売り言葉に買い言葉と云うけれど。
 そういう時に限って。
 一番云ってはダメダメな事を叫んじゃうのは、何で?












「絶対、土方さんがおかしいんだから!」
 そう叫んだ総司を前に、土方はうんざりしたようにため息をついた。
 ダイニングテーブルにかるく凭れかかったその姿は、グラビア写真から抜け出してきたように恰好よかったが、今はそれが逆に腹ただしい。
 Vネックの紺色のセーターからのぞく鎖骨も、ジーンズにつつまれたすらりとのびた脚も、まだ少し濡れた黒髪も、こちらをじっと見つめている黒い瞳も。
 どきどきするぐらい恰好よくて男の色気いっぱいで、だが、だからこそ、こうして喧嘩する事になったのだと思えば、何だか苛立ってしまう原因なのだった。
 総司はぎゅっと両手を握りしめながら、土方を見つめた。





 いつもなら、総司もこんな事で怒ったりしない。
 我慢して黙っている事の方が多いだろう。
 だが、久しぶりのデートだったのだ。
 大学の友達からの誘いも皆断って、とっても楽しみにしていたデートだった。だが、それが当日になって突然キャンセルされてしまって。
 それでも、総司は我慢した。
「お仕事なら仕方ないですね。でも、ちょっとでも逢いたいから、マンションで待ってていい?」と、訊ねてみたのだ。
 それに対する答えはYesだった。
 待つこと5時間。
 彼が帰ってくれば、甘い時間が過ごせる。
 優しく微笑みかけてくれて、久しぶりのキスもしてくれるはず。
 そんな事を考えて、ずっとずっと待っていたのだ。
 だが、しかし。
 夜中の1時も回った頃。
 眠いのを必死に我慢して待っていた総司の前に、帰ってきた彼は───





「どうして、わからないの!?」
 総司はきゃんきゃん叫んだ。
「土方さん、もてるんだもの、ぼくがそういうの見たら嫌だなぁと思うの当然でしょ!?」
「……もてたりしねぇよ」
「嘘ばっかり! だったら、何で、口紅の痕やら香水の匂いやらいっぱいで帰ってきたりするの。でもって、ぼくのこと平気で抱きしめたりするの!」
「気がついてなかったんだから、仕方ねぇだろ」
 玄関先で総司を抱きしめたとたん、速攻でバスルーム行を命じられた土方は、不機嫌そうに答えた。形のよい眉を顰めている。
 煩わしげに前髪を片手でかきあげながら、云った。
「こっちも疲れているんだ。くだらねぇ事云うなよ」
「く、くだらないって……口紅の痕や香水の匂いが!?」
「だから、それはつきあいでクラブへ連れて行かれて……」
「……ふうん」
 総司の目が細くなった。
「クラブに行ったんですか。うんと綺麗な女の人たちに囲まれたんでしょうね。土方さんの事だから、すっごくもてたでしょうし。ねぇ、楽しかった?」
「楽しいはずねぇだろ」
「嘘ばっかり」
 総司はベビーピンクの唇を尖らせた。
「あぁいう処に行って楽しくないはずないでしょ。楽しいに決まってるんだから」
「知ったような事云うなよ。子どものくせに」
「子ども!? 今、子どもって云いましたね」
「あぁ、あぁ、云ったよ! 云いました。俺から見れば、おまえはどう見ても子どもだからな」
「じゃあ、その子どもとつきあって、あんな事やこんな事してるあなたは何なんです! 立派な変態じゃないっ」
「何だと!?」
 あんまりな言いぐさに、さすがの土方も怒ったようだった。思わず、バンッとテーブルを叩く。
「おまえとつきあってる俺が変態!? だったら、女とつきあう方がいいって事なのかよ。その方が普通だと云いたいのか!」
「そ、そんな事云ってないじゃない」
 ふるりと首をふってから、だが、総司はきゅっと唇を噛んだ。
「でも、だけど……それも本当の事じゃない。女の人とつきあう方が普通に決まっているんだから」
 半ば独り言として呟いたつもりだったが、それはしっかり土方の耳に届いてしまったようだ。
 はっと我に返った総司が顔をあげると、土方は冷たい表情でこちらを見つめていた。黒い瞳がひやりとするような色を湛えている。
「……そうか」
 低い声が呟いた。
「そんなふうに、おまえは思っていた訳か」
「土方さん、ぼく……」
「おまえの気持ちはよくわかったよ。なら、俺も好きにさせてもらう。おまえがいう普通のつきあいって奴を、これからはさせてもらうよ」
「え。普通のつきあいって、どういう……?」
 慌てて問いかけた総司を、土方は切れの長い目で一瞥した。ふっと唇の端をあげる。
「女とつきあうに決まってんだろうが」
「えっ」
「幾らでも相手はいるからな。おまえみたいな子どもじゃなく、ちゃんと年相応の女相手に、大人のつきあいってのをしてやるよ」
「なっ……何それ!」
 総司は思わず叫んだ。怒りで、かあぁあぁっと頭に血がのぼる。
「何で? 何で、そういう事になっちゃう訳!?」
「……」
「もともと土方さんが悪いのに! あんな恰好で帰ってきたくせに!」
「……」
 押し黙ったままの土方に、総司は胸の奥がぎゅううっと締め付けられる気がした。怒りと怖さと不安と、それらがごっちゃになって、今にも泣き出しそうになる。
 そして、叫んだ。
「土方さんなんて……だいっ嫌い!!」
 総司は身をひるがえした。ソファの上に置いていた鞄を引っ掴み、玄関へと駆け出してゆく。
 こぼれ落ちそうな涙をこらえつつ、スニーカーに足を突っ込んだ。ドアノブに手をかけたところで、ちょっとだけふり返る。
 だが、土方は追って来てもいなかった。
 それどころか、名前一つも呼んでくれない。
 確認したとたん、ぼんっと怒りが再燃した。
「……お邪魔しました!」
 総司は荒々しく玄関のドアを閉めると(と云っても、スロークローズなのであまり音は鳴らなかったが)、もの凄い勢いで走り去っていったのだった。












