「───総司」
 突然、上から降ってきた声に、総司はびっくりした。
 目を丸くして見上げれば、スーツ姿の土方が立っている。
「う、わ! 土方さんっ」
 慌てて立ち上がった総司に、土方は僅かに眉を顰めた。
「うわって、何だ」
「いえ、その……びっくりして。こんな処で会うなんて思ってなかったから」
 こんな処。
 所謂、夜のコンビニエンスストアだ。
 自分のマンション近くのコンビニに突然現われた彼に、総司はどぎまぎした。何だか、似合っているようで、似合ってないシュールな光景だと思った。
 煌々と照らしだすコンビニの店内に、悠然と佇んでいる男。プレスのきいたワイシャツに、タイトに締められたネクタイ。濃紺の上質のスーツが、しなやかで逞しい男の躯を包みこんでいる。ストイックな印象をあたえるスーツ姿なのだが、逆に、彼がもつ大人の男の艶を際だたせていた。
 すっきり整えられた黒髪に、切れの長い目。形のよい唇と、鋭いラインを描く頬から顎にかけての線。ただ綺麗なだけではない、その端正な顔だちにうかぶ表情が、纏う雰囲気が、彼特有の色香をかもし出すのだ。
 土方が現われると、そこがぱっと華やいだ雰囲気になる。ごく普通のビジネスマンの姿でも、不思議なほど人目をひいてしまうのだ。その証拠に、今も、彼はコンビニ中の視線を集めてしまっていた。
 だが、そんな視線には全くお構いなく、土方はきれいな笑顔をうかべた。
 小さく、くすっと笑ってみせる。
「すげぇ熱心だな。菓子、選んでいたのか?」
「あ、はい」
 こくりと頷いた総司の前にある棚は、お菓子の棚だ。
 もちろん、お高いケーキやマカロンなども好きだが、時々、こういうスナック菓子系も欲しくなるのだった。
「でも、土方さん、どうしてここに?」
 結局、苺ポッキーを買った総司は、コンビニを出てから問いかけた。
 それに、土方はかるく肩をすくめた。
「もともと、おまえの家に行こうと思っていたのさ。で、通りかかったコンビニの中に、おまえを見つけたから」
「あ、そうだったんですか」
「一応連絡はしたんだぜ。昼間、何度か。けど、全然繋がらなかったから」
「ごめんなさい。家の中に置きっぱなしで出かけちゃったんです」
「大学だったのか」
「……え、えっと、その」
 何気ない土方の問いかけに、たちまち総司はうろたえてしまった。視線をあちこち泳がせている処が、何とも怪しい。
 土方は僅かに目を細めた。だが、そしらぬふりで問いかける。
「どこかで遊んでいたのか。藤堂たちと?」
「違います。あの……えっと……」
 口ごもる総司に、果てしなく嫌な予感がした。脳裏を、一つ名がよぎる。
 すると、いつまでも隠しきれるものではないと観念したのか、とうとう総司が白状した。
「あのね……その、伊庭先生とお茶していたの」
「……」
 とたん、土方の端正な顔から、すうっと表情がなくなった。心なし、切れの長い目の眦がつりあがった気がする。
「!」
 総司は「何考えてるんだ、おまえ!」的な怒声を予期し、思わず身をちぢめてしまった。


 何しろ、以前も京都まで追いかけてゆくほどの喧嘩になってしまったのだ。
 あの時も、彼は怒らなかったが、いやだと思っている事は確かだった。
 むろん、今回はふつうに伊庭と約束し、逢っただけだ。友人としてのつきあい範囲だった。
 だが、それでも、土方にすれば面白くないだろう。総司だって逆の立場なら絶対に嫌だ。
 だからこそ、黙っていようと思っていたのだが……


 びくびくしながら様子を伺う総司の前で、しばらくの間、土方は無言だった。
 やがて、低い声でぼそりと呟く。
「……そうか」
「あ、あの」
「なら……そうだな、もう食事は済んでいるのか?」
「……えっ」
 あっさり話題を変えられ、総司は目を見開いた。だが、自分からむし返す事もないと、口早に答える。
「ううん。晩御飯はこれから作ろうと思って……」
 そう答えた総司に、土方は苦笑した。
「ふつう、晩飯の後に菓子を買いに行くだろ」
「別にどっちでもいいじゃありませんか」
「まぁ、どっちでもいいが。今日のデザートは苺ポッキーって訳だな」
「それと、土方さんが買ってきてくれた……アンリのケーキ?」
「目ざといな」
「初めから気づいてたもん」
 いつものように、軽口をたたきながら、総司はまだびくびくしていた。むしろ、先程より、もっと鼓動が早い。
 何だか、とんでもなく怖いのだ。恐ろしいのだ。
 怒ってないはずはないのに、全くその事に言及せず平然としている彼が無気味だった。不安さえ覚えてしまう。
「……」
 そっと見上げてみると、土方はいつもどおりだった。怒っている訳でも、落ち込んでいる訳でもなく、まったく普段どおりの態度だ。
 とたん、総司はむくむくっと自分の中にわきおこった感情に、唇を噛んだ。
 何となく面白くない、と思ってしまったのだ。


