「あ、おはようございまぁす」
 寝室のドアを開けた土方に、総司は元気よく声をかけた。
 休日の朝だった。
 総司も大学が休み、土方も非番なのだ。まるで、それを祝福するかのように、朝から快晴!のいいお天気だった。
 だが、しかし。
 土方の機嫌は、嵐とまではいかないが……どんより曇り空だった。
「……」
 朝の光の中、エプロンをつけてにこにこ笑っている総司を、土方は無言で眺めた。形のよい眉が顰められている。
 それに気づいているのか、いないのか。
 総司は可愛らしい笑顔で、かるく小首をかしげてみせた。土方のパジャマを借りたので、大きめのパジャマの上だけを着て、その上にギャルソンエプロンをつけている。
 その姿は、朝から危険なぐらいセクシャルで、土方の機嫌はますます急降下した。
 低い声で挨拶した。
「……おはよう」
「今、朝ご飯の用意してるんです」
 総司はくるくるとキッチンで忙しく動きまわり、云った。スクランブルエッグを、皿の上に移している。
「顔洗って、着替えてきて下さいね」
「あぁ」
「パンでいいでしょ? すぐ珈琲もいれちゃいますから」
「あぁ」
 生返事に等しい彼の反応に、総司は気づいてないようだった。否、気づいていても、知らん顔をしているのか。


 生返事どころか。
 云いたい事は山ほど! あったのだ。
 だが、それはもう、土方自身、収拾が付かないほどで。
 云ってしまえば、総司を泣かせてしまいそうな嫌な予感がしたから、何も云えないのだが。


 土方はそれら諸々を喉奥に呑み込むと、黙ったまま洗面所へ向った。
 洗面所に入ってから、バタンとドアをしめて。
 顔を洗い、歯を磨いて髭をそり、髪を整えて。もってきた着替えをして、シャツの釦をとめてから、目の前の鏡を眺めて。
 そうするうちに、だんだん腹がたってきた。
「……何でなんだよ、いったい」
 思わず低く唸ってしまった。ガンッと足下の洗濯籠を蹴り飛ばしたくなる。
 だが、そんな事をすればキッチンにまで音が響き、総司が「どうしたの?」と飛んでくるだろう。
 ささやかなストレス発散さえも、彼には許されていない。
 土方はカウンターに両手をつくと、項垂れ、はぁっと大きくため息をついた。











 事の起こりは、海辺の別荘行なのである。
 旅行から帰ってきてから、土方はある事に気がついた。
 何故だか、総司に微妙に避けられているのだ。とは云っても、逢う回数が減った訳ではない。相変わらずよく逢うし、電話もメールも頻繁だ。気軽に遊びにも来てくれる。
 キスも、抱擁も、今までと同じくだった。
 だが、しかし。
 例の愛の営みとなると、全くさっぱり途切れてしまっていたのだ。
 初めは気のせいかと思った。だが、何度かトライして、そのたびに何だかんだと口実をつけられ断られるうち、これは気のせいではないと悟ったのだ。
 昨夜もそうだった。ベッドの上で総司を抱きしめて、キスをして。
 さぁ、あっちへのムードになだれ込むぞと思ったとたん、総司が「ごめんね」と大きな瞳で見上げてきたのだ。
 いやな予感がしつつも見下ろした土方に、総司はふるりと首をふった。細い指が彼の頬にふれ、本当にすまなそうに云った。
「ごめんなさい……少し疲れているの」
「……」
「今日は、パスしても……いい?」
 正直、だめと云いたかった。どれだけ我慢していると思うんだと、叫びたくなった。
 だが、それでも、腕の中で不安そうにこちらを見上げている総司を見ると、そんな怖がらせているのは自分かと思えば、尚更拍車をかけるような事は到底できなかったのだ。
「……わかった」
 土方は、総司を安心させるため、できるだけ優しく微笑んでみせた。
「今夜はやめておこう。疲れているんじゃ、気分のらねぇものな」
 まだ不安げな総司の髪を撫で、白い額にそっと唇を押しあてた。腕の中で、総司が安堵したように、ほぉっと息を吐くのがわかる。


(そんなに、嫌なのか?)


