その日、土方は最悪だった。
厄日かと思ってしまう程、とことんついていなかったのだ。
予定していた捜査は捗らず、午後からは長々と下らない会議に付き合わされた。そのため、総司とのデートも断るはめになってしまい、挙げ句、仕事帰りにたまには食事でもつきあえと、上司に連れて行かれたホテルのレストラン。
そこで同席する事になったのは、何故か、第三部長のお嬢さんだった。
ここまでされれば、いくら鈍い男でもわかる。
(……嵌められた)
苦々しげに、心の中で舌打ちした。
どれ程云われても断りつづける土方に業を煮やした狸親父たちが、見合いというこの場をセッティングしたのだろう。
だが、相手の女性に罪はない。仕方なく土方は適当に相手し、さっさと事の結着をつけてしまおうと思っていた。
食事を終えた土方は、帰る女性を送るため、ホテルの一階まで降りた。さんざん信子に仕込まれた甲斐もあり(?)、エスコートは完璧だ。
ホテルのエントランスは吹き抜けになっており、ちょっとしたサロン風になっていた。そこを二人が歩いてゆくと、人々がふり返る。
長身で端正な容姿をもつ土方はもちろん、女性もなかなかの美人だった。
外務省勤務と聞いているが、キャリアウーマン風のきりっとした美しさを備えていた。
そんな二人が歩いている様は、華やかで人目をひいた。誰が見ても似合いの一対だ。
「……」
だが、土方自身は当然、全く気にもとめていなかった。ロビーの中を歩きながら、ちらりと腕時計に目をやる。
まだ7時半だ。
微かに口角をあげた。
今から行けば、総司に逢える。
デートをキャンセルしてしまった埋め合わせに、ケーキでも買って行こう。
総司のお気に入りの店は、確か9時まで空いていたはずだ。
だが、埋め合わせというのは口実だった。実際は、総司に逢いたくて逢いたくて仕方がないのだ。
一年ものブランクを置いていたが、今も、土方は総司にべた惚れだった。総司も彼を愛してくれている。
二人の愛は、ずっとずっと永遠につづいてゆくと信じていた。
先日は、同居の約束まで取り付けたのだから、尚のことだ。
(さっさと片付けて、後は……)
そんな事を考えていた土方は、ふと眉を顰めた。
自分たちを見る視線の中に、突き刺すような鋭いものを感じたのだ。職業柄、全身に緊張感が走る。
「……」
土方はふり返り、さり気なく視線を走らせた。
次の瞬間──思わず息を呑んだ。
(えっ、総司……!?)
エントランスホールのど真ん中。
花が生けられた大きな花瓶近くに、総司が立っていたのだ。
土方の最愛の恋人、可愛い可愛い少年。
どうして何で、よりによってこんな時にここにいるのかさっぱりわからないが、総司はめちゃくちゃ怒っていた。
ものすごい目つきで、土方を睨みつけている。
大きな瞳がきらきら輝き、なめらかな頬が薔薇色で、怒った様もなかなか可愛らしかった。
だが、そんな呑気な事を思っている暇はない。
土方とばっちり目があったとたん、総司はくるりと背を向けた。あっという間に、走り出していってしまう。
「! 総司……っ!」
男の声は、思ったよりホールに響いた。皆、驚いたようにふり返る。
ふり返らないのは、総司一人だった。さっさと近くのエスカレーターを駆け下りてゆく。
それが地下鉄駅直結だとか、総司の家への最短ルートだとか、妙に事務的な事が頭を駈けめぐったが、それどころではなかった。
土方はとりあえず女性に謝ると、総司の後を追って走り出した。エスカレーターを駆け下りる。
ホテルの戸口をくぐって飛び出したそこは、地下街だった。さすが金曜日の夜だけあって、人でごった返している。もの凄い雑踏のどこにも、総司のほっそりとした姿はなかった。
見失ってしまったのだ。
どう考えても、思いっきり誤解しているだろう総司を。
「……なんで、こうなっちまうんだ」
土方は腹だち紛れに、思いっきり傍らのゴミ箱を蹴りつけた。
総司は階段を駆け下りると、ちょうどやって来た地下鉄に飛び乗った。
あのホテルのロビーで土方が自分の名を叫んだのは知っていたが、とてもふり返る気になれなかった。
ふり返って彼の顔を見たら、思いっきり叫んでしまいそうだったのだ。
なんで? どうして?
