芝生に坐った総司は小さく欠伸をした。
 その膝上に頭をのせて土方は横になり、うとうとしている。それを見下ろし、総司は小さく笑った。
(……なんか、可愛い)
 そんなことまで思ってしまい、だい好きな彼の寝顔を覗きこんだ。
 小春日和と言ってもいい程あたたかい休日だった。
 10月も中旬になると、さすがに肌寒くなってくる。だが、土方が苦心した末にとれた土曜日の休日、二人の幸せを応援するように真っ青な青空が広がっていた。
「こういのを秋晴れって言うのかなぁ」
 呟き、総司は自分の膝上で眠る土方に、そっと手をのばした。
 男のさらさらした黒髪を指さきで梳き、その頬に翳りを落とした長い睫毛にふれて。それから頬から顎のラインをなぞり、やがて羽毛のような感触で形のよい唇にふれた。
「……あっ」
 とたん、ぺろっと舌で舐められ、総司は慌てて手を引いた。が、もう遅い。
 土方の黒い瞳が悪戯っぽく笑い、少年を見上げた。総司の手を掴んで引き寄せ、指を一本一本唇に含みはじめる。
「やっ……ん、だめ…ぇ……っ」
「おい、こんな所でその気になるなよ」
「その気にさせてるの誰……あっ…んんっ」
 どんどん行為をエスカレートさせそうな男に、総司は必死になって手を引いた。ようやく解放された両手を背中に隠した。
 ちょっと潤んだ瞳で、恋人を睨みつけた。
「もうっ、土方さんのえっち」
「寝てる俺を煽ったのはそっちだろうが」
 くすくす笑いながら、土方は手をのばした。
 総司に膝枕してもらってる状態のまま、襟足から髪に指さきを滑りこませて引き寄せ、甘く唇を重ねてくる。
 いつもとは逆の位置で、二人は甘いキスをかわした。
「ん……っ」
 何度も唇を擦りつけあい、舌さきで舐めあげて。やがて、薄く開いた唇に舌がさしいれられる。甘く執拗にからめ、歯茎をなめ上げて──
「んんっ……ふっ……」
 体の芯まで痺れるようなキスの後、総司はうっとりした表情で土方を見下ろした。彼は形のいい唇の端を僅かにあげ、小さく笑ってみせる。
 それにため息をついた。
「土方さんって、すごくキスうまいですよね」
「そうか?」
「だって、ここがどこか全部忘れちゃうようなキスするんだもの。でも、わかってます? ここ、公園なんですよ」
「あぁ、そうだな……けど、カップルなら誰でもやってるだろ」
「普通のカップルならね。でも、ぼくたちは……」
 そこで、総司はつい口ごもってしまった。
 男同士だと言いたいのだろう。
 それに土方は思わず笑い出したくなってしまった。
 クリーム色のセーターに、白いダッフルコート。ジーンズ。この頃、少しのびた柔らかな黒髪が襟足のあたりでちょっとはねている。
 そんな総司の姿は、少年とも少女とも違う不思議な存在だった。どこかラファエロの描く天使像を思い起こさせる。ユニセックス的な雰囲気があった。
「おまえは誰よりも可愛いよ」
 そう囁いてから、土方はゆっくりと身を起こした。芝生に手をついて立ち上がる。
 もう3時を回っている、そろそろ、どこかのカフェであたたかいものをでも、総司に飲ませてやりたかった。
 総司の手をひいて立ち上がらせてやり、土方は手を繋いだまま歩きだした。
 車がとめてある駐車場へ向かいながら、ふと思い出した。僅かに躊躇ったが、総司を見下ろすと思いきって言った。
「総司、おまえ……今度、俺の家へ来ないか」
「土方さんの家?」
 びっくりして総司は聞き返した。土方は「あぁ」と頷いた。
 助手席側のドアを開けてやりながら、言葉をつづけた。
「俺、一人暮らしだから気使う必要ないぜ。ついでに泊まってもらってもいいし……まぁ、それほど広い家じゃねぇけどな」
「前のマンションみたいなのとは違うの?」
「あれは広すぎるだろ。っていうより、超高層マンションの最上階なんて成金って感じで、俺は嫌いだったんだ。もちろん、黒手団のものだったしな。俺は普通に質素に暮らしてるよ」
「普通に質素って」
 訝しげな総司に、土方はくすくす笑った。
「俺、警視庁の刑事だぜ。警察の官舎にいるに決まってるだろ」
「あ……そうなんだ。官舎ってどんなだろ、ぼく見てみたい」
「好きなだけ見に来いよ。今度、遊びにくればいい」
「じゃあね、その時……お泊まりもしていい?」
「あぁ」
 頷き、土方は優しく微笑んでくれた。それを見上げ、総司はうきうきした気分で彼の車に乗り込んだ。
 運転席側に回る土方を見ながら、思う。
(……土方さんの部屋かぁ、どんなだろう)
 それが後々、大騒ぎの原因になるとも知らずに。

