「何とかやれているみたいね」
菖蒲はやれやれと言わんばかりの表情で、言った。
それに、総司は、ぷうっと頬をふくらませる。
「冗談じゃありませんよ。こんなの、大変すぎます」
「そう?」
翌日のことだった。
土方が帰った後、総司が化粧を落として、ぐったり疲れた気分で寝転がっていると、菖蒲がやってきたのだ。
部屋は、今のところ雪花の部屋を使っている。もっとも、これ程豪奢な部屋だと、総司は逆に落ち着かなかったのだが。
大名の姫君もかくやという美しく豪奢な部屋だ。
「土方様よね、ご贔屓にして下さって結構なことだけど」
ちょっと言葉を濁してから、菖蒲は総司を見つめた。
「大丈夫? あまり何度も会うと……」
「あの人なら大丈夫です」
総司は、ぱたぱたと手をふった。
「床入りする気分じゃないんですって。なんか他に大切にしたい、好きな人がいるとかで。たぶん、奥様じゃないかなぁ」
「なら、どうして吉原に来るのよ」
「私に逢うためと言っていました。たぶん、暇つぶしじゃないですか。京で奥様が待っておられるとかで、そこまで遊ぶわけにはいかないからとか何とか」
「変わったお客さまねぇ。でも、まぁ、こっちにしたら上客よ」
にっこりと菖蒲は笑った。
「金払いもいいし、雪花を独占してくれるから、他の客を追い払えるし」
「そうですね。でも、あと十日で帰っちゃうみたいですよ」
「十日……それまでには雪花を見つけなくちゃね」
「でないと、私が困ります。身請けだけは私が代わりって訳にいかないんですから」
「そうよねー」
菖蒲は頷き、よっこらしょっと立ち上がった。こういう店の女将は多忙なのだ。油を売っている訳にはいかない。
ばたばたと出ていく菖蒲を見送ってから、総司はまた畳の上に寝っ転がった。美しい飾り模様がある天井を見上げる。
ふと、この部屋でつい先日まで暮らしていた雪花のことを、思い出した。
(雪花さん、何で逃げたんだろう……)
それが一番の謎だった。
もともと雪花の身請け話は、望み望まれてのものだった。
旗本の男はここ吉原で雪花に惚れ込み、必死になって金をかき集め、身請けすることにした。確か、二年ぐらいかかったと聞いた覚えがある。しかも、雪花はもともと、その旗本に恋していて、身請け話も大喜びだったのだ。
なのに、なぜ、逃げたのか。誰もが首をひねっていた。
ただ、総司は、雪花が逃げる数日前に、彼女と逢っていた。というか、見かけていたのだ。
窓際に腰かけ、ぼんやりと淋しげな表情で外を眺めている彼女の姿を。
あれはどういう意味だったのか。雪花は、あの旗本に恋していたのではなかったのか。
(わからないや)
自分の恋さえしっかり実感できていないのに、人の恋などわかるはずもない。
総司は、はぁっとため息をついた。
長い長い片思いだった。
それこそ、幼い頃に初めて逢った頃から、恋してきたのだ。一目惚れだったと言ってもよい。
黒髪に黒い瞳の、笑うと悪戯っぽい少年のようになる男に、夢中だった。会えた日はめちゃめちゃ嬉しかったし、しばらく会えないと悲しくて切なかった。
だから、彼が京へのぼると言い出した時、一二もなくついて行った。土方と一緒にいられないなど、絶対に我慢できなかったのだ。
もちろん、わかっている。
土方が総司のことを弟としてしか、思っていないことは。
実際、言われたこともあるのだ……。
「そろそろ、おまえにも可愛い嫁さんを見つけてやらねぇとな」
土方がそう言った時、ぎくりとした。
いつか来るだろうなぁと思っていた話題だった。だが、一方で、もしも、土方が少しでも恋に似た気持ちを抱いてくれるなら、絶対に出てこない話題だ。
それが出たということは――
慌てて笑ってみせた。
「まだ、早いですよー」
「そうか?」
「私より、土方…さんじゃないんですか。順番でいくと」
話を誤魔化すつもりで、総司は言った。いつものように、「俺はその気がねぇよ」と笑いながら返されると思い込んでいたのだ。
だが、しかし。
土方は総司の言葉を聞くと、黙ったまま微かに笑ってみせた。
その男の意味深な笑みに、思わず固まった。
何? その笑い。
やばくない?
引きつった笑顔で固まっている総司に気づかぬまま(この人は明敏なくせに、肝心の処で鈍感なのだ)、土方は言った。
「そうだな、俺もそろそろ嫁さん貰わねぇとな」
「……っ」
息がつまった。
思わず叫んじゃいそうになる。
お嫁さんなら、私を貰って!
