で、いつもの警視庁内食堂である。
 本日のA定食である白身魚のフライを囓っていた斉藤は、目の前に坐った男の気配に顔をあげた。
 土方だ。
 相変わらず、濃紺のスーツに白いワイシャツ、品のネクタイというシンプルな出で立ちながら、大人の男の色香をふりまき、今も食堂中の女性の視線を集めまくっている。
「昼から、庁内ですか」
「いや」
 土方は席につくと、「いただきます」と手をあわせてから答えた。
「昨日の夜中から会議で、ずっと庁内にいたんだ。昼飯くったら、いったん帰るよ」
「それはご苦労さまでした。オレはこれから品川署ですけど、あっちに用事ありませんでしたよね」
「いや、ねぇな。気をつけて行ってこいよ」
「了解」
 食事をはじめた土方を眺め、斉藤はしばらくの間、考え込んでいた。だが、A定食をあらかた食べおわってから、ようやく意を決したように話しかける。
「土方さん、唐突ですが、一つお訊ねします」
「何だ」
「総司との同居、土方さんは望んでいるのですか」
「……は?」
 驚いたように、土方は顔をあげた。急に何を云い出すんだという表情になっている。
 それに、斉藤は苦笑した。
「いや、オレは、どうだっていいんですけどね、総司の気持ちを考えると……」
「考えると?」
「可哀想だなぁと思って」
「どこが可哀想なんだ」
「全部ですよ。総司の気持ち、考えた事あるんですか」
「考えてるから、この状況なんだろうが」
 むっとしたように、土方は云い返した。
「俺の方は、今すぐにでも同居したいんだぞ。けど、総司の気持ちの準備が出来てないと思うから、それを待つつもりで」
「待つって、いつ迄です」
「……そんなのわかるものか」
「土方さん」
 うんざりしたように、斉藤はため息をついた。
「それじゃ、まるで、さっさとプロポーズすりゃいいのに、婚約指輪をポケットにいれてぐるぐる回っている男みたいですよ」
「何だ、それ」
「言葉のまんまです。それに、そんな悠長な事しているうちに、他の男にかっ浚われても知りませんからね」
「……」
 斉藤の嫌味に、土方は一瞬目を見開いた。が、やがて、くすっと笑うと、かるく肩をすくめてみせる。
「心配してくれてありがとう」
 とだけ答え、また食事をつづけた。
 全くその手の心配などしていない様子の土方を、斉藤はやれやれと眺めた。
 何しろ、あれだけ色んな事があった末に、一緒になっている二人なのだ。ちょっとやそっとで、動じるはずもないだろう。


(仕方ない、奥の手使うか)


 斉藤は携帯電話でメールを打ち、しばらく待った。すると、着信が入る。
「……」
 画面を眺めた斉藤は、にんまり笑った。
 やっぱり、思ったとおりの反応だ。素直な性格の子は、こちらの予測どおりにほぼ動いてくれるので助かる。
「土方さん」
「何だ」
「ほら、これ、総司からのメールです」
「え?」
 訝しげな表情で、土方は顔をあげた。
 その前に、斉藤は携帯電話の画面を突きつけた。



 今、伊庭先生と「La fleur de la pomme」で食事中です
 前から行きたかった店だから、とっても嬉しいの(^_^)
 この後、ランドに行こうかなって云ってます 夜まで遊ぶつもりだから、楽しみ
 土方さんには絶対内緒にしておいて下さいねm(__)m



「……何だ、これ」
 しばらく呆然とした表情で、画面を凝視していた土方は、低く呻いた。
 それに、携帯電話を壊されては大変とばかりに、さっと仕舞い込んだ斉藤は、あっさり答えた。
「何って、メールですよ。総司からのメール」
「今の……何だ、あれ。ランドって、ディズニーランドの事か。夜までデートって、まさか、おい……一晩中!?」
「いや、それはわかりませんけど」
「だいたい、俺には絶対内緒って! 冗談じゃねぇよっ」
「そりゃ、土方さんには知られたくないでしょう。怒るに決まっていますから……あぁ、でも」
 斉藤はにこやかな笑顔で、土方を見た。
「土方さん、やきもちなんて焼きませんものねぇ。さっきだって、他の男にかっ浚われるかもって云われても、平然としていましたし」
「……」
「海みたいに心の広い土方さんには、総司が伊庭って男とデートしまくっていても、全然平気って訳で……」
 不意に、ガタンッと音をたてて土方は立ち上がった。トレイを掴み、大股に食堂を横切ってゆく。
 それを満足げに見送っていると、トレイを返却してから、何を思ったのか、土方が席へ戻ってきた。胸もとから携帯電話を取り出し、先程の斉藤のように突きつける。
「!?」
 とたん、斉藤の目がまん丸になった。


 それは、あのカフェでの写真だったのだ。
 斉藤が総司に苺をあーんされている様が、ばっちり撮られてある!


