切っ掛けは些細なことだった。
いつもより早めに、つまり晩御飯に間にあう時間に帰ってきてくれた土方と総司は、楽しく幸せな時間を過ごしていた。
ご飯を食べ終わって二人で片付けものをして、テレビを見ながら洗濯物を畳んでいた時のことだった。
ふと、呟いたのだ。
「こういうの、やってみたいなぁ」
「? 何だ」
新聞を読んでいた土方が顔をあげた。見れば、総司の視線はテレビに向けられている。
画面には、特集なのかアウトドアの映像が映っていた。キャンプ特集らしい。テントを張り、火をおこして食事をつくっている。タレントたちが楽しそうに、きゃっきゃっと騒いでいた。
だが、一応確認した。
「キャンプか? おまえ、キャンプをしてみたいってことか?」
「んー、そうですね」
総司はテレビを見ながら答えた。
「やってみたいなぁと思います。楽しそうじゃないですか」
「楽しそうって……あれ、かなり大変だぞ。おまえには無理だろ」
きっぱり言い切った土方に、総司は拗ねたように桜色の唇を尖らせた。
「ぼくが無理かどうかなんて、やった事ないのにわからないでしょ」
「そりゃ最近は、コテージ借りてバーベキューしたり、ホテル同様に整備されたキャンプってのもあると聞いた事があるが。そっちなら、おまえでも行けるだろ」
……ここで注釈しておくならば、もちろん、土方は総司を馬鹿にする気など全くなかった。
もともとSAT出身である土方は野営の経験もあるので、キャンプなど慣れたものだ。ただ、それが本格的なものばかり(というか、ハードすぎる)だったので、認識が総司とは違うのだ。
キャンプは大変で面倒で荒仕事と思っているため、そんな事を総司にさせられないという気持ちで言ってしまったのだ。
だが、総司にすれば、違うとり方をして当然だった。
おまえには無理だとか、そっちなら行けるだろとか、馬鹿にされているとしか思えなかった。かぁっと怒りに頬が赤くなる。
「ぼ、ぼくでもって……そんなのキャンプじゃないから!」
「じゃあ、おまえはテント張って火を起こしての本格的なキャンプをやってみたいのか? いや、絶対に無理だ、やめておけ」
「だから何で無理って決めつけるの。土方さん、ぼくのこと馬鹿にしてる?」
「馬鹿になんざしてねぇよ。ただ、おまえには無理だと思うから」
「……っ」
無理だと一点張りの土方に、とうとう総司は切れた。
この可愛いうさぎは、愛らしく可憐な見た目と違って、とてもとても気が強いのだ。油断すれば、キーッと歯をたててくる。
「それが馬鹿にしているんです!」
突然、総司がすっくと立ち上がった。腰に両手をあてると、きっぱり言いきった。
「わかりました。ぼく、キャンプに行きます!」
「……は?」
呆然としている土方を、総司は大きな瞳で見つめた。
「ぼくでもちゃんと出来るってこと、絶対証明してみせますから」
「証明って、キャンプってそういう意義でやるものか?」
思わず言ってしまった土方に、ぷいっと顔をそむけて総司は洗濯物を拾い上げた。そのまま洗面室にパタパタと行ってしまう。
それを唖然と見送っていたが、ようやく気づいた。
総司が怒っているということに(いや、遅いって)。
しかも、一人でキャンプに行こうとしていることに。
(冗談じゃねぇよ! キャンプに一人で行くなんざ。男に追い回されるに決まっているだろうが!)