ぼくとの約束破って、どうして女の人といるの!?
そんな事できるはずがなかった。
たくさん人がいるホテルのロビーで、そんな事を叫べば、彼に恥をかかせてしまう。それだけは嫌だった。まるでドラマみたいな愁嘆場、演じたくなかった。
だから、総司はその場から一目散に逃げ出したのだ。
「……っ」
総司は電車の中で、きゅっと唇を噛みしめた。
久しぶりのデートだった。
最近、土方は仕事が忙しいのか、あまり逢えなくなってしまっていたのだ。電話もメールもぐんと減り、数えるほどだった。
だからこそ、とても楽しみにしていたのだ。やっと逢えるのだと、朝から嬉しくてたまらなかった。
なのに、急に土方からメールが入って「仕事で駄目になった、ごめん」という言葉に、確かにショックを受けたけれど、仕方ないと自分に云い聞かせた。
仕事なのだから、彼が忙しいのはわかっている事なのだから。
何よりも大変なのは、彼自身なのだ。
総司は駄々をこねたくなる自分をおさえ、「お仕事だから仕方ないもの。無理しないでね」とメールを送ったのだ。
なのに───
偶然立ち寄ったホテルのロビーで、彼の姿を見た瞬間、頭の中がまっ白になった。
誰もがふり返るほど美しい女を連れていた彼。
端正なスーツ姿で、微かな笑みをうかべ、まるで映画のワンシーンのようだった。
華やかなカップルに、周囲の人々も皆、見惚れていた。
そんな彼らを、総司はぼんやり見つめるしかなかったのだ。
二人とも、別世界にいるようだとさえ思った。
(綺麗な人だった。ぼくなんかより、ずっとお似合いの……)
思い出すだけで、涙がこぼれそうになった。
このまましゃがみこんで、泣き出してしまいそうだ。
即浮気だとは思わないが、彼と自分では不釣り合いなのだという事が、よくよく思い知らされた気がした。
そんな事、ずっと前からわかっていたけれど、でも。
目の前に突きつけられた現実が、たまらなく辛くて……。
「……はぁっ」
思わず大きくため息をついた総司は、地下鉄を降りると、デパートや夜遅くまでやっている本屋をぐるぐる回った。
途中で、未だだった晩御飯も軽く済ませ、気分転換に買った本やお菓子を沢山抱えて家路につく。
総司のマンションに辿りついた時には、もう夜の11時を過ぎていた。
明日、大学がお休みで良かったと思いながら、のろのろとエレベーターをあがり、廊下を歩いてゆく。
下ばかり向いていた総司は、鍵を取りだしながら顔をあげた。とたん、大きく目を見開いた。
「……!?」
思わず声を呑んでしまった。
総司の部屋のドアに、スーツ姿の男が背を凭せかけて佇んでいたのだ。総司の姿を見ると身を起し、切れの長い目で一瞥してくる。
土方だった。あの時、ホテルで見た恰好のままだ。
呆然と立ちつくしていると、形のよい唇から低い声がもれた。
「……えらく遅い帰りだな」
「土方さん……」
総司は息を呑み、それから、おそるおそる問いかけた。
「もしかして、ずっと待って……?」
「……」
その問いに、土方は不機嫌そうに押し黙ってしまった。だが、総司の言葉通りなのだろう。
あれから3時間近く、彼はここで待っていてくれたのだ。いつ帰ってくるかわからない総司を。
(嬉しい……どうしよう、すっごく嬉しい)
総司の胸が、ふわっとあたたかくなった。
たまらない嬉しさが込みあげ、抱きつきたくなる。仲直りしようと、歩み寄りかけた。
そのとたん、だった。
「こんな遅くまで、いったい何をしていたんだ」
「……え」
男の剣呑な声に、足がとまった。
「前にも云っただろう、夜にあまり一人で出歩くなと。危ない目にでもあったら、どうするんだ」
総司は思わず黙り込んでしまった。
うきたっていた気持ちがしゅ〜っと萎んでしまい、逆に、むかむかしてくる。
こんな遅くまでって。
ぼくがどうして、こんな遅くまでうろうろしていたと思ってるの?
