思わず、きょろきょろと周囲を見回した。
 だが、土方の姿はどこにもない。その事に安堵しつつ、電話にむかって小声で云った。
「土方さん……いませんけど」
「そりゃ、あたり前」
 斉藤はあっさり答えた。
「今、現場でイライラしながら捜査しているよ。たぶん、そっちで総司の姿を見たんじゃないかな、それで……あっ、まずい」
 斉藤がそう云ったとたん、電話の向こうで土方の「斉藤!」という声がした。
 確かに、いつもの彼の呼び方ではない。どう考えても、怒っている時の声音だ。
 足音がどんどん近づいてきて、斉藤と土方がかわす会話も総司に聞こえた。
「何、電話しているんだ」
「いや、その」
「さっさとしろ。この忙しい時に、さぼっているんじゃねぇよ」
「すみません……あぁっ!?」
 突然、斉藤が悲鳴のような声をあげた。びっくりして思わず耳を離したとたん、土方の声が流れこんでくる。
 押し殺された低い声が響いた。
「……総司」
「えっ」
 息を呑んだ。思わず躰が固まってしまう。
 そんな総司に、土方は吐き捨てるような声音で云いきった。
「話は帰ってからだ。じっくり聞かせてもらうからな」
「!?」
 聞き慣れた低い声に、心臓をガシッと鷲掴みにされた気がした。さぁーっと血の気がひいてしまう。
 だが、通話はそれきりだった。後には、ツーツーと鳴る携帯電話だけが、総司の手の中に残される。


(ど、どうしよう……っ)


 不思議そうに「どうかした?」と聞いてくる伊庭に、答える事も出来ないまま、総司は呆然と椅子に坐りこんだのだった。












「あんた、それはまずいだろう」
 永倉は箸をふり回しながら、云いきった。
 場所は、いつもお馴染みの警視庁内の食堂である。土方、永倉、斉藤、島田と、お馴染みのメンバーで昼食の最中だった。
 斉藤がちょっと沈んだ表情でピーマンをよけている隣で、永倉は言葉をつづけた。
「話を聞くなんて云って、まるっきり脅しじゃねーの。総司くんが逃げたらどうするつもりだよ」
「どこに逃げるって云うんだ」
 土方が俺様な口調で云い返した。
「あいつが帰る処は、俺たちの家しかねぇんだぞ」
「あぁ、例の愛の巣ね。磯子が、すっげぇ可愛い家だと云ってたよ」
 永倉がそう云ったとたん、斉藤が顔をあげた。
「へぇ、そんなに可愛い家なんですか」
「総司くん好みの家だからなぁ。っていうか、はじめちゃん、まだお呼ばれしてない訳? 出遅れてるじゃん~」
「真打は後から登場するからいいんですよ」
「でも、早く行かれた方がいいんじゃないでしょうか。呼んでいませんでした? なんて忘れられている可能性も……」
 島田の言葉に、永倉がげらげら笑った。
「それありえるー! 総司くんの事だから、あ、ごめんなさい、斉藤さんのこと呼ぶの忘れてました~なんての、ありえる話だものな」
「だから、オレのことじゃないでしょう。今は、土方さんと総司の話のはずです」
 再びピーマンをよけ始めた斉藤に、やれやれと肩をすくめてから、永倉は、黙々とA定食のカツを食べている土方を眺めやった。
 ちょっと考えてから、身をのりだす。
「土方さんもさ」
「何だ」
「あんまり総司くんを束縛しない方がいいんじゃねーの? 他の男と飯食うぐらいは別に許可しても」
 永倉の言葉に、土方は顔をあげた。かるく肩をすくめる。
「飯ぐらいなら、俺も怒らねぇよ」
「だったら……」
「けど、伊庭のために菓子をつくるっていうのは、話が別だ」
「菓子?」
「そうだ」
 土方は投げ出すような口調で答えると、はぁっとため息をついた。
「総司が、この間も聞いてきたんだ。男はどんな菓子が好みかってな。伊庭相手につくるんじゃないだろうなって聞いて、否定されたけど、どこか様子がおかしかったし」
「なるほど」
「挙句、今日の昼食だ。どう考えても、伊庭のためにつくるつもりなんだろうと思ったら、頭にきちまったんだよ。あいつの誕生日だか何だか知らねぇが、他の男のために菓子づくりに励む恋人を見て、喜ぶ男がいるか?」
「まぁ……いないだろうね」
 そう云ってから、永倉はガブッとエビフライをかじった。もぐもぐ食べながら、考え込んでしまう。
 横目でそんな永倉の様子を眺めてから、斉藤が云った。
「でも、まだ伊庭って男のためにつくると、決まった訳じゃないですし。ここは、総司に話を聞いてみたらどうですか」
「だから、話を聞くって電話したんだろうが」
「あれって、そんな穏やかな云い方でした? 総司、今頃、震えあがっていると思いますよ」
「いや、怒っているだろう。あいつ、気が強いから」
「まぁ……それもありえますが、とにかく、家に帰っても穏やかに話した方がいいと思いますよ。喧嘩した挙句に、家出なんて事になったら大変ですから」
「俺があいつを家から出すと思うか」
「……思いませんけど」
 この男の独占欲と執着心を考え、ちょっと疲れた気分で斉藤は首をふった。
 だが、やはり、何とかしてあげたいと思う。こっそり総司に忠告したつもりが、逆に、電話を横取りされた事でプレッシャーをかける事になってしまい、責任を感じずにはいられないのだ。
 しかし、救いの手は別の場所からさし出された。
「思い出した!」
 不意に、永倉が声をあげた。それに、皆が驚いてみると、齧っていたエビフライを置いて、話しはじめる。
「この間さ、磯子が云っていたんだ」
「何を」
「土方さん、あんた、もうすぐ誕生日だろ?」
「え……?」
 土方は目を瞬いた。まったく気にもとめていなかった事柄のため、一瞬、理解ができなかったのだ。
 ちょっと考えてから、「あぁ」と頷く。
「そう云えば、そうだな」
「磯子があんたの家にお邪魔してさ、総司くんとお茶したらしいんだよ。その時、菓子の本を貸して、あんたの誕生日の話が出たんだってさ」
「……」
「総司くん、土方さんのためにプレゼントも用意したけど、お菓子もつくりたいからって、熱心に見ていたって云ってたぜ?」
 永倉の言葉に、土方の目が見開かれた。
「なら、菓子は……俺の?」
「そうじゃねーの」
 永倉はにやにや笑った。
「だいたいさ、あんたとらぶらぶな総司くんが他の男のために菓子づくりなんて、天地がひっくり返っても考えられねーだろ」
「その事実が全く面白くないし、認めがたいという事は別として、永倉さんの意見に、オレも賛成ですね」
 斉藤が肩をすくめつつ、云った。永倉がひゅーと口笛を吹いた。
「お、珍しくはじめちゃん、素直じゃん」
「いつでもオレは素直ですよ」
「へぇ、素直って言葉、いつから意味が変わったんだろうなぁ」
「うるさいですね」
 会話をつづける二人を眺めながら、土方は考え込んだ。携帯を取り出し、総司に連絡をとろうかとも思う。