 完全に固まってしまった斉藤に、土方は冷ややかな口調で云った。
「……云っておくがな、おまえ相手でも容赦しねぇって事よーく覚えておけよ」
「……」
「とりあえず情報だけは感謝する。これで、手打ちだな」
「ひ、土方さん!」
 慌てて中腰になり、斉藤は叫んだ。思わず指さす。
「その写真、誰からっ」
「永倉だよ」
 にやりと笑ってみせながら、土方は答えた。そんな意地悪な笑みでも魅力的なのだから、いい男はとくだ。
「あいつが面白いもの撮ったからって、俺に転送してきたのさ」
「……」
「じゃあな」
 土方は携帯電話を仕舞い込むと、後はもうふり返りもせず足早に食堂から出ていってしまった。
 まさに、台風一過。
 呆然としていた斉藤は、思わずテーブルに突っ伏し叫んだ。


「永倉さん、何で、あんなもの撮るんだよ〜!」









 総司はフレーバーティをゆっくりと飲んだ。
 ピーチの香りが仄かにする紅茶は、とても上品でまろやかでおいしい。後で買って帰ろうかなと思いながら、総司はまた一口飲んだ。
 目の前で、伊庭はエスプレッソを飲みつつ、窓外を眺めている。
 それを、総司はぼんやり見つめた。
 こんなふうに、伊庭と待ち合わせて色々出かけたりするようになったのは、もう何度めかだ。下手すると、土方よりも逢っている回数は多いかもしれない。


(それって、ぼくも困っちゃうんだけど……)


 伊庭には悪いが、正直な事を云えば、土方と逢う方がいい。
 恋人である彼と逢えない日々は淋しくて淋しくて、仕方ないのだ。しかも、今、同居していない状態である以上、逢える回数は以前より格段に減っている。
 一緒に住んでいた時も、別にデートの回数が多かった訳ではないが、それでも、朝送りだしたり、帰宅する彼を迎えたり、ほんの10分ぐらいであっても逢えるだけで総司は幸せだった。
 だが、今はそれもない。
 もしかすると、淋しさを紛らわすために、こうして伊庭と遊び歩いてしまうのかもしれなかった。


(もちろん、楽しい事は本当だから。伊庭先生と話すの楽しいし)


 総司はちらりとバックの中の携帯電話へ目をやった。
 先程、斉藤から貰った意味不明のメールが、ずっと気になっているのだ。それは、総司がこのレストランに入ったとたん、受けたメールだった。


