結論から云えば、潜入捜査は成功だった。
2週間後、土方も無事に帰ってきた。そう、帰ってきたのだが……
「怪我したってほんと!?」
家のドアを開けたとたん、総司は思わず叫ぶように訊ねてしまった。
その勢いに、土方は一瞬目を見開いた。だが、すぐに微かに笑うと、玄関ドアを閉めてから框をあがる。
「早耳だな。誰から聞いたんだ」
「斉藤さん、ですけどっ」
「やっぱり」
スリッパを履いてさっさと歩いてゆく土方を、総司は追いかけた。
「っていうか、それより怪我したって本当なんですか?」
「あぁ」
土方は肩をすくめ、ちょっと軽く腕を撫でてみせた。
「銃弾が掠っただけだ。かすり傷さ、たいした事ねぇよ」
「か、かすり傷って……」
「入院する程じゃねぇんだし、どれぐらいかわかるだろ」
「そんなの、わかりません」
きっぱり云いきった総司に、土方はため息をついた。突然、足をとめると、ふり返る。
そして、きょとんと見上げる総司に身をかがめ、なめらかな頬にキスを落とした。
「ただいま」
「お、お帰りなさい」
「約束どおり、無事に帰ってきただろう? こんなかすり傷ぐらい、ものの数にも入りゃしねぇよ」
「でも」
まだ云いつのろうとする総司の前で、土方は小さく欠伸をした。スーツの上着を脱ぎながら、洗面室へと入ってゆく。
「疲れているんだ。とりあえず風呂に入らせて貰うよ」
「……はい」
総司は仕方なく頷いた。
彼の云うとおり無事に帰ってきてくれたのだから、良しとするべきだろうし、それに、疲れている彼にあれこれ云うのも悪い気がしてしまう。
総司はすぐさまキッチンに戻ると、せっせと食事の支度を始めた。お風呂からあがってきた土方に、あたたかいご飯を食べさせてあげたかったのだ。
だが、土方はいつまでたっても戻ってこなかった。
初めは長めのお風呂だなぁと思っていたのだが、やがて、いい加減心配になり、総司はバスルームへ向った。扉の前で、そっと呼びかける。
「土方さん……?」
返事はなかった。それに、はっと息を呑んだ。
慌てて洗面室のドアを開いたとたん、心臓がどきりと跳ね上がった。
「土方さんッ!」
洗面台の前で土方は膝を折り、両腕の中に顔をうずめていたのだ。
風呂から上がり、着替えている最中に気分が悪くなったのか、普段着のネルシャツとジーンズは身につけている。
だが、釦はとめられずシャツの前は開かれたまま、乱れた黒髪もまだしっとりと濡れていた。
総司は慌てて駆け寄り、その肩に手をかけた。
「土方さん、大丈夫!? き、気分が悪いのっ?」
「……大丈夫…だ」
くぐもった声が答えた。
土方は両腕に顔をうずめたまま、細くため息をついた。
「ちょっと……目眩がしただけだから」
「でもっ」
「出血したからな……そのせいかもしれねぇ」
「救急車、呼びます!」
「大げさな事、するな。少し待てば……」
「じゃ、じゃあ、斉藤さんに頼むから、ちょっと待っていて」
総司は病院まで土方を車で送る自信がなかった。動揺して、事故してしまいそうな気がしたのだ。今も、電話のボタンを押す指さえ震えているのに、運転なんか出来るはずがない。
斉藤はすぐ駆けつけてくれる事になった。それに、ほっと安堵の吐息をもらす。
洗面室に戻ると、土方はまだ洗面台に突っ伏していた。じっと眉を顰め、目を閉じている。
その端正な横顔がとても青ざめている事に気づき、総司は息をつめた。そっと傍らに寄りそい、その肩に頬を寄せる。
土方が低い声で云った「……すまない」という言葉が、何だかとても切なかった。
診断は過労だった。
むろん、怪我による貧血もある。
土方は三日程短期入院する事になり、総司は病院へせっせと通った。
ちょっと心配したが、土方もさすがに懲りたのか、医者の云うとおり大人しくしているようだった。それに、総司もほっと胸を撫でおろす。
安静にするよう、また説得したり、脱走しないよう見張らなくてはいけないのかと思っていたのだ。
だが、結局の処、土方が大人しくしていたのは、三日だけだった。というか、三日が限度だったというべきか。
退院の日、車で迎えに来てくれた斉藤に、いきなり云ったのだ。
「このまま本庁へ連れていってくれ」
「……は?」
斉藤は、目を丸くした。ハンドルを握ったまま、固まっている。
それに、総司は慌てて横から叫んだ。
「な、何を云っているんですか! 土方さん、退院したばかりで」
「退院したからこそ、云っているんだ。例の仕事、行方くらましちまったらしいじゃねぇか」
「潜り込んだ先は判明しています。それを今、引きずり出そうとしている処で……って、何で土方さんが知っているんですか」
「島田が口を割った」
「……」
見舞いに来た島田にプレッシャーをかけまくり、聞き出したのだろう。
もはや何も云う気になれず、はぁっとため息をついた斉藤を見てから、総司が断固とした口調で云った。
「何があっても、絶対駄目ですからね。あと三日は家で安静にって云われているんですから」
「寝てばかりいられるか」
