夕陽が水平線の向こうに沈もうとしていた。
オレンジ色と紫色に染まった海に、ゆっくりと太陽が沈んでゆく。黄金色に輝く雲は細く流れ、その光景は神々しいまでの美しさだった。
「きれい……」
総司は思わず呟いた。
大きなフィックス窓に面した席なので、その美しい光景は目の前に広がる。
テーブルにはキャンドルの明かりだけが灯され、柔らかな雰囲気をかもし出していた。
恋人たちのためだけにあるような雰囲気を楽しんでいた総司は、ふと、我に返ったように顔をあげた。
隣に座る土方を見上げ、話しかける。
「……本当に、良かったの?」
「何が」
同じように夕陽を眺めていた土方が、総司に視線を戻した。それに、答える。
「今更だけど、夕食……レストランで食べたりして。キッチンもあるんだから、ちゃんと作ったのに」
「本当に、今更だな」
注文してからの言葉に、土方はくすっと笑った。
「けど、今日は着いたばかりなんだ。おまえも疲れているだろう? 明日からまた作ってくれればいいさ」
「ぼくのご飯でよければ」
「おまえの料理は、最高だよ」
優しい笑顔で云ってくれる土方に、総司は頬を赤らめた。
ソファの肘かけに頬杖をついている彼は、キャンドルの仄かな明かりの中、息を呑むほど綺麗だった。
まるで映画のワンシーンのようだ。
淡いシャンパン色のシャツに、ダークブラウンのジーンズというシンプルな装いがよく似合う。今も、レストランにいる女性客の視線をほぼ独り占めしていた。
まだ僅かに濡れている艶やかな黒髪に、こちらをじっと見つめる黒い瞳。形のよい唇には微かな笑みがうかべられ、うっとり見惚れてしまうほどだ。
ぼんやり見つめていると、土方がくすっと笑った。
「ぼーっとして、眠いのか?」
「そ、そうじゃないけど……」
総司が口ごもった時、タイミングよく料理が運ばれてきた。いっぱいに盛られたパエリアから、いい匂いがたちのぼる。
「うわぁ、おいしそう」
大喜びする総司に、土方は手早く取り分けてやった。
サラダなども、ウェイトレスが置いた場所では総司の手が届かないため、あれこれとセッティングし直す。
食事の間も、土方があれこれと世話を焼いてくれた。それに感謝しながら、総司は食事をつづけた。土方も、総司に優しくするのが楽しくて仕方ないという様子だ。
しばらくの間、二人はおいしい料理を存分に味わった。
総司はお腹いっぱいになってから、満足そうにフォークを置いた。それから、ぐるりと店内を見回す。
「ね、土方さん」
「何だ」
グラスを口にはこびながら答えた土方に、総司は云った。
「ここって、前に行ったお店に似てますね。雰囲気は違うけど、このソファとか」
「? 前に行った店?」
訝しげな表情で、土方は顔をあげた。
それに、総司はしまったという顔になったが、結局は云ってしまう。
「ほら……あのう、ぼくが記憶のなかった時、帰りに斉藤さんと逢った……」
「……あぁ」
たちまち眉を顰めてしまった土方に、総司は慌てた。大急ぎで言葉をつづける。
「こういうカップルシートって、すごく密接な感じがするから、あの時、ぼく、慌てちゃった。でも、今はとってもくつろげるんだけど」
「恋人なんだから、当然だろ」
「そうですよね。あ、そうだ。土方さん、あの時、やきもち焼いたでしょ」
「は?」
いつもの如くで、びっくり箱みたいにポーンと話が飛躍してしまう総司に、土方は首をかしげた。
今度は、いったい何を云い出したのかと思う。
そんな土方の前で、総司は嬉しそうに笑った。
「ほら、うちの大学の助教授の。彼女の事で、やきもち焼いたから、あの時機嫌悪くなったのでしょう?」
「……そうだっけな」
「忘れたふりして! ぼくは覚えてますよ。土方さん、急に機嫌悪くなるんだもの」
「あたり前だろうが」
ちょっと拗ねた口調で答える彼が、何だか可愛らしく思えて、総司はにこにこ笑った。
「何だよ」
見返す土方に、
「なーんにもありません」
と、答えてから手をのばし、土方の腕にぎゅっと抱きついた。
嬉しくて楽しくてたまらない。
さっき、お酒を少しだけ飲んだせいか、ふわふわしたいい気分だった。
その気分の高揚は、レストランを出てからも続いていたので、総司は超ご機嫌状態だった。
車の中でもあれこれ楽しそうに喋り、別荘についてからも少しお茶を飲んでから、先にお風呂頂きますね〜と入ってくる。
きちんと白いパジャマを着て出てきた総司に、冷たい飲み物を渡してやりながら、土方は「先に寝るなよ?」と念押しした。
妙に、不安になってしまったのだ。
「え?」