 


 
 
 数日後の午後。
 総司は大きな荷物を抱えて、道をとことこと歩いていた。
 今日は土方の家に初めてお邪魔して、お泊まりする約束をした日だった。 
 連絡すれば土方は迎えに来てくれたはずだが、約束より1時間も早く着いてしまったのだ。官舎の場所は聞いている、自分一人で行こうと思い、てくてく歩いていた。
 教えられた住所を見ながら辿ってゆくと、大きなマンション風の建物の前に出た。
 豪華ではなく余計な装飾も全くないが、なかなか小奇麗なマンションだ。ただちょっと殺風景な感じがあったが。
(やっぱり、独身者用だからかな……)
 総司はエレベーターに乗ろうと、エントランスホールに入った。エレベーターは今上にあがっている。ボタンを押そうとしたところで、道の方で人の話し声がした。
 ふり返ると、車をとめた土方が歩いてくるところだった。
「土方さ……!」
 声をかけようとして──次の瞬間、慌てて言葉を飲み込んだ。
 土方は一人ではなかったのだ。
 傍に目を見張るほど美しい女が寄り添っていた。
 長い黒髪を背中に波打たせ、色白で艶かしい女だった。身につけた赤紫のスーツがよく似合っている。土方と並んでも遜色のない美しさだった。
「──」
 総司は慌ててエントランスホールの奥まった部分に隠れた。だが、そっと角から覗いて、二人の様子を見てしまった。
 女が慣れた様子でポストから封筒を抜くと、それを受け取り土方が軽く肩をすくめた。
 エレベーターを待ちながら、女が土方の肩を白い指で突いた。
「だいたいね、今日、あたしが来なかったらどうするつもりだったの?」
 悪戯っぽい口調だった。それに土方は苦笑した。
「ちゃんと出来たさ。心配ねぇよ」
「嘘。あれだけ部屋めちゃくちゃにしておいて。また特捜たって仕事づけだったんでしょう?」
「仕方ないだろ。けど、まぁ感謝はしてるよ」
「もう。歳のその言葉は聞きあきたわ。これで何度めだと思ってるの? たまには感謝の言葉じゃなく、ちゃんとしたお返し頂戴よ」
「たとえば?」
 土方が小さく笑いながら聞き返した。
「そうねぇ」
 女は土方の頬に指を這わせ、くすくす笑った。
「歳の嫌いなパーティーのエスコートってのはどう? 今度、吉田の家のに呼ばれてるのよ」
「わかった」
 土方はちょと眉を顰めたが、かるく肩をすくめた。
「たまには出席させてもらうよ。完璧にエスコートしてやる」
「ありがとう、期待してるわ。すっごく愛してるからね、歳」
「……そりゃどうも」
 二人は楽しそうに笑いあい、エレベーターに乗り込んだ。スウッと扉が閉じられる。
 それを確かめてから、のろのろと総司はその場から歩み出た。
「……」
 もう頭の中が真っ白で何も考えられなかった。
 あんな土方さんの笑顔──
 心を許した、優しい笑顔
 ぼくだけが見れるって思ってたのに。
 それに……何? 歳って。
 親しげに呼んだあの女の人。
 部屋のお掃除までしてるんだ、昔からのつきあいなんだ。
 ずっとずっと、前からの──
(……恋…人……?)
 総司は鋭く息を呑み、両手で口をおおった。
 愛してるって。
 そう言った彼女に、平然と言葉を返していた彼。
 信じたくないことだが、そうとしか考えられなかった。
 彼女は、土方の恋人なのだ。
 たぶん、自分が彼と逢う前からの──
「じゃあ……ぼくは……?」
 総司は震える声で呟いた。
 体中が震え、頭が痛かった。
 何をどうすればいいのか分からず、あまりの激しい感情の動きに吐き気さえ覚えた。
 あの女の人が土方さんの恋人なら。
 ぼくは?
 ぼくは……いったい、何なの……っ?
「──」
 総司は呆然と目を見開き、その場に立ち尽くした。
 