「変態、ですか」
 斉藤はカツ丼を食べる手をとめ、訊ねた。
 それに、土方は親子丼を食べながら、頷いた。
 ここはいつもの警視庁内にある食堂ではない。
 池袋でおこった事件のため捜査にやってきた土方と斉藤は、昼食をとるため丼屋に入っていたのだ。なかなか評判の店らしく、昼時を過ぎてもまだ賑わっている。
「これ、うまいな」
「けっこういけますね。こういう店が本庁の近くにあったらいいんですけど」
「カツ丼、おまえ好きだな。よく食ってねぇか?」
「スタミナつけないと。刑事は体が資本ですからね」
「それはわかるが……俺は、やっぱり親子丼だな」
「そっちも好きですけどね、今日はカツ丼気分なのです」
「スタミナ不足か」
「まぁ、そういう訳で」
 しばらくの間、二人は丼談議に花を咲かせながら、それぞれの丼を食べつづけた。
 やがて、ほとんど食べ終わった頃に、斉藤が話題を元に戻した。
「けど、もともとは可愛いやきもちじゃないですか」
「何が」
「だから、総司ですよ。土方さんのシャツについた、口紅の痕や香水の匂いに怒ったのでしょう?」
「あぁ」
「だったら、可愛いやきもちだなぁで流しておけば」
「そりゃ、後になればそう思うさ。けどな、仕事でさんざん疲れた挙げ句、行きたくもねぇクラブに連れていかれて息つまりそうになって、ようやく帰ったとたん、怒られまくるんだぞ。さすがにな」
「それは同情しますね。あの日、土方さん、頭痛してたでしょう」
「あぁ、すげぇ頭痛かったんだ。総司が叫びだした時、頭割れるかと思った」
「だったら、そう云えば良かったのに」
「云える状況だと思うか?」
「まぁ……無理でしょうけどね。しかし、変態とは……」
 くすくす笑ってから、斉藤は土方を眺めた。
「で?」
「あぁ」
「本気でその普通のおつきあいってのを、するつもりですか?」
「まさか」
 土方は苦笑した。かるく椅子の背に肘を置き、凭れかかる。
「そんな事するはずねぇだろうが。だいたい、俺にできると思うか?」
「思いませんね。でも、総司は本気で信じているかもしれませんよ」
「かもな」
「かもなって……それでいいんですか? 総司、今頃焦ってると思うんですけど」
「それぐらい、ちょっとは焦って欲しいな。こっちは変態呼ばわりされて、すげぇ傷ついたんだからさ」
 土方は不意に少年のような笑顔になると、悪戯っぽい仕草で胸に手をあててみせた。それに、斉藤は思わずため息をつきたくなる。
 ほんの少しの仕草でも、こんなにも魅力的なのだ。
 そういう気持ちのない斉藤から見てもこうであれば、総司にしたら心配したくもなるだろう。不安にもなるだろう。
 実際、この店の中で食事をしていても、あちらこちらから熱い視線が飛んでくる。
 それを平然と流している土方が、こと総司の事になると全く不器用になってしまうのも、それだけ溺愛している証拠なのか。
 斉藤はやれやれと首をふってから、云った。
「つまりは、意地悪するって事ですか」
 それに、土方は黒い瞳をちらりとあげた。
「意地悪じゃねぇよ」
「きっぱり意地悪だと思いますけど。だいたい、そんな事したら、今度はドSって罵られますよ」
「……真性Mのおまえには云われたくねぇな」
「な、何なんですか! それ」
「真性Mでわからねぇか? つまり、マゾの事だろうが」
「だから、何でオレが! それに、オレがマゾっていうなら、やっぱり土方さんはサドですよ!」
「何で」
「今もこうして人苛めて喜んでるじゃないですか」
「じゃあ、俺に苛められて喜んでるおまえは、やっぱりマゾか」
「だから、喜んでなんかいませんって!」
 そう叫んでから、斉藤はハッと我に返った。
 そこがどこか思い出したのだ。
 慌てて見回してみれば、店内には微妙な静寂が流れ、二人は注目の的だった。
 しかも、以前のパスタ屋のごとく、またまた何でこんな時間にいるのかわからないが、女子高校生たちが爛々と目を輝かせ、期待いっぱいの表情でこちらを見つめている。


