「何これ、おいしー!」
総司は思わず声をあげた。
それに、磯子は「ね、そうでしょ」と笑いかけた。
場所はいつもの事ながらの、土方と総司の家だった。別名、万年新婚バカップルの家である。
土方が総司のために手にいれた家は、小さな洋館で、絵本に出てくるような家だ。漆喰の壁に瓦の屋根、緑と花でいっぱいの庭も、窓ガラスごしに射し込む光も何もかも、総司はだい好きだった。二人の大切な愛の巣だからと、毎日、せっせと綺麗に掃除を欠かさない。
今日は、磯子が訪ねてきていた。平助は用事があって来れなかったが、二人でお喋りを楽しむ。
お茶を出すと、磯子が取り出したのは、自分でつくったお菓子だった。それを食べてみた総司は、びっくりした。ちょっと変わった感じの食感で、とてもおいしかったのだ。
「これ、どうやってつくるの?」
「そんな難しいものじゃないんですよ」
磯子は一冊の本を取り出した。そこには、世界の可愛いお菓子とタイトルがある。
それ程厚い本ではないが、綺麗なカラーの写真満載で、いかにも制作意欲をかきたてられそうだ。
「いろんな国のお菓子が載っている本なんですけど、どれも結構簡単でつくりやすくて、今、あたし、これにはまっているんです」
「ちょっと見せてもらってもいい?」
「どうぞ」
総司はその本を受け取ると、ぱらぱらとめくってみた。
確かに、どのレシピもそれ程難しくなさそうだ。だが、問題がある事に、総司は気がついた。
「いっちゃん、これ……材料が珍しいよね。手にいれるの難しくない?」
「そうなんです、だから、代用品を入れたり、ちょっとアレンジしたりして作っているんです」
「あ、そうなんだ」
「このお菓子も、ほら、えーと、このややこしい名前の果実、ちょっとイチゴと似ているでしょ? だから、イチゴで代用したんですけど」
そう云ってから、磯子は、じーっと熱心に本を見ている総司を見つめた。にんまり笑う。
「もうすぐ、ですよね」
「え?」
総司が顔をあげた。
「もうすぐって……?」
「土方さんのお誕生日、お祝いしてあげるのでしょう?」
「う、うん」
頬を紅潮させた総司は、気恥ずかしさをごまかすように、本をめくった。ちょっと黙ってから、小さな声で言葉をつづける。
「プレゼントとして万年筆を用意したんだけど、お菓子もなんかつくりたくて……でも、土方さん、あまり甘いもの好きじゃないから」
「確かに、男の人にお菓子つくるのって、難しいですよね」
磯子は腕を組み、うんうんと頷いた。
「へーちゃんも文句は云わないんですけど、あまりお菓子、好きじゃないみたいで」
「そうかな、平助、まだ食べられる方だと思うよ。土方さんなんて、甘いもの自体が苦手だし」
「でも、総司さんがつくったケーキなら食べてくれるんですよね」
からかいまじりに云った磯子の言葉に、総司は耳朶まで赤くなってしまった。こくりと頷いてから、また本を見る。
磯子はにこにこと笑いながら云った。
「その本、参考になりそうでしたら、しばらく貸しましょうか?」
「え、いいの?」
ぱっと顔をあげ、総司は磯子を見た。大きな瞳がきらきらしている。
「はい、あたし、かなりつくっちゃったし、当分使わないので」
「ありがとう!」
嬉しそうに笑った。
「面白そうなお菓子がいっぱいだし、つくってみたいなぁと思ったんだ。いっちゃん、ありがとう」
総司はまた熱心に本のページをめくり始めた。彼氏の誕生日のために、一生懸命だ。
こんな姿、土方さんが見たら嬉しがるんだろうなぁと思いつつ、磯子は、自分がやったアレンジ内容について、色々と説明していったのだった。
後日、この本が騒動の原因になるとは、誰も知らずに。
「……5日?」
土方は不思議そうに聞き返した。
ネクタイを緩めていた手をとめ、ふり返る。それに、総司はこくりと頷いた。
ある春の夜のことだった。珍しく夕食に間にあう時間に帰ってきた土方に、総司が訊ねたのだ。
5日はお休みになるのですか? と。
当然のことながら、土方のお誕生日であるがための問いかけだったのだが、本人はまるで気づいていないようだった。
「わからねぇな」
ワイシャツの釦を外しながら、肩をすくめた。
「それってGWのあたりだろ? 予測がつきにくいしな」
「そう……」
「何かあるのか? 用事があるなら、出来るだけ早く帰ってくるが」
そう云った土方に、総司は、ううんと首をふった。
お誕生日を祝いたいからと云えば、もちろん、土方は喜んでくれるだろう。だが、仕事熱心な彼が、そのために休みをとるとも思えなかった。むしろ、その気持ちだけで嬉しいよと、キスして終わりになりそうな予感がする。