 今、永倉さんとちょっとした賭けしてるんだ。
 おまえ、今日の予定は? 今何してる?
 名前は出さないから、メールで答えてくれたら有り難い。


 今日、総司が伊庭と会う事は、斉藤も知っているはずだった。
 先日、カフェで逢った時に話のついでに喋ったのだ。もちろん、他人の予定など忘れてしまっているのが当然なのだけど……。
「賭けって何?」
 そう呟きながらメールを返した総司は、未だ気にかかっていた。何か、とんでもなく嫌な予感がするのだ。とは云っても、それが何を意味するのかは皆目見当もつかない。
 はぁっとため息をつくと、伊庭が訝しげに目をあげた。
「どうしたんだい」
「え? あ、いえ……」
「元気ないねぇ、メール返信してからさ。もしかして、彼氏からだった?」
「違いますよ」
 総司は慌てて手をふった。
「あの人はものすごく忙しいから、この頃、メールもあまりくれないし」
「へぇ。メールもなし、電話もなし、逢うのもなしって事?」
「う。そうなん、ですけど……」
 口ごもってしまった総司に、伊庭はくすくす笑った。
「ごめんごめん、意地悪しちまった。淋しがってる総司があんまり可愛くてさ」
「か、可愛いって」
「可愛いものは可愛いぜ。嘘をつくより、正直な方がいいと思やしねぇかい?」
 にっこり笑いかけられ、総司は頬を染めてしまった。ちょっと慌てたようにバックを手にとり、握りしめる。
「そ、そろそろ出ましょう?」
「あぁ、そうだな。後の予定もあるし」
 伊庭が支払いを済ませている間、総司は店の前で待つ事にした。ちょっと揉めはしたが、割り勘にしてもらった。やはり、土方以外の男に奢ってもらうのは、いくら年上でも納得いかなかったのだ。
「友達だもの、当然だよね」
 そう呟いた総司は、また小さくため息をついた。
 何だかんだ云いながら、ずっと土方の事を考えつづけている自分に、ちょっと呆れてしまったのだ。
 恋人なのだから当然だとは思うが、こんなにも彼の事だけで頭いっぱいにしてるなんて、情けない気もしてしまう。
 こういう傾向はもともとあったが、ここ最近、あまり逢えなくなってからは尚更の状態だった。
 ふつうは、すれ違いが続けば、やはり少しずつ気持ちも冷めていくという話だが……
「ぼくの場合は反対だもの」
 総司は俯き、ぎゅっとバックの柄を握りしめた。
 その時だった。
 レストランは細い路地裏に位置しているのだが、人が来る気配に、総司は身を寄せようとした。とたん、その腕が乱暴に掴まれる。
「!」
 驚いて顔をあげた総司は、大きく目を見開いた。
「ひ、土方さん……!」
 薄暗い路地裏で、そこに立ち、総司を見下ろしているのは、確かに土方だった。
 すらりとした長身に上質のスーツがよく似合い、男の色香が匂いたつようだ。
 濡れたような黒い瞳で見つめられ、思わず息をつめる。
「どうして、ここに!?」
「話は後だ」
 土方は低い声で云った。
「とりあえず、ここまで車を入れられねぇからな。向こうに停めてあるんだ」
「え、車って……何かあったの」
「別に何があった訳じゃねぇが」
 不意に、土方は悪戯っぽい笑みをうかべた。総司の顔を覗き込み、口角をあげてみせる。
「おまえは俺と来てくれるだろう?」
 甘やかに低められた声に、どきりとした。
 何しろ、恋しい恋しい彼なのだ。逢いたくてたまらなかったのだ。
 本当は、今すぐ彼の腕に抱かれ、いっそ浚われてしまいたいぐらいだった。
「行きたい…です」
 思わず言葉がすべり出た。だが。
「……でも」
 総司はレストランの方をふり返った。そして、決心すると、こくりと頷いた。
「うん、一緒に行きます」
「総司」
「だけど、ちょっとだけ待って。先に行って待ってて下さい」
「何で」
「土方さんと一緒に行くなら、ちゃんとしておきたいから。後悔したくないから」
「……」
 どこか不安げな顔になった土方に、総司は両手をのばした。てのひらで彼の頬をつつみこみ、爪先だちになってキスをする。
「そんな心配しないで」
「総司」
「約束するから、ちゃんと行くから」
「……わかった。待ってる」
 土方は頷くと、踵を返した。路地裏の向こう、明るく広い公道へと歩み去ってゆく。
 少し離れた所に停めてあるのか、土方の姿はたちまち見えなくなった。それが逆に総司に不安を覚えさせ、何だか置いていかれたようで、今すぐ追いかけたくなる。
 思わず足を踏み出そうとしたとたん、後ろから声がかけられた。
「……総司?」
 ふり返ると、レストランから伊庭が出てきた処だった。訝しげに眉を顰めている。
 それに、思いっきりよく頭を下げた。
「ごめんなさい!」
「え、何だい。藪から棒に」
「大切な用事を思い出したのです。どうしても行かなくちゃいけない処があるから……ごめんなさい!」
 そう云った総司を、伊庭は困惑したような表情で見つめた。
 だが、やがて、会得がいったように苦笑すると、大きくため息をついてみせた。
「……そうか。とうとう来ちまったんだ」
「……」
「自分の可愛い恋人、他の男にさんざん連れ回されて、それでも笑って許してるなんざ、男じゃねぇものな」
「伊庭先生……」
「いいさ、行きな。今までいい夢見せて貰った事、感謝しているよ」
 伊庭はそう云うと、手をさし出した。驚いて見上げれば、悪戯っぽい笑顔でウインクされる。
「友達としての握手。今まで、ありがとうって事さ」
「ぼくの方こそ……ありがとうございました」
「元気でな」
「はい」
 総司は伊庭と握手してから、バックを握りしめ、走り出した。ちょっとだけ胸が痛んだが、今は土方の方がずっとずっと心配だ。
 地面を蹴る足はどんどん勢いよくなり、スピードは早まった。すれ違う人が驚いてふり返っていたが、それでも構わず走り続けてゆく。


