……信じられなかった。
 否、信じたくなかった。





 総司が刺客である事は、とうの昔にわかっていた。
 だが、それでも尚、この少年を愛してきたのだ。
 他のすべてを失っても、総司さえ傍にあればいいと、心からの愛と慈しみをさし出した。
 しかし、今、それは裏切られた。
 冷ややかな嘲笑とともに。












「ここまでついて参ったのも、小島さまに命じられたが故でございます」
 総司は、冷たく澄んだ瞳で男を見つめた。
 愕然とした表情のまま立ちつくす歳三に、くすっと笑い、言葉をつづける。
「ですが、こうして小島さまが来られたからには、お傍にいる理由も失せました」
「……」
「私はこの場より失礼させて頂きます。歳三さまがこの先、歩まれる道に同行する気は毛頭ありませぬ故」
「……死ぬのなら」
 歳三の唇から、地を這うような低い声がもれた。
「一人で死ねという事か」
「それも、私にはどうでも宜しいこと。この場で討ち死にされるもよし、山を越えられ逃げられるのも良し。お好きになさりませ」
「ならば、すべては偽りだったと申すのか。おまえの言動はすべて」
「今更……」
 総司は桜色の唇を微かにあげ、嗤ってみせた。
 艶やかで美しい、だが、冷たく驕りきった少年の表情。
「偽りかと確かめるまでもない事でございましょう。まさか、私の言葉が真実だったと、思うておられるのですか」
「……」
「本気にされていたとは、歳三さまもお甘い」
 くすっと笑い、総司はしなやかな動作で踵を返した。十四の年の少年にふさわしい身ごなしで、男の許から歩み去ってゆく。
 細い肩さきで髪がふれ、すんなりと華奢な姿は、まるで花のようだった。
 だが、これは鋭い棘をもった花なのだ。



 男を惑わし狂わせる、艶やかな花───



 歳三は、自分の手元から去ってゆく少年を、睨み据えた。
 無意識のうちに奥歯がきつく噛みしめられ、口の中に鉄の味が広がる。
 握りしめた掌に、爪が食いこむのを感じた。





 本気で信じていた。
 生涯、ただ一度の恋と思い定めていた。
 何もかも捨て去り、ここまでついて来てくれた総司が、誰よりも愛しかった。
 この者のためなら、命さえ捨てられると思った。
 他のすべてを失った故ではない。
 幼い頃から共に過ごした年月の中で、その愛情と信頼は築かれていったのだ。ふたりの絆は、誰も立ち入る事など出来ぬほど強いものだった。
 そうであるはずだった。
 だが、そう信じていたのは、己だけだったのか。
 愛らしい少年に欺かれた、愚かな男だという事なのか。



 歳三が見据える中、総司は静かに歩いてゆくと、小島の隣に佇んだ。親しげに何か小声で話し、こちらに冷笑を投げかけてくる。
 その光景に、腹の底が煮えたぎるような怒りを覚えた。
 息苦しいほどの殺意がわきおこった。



 いっそ、先程裏切られた時に、斬り捨ててしまえば良かったのだ。
 だが、一方で、そんな事できるはずもないとわかっていた。
 幼い頃から愛してきたあの美しい生き物を、己が殺められるはずもないのだ。