 

 


 官舎近くにある広い公園だった。
 総司は遊歩道脇のベンチに坐りこみ、ぼんやりしていた。ベンチの背に凭れかかり、ぼーっと目の前の噴水を眺める。
 あちこちで犬を散歩させる人や、写生をする人などがいる。たくさんの子供がきゃあきゃあ歓声をあげて遊んでいた。
 そんなのどかな昼下がりの光景の中、総司はため息をついた。
 さっさと帰ってしまえばいいと思うのだが、それでも帰る気にはなれなかったのだ。
 もしかしたら、さっきのは間違いじゃないかとか。
 こうしていたら、彼が来てくれるのではないかと。
 そんな事ばかり考えてしまう自分が情けなくて、涙が出そうだった。
 ボストンバックを抱え込み、もう一度、はあっとため息をついた時だった。
「……総司?」
 突然かけられた声に顔をあげると、そこには斉藤が立っていた。非番だったのか、私服姿でコンビニの袋を下げていた。
「おまえ、こんなとこで何してるんだ?」
 歩み寄ってきた斉藤を、総司は見上げた。
 ちょっと口ごもってから、小さな声で言った。
「……土方さんの部屋に遊びに来たんです」
「へぇ。けど、土方さんの部屋、ここじゃないぞ」
「あたり前です」
「場所がわからないのか? おれと同じ8階なんだ、連れていってやるよ」
「……」
 親切に言ってくれる斉藤の前で、総司は俯いてしまった。
 それに斉藤はさすがにおかしいと思ったのか、総司の隣に腰を下ろした。そっと覗きこんでくる。
「……何かあったのか?」
「……」
「総司? 吐き出した方が楽になると思うけど」
「刑事みたいないい方やめて下さい」
「仕方ない、刑事だから」
 小さく苦笑し、斉藤は総司の背中に手をのばした。ぽんっぽんっと優しく叩いてくれる。
「けど、本当に楽になる。胸の中にためこむのが辛いのは、総司もよくわかってるんじゃないのか?」
「そうだけど……」
 総司は膝上に抱えたボストンバックをよりぎゅっと抱きしめた。顔をうずめた。
「あの人に女の人がいたこと……斉藤さん、知ってました?」
「土方さんに女? あぁ……」
 斉藤はかるく肩をすくめた。
「確かに数え切れないくらいだなぁ」
「!」
 その言葉に、総司は弾かれたように顔をあげた。
「やっぱりそうなんだ!」
 目を怒りで燃え上がらせ、叫んだ。
「あの人、女の人と遊びまくってるんだ! ぼくに嘘ついて……っ」
「ちょっ、ちょっと待った!」
 慌てて斉藤は遮った。
「おれが言ったのは過去のこと。今はおまえ一筋だよ、絶対」
「でも、さっき見たんです。女の人と一緒にいるとこ」
「まさか」
「愛してるって言われて、平然としてて! 歳なんて、下の名で呼ばれて……もうもう、知らないッ!」
 突然、総司は勢いよく立ち上がった。
 さきほど現場を目撃した時はただショックだけだったのだが、だんだん怒りがこみあげてきたのだ。二股かけられていたと思うと、めらめら燃え立ちそうなほど腹がたった。
 それを斉藤は唖然として見ている。
 総司は頬を紅潮させ、両手を握りしめた。
「土方さんなんか、知らない!」
「おい、総司」
「あんな人勝手にすればいいんだっ。ぼく、絶対に許さないから!」
「……許さないって何を」
「何をって、決まってるでしょう!?」
 そう叫びかけ──総司は、息を呑んだ。
 驚いて慌ててふり返ると、そこには腕組みした土方が立っていた。
 眉を顰め、訝しげな表情で総司を見ている。先ほど見たとおりの紺色のセーターにジーンズ姿だった。
「こんな所で何をやってるんだ」
「……」
「迎えに行こうと出たら、こんなとこで騒いでるし、いったい何を許さないんだ」
「土方さんを、です」