何でも言うこときくから、土方さんが望むことなら何でもするから、私を貰って下さいー!
後々から考えれば、超危険な男に対する警戒心ゼロで、総司は思った。
だが、その時はもう必死だったのだ。自分の気持ちを押し隠すのと、あふれ出そうな彼への想いでいっぱいいっぱいだった。
「そう……ですよね」
総司は目を伏せた。
「私より、土方さん、ですもの」
「……」
「頑張って、お嫁さん探しして下さいね」
何を言っているの、私と思ったが、他に言葉が思いつかなかった。そのまま、ぺこりと頭を下げて立ち去った。
その時からだ、何となく彼らの間がぎくしゃくし始めたのは。
挙句、本当に土方の縁談話が聞こえてきたあたりで、総司は決意した。この、実りがないというか、まったく見込みのない恋に終止符を打とうと思ったのだ。
総司はやはり娘ではないので、このあたり潔かった。
いつまでも、ぐずぐず引っ張りたくなかったのだ。というか、きっぱり恋を思い切って、前のように兄弟としてにっこり笑えるようになりたかった。
その方が精神衛生上、ずっと良いと判断したのだ。
療養のためということにして、新撰組を離れることにした。江戸でしばらく療養して、彼への思いも断ち切ろうと思ったのだ。
だが、しかし。
(江戸を選んだのが、間違いだったのかなぁ)
まさか、こんな事になるとは思いもしなかったのだ。
総司も完全に彼の傍から離れるつもりはなかった。いずれ気持ちの整理がついたら京へ戻るつもりでいたのだ。
なのに、雪花花魁として彼にふれられたとたん、整理がつくどころか想いがより大きくなってしまった。やっぱり好きで好きでたまらないー! と、再確認してしまったのだ。
総司は畳の上で寝転がりながら、ため息をついた。
一方、土方である。
当然のことながら仕事に忙殺されていた。もっとも、京にいる時よりは随分と楽だ。そのため、日野へ行ってきてもいいのだが、またぞろ嫁取り話をされるかと思えば行く気が失せた。
だいたい、自分にその気はまったくないのだ。
嫁は欲しいことは欲しいが、生憎、姉たちが思っているような存在とは一線を画している。というか、文字自体が間違っている。
「……」
土方は昼飯の時に、吉原から来た文を受け取った。雪花からのものであり、通り一遍の誘いが記されてあった。美しく流暢な文字だが、雪花自身が書いたかどうか、怪しいものだ。
「妙だよな」
低く呟いた。
別に、文のことではない。
むしろ、雪花花魁自身のことだった。
彼女はいったい何者なのか。みかけは、艶やかで美しく可憐そのものだ。禿や新造たちを引き連れて現れた時は、あまりの華やかさに、さすが花魁だなと思ったが、その後の言動に首をかしげることが多すぎる。
言葉づかいや、もの慣れない様子、男に対する怯え、拒絶する仕草、初な表情。すべてが、花魁とは思えぬものばかりだった。
どこか惹かれてしまうものを感じて通っているが、むろん、土方もわかっている。
あれは他人の花なのだ。
今更、手を出すことはやめた方がいい。
だからこそ、土方は、雪花と床入りしようとは思わなかった。むろん、愛しい総司が行方不明になっていることを思うと到底その気になれないという事もあるが、それ以上に、他人のものだと思うと気分が乗らない。
ただ、雪花は愛らしく美しく、何よりも、総司に姿形も声も似ている気がするため、そこに惹かれて通っていると言ってもよかった。
「まぁ、妙なのはお互いさまか」
吉原に来て床入りを望まぬ客と、もの慣れない様子の花魁。どちらも、妙な存在だろう。
土方にとっては、すべてどうでもいい事だった。
「……」
土方は立ち上がると、着物をかえた。黒い紬を着流し、角帯を締める。出ていこうとするところへ、斎藤が顔を出した。
「お出かけですか」
「あぁ」
「もしかして、吉原へ?」
それに、土方は眉を顰めた。思わず言ってしまう。
「悪いかよ」
「別に悪いと言いませんけど」
歯切れの悪い言い方にむかっとしつつ、土方は背を向けた。とたん、声が飛んだ。
「そう言えば、昨日、総司を見かけましたよ」
「!?」
思わず勢い良く振り返ってしまった。というか、気がついた時には斎藤の胸ぐらをグイグイ掴み、締め上げている。
「おまえ、それ本当かッ!」
「本当ですよ。って……苦しいですーっ、土方さん」
「どこでだ! どこで見たんだっ」
「浅草の方ですよ。声をかけようとしたら、すぐ見失ってしまいましたが」
「……っ」