(そりゃね、やきもち妬かれて、さんざん怒られたり独占欲むきだしにされたりするのもどうかなぁって思うけど、まったくの無関心ってのも……)


 面白くない、のだ。
 いわゆる、複雑な恋する乙女(?)心という処か。
 大きな瞳でじいっと見つめていると、土方がその視線に気づいた。ふり向き、柔らかな笑顔をむけてくる。
「どうした?」
「え、ううん……何でも」
「腹へっているなら、いっそ外食にしようか?」
「ううん」
 ゆるく首をふった。
 自分の中にある色々ややこしい感情をかくすように、にこっと笑ってみせた。このあたり、総司も一筋縄ではいかない。
 甘えるような瞳で、彼を見上げた。
「久しぶりにね、土方さんにご飯つくってあげたいの。一緒に住んでた時は、いつもだったけど……この頃は、たまにしか作ってないし」
「……」
「だから、家で一緒に食べたいんだけど……だめ?」
 そう小首をかしげながら訊ねたとたん、突然、土方は立ち止まってしまった。
 え? と驚いてみあげれば、総司の腕を掴んで引きとめ、どこか探るような瞳で、じいっと見据えてくる。
「な、何……?」
 何か、気にさわったのだろうか。
「土方、さん?」
 訳がわからぬまま彼の名を呼びかけると、土方は一瞬きつく唇を噛んだ。それから、はぁっと息を吐き出し、まるで突き放すように総司の腕を離す。
 それに息を呑んだ総司に、土方は低い声で云いかけた。
「総司、おまえ……」
「え?」
「……いや、何でもねぇよ」
 土方はゆるく首をふると、そのまま歩き出した。足早に総司のマンションにむかって歩いてゆく。
 しばらくの間、総司は訳がわからず突っ立っていたが、そのままでは仕方ないと慌てて後を追った。
 すると、土方がふり返り、先程の態度が嘘のような、優しい笑顔とともに手をさし出してくれた。


(……何かよくわかんない……)


 総司は頭の中を?マークでいっぱいにしつつ、彼の手をぎゅっと握りしめたのだった。












 最近、土方の様子がおかしいと思っていた。
 いつも何か云いかけては、結局、黙り込んでしまうのだ。しかも、時々、妙に訴えかけるような瞳で総司を見つめてくる。
 その様子にあれこれ考えた挙げ句、総司が出した結論は一つだった。
 たぶん、それが正解に近いと思うのだが、それはそれで困ってしまうのも確かなことなのだ。
「何だかなぁ」
 はぁっとため息をつき、総司はホットケーキをひっくり返した。
 今日は大学が休みであり、おやつにホットケーキをつくっている最中だった。無性に食べたくなって(この間の苺ポッキーのごとく)、メープルシロップを買ってきてしまった。
 ホットケーキの方は、小麦粉やベーキングパウダーを混ぜた総司オリジナルだ。
「できた」
 総司は出来上がったホットケーキをリビングへ運ぶと、小さなテーブルの上に置いた。バターをおとし、メープルシロップをとろりとかけて、「頂きます」だ。
「んー、おいし♪」
 紅茶と一緒に食べる自家製ホットケーキは、最高だった。メープルシロップも好きなだけかけられる処がいいなぁと、思ったりする。
 ふと、以前、土方と官舎に住んでいた頃、ホットケーキをつくった時の事を思いだした。
 甘いものが苦手な土方は、ほとんどシロップをかけず、バターだけ塗ってまるでトーストのように食べていたのだ。
 それじゃおいしくないはず! と思った総司は、今度は砂糖ぬきのホットケーキをつくったのだが、綺麗に焼きが入らなくなってしまい、がっかりした覚えがある。
 だが、それでも、土方は喜んで食べてくれた。


 ふわふわした幸せな思い出……。


「……はぁっ」
 総司はホットケーキにまたメープルシロップをどぱどぱかけながら、ため息をついた。


 ここ数日で総司が出した結論。
 それは、同居の事だった。
 土方は同居を望んでいるのだ。また一緒に住もうと云いたいのだ。
 それを、総司も望んでいない訳ではなかった。本当なら、再会してすぐ同居しても良かったぐらいなのだ。
 だが、何やかんやと色々あるうちに、結局、なし崩しに今まで来てしまった。いわゆる、きっかけというものがなかったのだ。
 むろん、土方がずーっとそれを望んでいた事も、最近そろそろ限界に達しかけている事も、皆、確かだった。
 だからこそ、あんな訴えかけるような目で見つめてくるのだろう。何か云いたげなのだろう。
 だが、しかし。