土方は慌てて新聞を放り出すと、総司を説得するため追いかけたのだった。
「……で、どうなったんです」
うんざりしきった顔で、斉藤が訊ねた。
土方はデスクに腰かけたまま、無言で珈琲カップを口元に運んだ。その不機嫌そうな様子に、肩をすくめた。
「つまり、状況は変わっていないと」
「仕方ねぇだろ、総司、絶対行くと言い張っているんだ」
「あー、総司も意地っぱりですからね」
ふむふむと頷いてから、自分も珈琲を飲んだ。
セクションに人の数は少ない。今日、他は皆、仕事で出払っているのだ。たまたま、土方と斉藤は空いていたため、溜まっているデスクワークを片付けている処だった。
最近、妙に苛立っているなと思った斉藤が、休憩がてら聞いてみると、予想どおり総司関連だったという訳だ。この男の場合、それ以外ありえないが。
「でも、今度のことはオレも土方さんに賛成ですね」
斉藤は言葉をつづけた。
「あの総司が一人でキャンプに行くなんて、無理に決まっています。馴れていないのに。下手すれば怪我しますよ」
「だろ? それは俺も同感だ。まったく理解できねぇよ」
はぁっとため息をついてから、土方は片手で黒髪をかきあげた。
「どうすりゃいいんだろうな。総司も初めはそんな本気じゃなかったはずなんだが」
「土方さんが火に油を注いだからでしょう」
「……」
不機嫌そうに眉を顰める土方に、斉藤は肩をすくめた。が、ふと気がついた。
「いっそ、逆をとるというのはどうです」
「逆?」
訝しげな彼の前で、自分のアイデアを披露してみせた。
「行くのを止められないのなら、逆に勧めるのです。もちろん、一人じゃない。土方さんも一緒に行くことにして、全部お膳立てした上で」
「俺が? 俺がキャンプに行くのか……仕事でもねぇのに?」
「前も北海道で行ったじゃないですか」
「あれはSATの連中との交流会だから、半分仕事みたいなものだろ」
「まぁ、そうですけど。でも、あそこまで本格的なものじゃなくても、総司が納得する程度で、安全を確保した上、土方さんがサポートしてあげればいいんですよ」
「……」
土方は腕組みし、考え込んだ。
確かに、斉藤の提案は理にかなっていた。
可愛い顔をしていながら一度決めた事は絶対に変えない総司の意思の強さは、よく知っている。そのせいで、今までもどれだけ手を焼かされてきたことか。
今回も反対すればする程、キャンプ行きを諦めないだろう。ならば、いっそ一緒に行けばいいのだ。
他の男に狙われることもない、総司も満足するようなキャンプを手伝ってやればいい。
「とりあえず言ってみるか」
そう呟いた土方は、仕事のスケジュールを確認した。
総司の休みと重なるのは、来週の土日ぐらいだ。一泊だけになるが、それでも総司は満足するだろう。というか、初めてのキャンプで連泊するのは大変だった。できるだけ総司を辛い目にあわせたくない土方は、その日に行こうと決めた。
そんな土方を黙って眺めていた斉藤が、ふと気づいたように言った。
「でも、今、喧嘩状態なんですよね」
「あぁ」
「それだけ反対しまくって今更一緒に行こうと言って、総司が納得してくれますかね」
「……おまえが言い出したんだろうが」
「いや、まぁそうですけど」
「納得できる状況に持っていくだけさ」
「つまり?」
「外堀を埋めちまえばいいのさ」
あの素直で優しい総司が、彼が準備したものを無碍に出来るとは思えない。それだけ愛されている自信はある。むろん、色々と怒られたり拗ねたりされるだろうが。
(まぁ、何とかなるさ)
そう楽観視した土方だったが、ある事を完全に忘れていた。
あのキュートうさぎちゃんが彼の思惑どおりに動いたことなど、一度としてなかったことを……。
重い沈黙が車内を満たしてた。
東京を出発した時から、ずっとこうだ。
総司はシートに坐ったまま、ぎゅっと両手を握りしめた。
(なんでこうなっちゃうのかなぁ)
もしかしたら、自分たちって相性が悪いのかとさえ思ってしまう。
よく喧嘩するし。もっとも、磯子には「喧嘩するほど仲がいいって言うじゃないですか」と言われてしまった。
確かに、外面はよくても、家で二人きりになったとたん、会話もないカップルは多いらしい。いわゆる仮面夫婦だ。
(あ、でも、今会話がないってことは……えッ!? ぼくたち、仮面カップルになっちゃったの?)
