすくめてくれた。男の逞しい腕に抱かれ、ぼうっとなる。
 彼のぬくもりに、ほとんど夢心地だ。


 弟として可愛がられてはきたが、抱きしめられた事など一度もない。
 接吻など論外で、あくまで兄弟らしいつきあいだったのだ。
 だが、土方は今、花魁である総司に対して、男女間の行為を重ねようとしてきている。
 この先にあるのは、床入りだろう。
 それだけは絶対にやばい、阻止しなきゃと思うが、今の総司には何をどうやって回避すればいいのか、皆目見当もつかなかった。


「あ、あの」
 総司はおずおずと言った。
 それに、優しく総司の細い身体を抱いたまま、その髪にふれたり、首筋や耳朶に口づけたりしていた土方が「ん?」と促す。
「あなた様は、床入りを……望んでおられますか」
 総司の言葉に、土方は軽く目を見開いた。それから、弾けたように笑い出す。
 呆気にとられていると、笑いながらも理由を話してくれた。
「おまえ、ほんっと花魁らしくねぇな」
「え」
「そんなこと、客に聞くか。ここは何処だよ」
 男の言葉に戸惑いつつ、答えた。
「よ、吉原ですけど」
「なら、聞くまでもない事だろう。吉原は色を買う処じゃねぇか。……まぁ、俺は」
 土方は軽く肩をすくめた。
「今は、女を抱く気になれねぇが」
「どうしてですか」
「ちょっと事情があるんだよ」
 微かに笑った。
「どのみち、俺はここへおまえに逢うために聞いている。ただ、逢うだけでいいんだ。床入りまでしたいとは、あまり思わねぇ」
「もしかして……」
 総司は躊躇いがちに訊ねた。
「奥様がいらっしゃるとか……大事な方がおられるから、なのですか」
「……」
 それに、土方は一瞬、鋭い目を向けた。黒い瞳に暗い翳りがよぎる。
 だが、すぐさま表情をやわらげると、朗らかに笑った。
「おまえもなかなか鋭いな。あたらずとも遠からずってやつだよ」


(……そうなんだ)


 総司が京を去った後、土方は所帯をもったのかもしれなかった。
 実際、縁談があると聞いたからこそ、彼への想いを諦める決心をしたのだ。それでも、結局は諦めきれないで、今もずっと思い続けているのだが。
 そんなすんなり思いきれるなら、誰も苦労はしないのだ。
 一縷の望みもないとわかっていても、好きで好きで仕方がなくて、恋しくて愛しくて。


(土方さん……好きです、大好き)


 心の中でそっと囁きながら、総司は男の胸もとに凭れかかった。細い指さきが縋るように彼の着物を掴む。
 何も知らない土方が、優しく静かに抱きしめてくれた……。