こちらを見上げた総司を、呆然と見つめてしまう。
 美しい絹糸のような黒髪に、深く澄んだ大きな瞳、ふっくらとした桜色の唇、白い肌。華奢な身体に清楚な着物を纏っている。
 その姿を土方はしばらく無言のまま見下ろしていたが、やがて、呻くように問いかけた。
「おまえは……誰だ」
「……」
「名を言え。おまえはいったい誰なんだ」
 いきなり呼び止めたにしては、おかしな問いかけだっただろう。だが、相手は全く動じていなかった。
 静かに澄んだ声で問いかけてくる。
「……あなた様こそ、どなた様ですか」
「……」
「お武家さまとはいえ、このような無礼、如何なものでしょう」
 彼を鋭く責めるように、真っ直ぐ見つめられた。
 それに土方は困惑しながら、手を離した。が、相手が逃げぬよう見据えながら言った。
「失礼した。俺は土方だ、土方歳三という」
「土方様」
「総司という若者と、貴殿があまりに似ていたゆえ、つい追いかけてしまった。すまない」
「……土方様、お願いがございます」
 若者は静かな声で言った。
「色々仔細がおありのようですし、私もあなた様にお話したき事がありますので、あちらの料理屋にご一緒頂いてもよろしゅうございますか」
「あぁ」
 丁寧な口調でしなやかに彼を誘ってくる相手に、土方は少し戸惑った。あまりにも総司とは違いすぎるのだ。それはむろん、その瞳を見た瞬間にわかっていたことなのだが。
 料理屋で小さな部屋に通されると、若者は丁寧に一礼した。
「まず申し上げさせて頂きますが、私は……雪と申します」
「雪……?」
 一瞬、雪花花魁の姿が脳裏に浮かんだ。が、関係ないことだと、首をふり、すぐに気がついた。
「まさか、貴女は……おなごか」
「はい」
 雪はこくりと頷いた。
「仔細があって男のなりをしております」
「仔細とは」
「その前にお聞きしとうございます」
 雪は澄んだ瞳で、土方を見つめた。
「土方様は、総司様とどのような関係にございますか」
「幼き頃より兄弟のように育った仲だ。総司は俺の弟同然だが……もしかして、総司と見知った仲なのか」
「はい」
 こくりと頷いた雪に、土方は思わず問いただした。
「いつ頃の話だ。ここ最近か」
「最近でございます。私がおりました楼におられました」
「楼とは……まさか」
「吉原にございます。私があなた様の事をお聞きしましたのは、追手かどうか確かめたかったからでございます」
 そう言ってから、雪はまっすぐ土方を見つめた。
「私は、足抜けをした女にございます。吉原にいました頃は、雪花と名乗っておりました」
「……」
 唖然とした。
 目を見開き、まじまじと雪を見てしまう。それに、雪は少し困ったように笑った。
「こんな事を申しても、まさかと思われる事でございましょう。しかし、真にございます。私は、総司様の姿になりすまし、吉原を抜けたのです」
「総司は、吉原で何をしていたのだ」
「用心棒などをされておいででした。女将の菖蒲さんに大層気にいられ、また、妓の間でも人気がありましたゆえ」
「人気って、あいつ、まさか客として通っていたのか」
「いえ、詳しい事は存じ上げませんが、諍いごとに巻き込まれたゆえとか」
「よくわからねぇが……とにかく、総司は今も吉原にいるってことなんだな。いや、ちょっと待てよ」
 土方は、今頃になって気がついた。さすがに明敏な彼でも、思ってもみない事が次から次へと展開する事態に、混乱していたのだろう。
「ここにいるのが雪花花魁だとすれば、今、吉原にいる雪花花魁は誰なんだ」
「え……?」
 不思議そうに、雪は小首をかしげた。
「今、吉原にいる?」
「そうだ。今、吉原に雪花花魁はいるんだ。ちゃんと店に出ているし、俺も何度も通った。あれはいったい……」
 言葉が途切れた。
 噛み合った事実に、呆然と目を見開いた。


(総司……!)


 あれは、まぎれもなく総司なのだ。
 ここにいる雪が雪花花魁の本物であるのなら、素顔そっくりの総司が雪花花魁になりすましているに違いない。おそらく、女将にでも頼まれたのだろう。
 だが、それはとんでもない話だった。下手すれば、彼の可愛い大切な総司が、男の毒牙にかかるかもしれないのだ。


(冗談じゃねぇよっ、そんなもの絶対許せるか!)