 きつく唇を噛みしめ、歳三は刀の柄を握りしめた。
 そんな彼を、小島が嘲った。
「ここまでだな、歳三」
「……」
「おまえはもはや何も持たぬ。おまえに味方するものは、この世にいないのだ」
「……伯父上がそう仕向けたのだろう」
 獰猛な獣が唸るような声音だった。
 もはや、殺意も憎しみも怒りも、隠そうとはしていない。
「俺から家族も何もかも奪い去ったのは、伯父上自身ではないか」
「国のためだ」
「はっ、国のため!」
 歳三は嘲笑に唇をゆがめた。
「どんな悪行も、国のためという大義故なら許されるという訳か」
「そうだ」
「あなたはある意味、幸せものだ。己が正義だと信じているが故に。だが、伯父上、わかっているか」
「何をだ」
「俺は……ずっと鬼になると云われてきた。佐藤一族の血をひく故に、恐ろしい鬼となるのだと。だが」
 ぎらぎら燃える黒い瞳で、小島を真っ直ぐ睨みすえた。
「伯父上、あなたこそが鬼だ。この国を滅ぼす鬼だ」
「……」
「佐藤一族が、何故、代々の国主に庇護されていたか。それを、あなたは知らない。あの一族は、この小さな国を見えぬ力で守ってきたのだ。だからこそ、父上が安穏とされていても、他国から攻めいられる事はなかった」
 歳三は激しく糾弾した。
「その国を守ってきた一族を、あなたは滅ぼしたのだ……!」
「嘘偽りを申すな」
 小島は一笑にふした。
「そんな話、聞いた事もない。あのような忌むべき一族など……」
「なら、何故、代々の国主は庇護してきた。これは、国を継ぐべき者にのみ云い伝えられてきたのだ。俺は佐藤家の出故知ったが、父上も兄上も当然、知らされていた。だからこそ、守ってきたのだ。なのに、あなたは父上と兄上を殺し、佐藤一族までも血祭りにあげた。その所業の報いを、これからこの国は受けるのだ。それを、伯父上、その目でしかと見られるがよい」
「ご託は沢山だ」
 小島は強ばった表情ながら、傲然と云いきった。
「そんな夢話、誰が信じるものか。見えぬ力などと。わしは確かな力しか信じぬ。乱世の中、この国を守るためには強くしなければならないのだ。安穏としている場合ではないのだ」
 吐き捨てるような口調で断言すると、小島はゆっくりと一歩さがった。目で合図する。
 とたん、ざっと音をたてて矢を構えた者たちが前面に出てきた。
 その光景に、歳三は口許を引き締めた。
「……」
「まずは、おまえを殺す事だ。でなければ、何も始まらん」
「……」
「死ぬがよい」
 そう小島が云い放った瞬間だった。
 ずっと押し黙っていた総司が、小さく呻いた。
「……な、ぜ?」
 信じられぬものを目にしたかのように、小島の横顔を見た。
「話が……話が違うでは、ありませぬか!」
 思わず手をのばし、小島の腕を掴んだ。ふり返った小島の腕を揺さぶるようにして、叫んだ。
「私があなた様の方にたてば、歳三さまを助けて下さると! この私を主殺しの罪人として処する事ですべてが収まり、歳三さまを見逃すことができると、そう云われたではありませぬか……!」
「歳三は殺さねばならぬのだ」
「ならば、初めから違えるつもりで!?」
 総司は悲鳴のような声をあげた。
 その顔はまっ青であり、先程のような冷淡さなど全くなかった。その瞳が、絶望と悔恨に見開かれる。
 呆然とする少年に構わず、小島は縋りつくその手をふり払った。細い躯が乱暴に突き飛ばされ、地面へと倒れこむ。
 いくら利発と云っても、まだ十四の少年だった。老獪な小島に手もなく騙されてしまったのだろう。
「……っ」
 絶望に見開かれた目が、歳三へ向けられた。
 それを、歳三は黙ったまま見つめ返した。
 もういい、と思った。
 これで何もかもいいのだ──と。


(……総司……)


 俺が鬼になる姿を見るくらいなら、己が死んだ方がいいとまで云ってくれた総司。
 ならば、その望みどおり、ここで甘んじて死を迎えよう。
 総司、おまえは俺を裏切っていなかった。
 誰よりも愛しい、ただ一つの希望は、俺の手の中にあったのだ。
 だから、もう……いい。
 総司、おまえだけは幸せに───



 歳三は微かに笑うと、瞼を閉ざした。刀に手もかけず、ただその場に佇んでいる。
 それは、死を待つ者の表情だった。
 どこまでも静かな、穏やかな男の姿。
 その姿に、総司は息を呑んだ。
 小島の声が鋭く命じた。
「矢を射よ」
「……!」
 弓に矢をあてていた者たちが構えた。弦がぎりぎりと引き絞られ、矢が一斉に放たれる。
 宙を鋭い音が裂いた、その瞬間だった。