 完全に、自分の誤解だったのだ。総司が自分の誕生日のために、菓子づくりをするつもりだったなら、本当に悪いことをしたと思う。
 だいたい、総司はいつも、自分のために行動してくれているのに。罪悪感を感じてしまうぐらい、自分より彼を優先してくれる。
その総司が、他の男のために菓子づくりをするなど、確かに考えられない話だった。
 いくら優しい総司でも、そこまではしないだろう。そんな事をすれば、土方が不愉快な気持ちになるということも、よくわかっているはずだ。
 なのに、それを誤解した挙句、脅すような事を電話で云って、総司を怖がらせてしまった。不安な気持ちにさせてしまった。


「電話、するんですか?」
 気が付くと、斉藤が土方の手元を覗き込んでいた。
 それに、「いや」と首を振り、スーツの胸もとへ仕舞い込む。
 今、電話しても、ひどく落ち込んでいるか、怒っているかの可能性が高かった。そうである以上、直接逢って話をした方がいいだろう。電話でまたややこしい事になるのは、避けたいのだ。
「今日は早めに切り上げるからな」
 そう宣言した土方に、永倉は「うまくいくことを祈ってるよ」と、ひらひら手をふってみせたのだった。













 総司は家に入ると、鍵をかけた。
 はぁっとため息をつきながら、家の中へと入ってゆく。
 土方の予測と大きく外れ、総司は全く怒っていなかった。というより、困っていたのだ。


(絶対、怒っているよね)


 何度も何度も云われている事だった。
 伊庭との付き合いに、土方がいい顔をしない事もよくわかっている。しかも、今日は、それを彼自身に目撃されてしまったのだ。
 先日の会話の事から考えて、土方が誤解したのも容易に推測できた。土方は完全に、総司が伊庭のために菓子づくりに励むと思い込んでいるだろう。だからこそ、怒ったのだ。
 一年のブランクをおいて再会してから、土方は総司がびっくりするぐらい寛容になっていた。嫉妬や独占欲をむき出しにする事も少なくなり、他の男と二人きりで逢うことに、いい顔はしなくても、咎めたりすることはなくなっていたのだ。
 だが、今回だけは別だと、総司にもよくわかっていた。
 幾らなんでも、他の男のために菓子づくりをする恋人を、にこやかに見守っていられる彼氏はいないだろう。
 それが誤解だということを、伝えたかった。
 だが、今更電話するのも怖いし、電話だとまたもめそうな気がしてしまう。