 走馬灯のように、土方の頭の中を、総司が変態そうな男に無体なことをされている様が、ぐるぐるーっと駆け巡った。とたん、かぁぁーっと頭に血がのぼってしまう。
 焦りまくり立ち上がろうとした土方を、雪は見上げた。しっかりと袂を掴まれている。
「まだお話が」
「悪いが、後にしてくれねぇか」
「あなた様は、総司様を取り戻したい、そう思っておられるのでございましょう?」
 雪は、潤んだような瞳で彼を見つめた。艶然と笑いかける。
「ならば、私のお話を聞かれた方がよろしいかと」
 さすが、売れっ子花魁と言われた雪花だ。男をとろかすような微笑みだった。甘く澄んだ声がなめらかで、心地よい。
 土方はそれにほだされた訳ではないが、総司そっくりの顔である雪を邪険にする事はできなかった。しぶしぶ坐り直す。
「話とは」
「土方様は、総司様を取り戻したいのでございましょう?」
「あぁ」
「ならば、私を、あるお旗本のお屋敷へ連れていって下さいませんか」
「どういう意味だ」
「私は、そのお旗本に身請けされる事になっております。ただ……それ程、そのお旗本も豊かではないはず。私を身請けされる為にご無理されたと聞いております」
「そこまで、気にすることでもないだろう」
 土方の前で、雪は悲しげに目を伏せた。なめらかな頬に、煙るような長い睫毛が翳りをおとす。
「私は、そのお旗本とは……幼き頃、許嫁の仲でございました。ゆえあって吉原で再会し恋仲になりましたが、あの方に身請けまでして頂こうと思っておりませんでした。しかし、あの方は私を身請けして下さると言われ、それで……」
「なら、吉原で問いただせばいいではないか。何も足抜けまで」
「何度も申し上げました。文でも。でも、最近では吉原にも来られなくなってしまって」
「なるほど」
「いっそお断りしようかと思いましたが、ならば、私と心中するとまで言われたのです」
「女冥利につきるな」
 土方は思わず笑った。
「そこまで惚れられているんだ。おとなしく身請けされてやれよ」
「……」
 黙り込んでしまった雪に、くすっと笑う。
「顔だけでなく、気性も似ているんだな。気が強くて、頑固な処とか。相手のその旗本も大変だ」
「申し訳ありません」
「俺に謝っても仕方ないが、わかった。とりあえず、頼みは引き受けよう。その旗本と話をつける事ができたら、俺の手に総司を取り戻す事が出来るのだろう。本物の雪花花魁が戻るのだからな」
 土方は両刀を取り上げ、立ち上がった。
 そして、雪を連れて料理屋を出ると、善は急げとばかりに、その某旗本の屋敷へ向かっていったのだった。















 総司は居心地が悪そうに、俯いた。
 先程から、奇妙な沈黙が続いている。
 いつものように、土方は夕方、吉原にやってきて雪花花魁を指名してくれた。で、これまたいつものように部屋に迎え入れ、二人きりになったのだが、土方が一言も口をきいてくれないのだ。
 文字通り、黙々と酒を飲み続けている。


(どうしたんだろう、機嫌が悪いのかなぁ)


 ちらりと土方を見やった。
 だが、機嫌が悪そうには見えない。というか、むしろ、思いっきり機嫌がよさそうだ。
 どこか悪戯っぽい笑みをうかべつつ、杯を口元にはこんでいる。
 そんな彼の様子に、総司の方が、とうとう我慢しきれなくなった。きっと顔をあげる。
「あの!」
 大声が出た。それに、土方が切れの長い目を向ける。
 無言で促され、言葉をつづけた。
「あのっ、何か私が粗相をしたのでしょうか。あなた様のご機嫌を損ねるようなことを」
 と言いつつも、何もないよねーと、内心は思っていた。
 今朝方、土方が機嫌よく帰っていったはずだし、今日訪れてきてからは、ほとんど話さえしていない。粗相などしようがないのだ。
 なのに、話しかけても生返事か、今のように言葉さえ返されぬことに、総司は腹をたてていた。いくら片思いの男であっても、腹がたつ時はたつのだ。
 ところが。
「した」
 あっさりと土方は答えた。呆気にとられる総司の前で杯を投げ捨て、こちらへ向き直ってくる。
 はっと気づいた時には、両手を握られていた。だが、これは愛情表現ではない。自分が逃げられないように捕まえるためだと、本能的に直感した。
 総司は嫌な予感を覚え、彼を見上げた。それに、にっこりと優しい笑みが返される。
「なぁ、雪花」
「は、はい」
「おまえ、全然覚えがねぇのか。俺に悪い事をしたなぁって覚え、ないのかよ」
「悪い事……」
「今ならまだ許してやるぜ?」
 土方は笑いながら、総司の顔を覗き込んできた。が、その目は全く笑っていない。総司はその事に気づいた途端、震え上がってしまった。