(あぁ、これじゃパスタ屋の二の舞だ……!)


 思わず頭を抱え込みそうになった斉藤の前で、土方は我関せずといった様子でのんびりと茶を飲んでいた。












 一方。
 自分の彼氏と自分の友人が、丼屋でサドだマゾだと云いあっている事など、全く知る由もない総司は、ぷんぷん怒りながらパンをこねていた。
 本当はホームベーカリーを使ってこねた方が楽なのである。だが、こういうイライラしている時の、生地をバンバン叩きつける行為は、いいストレス発散になった。
「土方さんなんて、知らないっ」
 そう宣言しながら、思いっきりバシッとパン生地を叩きつけた。白い生地が手の中でくたっとなる。
 それを捏ねて掴んで、もう一度叩きつけながら、呟いた。
「やきもち焼くのがおかしいって事?」
 思い出せば思い出すほど、腹がたってくるのだ。
 もちろん、自分もまずい事を云った。後で思い返してみれば、さすがに変態はまずかったなぁと思ったのだ。
 だが、それでも。
「女の人とつきあうなんて! それじゃ浮気宣言じゃないっ」
 そう叫んでから、不意に、総司は固まってしまった。
 自分の言葉に、どきりとしたのだ。


 ……浮気。
 正直な話、あまり考えてもみなかった事だった。
 一年ものブランクを経て、ようやく結ばれた二人なのだ。それからの土方は、信じられないぐらい優しくて甘くて、総司を世にも稀な宝物のように扱ってくれた。
 そのため、二人の間に他者が入る隙間などあるはずもないと、総司は信じていた。
 否、だからこそ、伊庭との事を怒った土方が、初めは理解できなかったのだ。
 だが、逆の立場にたった時は──どうなのだろう。
 クラブでつけられた口紅の痕や香水ぐらいならまだしも、本当に、彼が女の人とつきあいを始めたら?
 それで、浮気どころか、それが本気になってしまったら?