「そんなの、ぼくから云える訳ないじゃない!」
 総司はぷすっとフォークをホットケーキに刺しながら、小さく叫んだ。
 一緒に住みたい事は住みたいが、冷静に考えてみれば、総司から云える話ではないのだ。土方がこの部屋にくるはずもないのだから、総司があの土方の部屋に転がりこむ事になるのは間違いない。
 となれば、経済的な面から見ても、総司の方から云いだせる話ではなかった。あんな高級マンションの部屋代なんて払えるはずもないし、彼がそんなもの求めるとも考えられない。それでは同居ではなく、居候になってしまう。
 一緒に住まわせて下さい、なんて。
「云える訳ないでしょうが! わかってよね、そのあたり」
 こうなってくると、ここ最近の土方の遠慮がちな態度が、逆に腹ただしくなってきた。
 いっそ、昔のように強引に事を進めてくれたら、こんな悩むこともないのに。そうしてくれれば、いやいやと云うふりをしつつ、土方の腕の中へ素直に飛び込むことが出来るのだから。
 なのに。
「どうすればいいのかなぁ」
 総司はもぐもぐホットケーキを食べながら、考え込んだ。
 自分から云う訳にはいかない。
 だが、このままでは、あの土方が云いだす気配もない。
 この降着状態に陥った現状を打破するには、どうすればいいのか!?
「やっぱり、あの人の出番だよね」
 こっくり頷いた総司は、決意あふれる表情で宙を見据えた。












「あ、こっちです、こっち! 斉藤さん!」
 カフェのドアを開けたとたん、元気な明るい声が彼の名を呼んだ。
 見れば、窓際の席で総司が可愛らしく手を振っている。それに、つい顔が緩みそうになるのを堪えつつ、斉藤は足早に店内を横切った。
 総司から呼び出しがかかったのだ。
 それは、別に珍しい事ではない。今までにも、何度かあった事なので、もはや斉藤も慣れてしまっていた。というより、有効活用しようと考えている。
 どうせ土方関係の相談事に決まっているのだが、こうして、総司と二人きりお茶したり食事したりできるのなら、それはそれで良いではないかと前向きに考えようとしている、けなげな男斉藤一なのだ。
「ごめんなさい、お仕事中に」
 ぺこりと頭を下げた総司に、斉藤は「いや」と手をふった。すぐさまやって来たウェイトレスに「珈琲1つ」と頼んでから、総司の方へ向き直る。
 総司はもう既に注文済のフルーツパフェを食べながら、云った。
「あまり時間ないのでしょう?」
「うん、まぁ……けど、相談にのるぐらいは出来るさ」
「え? どうして相談だなんて」
「……(いつものパターンだからっていうか、それ以外にあるのか?)」
「うーん、でも、まぁ……確かに相談事なんですけど」
 総司はもごもごと口ごもった。それでも云いにくいのか、握りしめたスプーンの先で、生クリームをくずしている。
「……あのね」
 やがて、総司は大きな瞳で斉藤を見つめた。
「ぼく、土方さんと一緒に暮らしたいなぁと思っているのです」
「まぁ……そろそろだろうな」
「で、土方さんもそう思ってくれてるみたいなんだけど、でも」
「でも?」
「口に出しては云わないの」
「口ではなく、目で訴えるって奴?」
「それに近いものが……何というか、態度でわかる?みたいな」
 総司は頬杖をつき、はぁっとため息をついた。
「土方さん、きっとぼくの意志を尊重してくれているんだと思うのです。大切に思ってくれているから、なのかなと。でもね」
 不意に、ぐっと拳を固めた。
「どう考えても、ぼくが土方さんの部屋へ行く事になるんですよ。経済的にも負担かけちゃうんですよ。なのに」
「……」
「なのに、そんなの、ぼくから云いだせるはずないでしょ!?」
 めらめらと怒りが燃えあがってきたのか、総司はものすごい勢いでまくしたてた。
「ぼくから云えるはずないのに、土方さんの方はもう気味悪いぐらい遠慮がちで、何か云いかけてはやめる何か云いかけてはやめるのくり返しなんです! まるで優柔不断男そのもの! だから、ぼくイライラして今にもプツッとキレそうで」
「……」
「このまま何もしないでいたら、永遠に別居生活ですよ。そんなの嫌なんです。だい好きな土方さんと一緒に暮らして、前みたいにいちゃいちゃ楽しくらぶらぶな生活を送りたいのです!」
 そこまで一気にまくしたてると、呆気にとられる斉藤の前で、総司はグラスの水をごくごくーっと飲み干した。
 どんっとグラスをテーブルに置いてから、はぁっとため息をつく。いつも可愛い総司だが、その姿はまるでやさぐれウサギ状態だ。
 しばらくの間、それを眺めていた斉藤は、やがて、おそるおそる問いかけた。
「……で、オレにどうしろと」
「あ、それはですね」
 総司はスプーンを再び手にとりながら、大きな瞳で斉藤を見つめた。
「別にたいした事じゃないんですけど、頼み事があるのです」
「頼み……」
「つまりね、土方さんに、ぼくとの同居をプッシュして欲しいのです」
 そう云ってから、総司はフルーツパフェの桃をぱくっと食べた。もぐもぐごっくんしてから、言葉をつづける。
「ほら、ぼくも遠慮する方だから、そんな事云えるはずないでしょ。だから、土方さんの方から話を切り出すようにしむけて欲しいというか」
「何だ、それ。すごい難しい話」
「え? そうかな。斉藤さんなら、おちゃのこさいさいじゃないですか」
「うーん」
 斉藤は唸った。腕組みをし、考え込む。


