「土方さん、話は終わってません」
前の席にトレーを置き、斉藤はきっぱり云った。
それに、土方は目をあげた。前に坐った斉藤、永倉、島田の面々に、うんざりしたようにため息をついた。
「まだ何かあるのか? 俺、この後新宿署へ行かなきゃならねぇんだ」
「知ってます。知ってるから、今急いで話をしてるんじゃないですか」
「話って……結局は、俺の総司のことだろ?」
“俺の”とわざわざ付け加えるあたりが、万年片思いの斉藤には嫌味にしか思えない。
思わずむっとした斉藤に、土方は肩をすくめた。
「なのに、何で、おまえそんなに必死なんだ?」
「逆にこっちが聞きたいですよ! 何で、そんなに平然としているんです!?」
「話がわからねぇのに、動揺しようがねぇだろ」
「そんな余裕かましてられると思います?」
斉藤はすうっと息を吸い込むと、一気に云った。
「あなたのね、総司が浮気をしたんですよ!」
「……え?」
一瞬、さすがに土方の手がとまった。
だが、すぐに苦笑をうかべると、また食事をつづけた。
「まさか」
「本当です。本当に、総司は浮気してるみたいなんです」
「……」
「これでも平然としていられるますか?」
そう訊ねた斉藤に、土方は僅かに眉を顰めた。しばらく黙ってから、低い声で云った。
「……そこまで云うなら、証拠を見せろよ」
「証拠?」
思ってもいなかった切り返しに、斉藤は驚いた。
「そうだ」
土方は意志が強そうな黒い瞳でまっすぐ斉藤を見据えると、云いきった。
「どんな証拠があって、総司が浮気していると云うんだ。それを俺に見せてみろ」
「……証拠」
思わず、呟いてしまった。
証言はあるのだが、証拠はないのだ。それに、その証言にしたって何も録音したって訳じゃない。
(物的証拠は何もない以上、立件は難しいな……って、事件じゃないだろうが!)
そうして一人突っ込みしている斉藤を眺めてから、土方はゆっくりと立ち上がった。
何か云いかけたが、結局やめた。無言のままトレイを手に、歩み去ってゆく。
そのすらりとした長身を見送り、永倉が椅子の背に凭れかかった。
「はじめちゃ〜ん」
「はい」
「あの二人の間に波風たてたい訳?」
「そんな事あるはずないでしょう」
「じゃあ、何で」
永倉の問いかけに、斉藤はちょっとほろ苦く笑った。
どうして、総司浮気疑惑で、あんなに動揺してしまったのか。やけ酒まで飲んでしまったのか。
自分ではよーくわかっているのだ。
「オレは総司が浮気するってのが……いやなんですよ」
「だから、何で」
「つまりですね」
斉藤はため息をつきながら、答えた。
「浮気するって事は、土方さんといて幸せではないって事じゃないですか。そんなの嫌なんです」
「……」
「オレは……総司がいつでも幸せそうに笑っていて欲しいから」
そう云った斉藤に、永倉と島田は沈黙した。
斉藤の片思いがいつまでも続く理由が、二人にもちょっとわかった気がしたのだ。
こういう、いい人タイプはえてして報われぬ事が多い。というか、そう決まっている。
「……はじめちゃん」
その肩に手をおき、永倉はしみじみと云った。
「人生さ、いつか良い事もあるよ」
隣では、島田が「そうです、そうです」と頷いている。
そんな有り難い理解者たちを前に、報われぬ男・斉藤は黙ったまま肩をすくめたのだった。
夕方6時を過ぎていた。
秋のため、もう辺りは夜の帳が落ち始めている。
そんな夕暮れの光景の中、総司はとことこと歩いていた。
街中だ。
沢山の高級ブティックやら、可愛らしいスイーツの店、おしゃれなカフェなどが立ち並ぶ一角だった。
場所柄のためか、女性の姿が多い。ほとんど会社帰りらしいOLだ。