 だい好きな彼だけを追いかけて。


 そんな総司を見送り、伊庭は苦笑した。
「あんなに急いで、本当に好きなんだなぁ」
 両手をポケットに突っ込み、肩をすくめた。
「まったく……叶わないねぇ」
 楽しげに呟いた伊庭は、やがて、ゆっくりと歩き出していったのだった。












 路地裏から飛び出した総司は、焦って周囲を見回した。
 すると、クラクションが軽く鳴らされる。
「!」
 驚いて見ると、ルマンブルーの車が停まっていた。ボディに青空が映り込み、とても綺麗だ。
 駆け寄った総司に、土方はわざわざ降りて助手席のドアを開けてくれた。優しい笑顔で促してくるが、何だか含みがありそうで、ちょっと怖い。
 走り出した車の中でも、土方は何も云わなかった。黙ったまま運転に集中している。
 前の車と違い、マニュアル車なので、時折左手でレバーを切り替える。そのたびに、総司は彼の手が自分にふれてくるようで、どきどきした。
「……土方さん」
 かなり迷った末だったが、総司はおずおずと話しかけた。
「あの、あのね。さっきの事なんだけど」
「何だ」
「どうして、あの場所に来たの?」
 総司の問いかけに、土方はかるく肩をすくめた。あっさり答えてくれる。
「おまえが送ったメール、見たからだ」
「えっ、あのメール見たの?」
「斉藤に見せられた。もたもたしていると、他の男にとられちまうってな。実際、その通りだったが」
「その通りって……ち、違いますよ! そんな事ないもの」
「ふうん」
 慌てる総司に、土方は僅かに目を細めた。
「違う、ね。俺に内緒って云っていたのは、いったい誰だったかな」
「だって、怒ると思ったから。土方さん、最近全然怒らないけど……でも、いい気持ちはしないだろうなぁってわかっていたから」
「なるほど。そこまでわかっていて、伊庭とデートしていた訳だ」
「……う。そう、だけど……」
「わかっていたら、普通やめねぇか。俺が嫌がるとわかっていて、それでも他の男とデートするおまえの気持ち、理解できねぇよ」
 吐き捨てるような口調に、総司は目を見開いた。
 彼が怒っているのは、あきらかだった。
 さすがに、不愉快に思ったのだろう。それも当然だと思った。
 だけど、総司にだって言い分はあるのだ。
「気持ち理解できないって……」
 ぎゅっと両手を握りしめた。
「ぼくだって、理解できないもん!」
「何が」
「だから、土方さんの気持ち! 土方さんがどうして、ぼくに何も云わないのか、怒りも嫉妬もしなくて、最近あまり逢ってくれなくて」
「……」
「ぼくはずっと逢いたいのに、云いたいことも全部云って欲しいのに」
「……」
「それとも何? ぼくはもう、あなたの恋人じゃないの? だから、何も云わないの? 嫉妬する気にもなれなくて、同居する気もなくなっちゃったから、何にも云ってくれな……っ」
 言葉が途切れた。
 信号待ちで車が停まったかと思うと、不意に土方が総司の項を掴んで引き寄せたのだ。そのまま深く唇を重ねてくる。
「!」
 総司の目が大きく見開かれた。
 何しろ、ここは都心の交差点。それも真っ昼間だ。
 道ゆく人々がこちらを見れば、全部まるわかりだろう。とんでもない話だった。
「んーっ、ん……っ!」
 必死になってジタバタ暴れると、ようやく土方も離してくれた。とたん、総司が叫ぶ。
「な、何考えているんですか!?」
「それがわからねぇんだろ」
「はぁ?」
「俺の気持ち理解できないって云ったじゃねぇか。なら、行動でしめす他ないだろうが」
「だ、だからって、こんな……!」
 総司の顔は、もう真っ赤だ。耳朶までピンク色になっている処が、とんでもなく可愛い。
 その柔らかそうな耳朶を甘咬みしてやりたいと思いながら、土方は悪戯っぽく笑った。
「ごちそうさま。久しぶりのキス、すげぇ甘かった」 
「!」
 絶句している総司をよそに、土方は車を発進させた。青信号になった道を、すいすい走らせてゆく。
 やがて、車は彼のマンションの駐車場に滑り込んだ。