 総司は胸の奥が苦しくなり、思わずぎゅうっと目を瞑ってしまった。
 だが、とたん、その脳裏に、考えたくもない光景がうかぶ。
 土方の傍に、美しい女性が寄り添っている光景だった。自分などよりずっと百倍ぐらい似合いのカップル。大人の男女。
 本当は、いつも不安だった。
 こんな恰好いい彼の傍にいるのが、自分でいいのだろうかと。あの事件が起こる前も、ずっとコンプレックスに苛まれ、同居する事さえ躊躇った時もあった。
 だが、一年もの間、離れていても彼が自分を求めてくれていた事を知ったから。どんなに愛してくれているか、身をもって実感したから。
 大丈夫だと思っていたのだ。コンプレックスもいつの間にか、少し薄らいでいたのだ。
 でも。
「……何も変わらないのに」
 総司はぽつりと呟いた。のろのろとふり返ってみれば、キッチンから見える位置にある鏡に、自分の姿が映る。
 トレーナーにジーンズ。その上からエプロンをして、頬には小麦粉までつけた、どこにでもいそうな男の子の姿。
 それに、総司は泣き出したくなってしまった。


 突然、現実を目の前に再び突き出された気がしたのだ。
 彼が総司を子どもだというのは、当然のことだと思った。
 あんなにも大人の男である彼から見れば、自分は子どもそのものだ。
 いつもいつも、土方は総司を優しく大切に扱ってくれるし、エスコートしてくれて、それに嬉しさを覚える一方、たまらない気後れを感じるのも事実だった。
 あの時、自分が云ったのは本当なのだ。
 彼はきれいで聡明な女性とつきあうのが普通で、自分なんかとつきあうのは……


「間違ってる……よね」
 総司は小さく、ふるりと首をふった。
 目を伏せ、再びパンを捏ねはじめる。とりあえず、おいしいパンをつくる事に専念しようと思った。
 それで、もし出来る事なら、彼の家へ持っていくのもいいし、それを切っ掛けに仲直りできたら、もっといい。
「土方さんが望んでくれたら……だけど……」
 そう呟いた総司は、小麦粉のついた手で頬をこすった。












 先程から、総司はマンションの前を行ったりきたりしていた。
 合い鍵は貰っているのだが、彼の許可を得ず勝手に入るのはいけないと思った。しかも、今、自分たちは喧嘩の真っ最中だ。いくら土方でも、いい顔はしないだろう。
 かといって、いつまでもここにいる訳にもいかず、総司はポケットから取り出した携帯電話をじっと見つめた。
 連絡しようか、とも思う。
 もしお仕事なら、待っていても仕方のない事だし。
 でも、彼がまだ怒っていたら? こんな彼の好きな胡桃入りのパンぐらいじゃ誤魔化されてくれなかったら?
 どうしたらいいのか、わからなくて……。
「……はぁ」
 小さくため息をついた、その時だった。
 マンション前の道を、一人の男がこちらにむかってくるのを見たのだ。「あ」と思わず声をあげる。
 それは、土方だった。
 仕事帰りのためスーツ姿だ。
 上着はきちんと着たままだったが、煩わしそうにネクタイを緩めている。その仕草に男らしさを感じて、総司は思わずどきどきした。
 歩道は街灯に照らされているため、彼の姿はよく見える。
 だが、反対に、エントランス近くの茂みに隠れている総司は暗がりの中で、土方はまったく気づいてないようだった。
 すぐ傍を、足早に通りすぎてゆく。
「……」
 総司は声をかけようとした。とたん、土方が立ちどまる。
 気づいてくれたのかな?と思った総司だったが、その期待はすぐ裏切られた。
 土方はスーツのポケットから携帯電話を取り出し、それを耳にあてたのだ。
「はい、土方です」
 低い声が夕闇の中にひびく。
 お仕事関係? と思った時だった。
 相手の声に、土方はちょっと目を見開いた。黒い瞳が優しい色をうかべ、柔らかく微笑む。
「あぁ、知美か」
 それは、総司が息を呑んでしまうぐらい、甘くて優しい声だった……。