いかにもキャリアウーマンという雰囲気の女性がすれ違うのを眺めてから、総司はある店の前で立ち止まった。
むろん、真ん前ではない。
少し離れた、だが、ショーウインドウ越しに店内がよく見える場所だ。
そこが、ここ最近の、総司の夕暮れ時の定位置だった。
(……あぁ)
小さく、幸せそうに微笑んだ。
(やっぱりいいなぁ)
総司はうっとりした表情で、見つめた。
知らず知らずのうちに、その瞳が潤み、なめらかな頬が上気してしまう。
(何度見ても、素敵。絶対、だよね……)
(くり返し恋しちゃうって、聞いた事あるけど、あれって本当だ)
(まさに一目惚れ? キューピットの矢で射抜かれた瞬間って、あぁいうのを云うのかな)
(あ、あ……行っちゃう。どうしよう、見えなくなっちゃう。……よかった、大丈夫。あぁ、やっぱり素敵……)
などなど。
うっとり見惚れながら、総司は自分の想いにひたりこんでいた。
そのため、気づかなかったのだ。
つい先程から、その横顔に鋭い視線があてられていた事に。
「……」
総司は両手を火照った頬にあて、ほぉっとため息をついた。
ちょっとだけ微笑んでから、くるりと踵を返した。帰宅するため、軽やかな足取りで歩きだそうとする。
とたん、目の前の人にどんっとぶつかってしまった。半ば、そのスーツの胸もとに飛びこんだような格好になる。
「す、すみません……!」
慌てて総司は顔をあげ、後ずさった。
が、その男を見たとたん、大きく目を見開いた。
「土方さん! ど、どうして……っ」
思わず上ずった声で叫んでしまった総司に、なぜか、土方は苦々しげな表情になった。
彼も警視庁からの帰りなのか、スーツ姿にブリーフケースを下げている。上質のスーツが長身によく似合い、どこから見てもエリートビジネスマンだった。その端麗な容姿に、通りをゆく女性のほとんどが熱い視線をむけてゆく。
だが、むろん、彼自身はそんなこと全く意に介してないようだった。
「帰りだ」
低い声で一言だけ答えた土方に、総司は頷いた。
「そ、それはそうでしょうけど……でも、どうしてここに?」
「おまえこそ、何で」
「えっ……あ、その……」
総司は困惑した表情で周囲を見回した。それから、不意に何か口実を思いついたらしく、ぱっと顔を輝かせた。
「あのっ、ケーキ!」
「ケーキ?」
「そうです。この近くにおいしいケーキ屋さんがあるでしょう? 買って帰ろうかなぁと思って、来たんです」
「成る程、なら……ちょうどよかったな」
土方は手をのばして総司の腕を掴むと、ふっと唇の端をつりあげてみせた。
「今から俺も行こうかと思っていた処だ。一緒に買いに行くか」
「え? 土方さんが?」
「おまえへの土産だ」
「そ、それはどうも……ありがとう……」
どこか奇妙な会話をかわしながら、二人は歩き出した。それはとりも直さず、あの例の総司が見惚れていた店から離れるという事で、思わず安堵の息がもれた。
(……よかった)
そっと、隣を歩く男の端正な横顔を伺った。
(何も……気づかれてないよね)
「総司」
「は、はいっ」
突然、呼びかけられ、思わず元気よく返事してしまう。
それに、いつもなら笑ってくれるはずの土方は、全く無表情のまま言葉をつづけた。
切れの長い目が、総司を探るように一瞥する。
「おまえ、この頃、帰りが遅いみたいだな」
「あ……えっと、その、原田さんの処でバイトをしてるから」
「ふうん」
「な、何かこの頃、忙しいみたいで。すっごく繁盛してるんですよ。もしかして、雑誌とかに載ったりしちゃったのかなぁ。でも、それも当然ですよね。だって、原田さんが入れる珈琲おいしいし、まさ子さんが作るケーキもご飯もおいしいし」