(ま、まさか、まさかまさか……っ)


 そんな事あるはずないー! と思っても、頭の中を嫌な予感だけが駆け巡る。
 だが、それでも自分から白旗をあげる訳にはいかなかった。もしもこれが思い違いであるのなら、とんでもない事になるのだ。菖蒲にも迷惑がかかってしまう。
 総司はかなり迷ったが、おずおずと首をふってみせた。そのまま、大きな瞳で彼を見上げる。
「覚え……ありません」
「……」
「あの、土方様……?」
 そっと呼びかけると、土方は、ちっと短く舌打ちした。それから、総司の手を掴んだまま、もう一度顔を覗き込んだ。
「様づけなんか、やめろよ」
「え」
「おまえに様づけされるなんて、おかしいだろ。なぁ……総司」
「……」
 さり気なく呼びかけられた名に、どきりと心の臓が跳ね上がった。息を呑んで、彼を見上げる。
 視線があうと、土方は意地悪そうに唇の片端をあげてみせた。こんな時でも見惚れてしまうぐらい、男っぽくて精悍で魅力的な表情だ。
 総司は頬を赤らめ、俯いてしまった。それに、上から声が降ってくる。
「何だ、否定しねぇのか。自分は雪花ですって言わないのかよ」
「……だって」
 口ごもった。
「今更、否定したって仕方ないでしょ。全部ばれちゃったんだもん」
「……」
「それに、あの……土方さん、怒っている?」
「怒っている? あぁ、怒っているさ。これが怒っていないように見えるのかよ、おまえは」
「見て、ないから」
「はぁ?」
「私、今、下向いているし」
「そういう事言っているんじゃねぇよ。っていうか、おまえ、顔あげろって」
「だって……っ」
 恥ずかしくて仕方がないのだ。今まで、この彼とさんざんした抱擁や口づけのことを思うと、かぁっと耳朶まで熱くなってしまう。
 土方が低い声で言った。
「今すぐ顔をあげねぇと、押し倒しちまうぞ」
「っ!」
 思わず、がばっと顔をあげてしまった。それに、土方が苦笑する。
「それはそれで傷つくな。おまえ、そんなに俺に抱かれたくねぇのか」
「だ、だだ抱かれって……っ」
「床入りだよ。俺はおまえが抱きたいなぁと思っているよ。今までもずっとそう思ってきたし、今も強く思っている」
「あの……」
 総司は、今、目の前でとんでもない事を当たり前のように話している土方を、見つめた。
「何で? どうして? 私がこんな花魁の真似事をしている、から?」
「まぁそれもあるな。お仕置きってのもかねているか」
「……っ」
「そんな顔するなって、そそられるだろ。いや、とにかく、俺はおまえが可愛いから抱きたいんだよ。男がさ、惚れた奴を身も心も己のものにしちまいたいってのは、当たり前の事だろ?」
「え……?」
 総司は目を見開いた。
 今、何だか、とんでもない事を聞かされた気がしたのだ。
「惚れた奴って……私のこと、ですか?」
「他に誰がいるんだよ」
 土方は、はぁっとため息をついた。手を引っ張って己の胸もとに引き寄せると、そのままぎゅっと抱きしめてくる。
「俺はおまえが好きだ、愛してる。惚れている。ずっと昔から、好きでたまらなかったんだよ」
「う…そ……っ」
「嘘なんかじゃねぇ。おまえが俺の嫁取りの方が先だって言った時、俺が頭に思い浮かべていたのは、おまえだけだ。おまえが俺の伴侶になってくれたらいいなと……」
「なります!」
 総司は思わず叫んでしまった。
「あなたの伴侶になります! して下さい! あの時も、私、土方さんが望むこと何でもするから、あなたのお嫁さんにして欲しいって思ったのっ。だから……っ」
「……総司、おまえ」
 一瞬、土方は目を見開いた。それから、肩を揺らして笑い始める。
 きょとんとしている総司を抱きしめ、くっくっと喉を鳴らした。
「おまえ、すっげぇ殺し文句。俺のこと、これ以上惚れさせてどうするんだよ」
「わ、私……なんかおかしな事を言いました?」
「なんかもう、可愛くてたまらねぇな。総司、おまえが誰よりも愛しいよ」
 土方はそう囁きかけると、総司の桜色の唇にそっと口づけた。




















次で完結です。お褥シーンがありますので、苦手な方は避けてやって下さいね。