「そうやって不摂生ばかりしているせいで、倒れたんでしょ。あんなの……ぼくはもう二度と嫌だもの」
大きな瞳を潤ませて訴える総司に、土方もさすがに黙り込んだ。だが、まだ仕事が気になって仕方がないらしく、苛立った表情で眉を顰めている。
全然諦めていないのは、確かだった。
ここのままでは、今日の処は家へ帰っても、明日の朝から登庁すると云いかねない。
斉藤も同じことを思ったらしく、帰り際、総司をこっそり外に呼んで云った。
「絶対、土方さんを出したら駄目だぞ」
「わかってます」
「あんな弱っている状態で行ったら、今度こそ命が危険に晒される。ただでさえ危ない仕事だったんだ。それを怪我した状態で行くなんて」
「でも」
総司は困ったように、視線を落とした。
「ぼく一人じゃ……止める事できませんよ。しがみついたって、ふり払われちゃうもの」
「体格差あるものな」
斉藤はため息をつき、総司をあらためて眺めた。
二十歳を過ぎたというのに、総司は今尚、瑞々しい少年のようだった。
ほっそりとした小柄な躯は若鹿か、未成熟な少女を思わせ、男の庇護心をたまらなくかきたてる。
「けど、土方さんが総司をふり払うなんて、ちょっと考えられないだろ」
「そう思います?」
「乱暴な事、された事ないだろうが」
「えーと、ありますよ。でも、あれは乱暴とは違って、その……強引っていうか、何ていうか……」
もごもご口ごもり、真っ赤になって俯いてしまった総司を、斉藤はじーっと眺めた。だが、すぐ、総司が夜の行為の事を云っているのに気づいた。バカップルののろけに馬鹿馬鹿しくなる。
「とにかく」
斉藤はこほんと咳払いしてから、云った。
「絶対に止めてくれ。三日間、しっかり療養させてからでなきゃ、こっちも受けつけないから」
「うーん……」
どうしたらいいのかと悩んでいる総司を眺めるうちに、斉藤は、さっきの会話からある連想をした。思わず、ぽんっと手を叩く。
「そうだ、その手があった」
「は?」
「総司、ちょっと耳を貸して」
にっと口を弧に描いた斉藤は身をかがめると、総司の耳元に、ひそひそと囁き始めたのだった。
「斉藤と何を話していたんだ」
玄関ドアを開けて入ると、いきなりそう問われた。
顔をあげれば、土方はリビングの戸口に軽く凭れかかり、両腕を組んでいる。
紺色の襟元がVのセーターに、シーンズという恰好がとてもよく似合っていた。シンプルな装いなのだが、土方が着ると、彼特有の華で人目をひくのだ。
煩わしげに黒髪を片手でかきあげ、僅かに目を細めた。
「どうせ、斉藤に云い含められていたんだろ。俺を家から出すなとか、何とか」
「わかってるなら、聞かなきゃいいじゃないですか」
ため息をつきつつ答えた総司に、土方は面白くなさそうな表情をうかべた。さっさとリビングへ戻り、ソファに坐りながら云う。
「家にいたって、こうしてぼーっとしているだけだろうが。躯がなまっちまう」
「じゃあ、お家で筋トレでも何でもお好きにどうぞ」
総司はキッチンへ入り、お茶の支度をしながら云った。
「怪我に差し障りのない程度だったら、別に構いませんから」
「怪我なんて、とっくに治っているよ」
「ふうん?」
総司はリビングへ戻ると、ソファの傍に身をかがめた。そうして、にこっと笑いかけてから、いきなり、ぺちっと男の腕を叩く。
「いたっ」
「ほら、痛いじゃない」
「あたり前だろうが!」
土方は思わず叫んだ。
「傷跡叩かれたら痛いに決まっている」
「そうかなぁ。まだ怪我が治ってない証拠だと思いますけど」
総司はソファに腰かけ、きっぱりと云った。
「絶対絶対、駄目ですからね。三日間、この家でしっかり療養させて貰います」
「いやだ」
「……いやだって、子どもじゃないんですから」
土方はソファに坐りなおすと、総司の肩へ腕をまわした。ちょっと身をかがめ、濡れたような黒い瞳で覗きこんでくる。
端正な顔が間近にせまり、総司は頬が上気するのを感じた。いい加減慣れてもいいだろうに、どうしても、どきどきしてしまうのだ。
「総司……」
形のよい唇が、恋人の名を呼んだ。それに、慌てて答える。
「は、はい」
「おまえは、いつか、俺が仕事に励む姿を、真摯で誠実でいいと褒めてくれたよな」
総司は一瞬詰まったが、しぶしぶ頷いた。
「……はい」
「なら、わかってくれるだろう?」
「何をでしょう」
「俺がさ、中途半端に片付いてない仕事を人に押しつけ、家でのうのうとしているなんて、出来るはずがないって事だ」
「う……わか、りますけど」
「じゃあ、仕事に行くこと許可してくれよ。な?」
そう耳もとに囁きかけた土方は、総司の頬にちゅっと音をたてて口づけた。頬を染めて見上げれば、にっこりときれいな笑顔をむけてくる。
とろけるような甘い笑みに、総司は思わずぼーっと見惚れてしまった。彼が好き好きだい好きの総司は、つい流されそうになってしまう。
こくりと頷きかけた総司だったが、のばした手がさっき叩いた傷にふれたとたん、はっと我に返った。
ここであっさり流されてどうするの!