「はあ? 俺が何かしたのか」
「したのかって、自分の胸に手をあてて考えて下さい」
「さっぱりわからねぇよ」
「嘘ばっかり。土方さんなんか……だいッ嫌いだ!」
 総司は抱えていたボストンバックを、土方に向けて思いっきり投げつけた。そのままくるりと背を向け、走り出す。
 すぐさま土方が追ってきたが、総司はふり返りもせず走りつづけた。
「総司! おい……待てって!」
「いやです、こっちに来ないで!」
「おまえ、いい加減にしねぇと本気で怒るぞ」
「怒って結構です!」
 言い返し、総司は公園の広場を走り抜けた。だが、当然ながら、土方の方がずっと足も速い。
 追いつかれそうになった総司は、素早く水飲み場に飛びついた。蛇口を捻って、そのまま手を押し付けると水鉄砲にする。
「うわっ!」
 水飛沫がぱあっと広がり、土方はそれをもろに被ってしまった。
 反射的に両腕で顔をかばったが、容赦なく浴びせられた水飛沫に、腕から髪までずぶ濡れだ。
 総司は彼がひるんだ隙に、また勢いよく走り出した。
「この野郎……っ!」
 土方は濡れた髪を鬱陶しげに片手でかきあげ、低く罵った。さすがにその黒い瞳に怒りが燃え上がり始める。
 ここまでされてまだ笑ってられたら、たいしたものだろう。彼の沸点は、もともとそれほど高くないのだ。
 土方は勢いよく地面を蹴ると、凄い勢いで走り出した。
 何しろ現職の刑事だ。本気を出せば、まだ少年の総司を追いつめるなど容易なことだった。
 噴水のところでつかまえ、手首を掴んで引きずり寄せた。そのまま少年の細い体を抱え、肩に担ぎ上げようとした瞬間だった。
「離して……っ!」
 総司が身を捩り、彼の胸に腕をつっぱねた。あっと思った時にはもう、躯のバランスを失っている。
 土方は慌てて両手をのばし、その躯を抱き寄せかけた。
「あっ!」
「総司っ!」
 が、一瞬遅く、二人とも完全にバランスを崩した。
 そのまま凄い水音共に、噴水の中へもんどり打って転がり落ちてしまう。派手な水飛沫があがり、土方も総司も全身ずぶ濡れになった。
 周囲にいた人々も唖然としている。
「──」
 あんまりな状況に、土方もさすがに呆然となった。
 その腕の中、総司がぶるっと震えた。
「……ほんと、何やってるんですか」
 ふり返ると、斉藤が呆れ返った様子で見下ろしていた。
「刑事が官舎前で噴水に落っこちたなんて、前代未聞でしょうね」
「……」
「煩い人に見つかったらまた嫌味言われますよ。ほら、一課の佐々木課長とかも今日、非番らしいですし」
「……余計なこと言うな」
 土方は眉を顰めたまま、総司の腕を引っぱり噴水から出た。
 さすがに水は冷たく、総司もがたがた震えている。その肩を土方は慌てて抱き寄せた。
「とりあえず、俺の部屋に行こう」
「……」
「話はそれからだ」
 有無を言わせぬ口調で言うと、土方は足早に歩き出した。
 総司のボストンバックを抱え、後から斉藤がついてくる。
 部屋にはあの女の人がいる──と思ったが、ずぶ濡れの総司はもう、土方の言葉に従うより他なかった。
 











[あとがき]
 前後編にするような話じゃないけど、あんまり長いので半分に切りました。噴水に落ちた土方さん、これこそ水も滴るいい男って奴ですかね。いや、違うか。女の人、誰かわかります? けっこう簡単だと思うんですけど。あ、そうそう、捜査一課の課長は見廻り組の佐々木唯三郎です。近藤さんとは犬猿の仲ってことで。後編すぐupしますので、また読んでやって下さいね。


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