あんなもの見せられて、平気でいられると思っている訳?
だいたい、何? 例のこと謝りも説明もしなくて、いきなりお説教?
ぎゅっと荷物を抱きしめ、総司は俯いた。それから、男の前を横切ると扉の前に立ち、がちゃがちゃと鍵を開けた。ドアを開ける。
当然のように入ってくる男を背中で感じながら部屋に入り、荷物を置いた。
しばらくの間、重い沈黙が落ちていたが、やがて、総司は小さな声で問いかけた。
「土方さんも……」
躊躇ったが、言葉をつづけた。
「あそこで、何をしていたの」
「総司」
「あのホテルで、ぼくとの約束キャンセルして、女の人と逢って何をしていたの?」
「……あれは……」
一瞬、土方は言葉に窮したようだった。煩わしげに前髪をかきあげ、眉を顰める。
投げ出すような口調で答えた。
「あれは、見合いだ」
「!?」
弾かれたように、総司はふり返った。その目が大きく見開かれている。
信じられないという表情に、苦々しさを覚えながら、土方は云った。
「相手は、警察関係者、第三部長のお嬢さんだ」
「……」
「むろん、俺が望んだ事じゃない。けど、断ろうにも……」
「断れない?」
不意に、総司が激しい口調で遮った。
「そうですよね、断れるはずありませんよね」
「総司」
「だって、あんな綺麗な女の人だもの。とってもお似合いだったし、お見合いだなんて……そんなの当たり前の事じゃない」
「当たり前って……何だよ」
「じゃあ、決まっていた事だって云えばいい?」
総司はぎゅっと両手を握りしめた。大きな瞳で土方を見つめ、云い放つ。
「あなたは将来警察官僚になる人だもの。いつかこうなるって、わかりきっていた。お見合いだって、結婚だって、そんなの当たり前の事なんだから」
「だから、当たり前ってどういう事だよ。俺にはおまえがいるんだぞ」
「じゃあ、何でお見合いなんかするの!?」
「俺の意志じゃねぇって云っただろうが!」
「そんなの云い訳じゃない!」
総司は叫ぶなり、そのまま背を向けてしまった。買ってきたお菓子を冷蔵庫に入れ始める。
もちろん、わかっていた。
彼が望んで見合いなどするはずがない事を。
だけど、どうしても思い出してしまうのだ。
自分なんかより、ずっとずっとお似合いだった女性に、優しく微笑みかけていた土方の表情を……。
「……っ」
きゅっと唇を噛みしめた時、背後で、土方がため息をついたのが聞こえた。
それから、低い声が呟いた。
「……もういい」
(え……?)