「歳三さま……!」


 悲鳴のような声とともに、総司が突然、地を蹴ったのだ。
 両手を広げ、歳三の前へ身を投げ出す。その胸を、一本の矢が鋭く射抜いた。
「!?」
 目を見開く歳三の前で、細い躯が大きく反り返った。髪が宙を舞い、細い指さきが何かを掴もうとする。
 少年の躯は、地へ崩れるように斃れこんだ。まるで、美しい花が手折られたような光景だった。
「……」
 それらを、歳三は呆然と見つめていた。
 いったい何がどうなったのかさえ、理解できなかったのだ。
「……総…司……?」
 掠れた声で呼びかけた。だが、返事はかえらない。
 歳三はのろのろと総司の許へ歩み寄った。
 信じられない事に、がくがくと膝が震えた。耳鳴りがして、煩いぐらいだ。
 倒れ伏した少年の傍へ膝から折れるように跪き、両手をのばした。その手も激しく震える。
 それでもようやく総司の躯にふれると、そっと抱き起した。とたん、ぐったりと細い躯が力なく凭れかかってくる。
 青白い頬に、小さな唇を濡らす血がぞっとするほど鮮やかだった。
「……総司……」
 おそるおそる呼びかけた歳三に、総司はうすく目を開いた。その焦点はもうあっていない。
「総司っ」
 恐ろしい予感に、歳三はその細い躯を必死に抱きすくめた。幼子のように縋りつき、叫んだ。
「しっかりしろ! すぐ手当してやるから、だから……っ」
「……歳三…さ、ま……」
 総司は手をのばし、震える指さきで彼の頬にふれた。
 そして、微かに笑った。
「ずっと…いつまでも……」
「総司!」
「……あなたの…お傍…に……」
 そこまでだった。
 声が途切れた瞬間、その手は力なく地へすべり落ちた。瞼が閉ざされ、長い睫毛が翳りを落とす。
 腕にかかる重みが、男に、残酷な報せを運んだ。
 だが、そんな事、信じられるはずがなかった。信じたくなかった。
「……総司? 総司……?」
 幼子のように何度も呼びかけ、歳三はその頬を掌で撫でさすった。それでも、返事はかえらない。
 二度とかえらなかった。
 愛しい人は、もはや永遠に去ってしまったのだ。彼の手から奪われてしまったのだ。
「総司……っ」
 突然、歳三は荒々しくその細い躯を抱きおこした。
 揺さぶり、叫んだ。
「総司! 目を開けろ、もう一度俺を見ろ……っ!」
 答は返らない。
 その容赦ない事実に、歳三は目を見開いた。



 血族すべてを失い、そして、今、ただ一人愛した恋人さえ奪われたのだ。
 彼にはもう何も残っていなかった。
 すべてを奪い去られた男は、己の腕の中で逝った恋人の躯をきつく抱きしめた。絶望に怒りに、憎悪に、視界が真っ赤に染まる。
 躯中の血が逆流し、息さえ出来なくなった。
 そして。
 次の瞬間、咆哮した。



「ぅ…あああぁぁぁ───ッ!」



 獰猛な獣じみた絶叫だった。
 その凄まじい悲鳴が宙を貫いた瞬間、どんっと鈍い音をたてて世界は爆発した。
 突然、何もかもが紅蓮の炎に包まれたのだ。
 轟音をたてて燃え上がった炎は、あっという間に、草木を人々を呑み込んだ。
 悲鳴をあげて逃げ出した人々を、めらめらと燃える紅蓮の炎はまるで生き物のように追ってゆく。
「ば、化け物……!」
「逃げろッ!」
 悲鳴と怒号が飛び交った。皆、我先に逃げ出してゆく。
 小島は火に包まれたまま、そこに立ちつくしていた。信じられぬという表情で、歳三を凝視している。
 だが、やがて、その身も地へ崩れ落ち、炎が舐めつくした。
 主の屍さえも踏みこえ、人々は逃げた。それでも、炎は激しく盛りあがり燃え、どこまでも追ってくる。
 断末魔の悲鳴が、あちらこちらで響いた。
「……」
 その凄まじい地獄絵図の中、歳三は総司を抱きしめたまま身動き一つしなかった。
 その黒い瞳は絶望に怒りに見開かれ、唇からは、愛しい恋人の名ばかりが紡ぎ出されている。
 彼の怒りは業火となり、すべてを焼きつくした。
 そればかりか、炎から逃げおおせた人々を今度は狂気が襲った。互いを罵り、殺しあい始める。
「……」
 その光景を前に、歳三は総司を抱いたまま、ゆっくりと立ち上がった。愛おしげに総司の頬に額に唇を押しあて、そっと抱きなおす。
 目の前でくり広げられる地獄絵図に一瞥もあたえず、静かに踵を返した。









 もはや、この地に何の用もなかった。
 すべてを失った今、彼の胸にあるのは、無のみなのだ。
 だが、鬼と化したこの身に、行く先などあるのか。
 否、魔物と呼ばれるにふさわしい我が身に、安息の地などあるはずもない。
 あるのは、ただ、修羅の道ばかりだ。
 だが、そうであっても構わなかった。


 ───どんな地獄でも、歳三さまとなら共に参ります。


 総司の澄んだ声が耳奥に蘇った。
 それに、微かに笑った。


 あぁ、そうだ。
 総司……おまえは、俺と共に。
 永遠に、いつまでも。


 ……この世の果てまでも。










 山の奥へわけ入ってゆく歳三の背に、炎の影が揺らめいた。
 だが、もはや、現世の出来事は遠い。
 鬼として魔として生きる事を選ばざるをえなかった男を、ほの昏い闇だけがひそやかに包みこんだ────


















 


epilogへ