それに、総司自身、刑事という仕事に誇りをもち、真摯に向き合う彼がだい好きだった。心から尊敬しているのだ。だからこそ、それを支えたいと思いこそすれ、邪魔だけはしたくなかった。
「大丈夫です。ちょっと聞いてみただけだから」
キッチンに戻った総司は、大急ぎで食事の用意を始めた。ほとんど出来ているので、あとは盛り付けるだけだ。
テーブルの上に並べていると、開襟シャツとジーンズに着替えた土方がダイニングに入ってきた。並べられた料理を見て、「旨そうだな」と頬を綻ばせている。
土方は体格もいい若い男だけに、食欲も旺盛だった。もっとも食べた分以上に動いているため、肉食獣のような引き締まった体つきをしている。それは総司もよくわかっている事だ。
(肉食獣っていうか……黒豹のイメージかな)
席につく土方を見ながら、総司はふとそんな事を考えた。艶やかな黒髪に、黒い瞳、しなやかな躰つきが、そんな印象をもたせるのだろう。
やっぱり恰好いいなぁと見惚れていると、土方が訝しげに視線をむけた。
「総司?」
「え、あ……はい!」
慌てて返事をし、総司は自分も席についた。今日の料理は和食だ。早く帰ってくると聞いたので、彼の好きな肉じゃがにしてみたのだが、それを土方はおいしそうに食べてくれた。
「旨いよ」
おかわりを渡すと、土方はにっこり笑って褒めてくれた。それに、頬が熱くなる。
「よかったです。久しぶりにつくったから、どうかなと思っていたんだけど」
「おまえの料理は何でもうまいからな、俺も家で食べられる日はすげぇ楽しみにしているんだ」
「そこまで期待されると、なんか……緊張しちゃうけど」
総司は恥ずかしそうに云ってから、ふと顔をあげた。大きな瞳で、じっと土方を見つめる。
それに、土方はすぐ気づいてくれた。
「何だ?」
「うん、あのね。男の人って、やっぱり甘いもの……嫌い?」
「おまえみたいに好きな奴もいるし、色々だろ」
「そうだよね。でも、一般的には嫌いな人が多いと思う?」
「多いんじゃねぇの。けど、甘いものが苦手でも、食えるものはあるだろう。抹茶味とか」
「抹茶味はいいの?」
「あぁ。俺の場合、ココアとかのものでも、ビターなものなら大丈夫かな。生クリームものはあまり好きじゃねぇけど」
「だよね」
総司はこくりと頷いた。
確かに、土方がおいしいと云って食べてくれるケーキは、フルーツをメインにしたものや、パウンドケーキが多い。それもプレーンより、ココアや抹茶など、少し苦みがあるものなら食べられるようだった。
「何だ、また菓子でもつくるのか」
土方は箸をすすめながら、訊ねた。それに、思わず彼の端正な顔をじっと見つめてしまう。
(この人、本当に自分のお誕生日のこと、覚えていないの?)
だが、ありうる事だった。
毎年のことだが、土方は自分の誕生日にどこか無頓着なのだ。総司が祝ってはじめて、「あぁ、そう云えば」と思い出すようだった。もっとも、彼の生い立ちでは仕方のない事かもしれなかったが。
「うん……まぁ、色々と」
総司が言葉をにごしながら答えると、土方は「ふうん」と頷いただけだった。やはり菓子になど興味がないのかと思ったが、どうもそうではなかったようだ。
食後、片付けも終えてからソファで並んで坐り、テレビを見ていると、いきなり聞かれた。
「誰のためにつくるんだ?」
「え?」
きょとんとして見上げると、土方は微かに眉を顰めていた。いつのまにか、不機嫌モードになってしまっている。
「誰って……何を?」
「だから、さっき云ってただろう。男のために菓子をつくるって、もしかして、伊庭のためか?」
「伊庭先生?」
そうか、その手があったんだと思った。
磯子から本を借りたのはいいが、いったいどれが男の人が好む菓子なのか、皆目見当もつかなかったのだ。
それを誰かに聞こうと思っていた総司にとって、伊庭という名前はある意味、ヒントだった。
サプライズにしたいので、土方に直接聞く訳にはいかないのだ。
そんな事をぼんやり考えていると、いきなり肩を掴まれた。驚いて見上げると、土方が鋭い瞳でこちらを見下ろしている。
「土方…さん?」
「まさか、俺の言葉どおりじゃねぇだろうな」
「え?」
「伊庭の奴に、菓子をつくってやるつもりなのか」
「ち、違いますよ!」
総司は慌てて首をふった。ここだけはしっかり否定しておかないと、後々、ややこしい事になってしまうと、総司も長年の経験でわかっている。
「そんな、伊庭先生にお菓子をつくったりしませんよ。ただ、またお菓子つくりたいなぁと思っただけの事です」
「本当か」
「……土方さん」
総司の瞳が、うるっとなった。ベビーピンクの唇が震える。
