「あーもう、何なんだよ!」
土方は思わず叫んでしまった。
視線は総司が駆け込んでいった森へとむけられている。
むろん、今すぐ走って追いかけたいが、さすがの土方もキャンプ用品一式担ぎ、両手に荷物を持った状態で、木の根だらけの道を全力疾走する気になれなかった。
だいたい、どのみちキャンプを張る場所までは一本道だし、それほどの距離でもない。もしかすると、彼が今叫んだ声も聞こえているかもしれなかった。
土方は、はぁっとため息をついた。
とりあえず背中の荷物をゆすりあげると、黙々とあるき出した。
森は美しく整えられ、道もきれいなものだ。もちろん、あちこちに木の根はあるが、それでも草花が揺れ、木漏れ日が射し込む森の中はとても静かで美しかった。
森の真ん中を少し過ぎた辺りで、土方は逃げ出したウサギを見つけ、ほっとした。
もしも本当にウサギなら、白い耳がクタッとなっている事だろう。それぐらい、しゅんとした様子で樹木の根本に坐り込んでいた。
が、一方で、めちゃめちゃ可愛い。それこそ、白いたれ耳がないのが不思議なぐらいだった。
絹糸のような髪に、大きな瞳。ふっくらした桜色の唇。しみひとつない真っ白な肌はすべすべで、触り心地がとてもいい事をよく知っている。
華奢で小柄な体を大きめのシャツとジーンズに包んだその姿は、ボーイッシュな格好をした美少女のようだった。それが森の中、坐り込んでいるのだ。
つくづく、他の男がいるキャンプ場に連れてこなくて良かったと思った。
「……総司」
歩み寄った土方は、「ほら」と手をさし出した。大きな瞳で見上げる総司に言ってやる。
「あと少しだ。一緒に歩いていこう」
「……」
「それとも、怪我でもしたのか」
いつものように柔らかな声音で訊ねてくる土方に、総司は小さく首をふった。それに安堵した男の前で、ぎゅっと両手を握りしめた。
小さな声がもれる。
「……ごめん、なさい」
「……」
「我儘ばっかりでごめんなさい。嫌いに……なった?」
「嫌いになる訳ねぇだろう」
長期戦になりそうだと思った土方は、荷物を地面に下ろした。それから、総司の傍に膝をついて、その顔を覗き込む。
「こんな事で嫌いになる程度のつきあいか? けど、正直な話……少しわからなくなっている」
「……」
「今回は度を越しているだろう。何でも子供扱いしていると捉えられたら、俺も対処のしようがねぇよ」
「ごめんなさい。ぼく……」
そう謝って口ごもってしまった総司に、土方は眉を顰めた。
何かあるとしか思えない態度だった。
だいたいおかしいのだ。
総司は時々、わがままを言ったりするが、ほとんど彼を困らせた事はない。
笑ってすませられるような可愛いわがままばかりだった。
それが妙に今回はこだわっている。
彼の言葉にやたら反発して、子供扱いするなと言ってくる総司に違和感を覚えていた。
「……何かあったのか?」
そう訊ねた土方に、総司の肩がびくんと跳ねた。それに思わず声音が鋭くなる。
「まさか、何か危険があったとか、そういう事じゃねぇな? それとも、誰かに嫌なめに」
「ち、違いますよ」
総司は慌てて首をふった。
「危険なんかありませんし、誰のせいでもないの! ぼくが悲しくなっただけで……あ」
口をつぐんだ総司に、土方はため息をついた。そっと手をのばし、髪を撫でてやる。
「そこまで言ったんだ。全部教えてくれよ」
「……」
「悲しくなるって、たぶん……俺のせいだろう? 俺がまた気づかないうちに、何かやっちまったのか?」
「そうじゃないの! そうじゃなくて……見ちゃった…だけなのです……」
もごもごと口ごもりつつ、総司は答えた。それに首をかしげる。
「見た? 何を?」
「土方さんが……とてもお似合いの綺麗な女性と、一緒にいるところ……」
「……」
思わず眉を顰めてしまった。