 そりゃ、やろうと思って出来ない事はないが、正直な話、むかっとくるものもあるのだ。
 何で、このオレが、土方さんと総司の同居を応援しくちゃならないのか。
 この片思いが実るなんて思ってないけど、それでも、別居状態だから見られる夢ってのもあるのだ。
 よりによって、オレに頼んでくるあたり、総司の天然ぶりもここに極まりだが、この話はやっぱり無かった事に……


 などなど考えている斉藤を、総司は大きな瞳でじいっと見つめた。
「……斉藤さん」
 不意に、静かな声で呼びかけた。
 はっと我に返って顔をあげれば、妙に目の据わった総司がこちらに笑いかけている。
「まさか、断るなんて……云いませんよね?」
「え、それは」
「ぼくからの頼み、斉藤さんは断っちゃうの?」
 そう云った総司は、突然、うっと言葉をつまらせた。見ると、その瞳には涙がもりあがっている。
 桜色の唇がわななき、きゅっと噛みしめた。しょんぼりとした様子で、俯く。とたん、柔らかな髪からのぞく白い項が目につき、どきりとした。
「ごめんなさい……」
「え」
「こんな事、頼むのいけないとぼくもわかっていたのです。斉藤さんに申し訳ないって……でも、でも、もう他に頼れる人もいなくて……」
「……総司」
「でも、いけないですよね。いつも斉藤さんに頼ってばかりじゃ……本当にごめんなさい」
 そう云うと、総司はレシートを掴んだ。まだ食べかけのパフェもそのままに、立ち上がろうとする。
 斉藤は中腰になり、慌ててその手を掴んだ。手首の細さにまたどきりとするが、誘惑されている場合ではない(っていうか、既に誘惑されている)。
「待ってくれ、総司」
「……」
「オレが悪かったよ。おまえの気持ちも考えないで」
「斉藤さん……」
「ごめん。この話、ちゃんと土方さんに通すから。悪いようにはしないから」
 そう斉藤が云ったとたんだった。
 ぱっと、総司の顔が輝いた。嬉しそうに斉藤の手を握り返してくる。
「ありがとう! 斉藤さん」
「い、いや」
「本当にありがとう! これだから、斉藤さんってだい好きなんです」
 そう云うと、総司はいそいそとまた席に坐り直した。
 それに、斉藤は深く深くため息をついた。


 わかってはいるのだ。
 いつもの事だと。また、いつもの手に嵌ってしまったのだと。
 だが、だからといって何なのだろう。
 自分が総司に惚れきっているのは、もはや動かし難い事実なのだから、この状況はある意味当然の帰趨であって……云々。


 そんな事をつらつら考える斉藤の前に、不意に、スプーンがさし出された。え?と見ると、総司がにこにこ笑いながら、斉藤を見ている。
 なめらかな白い頬が紅潮し、とっても可愛くて可憐でキュートそのものだ。
「はい、あーん」
「え? えぇっ?」
「引き受けてくれたお礼です。ね、とってもおいしいから……あーん」
「……あーん(こ、これぐらいいいよな)」
 斉藤は思わず口を開け、苺を食べた。もぐもぐ食べる斉藤に、総司は可愛らしく微笑う。
 傍から見れば、いちゃいちゃバカップルだ。
 だが、しかし。
 次の瞬間、カフェの外で何かがピカッと光った気がした。
「?」
 不審に思って、そちらを見ようとした斉藤だったが、
「斉藤さん? どうしました?」
「あ、いや」
「苺おいしいでしょ。ね、もう一つ食べます? あーん」
「……(もぐもぐ)」



 結局の処、目の前の総司の笑顔に、そんなものは遙か遠い遠い忘却の彼方へすっ飛ばしてしまった、何があっても総司命!のけなげな男斉藤一なのであった……。

















中編・後編へつづきます〜。