「そんなに、ぼくのこと信じられないの……?」
切ない、今にも泣きだしような声音で訊ねられ、土方は息を呑んだ。突然、罪悪感を覚える。小さな動物をいじめたような、そんな気分になってしまったのだ。
「すまない……!」
思わず謝っていた。小柄な躰をぎゅっと抱きしめる。
「くだらねぇ焼きもちをやいてしまった。ごめんな、総司」
「ううん……いいんです。ぼく、そんな事絶対にしないから、信じてくれたらそれでいいから」
「総司……愛してるよ」
そう囁き、土方はそっと甘いキスを落とした。バードキスをくり返し、やがて、それは甘く濃厚なキスにかわっていく。
ソファに二人してもつれるように倒れ込み、総司は彼の背中に両手をまわした。ぎゅっと縋りつき、目を閉じる。
それに、土方は嬉しそうに喉を鳴らし、総司の躰を手のひらで撫であげた。しなやかな指が白い肌をたどり、快感を引き出してゆく。
「土方…さ、ん…ぁっ、ぁあ……ん」
「可愛いな……総司」
「ぁ、んっ、ぁ……ぁ」
甘い声は平和な夜にとけていき――――
いつのまにやら、菓子づくりの話はどこかへ消えてしまっていたが、もちろん、それで終わるはずがないのだった。
その日、総司は大学が1講義だけだったため、寄り道をした。昼ごはんを買いがてら、菓子の材料が売っている店に行って、色々と見てみようと思ったのだ。
大きな食料品店であるそこは、とても広く、様々な材料が並んでいた。レーズンだけでも、数種類あり、びっくりする。
「うわー、すごい。小麦粉も色々あるんだ」
料理はともかく、菓子づくりはそんなに回数を重ねていない総司にとって、初めて見るものが多かった。棚を一つ一つ興味深く眺めてゆく。
だが、あまりに夢中になりすぎていたためだろう。人にぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさいっ」
慌てて謝った総司は、顔をあげ、目を見開いた。
噂をすれば影がさすとは、まさにこの事か。
そこに立ち、びっくりした顔で見下ろしていたのは、伊庭だったのだ。
「偶然だなぁ。元気にしてたかい?」
「は、はい」
相変わらず伊庭は恰好よく、そして、優しくにこやかだった。すっと総司の腰に手をあて、エスコートしてくれる。
「この店で何か買い物かい?」
「お菓子の材料を見ていたのです。伊庭先生は?」
「おれは料理の方。ちょっと変わったチーズが欲しくてさ、酒のつまみに」
「お酒のつまみですか」
こくりと頷いた総司を、伊庭はちらりと一瞥した。
「もしまだなら、昼ごはんでもどうだい? ちょうどいい時間だし」
「えーと……」
どうしようかなぁと思った。当然だが、そんな処を土方に見られれば、怒られるに決まっている。だが、総司は喉も乾いていたし、久々に逢った伊庭とも話してみたいという気持ちが強かった。
にこりと笑う。
「はい、ご一緒します」
「……うーん、可愛いなぁ」
「え?」
きょとんとする総司に、伊庭はくっくっと笑った。
「ほんと可愛いなぁと思って。このままお持ち帰りしたくなっちゃうね」
「お持ち帰りって……ぼく、ケーキじゃありませんけど」
「ケーキよりも甘いんじゃねーの?」
「そんな事あるはずないです」
あくまで真面目に答えてしまう総司は、土方と深い関係になっているくせに、とことん天然で鈍感だった。今も、はぐらかしている訳ではなく、真面目に答えているのだ。
それに笑いながら、伊庭は近くのカフェへ総司を連れていった。オープンカフェなので、風がとても心地よい。
「あの、伊庭先生」
総司は頼んだランチを少し食べてから、ごそごそと本を取り出した。それを伊庭にさし出す。
伊庭が首をかしげた。
「何だい、これ」
「お菓子の本です」
「そりゃ、見ればわかるけど」
「教えてほしいことがあるんですけど、いいですか?」
小首をかしげるようにして訊ねる総司は、可愛い。伊庭はくすっと笑った。
「いいよ、何だい」
「あの……」
云いかけた時だった。不意に、総司の携帯電話が鳴った。
「ごめんなさい」と断ってから、取り出す。相手を見て、小首をかしげた。
「……斉藤、さん?」
不思議に思いつつ、通話を繋ぐと、焦った声音が問いかけた。
「総司、今、誰といる?」
「え」
「誰といるんだ」
「あ、あの……伊庭先生だけど」
戸惑った様子で答えると、斉藤が大きくため息をついた。
「やっぱりなぁ」
「どうしたのですか」
「さっき、土方さんが現場に戻ってきたんだけど、すげぇ不機嫌なんだ。それで、総司を見かけたんじゃないかと思ってさ」
「え、えぇ……っ!?」
総司は思わず立ち上がってしまった。