「話を聞くってことは……今日、帰ってくるって事だよね。その時に話したほうがいいし……」
 総司は呟き、洗面所で手を洗った。部屋着に着替えてから、キッチンに入ってお茶でも飲もうとして、ふと気が付く。
「そうだ、つくっちゃえばいいんだ」
 まだお誕生日はきていないけれど、早めにつくって渡せばいい。
 ちゃんと素直に「あなたのためにつくったの」と云えば、土方はわかってくれるはず。
 そうすれば、全部OK、一件落着だ。
「うん、そうしよっと」
 総司は元気を取り戻し、さっそく本をバッグから取り出した。先ほど、食料品店で色々と材料も買ってきたので、いくつか候補はある。
「んー、これはアレンジが難しいし……あ、これ、おいしそう」
 気になったのは、小さなタルトだった。
 ナッツなどが盛られたタルトだが、味付けのための酒や調味料があまり見かけないもので、迷っていたお菓子だ。
 だが、総司は今日、その代用品になりそうなものを幾つか購入していた。それでアレンジしてみれば、上手く出来るのではないだろうか。
 もちろん、土方に渡す前に、ちゃんと味見するつもりだった。そのためにも、小さなタルトの方がやりやすいのだ。ホールケーキなどでは、味見も出来ない。
 甘いもの好きの総司が、ちょっと苦みを感じたり、甘くないと思った時は、逆に、土方向けのお菓子という事になるだろう。ナッツのタルトなら、クリアできそうな気がした。


 これなら、土方さんも気にいってくれるはず!


 総司は、よし! と、握りこぶしをつくった。そうして、エプロンをつけると、さっそく菓子づくりに取り掛かったのだった。












 土方は早めに仕事を片付けると、さっさと鞄をデスクの上に置いた。
 それを、斉藤は珈琲を飲みながら見上げた。今日は何が何でも早く帰ってやるぞ! と、意気込んでいる男に、声をかける。
「もうお帰りですか」
「あぁ」
「総司と仲直りするために?」
 そう訊ねた斉藤に、土方は肩をすくめた。切れの長い目が、斉藤を一瞥する。
「おまえには関係ねぇだろう」
「いやいや、関係ありますよ。オレにとって、総司は大切な友人ですから」
「ふうん?」
 土方は目を細め、意地悪く口角をあげた。
「だったら、予定済の結末だけを教えてやるよ」
「予定済の結末?」
「あぁ、そうだ。これから帰った俺は、総司と仲直りして、総司が俺を許してくれて、後日、総司がつくってくれたうまい菓子を食べて、誕生日を祝ってもらって、すげぇ幸せな気分で……」
「もういいです」
 げんなりした表情で遮った斉藤は、かるく土方の背を押した。
「ほら、早く帰って下さい。可愛い恋人が待っている我が家に」
「云われなくても帰るさ。お先に」
「お疲れさまでした」
 斉藤の言葉を背に、土方は家路についた。
 本庁を出ると、足早に駅へと向かう。電車に乗って、家の最寄りの駅についたとたん、スーツの胸ポケットで軽やかな電子音が鳴った。
「……?」
 まさか仕事で呼び戻しじゃねぇだろうなと危惧しつつ、画面を開くと、自宅と表示されていた。総司だ。
 土方は一瞬、躊躇ってから、携帯を耳に押しつけた。通話を繋ぐ。
「……総司?」
 低い声で呼びかけたが、返事はない。
 怖がらせてしまったかと、慌てて声のトーンを和らげた。
「すまん、きつい云い方をしたな。悪かったと思っているんだ」
「……」
「帰る処だ。今、駅についたところで……」
「……土方、さ……っ」
 電話の向こうの声が掠れた。
 それに、土方は息を呑んだ。
 声の様子がただ事ではなかった。明らかに、何かあったのだ。体調を崩したか、怪我でもしたのか。
 思わず電話にむかって叫んでしまう。
「どうした!? 何かあったのか」
「土方…さん、お願い……早く帰ってきて……」
「どこか痛いのか? 苦しいのか?」
「助け、て……っ」
 ひどく切羽詰まった声が、土方に助けを求めた。
 そして、それきりだった。
 プツリと電話は切れてしまったのだ。