いつもどおり明後日の方向へ飛んでいく思考のまま、見上げた土方の横顔は、とても冷たかった。
ほとんど無表情だ。運転に集中しているらしく、微かに眉を顰めている。
それがとんでもなく不機嫌そうで、総司は話しかけることも出来ないまま再び俯いた……。
事の起こりは、昨日のことだった。
金曜日、帰宅した総司は夕飯の支度をしていた。そこへインターホンが鳴ったのだ。
「はぁい」
返事をしてみると、宅急便だという。
何か頼んでいたかなと思いつつ、ドアを開けてみれば、次から次へと運びこまれるダンボール箱。支払いは全部済んでいると言われ、総司は頭を?にしつつ受け取りの印鑑を押した。
いったい中身は何だろうと思ったが、土方のものを勝手に開ける訳にはいかず、とりあえず廊下に放置した。
その日、土方は帰りが早かった。おそらく定時上がりだったのか。
「ただいま」
少し疲れた様子で帰ってきた土方は、ダンボール箱を見ると、「あぁ、着いたのか」と呟いた。それに問いかける。
「これ、何ですか」
「キャンプ用品だよ」
「え」
びっくりする総司の前を、土方はリビングへ入ってゆく。それを慌てて追いかけた。
「キャンプ用品って、何で」
「おまえ、行きたがっていただろうが」
土方はネクタイを緩めながら、切れの長い目で総司を見た。微かに唇の片端をあげる。
「それとも、あれは冗談だったのか?」
「違います! ぼくは本気で行きたいと」
「なら、いいだろ。あれでだいたいの物は揃っている。残りは明日の朝、揃えよう。食料とかは当日仕入れた方がいいからな」
「あの…っ、ちょっと待って」
総司は目を見開いた。
「まさかと思うけど、土方さんも一緒に行くの?」
「あたり前だろう」
「あたり前って、そんなの聞いていない。それじゃぼく一人で出来るって言ったのに、意味ないし」
「なら、予約も二人分の準備も全部やめにしろって事か?」
そう問いかける土方に、総司は唇を噛んだ。
……ずるいと思う。
この分ではキャンプ場の手配も何もかも済んでいるのだろう。しかも、高価なキャンプ用品も全部買ってくれた。
それらを準備するのが手間もお金もかかることを、総司は知っていた。
喧嘩の後、調べてみたのだ。それらを見て、一人では準備さえ無理かもと思ったが、土方の前であんなたんかを切ってしまった以上、引くに引けなかった。
総司は可愛い容姿で小柄で、優しく素直だが、一方でとっても気が強く頑固なところがあるのだ。それも、土方相手となると、かなり意地っぱりになってしまう。
自分でもいけないなぁとは思うのだが。
しかし、今回は引く気など全くなかった!
「土方さん!」
洗面所へ向かう土方を、総司は追いかけた。そのまま言葉をつづける。
「こんなのずるいです。勝手に全部決めて、ぼくが行きたいって言ったのに」
「だから、行こうって言っているんだ。それでいいだろ」
「そうじゃなくて、ぼくは一人で行くの! 一人でもキャンプできること、証明してみせるんだから」
「おまえ……」
深々と、ため息をついた。
手を洗ってからふり返った土方は、洗面台に凭れかかった。腕を組み、総司を見下ろした。
「本当に子供だな」
「ッ!」
総司の目が見開かれた。かっと頬が赤くなる。
震える声で訊ねた。
「ぼくが子供って……どういう意味ですか」
「言葉のままだよ」
土方もやはり苛立っているのか、総司のおかしな様子に気づいていなかった。
「いつまで意地はっているんだ。一人で行けるはずがないって自分でもわかっているんだろ? だから、今まで何も準備しなかったんだろうが。それとも、何か? 俺が一緒に行ったらまずい事でもあるのかよ」
「だって、土方さんが一緒だったら、全部あなたがやるでしょ? ぼくは何もしないことになるでしょ? それじゃ意味が」