土方は突き飛ばすようにして斎藤を離すと、凄い勢いで踵を返した。結構わかりやすい人だよなーと、にやにや顔で見送られていることなど気にもとめず、部屋を走り出ていく。
浅草へ一路向かいながら、土方はあれこれ考えた。
どうして浅草などにいたのか、それはともかくとして、総司が生きていたことは素直に嬉しい。
めちゃめちゃ心配したし、万一、死んでいたらどうしようと夜も眠れなかった程なのだ。
昔から、土方にとって、総司は掌中の珠だった。
気が強いし元気いっぱいで、わがままなところもあるが、こっちの胸が痛くなるぐらい素直で純粋だ。きれいに澄んだ大きな瞳で見つめられると、柄にもなく胸がときめいた。
とにかく、可愛いのだ。姿形もだが、やることなすこと可愛くて仕方がない。
毎日、ぎゅうーっと抱きしめ、撫でまわしたいぐらいだった。
むろん、抱きしめたことなどない。髪や頬にふれるぐらいはあったが、手を繋いだこともなかったのだ。
いくら兄弟同然の仲と言っても、土方が総司と逢ったのは、総司が(その頃は宗次郎と名乗っていたが)十二の頃だった。手をつなぐ年ではない。
ただ、兄弟同然という関係を築いたおかげで、総司は土方にとても懐いてくれた。京へのぼる時も二つ返事でついてきてくれたぐらいだ。
京にのぼって新撰組を結成した後も、総司はいつも土方の傍にいてくれた。仕事でイライラしたりしても、総司の可愛い笑顔と甘く澄んだ声に、どれだけ癒やされたことか。
だから、総司との間で、縁談という話が出た時、つい総司を自分の妻にできたらという発想で見てしまった。
女にかけては百戦錬磨だし、仕事ではいつも冷静沈着に無表情で処理できる男だ。
だが、本気の恋となると違うのか、しっかり表情に出てしまったらしい。
それに対し、可愛いウサギは敏感だ。
男のよこしまな考えを察したのか、あの日以降、総司はすっかり余所余所しくなってしまった。
(俺、しくじっちまったのかなぁ)
深く後悔したが、時既に遅し。
総司はどんどん遠くなっていき、挙句、江戸へ帰ると言い出してしまった。
もちろん、それを聞いた時は猛反対した。「療養なら京でも出来るだろう!」 と、怒鳴ってしまったぐらいだ。
だが、いつも素直な総司が頑強に首をふり、「江戸へ帰る」の一点張りで、土方は手を焼いた。
挙句、二人が揉めている事は隊内でも評判になり、彼の日頃の行いが悪いためか、「土方副長が沖田先生を苛んでおられる」という、とんでもない噂が駆け巡ってしまった。
当然、それを聞きつけた一番隊隊士たちが抗議に副長室へ押しかけてくるは、近藤に渋い顔をされるは、斎藤に非難されるはで、土方もほとほと疲れ果ててしまったのだ。
そんなこんなの騒ぎが続いた結果、土方は総司の江戸での療養をしぶしぶ許可した。
ただし、身体の調子がよくなったら戻ってくるように、厳命した上で。
それに対しては、総司も素直に頷いてくれたので、安堵していたのだが。
「……で、行方知れずだものな」
土方は深々とため息をついた。
今、彼は浅草の雑踏の中に佇んでいる。腕組みをして道の真中に立っているため、周囲の人々は避けて通っていくが(不気味なのか、怖いのか)、そんな事知ったこっちゃない。
ぐるりと周囲を見回してみた。だが、そんなすぐに総司が見つかるはずもない。
土方は聞き込みを始めることにした。あちこちの店に入り、総司の容姿を言って訊ねてみる。
あまり当てにはしていなかったが、意外なことに、総司を見たことがある者がいた。
「本当か?」
土方は、思わず念押ししてしまった。
信じられなかったのだ。
だが、菓子屋の小女はしっかりと頷いた。
「はい。お小姓みたいな可愛らしい若侍さんでしたら、何度か見ました」
「色白で目が大きくて、髪はかなり長めなんだが。年の頃は、二十歳ぐらいだ」
「そのとおりです。この前の通りを歩いていかれるのを、見ました」
「一人でか」
「そうです」
土方は小女に銭を渡して、また見かけたら試衛館まで知らせてくれるよう頼んだ。その上で、ふと気づいて菓子を幾つか買い求める。
むろん、自分が食べるのではない、雪花への土産だった。
(こんなもの、花魁に渡したら笑われそうだが……)
花の形をした可愛らしい菓子を眺めながら、土方は苦笑した。
だが、あの雪花花魁なら喜んで受け取ってくれそうな気がしたのだ。春の花が綻ぶような笑みをうかべ、あの綺麗な瞳をきらきらさせて、受け取ってくれるに違いない。
土方は、自分でも理解できぬ高揚感を覚えながら、吉原へと向かっていった。