目を見開いた。どきりと心臓が鳴る。
ふり返ろうと思ったが、怖くて出来なかった。
じっと立ちつくしていると、土方がそのまま出ていってしまう気配がした。やがて、バタンと扉が閉じられる。
「……あ」
総司は慌ててふり返った。だが、そこにはもう彼の姿はない。
あまりに理不尽な事ばかり云っている総司に呆れ、土方は帰ってしまったのだ。
せっかく来てくれたのに。3時間も待っていてくれたのに。
なのに。
「ぅっ……」
今度こそ、涙があふれた。
堪えきれなくて両手で唇をおさえ、キッチンの床に坐り込む。
自分が、とんでもなく子どもで我侭に思えた。彼の言葉も聞かず拒絶してしまったのだ。彼が怒って当然だった。
後悔しても、もう遅い。
一度放ってしまった言葉は、もう返らないのだ。
総司は両膝を抱えこむと、ぎゅっと固く瞼を閉じた……。
「……で?」
箸で相変わらずピーマンをより分けながら訊ねた斉藤に、土方は無言のまま眉を顰めた。
話せと云うから話したのに、何だその態度はという表情である。
それに、斉藤は、はぁっとため息をついてみせた。
「この際、一言いわせて貰いますけどね」
「……何だ」
「どうして、そこまでバカ正直に云っちゃうのです」
「バカ正直……」
「第三部長のお嬢さんだとか、見合いだとか、そんなの云う必要がない事でしょう」
「そうか?」
土方は僅かに小首をかしげた。
「正直に云った方がいいだろう。嘘はつきたくなかったし」
「嘘も方便って言葉があるんですよ。黙っていればいいものを、この人は……」
やれやれと首をふった斉藤に、土方は不機嫌そうに黙り込んでしまった。
だが、そうして眉を顰め、腕を組んでいる様は渋くて恰好いいと云われるのだから、いい男はとくだ。
きつねうどんを啜りながら話を聞いていた永倉が、訊ねた。
「それでさ、そのお嬢さんはどうした訳?」
「え?」
「だから、その第三部長のお嬢さん。総司追いかけてったあんたに、怒らなかった訳?」
「あぁ……」
土方は苦笑した。
「年下好みなのかって聞かれたよ。自分も年下の男が好きで、つまりは俺は範囲じゃねぇって事だ」
「そりゃまぁ、不幸中の幸いだねぇ」
「まぁな」
頷きつつ、土方はふと遠い目になった。
あれを幸いと云うのか何なのか、とにかく昨日は厄日だったとしか思えない。
3時間も待った挙げ句、謝ることも弁明も出来ず、総司にあんな泣きそうな顔をさせてしまったのだ。
いや、きっと泣いていたのだろう。自分が帰った後。
そう思うと胸が痛むが、あの場合、帰る他なかったのだ。
云い訳だとまで云われてしまって、いったいどう説明したらいいのか。
それとも、斉藤が云う処のバカ正直に説明したからこそ、こんな事になってしまったのか。
土方は深くため息をついてしまった。
そんな彼に、島田がおそるおそる訊ねた。
「あのう……それで、総司さんとはご連絡を?」
「……いや」
土方はゆるく首をふった。胸もとから取り出した携帯電話を弄びながら、答える。
「電話しようかとも思ったが、また同じ事のくり返しになる気がしてな」
「まぁ、今は忙しい時ですし?」
くすっと笑い、斉藤が云った。
「公私ともにお忙しい土方さんは、総司と仲直りする間もないって事ですよね」
「仲直りはしたいさ。けど、総司の方が受けつけねぇだろう」
土方は頬杖をついた。端正な顔に、苛立ちの色がうかぶ。
「お互い頭を冷やすさ。時間を置いて、また話してみるよ」
「その方がいいですね」
斉藤はのんびりした口調で答え、エビフライに手をのばした。ぱくっと食べてから、言葉をつづける。
「まぁ、これ以上はこじれないでしょうし」
「おまえ、他人事だと思って」
「他人事ですから。総司が泣いていると思うと、心が痛みますが」
「これ幸いと慰めに行ったりするなよ」
「さぁ、それはどうでしょう」
にやりと笑ってみせた斉藤に、土方はうんざりした表情で肩をすくめた。
だが、内心では、斉藤でも誰でもいいから、総司の様子を探ってきてほしいと思っていた。それぐらい気になって仕方がないのだ。
その証拠に、連絡をとらないと云った傍から、逆にメールでも入ってこないかと携帯を何度も確かめている。
(これ以上こじれなきゃいいけどねぇ……)
斉藤は土方を眺めつつ、今頃しゅんとしているだろう総司を思った。