いったい何を言われているのか、まったくわからない。
浮気か? もしかして俺の浮気を疑っているのか!? と詰め寄りたくなったが、そこはグッと堪えた。
ここで喧嘩になどなったら、この可憐なウサギはまた逃げ出してしまうだろう。
「それ、いつの話だ」
つとめて冷静に問いかけた土方に、総司は俯きがちに答えた。
「2週間前。新宿の方へ出かけた時、見ちゃったの。わかってる、お仕事の人だって。でも、周囲の人も、お似合いねって見とれていて……それ聞いたら悲しくなってきて……」
新宿へ買い物に出かけた時だった。
もともと雑踏が苦手な総司はあまり出ないようにしているのだが、どうしても必要なものがあったので出かけたのだ。
そこで、たまたまお仕事中の土方を見かけた。もちろん、総司はいつも、仕事中の彼を見かけても声をかけないようにしている。お仕事の邪魔をしたくなかったためだ。
その時も、そっと遠目に見守るだけだった。
だが、土方は一人ではなかった。
他にも数人スーツ姿の男たちがいたが、中でも、土方が一番話しかけられていた。それに、とんでもなく目立っていた。隣にいる女性が美人なだけにいつも以上に。
二人とも黒っぽいスーツ姿だった。土方は引き締まった長身だ。スーツを着てきちんと黒髪を整えた様は、禁欲的であるのにどこか男の色香を感じさせた。
切れの長い目に、形のよい唇、引き締まった頬から顎の線はとても精悍で男らしい。肩幅もあり、すらりと長い手足をもつ男はスーツがよく似合っていた。むろん、白いシャツにジーンズ姿の彼もとても格好いいのだが。
その傍に立つのは、美しい女性だった。栗色の髪を結い上げ、ほっそりとした体に黒のスーツを纏っている。大人の香りが匂いたつような艶やかさだった。
二人をぼんやり眺めている総司の耳に、周囲の人たちの声が入ってきた。皆、見とれているようで、「お似合い」とか「恋人同士かな」と囁いている。
本当に、彼らの言葉どおり、二人はお似合いだった。むろん、わかっている。仕事上での関係でしかないと。
だが、それよりも、大人っぽい女性の方が似合う彼とつきあっているのが、自分であること。子供っぽい自分であることに、何だか悲しくなってしまったのだ。
「ぼく、子供だってわかっているし」
総司はしゅんとした様子で、言った。
「大人になれるよう頑張っているけど、でも、子供っぽいの気にしちゃうし。新宿で見たこと、気にしないようにしたけど、でも何度も思い出しちゃって」
「……」
「ごめんなさい……」
うなだれてしまった総司の前で、土方は考えるように黙り込んでいた。
だが、突然、「あぁ、わかった!」と声をあげた。それに、びっくりしてしまう。
目を丸くした総司に、土方が言った。
「おまえが言っている相手、わかった。たぶん、管理官だ」
「管理官……?」
「部署は違うが、上司だな。捜査の全指揮をとる役職だ」
「すごく偉い人?」
「まぁ、そうだな。けどさ、あの人、確かに美人だが、男よりも怖い所謂女傑だぞ。柔道も剣道も達人の域だし、だいたい俺とあの人が似合いだなんて……あの人、幾つだと思っているんだ」
「え、土方さんと同じぐらい?」
「まさか」
土方は肩をすくめた。
「あれで旦那持ち、子供は二人とも成人しているバリバリの女性官僚だ」
「こ、子供って……えぇっ!」
「ほとんど親子ほどの年の差だぞ。まぁ、年齢不詳だが、皆、妖怪って呼んでいる」
「……」
ふつう、そこは美魔女っていうんじゃないでしょうか。
反射的にそう思ってしまったが、どちらにしろ、自分が勝手にあれこれ考えて、勝手にコンプレックス感じて、駄々をこねていた訳だ。
総司は、恥ずかしさに頬がかぁっと熱くなるのを感じた。俯いていると、髪をくしゃりとかき上げられた。
おそるおそる見上げれば、土方が笑いをこらえるような表情で見下ろしている。