「だから、いったい何の意味だよ。一人でキャンプ出来たから何だって言うんだ。そんなもの、馴れている奴は出来るし、初めての奴は講習を受けたりサポート受けたりして行くものだ。おまえがどうしても一人で行きたいなら、講習受けてからにしろ」
「講習……そんなのあるんだ」
総司の呟きに溜め息をついてから、土方は躰を起こした。
「講習があることも知らなかったのか。アウトドア用品の店とか色々な所でやっている。けど、今の季節を逃したら梅雨に入るし、その後は夏だ。行くなら今のうちだろう」
「……」
「明日、行くってことでいいな?」
「……」
長い沈黙の後、総司はこくりと頷いた。渋々とだったが。
それに、土方は念押しした。
「俺も一緒に行くからな? それでいいな?」
「……はい」
総司が小さな声で返事をしたのを確かめてから、土方は洗面所を出ていった。それをのろのろと追えば、ルームウェアに着替えながら言ってくる。
「悪いが、食事は書斎に運んでくれ。仕事を持ち帰っているんだ」
「え……」
「後でいいから」
土方は要件だけ告げると、大股に部屋を横切り書斎へ入っていった。ぱたんと閉まったドアに我に返る。
(どうしよう……)
とんでもない迷惑をかけてしまったのだ。
こんな早く帰ってきたのは、総司に話をつけるためであり、明日の用意をするためなのだろう。総司のために、彼は仕事を持ち帰ったのだ。
なのに、疲れて帰ってきた彼にさんざん我儘を言って困らせた自分が、恥ずかしかった。
「だから、子供って言われるんだ……」
しゅんとなって、ソファに坐り込んだ。
どんなに背伸びしても一生懸命追いかけても、決して追いつけない人。
それはよくわかっているつもりだったし、思い悩む必要もなかった。
土方はいつも、総司が大人になることを急かしたりせず、優しい笑顔で待っていてくれた。
決して先に行くことはなかったのだ。
なのに。
「あんなの見たら、気にしちゃうもの」
目を閉じれば、あの光景がちらついた。
気にする必要などないとわかっている。だが、もともと自分の子供っぽさにコンプレックスを持っている総司からすれば、見たくない光景だった。
総司はぎゅっと両膝を抱え込んだ。
キャンプをする予定の高原へ着いたのは、昼過ぎだった。
とても天気がよいため、青空の下、緑が色鮮やかで綺麗だ。が、総司の目にそれらは全く入っていなかった。
土方は車を駐車場らしい場所に停めると、荷物を下ろした。総司も手伝おうとするが、「いい」とそっけなく断られてしまう。
手際よく荷物をまとめて担ぎあげる土方に、総司は唇を噛んだ。それに、淡々とした口調で彼が言った。
「テントを張るのはあの森の向こうだ。あそこが一番安全だろう」
「ここ、普通のキャンプ場じゃないのですか?」
今頃になって気づき、総司は周囲を見回した。他に車はまったくないし、人の気配もない。目の前には今さっき走ってきた道と簡易的な駐車場、そして、森があるばかりだ。
「おまえ、本格的なキャンプがしたかったんだろう? だから、ここを選んだ」
「……」
「ほら、行くぞ」
「荷物……ぼくにも持たせて下さい」
「いや、おまえには無理だ」
きっぱり言い切った土方に、総司はむっとした。
また言われたのだ、「おまえには無理だ」と。
「そればっかり」
「何が」
「だから、ぼくには無理ってそればっかりじゃない」
「無理だから無理だと、言ったんだ」
子供を宥めるような口調で言う土方に、思わず叫んでしまった。
「また子供扱い? これじゃ、ぼく何もしないで土方さんにやってもらうばかりじゃない!」
「子供扱いとか、そういうのじゃねぇよ」
「完全に子供扱いでしょ? もう、もう……いやだっ!」
駄々をこねる子供みたいだと思った。が、あまりに過保護な土方の態度や、宥めるような口調に、頭の中がぐちゃぐちゃになって、とうとう我慢できなくなったのだ。
総司はパッと身をひるがえすと、森の中へ走り込んだ。後ろで彼の声が鋭く響いたが、振り返らなかった。
駆け出した足元で、草の匂いがわきたった……。