 理由のわからぬ疑問がうかんだが、それでも、問いかける事はできなかった。だが、これだけはどうしても、口にせずにはいられなくて。
「総司」
 眠りに落ちてゆこうとする総司を見つめ、静かな声で呼びかけた。
 それに、総司が微かに目を開く。
「はい……」
「おまえ……俺が怖いのか」
「……」
 土方の言葉に、総司の目が見開かれた。彼を見上げ、すぐさま激しく首をふる。
「そんな! 怖い、なんて……」
「なら、どうして」
 云いかけ、口をつぐんだ。総司の瞳が僅かに潤んでいるような、そんな気がしたのだ。
「……いや、いい」
 土方はゆるく首をふると、枕に頭を沈めた。腕の中の華奢な躯を抱きしめながら、眠りに落ちていこうとする。
 彼の様子を伺うように、総司がじっとこちらを見ているのを感じたが、これ以上会話をつづける気になれなかった。口を開けば、総司を泣かせてしまいそうで。
 これ以上、不安がらせたくも、怖がらせたくもなくて。


(ったく、どうすりゃいいんだ)


 結局、土方は可愛い恋人を腕の中におさめながら、眠れぬ夜というものを過ごしたのだった……。












 朝食はとてもとてもおいしかった。
 何しろ、総司が朝早くから起きて一生懸命つくってくれたメニューだ。おいしくないはずがない。
 スクランブルエッグに、ポテトスープ、サラダ、かりかりに焼いたベーコン、焼きたて自家製トーストに、珈琲(総司は紅茶)。
 休日の朝、二人でゆっくりと手のこんだ朝食をとるのは、官舎時代からの決まり事だ。その後、ちょっといちゃいちゃして、一日のスケジュールを決めるのも。
「……」
 土方は珈琲を飲みながら、目の前の席に坐っている総司を眺めた。切れの長い目で、じっと見つめる。
 その視線に気づいた総司が、顔をあげた。かるく小首をかしげてみせる。柔らかな髪が白い項でくしゃっと跳ね、それがとても可愛らしかった。
「なぁに?」
 不思議そうに訊ねる総司に、「いや」と首をふり、視線を戻した。やけくその気分でトーストを囓る。
 久しぶりの休日だ。きっと二人でどこかへお出かけとなるのだろう。
 だが、今の土方には、もっともっとしたい事があった。話したい事も、聞きたい事も、したい事も。
 土方は再び総司を眺め、僅かに目を細めた。


 だいたい、その気がないなら、その恰好は何なのか!
 上だけ着た彼のパジャマにエプロン姿なんて、誘っているとしか思えない。
 くしゃっと跳ねた髪や、なめらかな頬はふっくらと、とても可愛く幼げなのに、そのくせ、パジャマの裾からのぞく白い足はたまらなく煽情的で。
 幼さゆえのエロティックか。
 細い足首とか、桜貝のような爪、立ち上がって動くたびにのぞく白い腿のラインに、ぞくりとするような艶を感じた。思わず目で追ってしまう。
 いつもなら、朝食も後まわしで、この可愛い恋人をおいしく頂いている処だ。
 だが、しかし。


「あのね」
 土方の思惑を知ってか知らずか、総司は無邪気に笑いかけた。
「今日、何か予定ありますか?」
「……いや、別に」
「じゃあね」
 すかさずチラシをさし出してきた。視線を落とせば、最近出来た郊外型のアウトレットモールのものだ。
「ここに行ってみたいのか」
「うん」
「何か買いたいものがあるのか?」
「えっと、服とか、色々。でも……人が沢山だろうし、少し遠いし」
 口ごもってしまった総司は、おねだりモードで彼を見つめている。
 甘えるように、大きな瞳でじっと見つめられ、思わずため息がもれそうになった。


(わかってて、やっているんだか……)


 正直言えば、人が大勢いるアウトレットモールで買い物など出かけるより、空調のきいたマンションの部屋で、二人きり甘い蜜のような時間を過したかった。
 総司の今の恰好も、表情も、後者の方のおねだりをしているとしか思えないのに。
 誘われていると、都合よく勘違いしてしまいたいのに。


(なのに、全然違うんだよなぁ)