……人間、何かを誤魔化している時は、饒舌になるという。
今の総司がまさにそうだった。
必死になって喋る総司を眺めながら、土方は思わず心の中でため息をついた。
先日来、総司の態度がおかしいのは確かなのだ。
ふたり一緒にいても、ぼーっと上の空だったり、最近やけにバイトに精を出していたり。
挙げ句、さっきの光景だ。
珍しく早めに仕事を終えた土方が、総司の好きなケーキを買って帰ってやろうと思ったのは、本当の事だった。
どのケーキが欲しいか聞くために携帯電話を取り出した土方は、ふと気づいて、例の発信器画面を呼び出した。総司は今、家にいるのだろうかと思ったのだ。
ところが、画面が教えてくれたのは、この近くに総司がいるという事実だった。
驚いて見回せば、彼から30m程先に、愛しい少年の姿があった。街路樹の陰に隠れるようにして佇み、何かをじっと見つめている。
(? いったい……何を見ているんだ)
ゆっくりと近づいていったが、総司は彼に全く気づかない。
ただもう、夢中で前ばかりを見つめているのだ。
「……」
思わず眉を顰めてしまった。
彼を不機嫌にさせたのは、総司のその表情だった。大きな瞳を潤ませ、頬を上気させて、唇を半開きにしている。
所謂、うっとり見惚れているという様だった。
どう見ても、あれは恋する者の表情だ。それも熱烈な。
(嘘だろ……斉藤の言葉は本当だったのか?)
おそるおそる総司の視線を追ってみれば、そこには高級ブティックがあった。
しかも、その店内の一人の男性店員に総司の目は釘づけにされている。男性店員が動くと、総司の視線も動くので、すぐにわかってしまったのだ。
その男性店員は二十代半ば程で、なかなか優しげな容姿をもっていた。いかにも朗らかで、人が良さそうだ。土方とは全く正反対のタイプだった。
「──」
思わず、ぐっと両手をきつく握りしめた。胸奥がずきりと錐にでも貫かれたように痛む。
嫉妬と憤怒で、くらくら眩暈までしそうだった。
斉藤の言葉を信じるつもりはなかった。だが、こうして証拠まで見せられては、誤魔化す事はできない。
明らかに、総司は恋をしているのだ。
それも──自分以外に。
正直な話、今すぐ総司の躯を抱きすくめ、詰問してやりたかった。どうして、何故と叫びたかった。
あんなに愛してると、云ってくれたのに。
俺もおまえだけを愛してきたし、おまえも愛してくれていたはずなのに。
なのに……どうしてなんだ!
だが、そんな事できるはずもなかった。
土方は人の倍以上もプライドが高い男なのだ。浮気された挙げ句、それを責め立てるようなみっともない真似は絶対に出来なかった。
だからこそ、素知らぬ顔で総司に話しかけたのだ。
本当は、山ほど聞いてやりたい事を抱えながら。
「あ、ここですよね」
不意に、総司は弾んだ声をあげた。
明るい店内は可愛らしく飾られ、宝石のようなケーキが並べられてある。程ほどに混んでいるようだ。
「どれにしようかなぁ」
ケーキ屋に入り、総司は明らかにほっとした表情になった。
足早にショーウインドの前へ歩み寄ってゆく。いかにも、土方の傍から離れられて良かったと、云わんばかりだった。
「……」
それにぎりっと奥歯を噛みしめながら、土方は、愛しい少年の背を見つめた。
一週間が過ぎた。
そう、一週間だ。
土方にしては、かなり我慢した方だった。
本当なら今すぐ「何で浮気した!?」と問い詰めてやりたい衝動をじりじり押し殺し、総司の前では笑顔をつくりつつ、その実、毎日毎日、例の発信器画面と睨めっこしていたのだ。
下手すれば、ストーカー一歩手前の行動だが、嫉妬にめらめら燃えまくる男の頭にTPOはない。
それは、仕事場でも遺憾なく発揮されていた。