何よりも、土方さんを守るためじゃない。
頑張らなきゃ、ぼく!
「だめ」
にべもなく云い捨てた総司に、土方の目が見開かれた。まじまじと見つめてから、「総司?」と、なめらかな低い声で問いかけてくる。
その胸に両手をあてて押しのけながら、総司はきっぱりした口調で云いきった。
「絶対に駄目です。おねだりしても、泣いても拗ねても、絶対に許しません」
「……おまえ、可愛げがなくなったな」
「古女房ですから」
平然と答えた総司は、立ち上がった。さっきのお茶の用意のつづきをしようと思ったのだ。
背後で、土方がため息をついているのがわかったが、甘い顔をする訳にはいかなかった。土方のためなのだ。
(でも、きっと諦めてないんだろうなぁ)
総司は深くため息をついた。
そして、翌朝。
一番初めの場面に戻るのである。
「……」
目を開いた土方は、しばらくの間、呆気にとられていた。呆然とした表情で、天井を見上げている。
そこが何処であっても、これ程驚かなかっただろう。
だが、そこは自分の家だった。それも、自分の家の、自分のベッドの上。
「……どういう事だよ、これ」
思わず低く唸った瞬間、カチャッと音がして扉が開いた。そこから入ってきたのは、当然の事ながら、彼の愛する恋人総司だ。
「あ、起きたんですね。おはようございまーす」
場違いなほど朗らかな声音で、総司はにこにこと挨拶した。まだパジャマの上だけを着た、ちょっと悩殺的な姿だ。パジャマの裾からのぞくすんなりした白い足に、思わず視線がいってしまう。
昨夜、もちろん、土方は総司との情事を望んでいた。たが、夕食後、なぜか猛烈な睡魔に襲われ、ベッドに身を横たえるなり熟睡してしまったのだ。
そこまで考えた土方は、ふとある事に思い当たり、愕然とした。
(……猛烈な睡魔って、まさか……)
思いっきり疑問符をうかべた表情で見ると、それに気づいた総司は、にっこり笑顔になった。両手を前にそろえ、ちょっと小首をかしげるようにしながら、愛らしい様子で答えてくれる。
「はぁい、正解! ご飯に睡眠薬いれちゃいましたー」
「…………」
「あれ、効き目が凄いですね。土方さん、すぐに熟睡しちゃうんだもん。でも、よかったぁ、分量多めにしなくって」
「……そんなもの下手したら、病院へ逆戻りだろうが」
「ですよね。今度から気をつけます」
「気をつけなくていい! っていうか、二度も薬盛られてたまるものかっ」
思わず叫んでしまった土方に、総司は、きょとんと目を丸くした。とことこ歩み寄ってくると、ベッドの端に腰かけ、土方を見下ろす。
「土方さん? もしかして怒っているの?」
「……この状況で、怒ってないように見えるのか」
「うーん、見えませんけど。でも、怒られるような事したかなぁ」
「十分してるだろ! どこの世界に、恋人に薬盛られた挙げ句、ベッドに縛り付けられて怒らない男がいるんだ」
「斉藤さんは、土方さんなら大丈夫大丈夫と云ってましたよ」
「……やっぱり、斉藤の差し金か」
土方はげんなりした気分で、呟いた。
何しろ、先程から会話を続けつつ、何度も自分の手首を縛っている紐を解こうとしたのだ。
だが、何をどうしても解けない。
こんな縛り方、総司が知るはずもなかった。これはプロのやり方だ。
となると、総司にこれを教えたのは斉藤だとしか考えられなかった。
昨日、家の外でこそこそ話していたのは、この段取りの打ち合わせだったのか……。
「打ち合わせっていうか、色々と教えて貰ったというか」
総司は口ごもりつつ、云った。
「だって、ぼく、絶対に土方さんを仕事に行かせたくなかったから。心配で心配で、仕方がなかったんだもの」
「それはわかるが、けど、ここまでする事ないだろ」