 ため息がもれそうなのを抑えつつ、土方はそのチラシを受け取った。ちょっと悪戯心をおこし、訊ねかける。
「で、ご褒美は?」
「え?」
 きょとんとする総司に、テーブルに肘をついて身を乗りだし、微笑いかけた。黒い瞳で見つめれば、なめらかな頬がぽっと紅潮する。
「連れていってやる俺へのご褒美はないのか?」
「ご褒美って、えーと……」
「俺は、おまえがいいな。総司、ご褒美として、おまえが欲しいんだ」
 勘違いしようもないぐらい、はっきり云ってのけた土方に、総司は目を見開いた。ちょっと気まずい沈黙が落ちる。
「……え、えーと……」
 少しだけ口ごもって。
 ばちばちと長い睫毛を瞬いた総司は、突然、何を思ったのか片手をのばした。がしっとマグカップを取り上げると、それを口にはこぶ。
 呆気にとられる土方の前で、ごくごくごくーっと紅茶を一気飲みした。ふうっと息をついてから、
「ごちそうさま!」
 元気よく云って、立ち上がる。
 意味ありまくりの沈黙にも気づかぬふりで、総司はさくさくとテーブルの上を片付けた。
「土方さんも早く食べ終わってね。片付けたいから」
「……」
「急がないと混んじゃうし、ほら、早く早く」
 両手でトレイを抱えたまま、キッチンへ逃げるように駆け込んでゆく総司を、土方は無言で見送った。無意識のうちに、眉間に皺が刻まれる。


(天然か? それとも、わかってやっているのか?)


 その問いに、答えが出される事はなかった。












「つまりは、倦怠期って事ですかねぇ」
 そう訊ねた斉藤に、土方は思わず低く唸った。
 まるでエアポケットのように空いた一日だった。
 さしたる事件もなく、たまったデスクワークをこつこつと消化している最中だ。
 仕事の合間、土方がついた深いため息に反応した斉藤が、ここ最近の二人の日々を訊ねた事が切っ掛けだった。
 あれこれ訊ねる斉藤は、面白がっているように見えるが、友人として相談にのろうという気持ちも少しぐらいはある。
「倦怠期って、夫婦じゃねぇんだぞ」
「あぁ、そうですね。別居中ですし?」
 ぐさっとくるような事を云ってのけた斉藤は、デスクの上に腰かけた。マグカップになみなみと入れた珈琲を飲んでいる。
 それを眺めながら、土方は低い声で答えた。
「別居中って、まだ同居してないだけだろ」
「同じ事だと思いますが。それより、心あたりはあるのですか」
「……ある事はある」
「なら、解決間近じゃないですか。どんな変態な事をしたのです」
「変態って……おまえ、俺を何だと思っているんだ」
 そう訊ねた土方に、斉藤は肩をすくめた。ちょっと面白くなさそうな口ぶりで、云った。
「あの土方さん好き好き〜の総司が、余程の事がない限り、そこまで嫌がるはずがないでしょう? だから、とんでもない事をしたのかなぁと」
「別に……たいした事じゃねぇよ」
 土方はため息をつき、煩わしげに片手で前髪をかきあげた。僅かに目を細める。
 促すように眺めてくる斉藤に、言葉をつづけた。
「この間の、海辺の別荘からなんだ」
「あぁ、あの時の」
「あの海辺でした時から、妙に嫌がるようになっちまって」
「つまりは、そこで、変態っぽい事をしたと」
「だから、そうじゃねぇって! ただ、ちょっと海辺で……」
「海辺で?」
「その…波打ち際、つまり外でしちまって、砂がすげぇついちまったから、バスルームで洗ってやるとなって、そこでまた色々しちまって……」
「海辺でとは。破廉恥罪で逮捕されてもしりませんよ」
 呆れたように呟いた斉藤に、土方は不機嫌そうにワーキングチェアの背に凭れかかった。足を組みなおし、ため息をつく。
「まぁ、俺もあれはちょっとまずかったかな? と思ったけどさ」
「けど?」
「総司もあの時は確かに、すっげぇ怒ってたんだ。けど、いつものように結局は許してくれて、その後はキスも抱きしめるのも喜んで応じてたのに」
「はぁ」
「帰ってきてからだって、デートもキスも全然嫌がらねぇくせに、あれだけは駄目なんだ。ちょっとそういうムードになったとたん、さっさと逃げられちまってさ」
「つまり、それが一ヶ月も続いている今、そろそろ限界って事ですか」
「……」
 土方は眉を顰めたまま、押し黙ってしまった。


 拒否されつづけて一ヶ月。相当、切実な問題となりつつあったのだ。
「ごめんね」と可愛く断る総司にほだされまくってきたが、限界ぎりぎりだ。
 ぷっつんキレてしまうのも、オオカミ化するのも、もはや時間の問題と思われた。