「土方、さん?」
「おまえって……本当に可愛いな」
「っ」
「子供っぽくてもいいじゃねぇか。いつもしっかりして一生懸命なおまえが、時々見せてくれる子供っぽさが可愛んだよ」
「でも、それじゃ何も出来ない……」
口ごもった総司に、土方は身をかがめた。ちゅっと音をたてて頬にキスしてくる。
びっくりして目を見開いた総司に、くすっと笑った。
「何も出来ない訳じゃねぇだろ? 逆に、おまえに出来て俺に出来ないことは山程ある」
「本当に……?」
「自覚ないのか? とにかく、おまえに出来ないことを俺がやって、俺が出来ないことはおまえがやる。それでバランスとれていいじゃねぇか」
「……うん」
「恋人ってのはそういうものだ。いや、この場合、伴侶だな。おまえは俺の妻みたいなものだから」
「つ、妻……っ」
思わず絶句してしまった。
まさか、そんなふうに言われるとは思っていなかったのだ。
今までも、磯子に新婚とかからかわれた事があるが、妻なんて言葉、彼自身から言われるとは思ってもみなかった。
何だか恥ずかしくて、わぁわぁ叫びたくなる。心臓に悪すぎる。
顔を赤くしたり青くしたりしている総司を引き起こしてやりながら、土方はきれいな笑顔をむけた。
「そうだろ? 外国なら籍も入れられるし、正式な妻に出来るぜ。まぁ、パートナーと言った方がいいかもしれないが」
「ぜ、ぜひとも、そっちの方でお願いします!」
「? おまえがそう言うなら」
不思議そうにしながら、土方はリュックサックを担ぎ上げた。それに慌てて声をかけた。
「あ、ぼくも荷物持ちます」
「これ、すげぇ重いんだ。だから、無理だと言ったんだが」
困ったようにつづけた。
「小分けするリュックもねぇしな。……あぁ、そうだ」
土方は手に持っていた荷物を見下ろした。色々と細々としたものが入っている。
「こっちを持ってくれ」
「はい」
素直に受け取った総司を見ながら、土方が苦笑した。
「初めからこうすりゃ良かったな。俺も朝方から気がたっていたんだ、すまん」
「ぼくの方こそ、本当にごめんなさい。手間ばかりかけさせて」
「逃げるうさぎを追うのも、なかなか面白かったぜ?」
くすっと笑い、土方は総司の額にキスした。そして、再びリュックサックを担ぎ上げると、歩き出した。もともと、それ程大きな森ではない。10分程歩けば、すぐに森を抜けることが出来た。目の前に広がった美しい光景に、総司は思わず歓声をあげた。
「わぁ……綺麗……!」
そこには美しい湖があった。
湖は山々に囲まれ、神秘的なまでにの美しさと静寂に満ちている。湖面に緑が鮮やかに映り、鏡のようだった。
その湖の畔は芝で美しくおおわれていた。所々に白樺の樹木がある。
「気にいったようで、良かったよ」
ほっとした表情で言った土方を、総司は見上げた。それから、ちょっと小さく笑う。
「? 何だ?」
不思議そうな顔をした彼に、にこにこしながら言った。
「ここ、信子さんの別荘地か何かでしょう?」
「……正解。よくわかったな」
「だって、綺麗すぎるんだもの。森もだけど、この湖も。それに、ほら、ここからは隠れて見えにくいけど、あのコテージ」
総司が指さした方向には、小さなコテージがあった。湖の畔に向こうの森に隠れるようにして、ひっそりと建てられてある。
土方は苦笑した。
「まぁ、わかって当然か。あのコテージなら風呂もあるし、事前に掃除もしてもらっている。むろん、泊まるのはテントにするが、近くにコテージがあった方が、おまえも色々と楽だろうと思ったんだ」
「ありがとう、土方さん」
本当に、彼は総司のためを考えて、色々と準備してくれたのだ。それに深い愛情を感じて、幸せな気持ちになった。
総司がほんの少し素直になれば、彼はこんなにも優しいのだ。