「ここまでしないと、土方さん、仕事に行っちゃうじゃない」
きっぱり云いきった総司は、「でもね」とにっこり笑った。可憐な笑顔なのだが、どこか怖いものを感じ、土方は思わず凝視した。
総司はベッドに這い上がってくると、「よいしょ」という可愛いかけ声と共に、土方の上に跨ってしまった。そのまま、ぴったりと躯を寄せてくる。
「ちゃんと慰めてあげるから。いい事してあげるから、それで大丈夫でしょ」
「斉藤の大丈夫は、それも含めてのことか」
「うん」
「なら、まずは先に紐を解いてくれ」
「それは駄目」
とたん、総司は真面目な顔になった。
「だって、解いたら、土方さん、すぐさま逃げ出すもん。仕事に行っちゃうじゃない」
「行かねぇよ」
「そんなの信用できませーん」
総司は甘い声で笑いながら、うきうきした様子で土方のパジャマを脱がせ始めた。腕を縛られているので、前の釦だけ外し、褐色の肌にちゅっちゅっと口づけてくる。
「……」
土方は形のよい眉を顰め、それを眺めた。
総司にあれこれされるのはいい。
だが、縛られてというのは、どうだろう。
生憎、そういう事をされて燃えるタイプではないのだ。
やっぱり、するなら自分が主導権を握りたいし、この手で総司を抱きしめたい。
「なぁ、総司」
あちこち口づけてくる総司に、土方は何とか息を整えつつ(当然、刺激になるのだ)出来るだけ落ち着いた声で云った。
「おまえだってさ、慣れない事をするの、大変だろ? ここはやっぱり……」
「全然、大丈夫です」
「……」
黙り込む土方を前に、総司は大きな瞳をきらきらさせた。細い指さきが、彼の首筋や鎖骨を撫でる。
「前からね、こういう事したいなって思っていたの」
「こういう事って……」
「土方さんを縛って、好きにしちゃうの? だって、滅多に出来ない経験じゃない」
「……」
(こんな経験、何度もされてたまるか!)
自分が今まで総司にさんざんしてきた事を棚にあげ、男はそう思った。ちょっと躯を捩ってみるが、いかんせん、総司が上に乗った状態では動きにくい。
そうこうしているうちに、総司は自分のパジャマの前釦も外し、素肌をあわせ始めた。絹のようになめらかな肌がふれ、心地よい。総司はベビーピンクの唇を男の肌に押しあてながら、ズボンに手をかけた。
それに、慌てて抵抗する。
「ちょっと待った!」
「やだ、待たないもん」
「絶対駄目だ」
土方は身を捩り、必死になって抵抗した。
このまま総司に好きなように致されてしまうなんて、矜持が許さない。
睡眠薬を盛られた挙げ句、縛られた事にも気が付かず熟睡して、その上、貞操の危機(?)に瀕するなど、男の沽券にかかわる問題ではないか!
「土方さん」
総司が潤んだ瞳で、彼を見つめた。
土方の上に跨ったまま、ちょっと小首をかしげるようにして訊ねてくる。
「そんなに……いや?」
「嫌だ」
「ぼくが、一生懸命お願いしても……?」
「……え」
土方は思わず詰まってしまった。それに、土方の上に乗っかったままの総司は、突然顔を伏せたかと思うと、さめざめと泣き始めた。
「……ぼく、土方さんが心配で……ずっと心配していて。でも、お仕事のことだから余計な事、云わないように我慢していたの。それで、土方さんが倒れて、本当に怖くて……不安でたまらなくて……」
「それは、その……悪かったと」
「だから、危険な場所に行って欲しくなくて。でも……土方さん、きっと嫌がるだろうなぁと思って、お仕事のこと気にするだろうなぁと思って。だから、せめて、ぼくの躯で慰めようと思ったのに、なのに……ぼく、全然、土方さんを喜ばせられなくて……っ」
うっうっと泣きじゃくっている総司に、土方は胸がぎゅううっと痛くなった
次、お褥シーンがありますので、苦手な方はスルーしてやって下さいね。