総司はきょとんとした顔で、土方を見上げた。濡れた髪が白い首筋に纏わりつき、どきりとするぐらい色っぽい。
「先にって……そんな、子供じゃないんだから」
くすっと笑い、総司は軽い足取りで身をひるがえした。ぱたぱたとスリッパの音をたてて、寝室へ入ってゆく。
それを見送り、土方もバスルームへ向った。海からあがった時に一度シャワーをあびているので、手早く済ませる。
総司と色違いの黒いパジャマを着て、土方は寝室に入った。昼間の海のつづきだ! とばかりに、勢い込んでドアを開ける。
だが、しかし。
「……総司?」
返事はなかった。
大きなベッドのど真ん中。
総司は、すぴすぴと、思いっきり熟睡していたのだ。
「……マジかよ」
たっぷり5秒ほど立ちつくしてから、土方はベッドの傍に歩み寄った。膝で乗りあげ、総司の肩を掴み、かるく揺さぶってみる。
だが、総司は全く無反応だった。
幸せそうな寝顔で、すやすや夢の中だ。
それから、数分間。
土方は何度も何度も呼びかけ、揺さぶり、「頼む、起きてくれ!」と懇願までしたが、起きる気配は一向になかった。
海で泳いだ事で疲れていた上に、ほんの少しのお酒が追い討ちをかけたのだろう。
ほんのりピンク色の頬で、すやすや眠る総司を見下ろし、土方は、はあぁぁっとため息をついた。
もはや、諦めるしかない。
男は諦めが肝心なのだ。
だが、しかし。
ちょっと切ないメランコリックな気分になってしまうのは、当然のことで……。
「……寝よう」
がっくりした気分で呟いた土方は、総司の傍らの身をすべりこませた。躯を横たえる。
そのとたん、総司が、
「んっ……土方…さぁん……」
むにゃむにゃ寝言を云いながら、身をすり寄せてきた。
起きてくれたのか!?と淡い期待を抱いて覗き込んだが、やはり、可愛い恋人は爆睡中で。
(……世の中、こんなものだよな)
土方は総司の細い躯を抱きよせると、達観しきった気分で目を閉じたのだった。
翌日、土方と総司は、近くにある向日葵畑へと出かけた。
近くと云っても、車で数十分かかる処だ。
午前中、海へ入るには水温が低すぎるため、向日葵畑をまわったり、買い物したりして過ごす事にしたのだった。
「わぁ、綺麗……!」
総司は一面に広がる黄色の花畑に、歓声をあげた。
大きな向日葵の花が皆、同じ方向をむいている様は、壮観だ。
夏の濃い青空の下、向日葵が一面に咲く様は、まるで絵はがきのようだった。
「総司、こっちだ」
順路は決まっているため、土方が総司にむかって手をさし出してくれた。
白い開襟シャツに、ブラックジーンズという姿の土方は、やっぱり、あちこちの女性の視線を独占している。
総司にむけられたきれいな笑顔も、思わず見惚れてしまうほどだ。
そんな彼に恋人として大事にされている幸せを噛みしめながら、総司はそっと掌を重ねた。しっかり握りしめてくれる彼が嬉しい。
大きな瞳で見上げると、土方は優しく笑いかけてくれた。それに何だか気恥ずかしくて、思わず俯いてしまう。
土方がくすっと笑った。
「すげぇ可愛い」
「な、何っ、突然」
「可愛いから可愛いって、云ったんだよ」
そう云うと、土方は総司の手をしっかり握ったまま歩き出した。総司は頬を染めつつ、彼に従う。
二人は手を繋いだまま、向日葵畑の中をゆっくりと散策した。
日射しはあるが、爽やかな風が吹きすぎてゆくため、意外と涼しい。何よりも東京と違って、空気が澄んで清々しかった。
その後、ふたりは向日葵畑の近くにある店に入った。
買い物をするためだったのだが、そこで総司は「噂をすれば影がさす」という諺を、しみじみ思い出す事となった。
「あら、総司くんじゃない」
それは、土方と離れ、総司が一人であれこれ雑貨を眺めている時だった。
突然、後ろからかけられた声に驚いてふり返れば、そこには、総司の大学の助教授が立っていたのだ。
華やかで、それと同時に、大人の女性の可愛らしさものぞかせる魅力的な笑顔をうかべ、彼女は歩みよってきた。
「こんな処で会うなんて、奇遇ね」
「美奈先生」
総司は慌ててぺこりと頭を下げ、挨拶した。
親しくして貰っているとはいえ、小林美奈助教授は目上であり、大学では教壇に立つ身なのだ。
礼儀正しい総司は、いつもきちんと接するよう心がけていた。そのあたりも、美奈に気にいられている。
本来なら、小林助教授と呼ぶべきなのだが、誰もが美奈先生と呼んでいるので、総司もそれに従っていた。
「バカンス? 彼女と?」
「い、いえ……えーと……」
「じゃあ、お友達? 私も、友達と小旅行なのよ」
くすっと笑ってから、美奈は悪戯っぽい瞳で総司を覗き込んだ。