朝方とはうってかわって、楽しい気持ちになりながら、二人はテントを張る準備を始めた。手早く杭を打ち込んでいく土方を手伝いながら、総司は思わず訊ねてしまう。
「なんか、これ……二人用? とっても大きい感じがするんだけど」
「あぁ、5人用だ」
あっさり答えた土方に驚いた。
「5人用って何で」
「2人用とか3人用のって結構狭いんだ。どうせ場所があるんだ、大きい方がいいだろうと思って。それに畳んでしまうと大きさはそんなに変わらねぇしな」
確かに、彼の言葉どおりだった。大きなリュックから取り出されたテントセットは畳んでいる時は小さかったのに、広げれば驚くほどの大きさになる。
最近のテントに進化しているんだなぁと思いつつ、総司はせっせと手伝った。
土方が用意したのはツールームタイプの立派なテントだった。奥が寝室、手前がくつろぐ場所という感じになっている。
ランプなどを下げてから、土方は奥の部屋の床に、ふかふかした厚手のシートを幾重にも敷き詰めた。もちろん、防水シートを敷いてからだ。
その上に広げられるタイプの寝袋を2つ並べておく。物珍しげにそれらを眺めている総司に、土方が言った。
「ベッドタイプもあるんだけどさ、こっちの方がいいから」
「? どうして?」
「キャンプ用のベッドは簡易そのもので狭いんだ。色々したら落っこちてしまうだろ」
「い、色々って……寝るだけでしょ」
「そうだな、寝るだけだな」
くすっと悪戯っぽく笑った土方に、総司はどきりとしてしまった。シートの上に坐ってこちらを見上げる男は、たまらなく魅力的で格好よかった。濡れたような黒い瞳が艶めかしい。
つい、ふらふらとその逞しい腕の中へ吸い込まれそうになってしまい、途中ではっと我に返った。
慌ててぶんぶんと首をふる総司を、土方は面白そうに眺めた。見れば、喉を鳴らしてくっくっと笑っている。
それに思わず飛びつき、ぽかすか肩や胸を叩いた。すると、ゆるく抱きすくめられ、あっという間に組み敷かれてしまう。
「……っ」
びっくりして見上げた総司を、土方は熱っぽい瞳で見下ろした。しなやかな指さきが頬を撫でる。
「こんな所で二人きりで一夜を過ごすんだ」
なめらかな低い声が耳元で囁いた。
「寝るだけで済む訳がねぇだろう……?」
「ぁ……」
「可愛い総司、愛してるよ」
小さく声をあげた総司に微笑み、土方はその白い首筋に顔をうずめた。シャツの釦を外して口づけてくる。肌に彼の唇の感触をおぼえた瞬間、総司は叫んでいた。
「だ、だめッ!」
「え」
突然の抵抗に、土方が目を見開いた。それに、きっぱり言い切った。
「キャンプは健全なものなのですっ」
「……は?」
「だから、キャンプってバーベキューしたり汗を流してスポーツしたり、色々と健全なものだから! そういうのは駄目なのです」
「……」
至極ごもっともな説だが、土方は面白くない。ここの処かなり彼も奔走したし、頑張ったのだ。ご褒美が欲しいと願っても仕方ないだろう。
だが、むろん、土方もこの可愛いうさぎの相手には慣れている。引くべき時も押すべき時もしっかり心得ているのだ。
「そうだな」
土方はにっこり笑うと、え? と戸惑っている総司を抱きおこした。柔らかく引き起こしてやり、軽く衣服を整える。
「すまねぇ。俺が悪かったよ」
「う、ん……」
「じゃあ、食事の準備でもしようか。バーベキューは色々と汚れるし、風呂は後でってことで」
「はい」
こくりと頷いた総司の頬にキスしてから、土方は立ち上がった。さっさと出ていってしまう。
それをぼーっと見送った総司は、何だか拍子抜けした気持ちだった。もっとドンドン押される気がしたのだ。なのに、意外な彼の対応に戸惑ってしまう。
(なんだろう、この妙な違和感……)
知らず知らずのうちに、獰猛なオオカミの巣へ誘いこまれたウサギの本能なのか。
総司は、ぶるぶるっと身震いしたのだった。