「大変ですねぇ」
 斉藤はマグカップをデスクに置きつつ、口角をあげた。鳶色の瞳がめちゃくちゃ楽しそうだ。
「……おまえ、他人事と思って」
「えぇ、他人事ですから」
「……」
「まぁ、とりあえず直接聞いてみたらどうですか」
「え?」
 目を見開いた土方に、斉藤はあっさりと云った。
「聞いてみるんですよ。どうして嫌なのか、と」
「……理由が、二度と俺が立ち上がれねぇようなものだったら?」
「どんな理由ですか。土方さん、もしかして下手だとか」
「おまえ、喧嘩売ってんのか」
「いえいえ、とんでもございません」
 人を食ったような返事をかえしてくる斉藤に、土方は剣呑なまなざしを投げた。だが、長年のつきあいである斉藤には、全く効果はない。
 はぁっとため息をつき、土方はデスクに頬杖をついた。
 片手でぱらぱらと書類をめくりながら、呟く。
「腹くくって、聞いてみるか」
 そう決めた土方の傍で、斉藤が「そうすべきです」と重々しく頷いた。












 総司は掃除機をとめ、辺りを見回した。
 ウィーンという音が消えてしまうと、怖いぐらい静かだ。
 やはり高層階のためか、ここは空調の音以外聞こえぬ静寂に包まれていた。上階がないから、尚更の事か。
「ちょっと、あの頃の事を思いだしちゃうんだけど……」
 そう呟きながら、総司は大きな窓に歩み寄った。フィックスになった大きな窓からは、都会の夕焼けの光景が一望できる。それは、本当に、あの土方に監禁されていた頃と同じような光景だった。
 だが、それを嫌だとは思わなかった。
 実際、総司にとって、あの頃の記憶は、理由や土方の気持ちがわかってみれば、甘やかで少し気恥ずかしい思い出となっていたのだ。
 そっけなく冷たく接しながら、どれだけ土方が総司の事を愛し、大事に思ってくれていたか。
 それは、あの頃気づきもしなかったが、様々な事に現われていたのだ。
 そう、無理やり総司を抱く時でさえ、彼は信じられないぐらい優しかった……。


「……今も優しい、んだけどね」
 総司は呟き、はぁっとため息をついた。


 優しい事は優しいのだが、それが非常に問題なのかもしれなかった。
 あそこまでされてしまうと、限界を超えて、恥ずかしくなってしまうのだけれど、きっと彼にはわからないのだろう。
 いや、わからなくて当然なのだ。
 彼は、受け身の立場にたった事など、一度だってないのだから。


「土方さんって、本当に男の人だから」
 それも、とびきり恰好いい。
 総司はチェストの上にある写真を見つめ、ぽっと頬を赤らめた。
 二人寄り添い、にっこり笑いあっている写真だ。この間の海辺の別荘に行った時の写真だった。
 とっても楽しい旅行だったのだが、しかし、そこである事をされてしまったのだ。それが、総司にはたまらなく恥ずかしくて……。
「あ」
 突然、玄関の方で鳴った音に、総司はふり返った。
 ぱたぱたとスリッパの音をたてて走ってゆけば、思ったとおり土方が入ってくる処だった。総司に気づき、僅かに目を見開く。
「来ていたのか」
「うん、お帰りなさい」
「あぁ……ただいま」
 土方は優しく笑い、総司の躯をそっと抱きよせた。甘いキスをおとしてくれる。
 仕事帰りのため、いつもどおりのスーツ姿だった。
 プレスのきいた白いワイシャツに、タイトに締められたネクタイ。黒っぽいスーツの上下がすらりとした長身によく似合い、ストイックながら、大人の男特有の色香を漂わせている。
 ぼんやり見惚れていると、艶やかな黒髪をかきあげ、微かに笑いかけてきた。
「……そんな顔で見るなよ」
「え?」
「誘ってる顔」
「え、え、そうなの?」
 慌てて両手で頬をおさえた総司に、声をあげて笑い、土方はその細い躯をひょいっと片腕で抱きあげた。たて抱きにしたまま、リビングへ入ってゆく。
 少し恥ずかしかったが心地よかったので、総司も抵抗しなかった。それでも、リビングへ入ったとたん、身を捩って下ろしてもらう。
「すぐご飯にしますか?」
「いや、汗かいたからシャワー浴びてくるよ」
「じゃあ、出てきたらご飯にしますね、それでいい?」
「あぁ」
 頷いた土方はスーツの上着を脱ぎながら、リビングを出ていった。
 バスルームへ歩み去ってゆく男の背を見送った後、キッチンへ入った総司は、下ごしらえしておいた料理の仕上げに取りかかった。







 騒動が起ったのは、その2時間後だった。













Hネタのお話なので、苦手な方は避けてやって下さいませね。