「そうだ、この後、近くのレストランで食事をとる事になっているんだけど、総司くんも一緒に来ない? よかったら、お友達も一緒に」
「えっ、それはちょっと……」
総司は慌てて手をふった。
とんでもない話だった。
土方と一緒に、美奈と食事だなんて、考えただけで喉がつまってしまいそうだ。
いくら天然な総司でも、それがどれ程まずい状況か、それぐらいはわかる。
だが、無碍に断る訳にもいかなくて……。
「えーと、その……」
口ごもる総司に、美奈は小さく苦笑した。
「何だか、困らせちゃったみたいね」
「え? そんな事は」
「いいのよ、無理しないで」
美奈はそう云ってから、さらりと片手で栗色の長い髪をかきあげた。そんな仕草も絵になる。
まるで、モデルのようだった。
その証拠に、けっこう広い店内で、男達の半数近くは、美しい美奈に見惚れていた(残り半数は、可愛い総司に見惚れていたのだが)
そんな彼女に、ぼーっと見惚れながら、総司は、
(美奈先生って、土方さんと似てるよね。容姿じゃなくて、雰囲気とか、見惚れられていても無頓着な処とか。あ、だから、ぼく、あの頃……)
そんな事をつらつら考えだした時だった。
不意に、後ろから呼びかけられた。
「総司」
びくんっと肩を震わせてふり返ると、いつのまに戻ってきたのか、土方が歩み寄ってくる処だった。
「さっき、おまえが探していた……」
云いかけ、総司の傍にいる美奈の姿に気がつく。
形のよい眉が僅かに顰められた。無言のまま問いかけるような視線を向けられ、ううっと詰まる。
本当は紹介したくない。
とんでもなく、やばい気がするのだ。だが、ここで何も云わずに去るのは、かえってまずいだろう。
総司はしぶしぶ、美奈を紹介した。
「あの、えーと……ぼくの大学の助教授をされている、小林美奈先生です。美奈先生、この人は……土方さんです」
まさか恋人と紹介する訳にもいかず、そう云った総司に、気のせいか、美奈は微かに苦笑したようだった。
だが、すぐ、にこやかな笑顔で挨拶した。
「こんにちは、小林と申します」
「土方です」
さすがは将来の警察官僚。
腹の中がグッツグツ煮えたぎっていても、外向きの笑顔は見事なもので、土方は丁寧に挨拶してみせた。
だが、その後は沈黙が落ちてしまう。
美奈は小さく微笑んだ。
「こちらの総司くんにもお誘いしていたのですが、お食事、ご一緒にいかがですか?」
「……」
土方は問いかけるような視線を、総司にむけた。承諾したのかと訊ねられている気がして、総司は慌てて首をふった。
「美奈先生、それは」
「女性二人、男性二人で、ちょうどいいかな?と思ったの。とっても素敵な方だし」
そう云ってから、美奈は総司の方を見た。どこか悪戯っぽい瞳で、笑いかける。
「もちろん、わたしの好みは、総司くんだけどね」
「え、えぇっ!?」
たちまち、総司は耳朶まで真っ赤になってしまった。慌てて、両手をふる。
「み、美奈先生、冗談は……」
「あら、何度も云ってる事じゃない。わたし、総司くんの事、だい好きよ」
「あ、あの、えーと……」
うろたえる総司に、美奈はくすくす笑った。
その時、向こうの方で「美奈さーん!」という女の子の声が響いた。美奈はふり返ると、かるく手をふってみせた。
それから、「じゃあね」と、総司に微笑みかけ、土方に目礼してから、踵を返した。静かな足どりで歩み去ってゆく。
見送る総司に、しばらくの間、土方は何も云わなかった。
重苦しい沈黙が、二人の間に落ちる。
やがて、土方が低い声で呼びかけた。
「……総司」
「は…はいっ」
焦りのあまりか、声が裏返ってしまった。
そんな総司に、土方は一瞬、目を見開いたが、すぐ微かに吐息をもらした。ゆるく首をふる。
「……何でもない」
「? 土方、さん?」
「いや……おまえがさっき探していた菓子、あっちにあったぞ。品切れじゃなかったみたいだ」
「え? ほんと?」
総司はそう聞き返した。
ちょっとわざとらしいぐらいの調子で、喜んでみせた。
「わざわざ探してきてくれたんだ。ありがとう!」
にこにこ可愛らしい笑顔なのだが、微妙に土方から距離を置こうとしている。
総司は両手を握りあわせつつ、愛らしく小首をかしげた。
「じゃ、じゃあ……えーと、さっそく見てこようかな? 試食おいしかったし、おみやげに買うのもいいなぁと思うし」
そう云うなり、そそくさと、まるで逃げるように土方の傍から離れた。あっちというのが、どっちかも聞かぬまま、大急ぎで店内を横切ってゆく。
「……」
そんな総司を見送り、土方はため息をもらした。