朝から夕方6時までは、しっかり仕事に集中しているのだが、問題は夕方6時以降だった。
そこが本庁だろうが、重大事件の捜査会議中だろうが、張り込み中だろうが全くお構いなく、時計の針が6時きっかり指したとたん、土方はさっと携帯電話をスーツの胸ポケットから取り出した。
そして、「いったいどんな重大案件だ!?」と聞きたくなるような真剣そのものの表情で、眉間にぐっと皺を刻み、ひたすら携帯画面を凝視しているのだ。
むろん、愛しい恋人の行動を監視するためにだった。
だが、総司の方はそんな彼の行動など全く知らない。
相変わらず毎日、大学の講義が終わるとバイトに励み、そして、夕方にはあの店へ通っていた。その一部始終を土方にしっかり監視されているとも知らずに。
さて、一週間。
ある意味、よく保った方である。
だが、我慢とか忍耐とか日頃馴れない事をしてきたその反動は、当然ながら大きかった。
ある日突然、どっかーん!とやって来てしまったのである。
その引き金となったのは、縒りによって土方が捜査本部泊まりこみの日だった。
とうとう、総司があの店の中へ入ってしまったのだ!
今までは店の前でただ見つめるだけだったのが、例の相手に逢うため店内へ入っていったのである。
彼が壊れそうなほど握りしめる携帯電話の画面上、発信器は、確かに、明確に、店内でぴこぴこと点滅していた。
(……冗談じゃねぇよ!)
その瞬間、土方は自分の堪忍袋の緒が千切れ飛ぶ、ブチッという音を確かに聞いた気がした……。
「え? もうバイトはいいの?」
藤堂は驚いて訊ねた。
それに、総司はこくりと頷いた。
今日は昼からの講義が休講になった為、早い安いうまいの生協で二人は昼食をとっていた。
旺盛な食欲を見せる藤堂の前に坐った総司は、降りそそぐ明るい陽光の中、相変わらず可愛らしかった。少年とも少女ともつかぬ中性的な魅力が、総司をより可憐に儚げに見せている。
当然の事ながら、可愛い総司に近づこうとする男は多かったが、それを藤堂がしっかりシャットアウトしていた。磯子にも頼まれているし、何よりも、自分が傍にいながら万一何かあったら、土方の怒りが恐ろしい。
もちろん、学部が違うため色々困る事はあったが、教育学部の方では結構、総司も上手くやっているらしい。
友達は可愛い女の子ばかりで、総司が入っても女の子ONLYの集団としか見えない状態だった。しかも、その女の子集団の結束が固いので、どの男もはねのけられ、今のところ、総司に近づいていい男は藤堂だけとされている。
磯子と同じようなタイプの女の子ばかりなので、藤堂もちょっと怖いのだが、とりあえず親友と認めて貰えてるだけヨシとしなければと思っていた。
「何で? もう原田さんとこやめちゃう訳?」
エビフライをぱくっと食べながら訊ねた藤堂に、総司はちょっと笑った。
「まさか。違うよ、原田さんとこのバイトはずっと続けていく。そうじゃなくて、ここの所ずっとバイトばっかりだったから、少し休もうかなと思って」
「ふうん」
藤堂はにっと笑った。
「じゃあさ、今日は休講になった事だし、久しぶりにカラオケでも行く?」
「あ、ごめんね」
総司は慌てて手をあわせてみせた。
「今日、土方さんが泊り明けで帰ってくるはずだから、ご馳走を用意してあげたいんだ。久しぶりに、お料理とか頑張りたくて……」
「うわー、新妻してるなぁ」
「からかわないでよ」
ちょっと首をすくめ、総司は恥ずかしそうな笑みをうかべた。なめらかな頬をぽっと桜色に染め、つやつやした唇に笑みをうかべている。
恋は人を綺麗にすると云うが、総司の場合、どんどん綺麗になっている気がするぞ、などと、藤堂は思ってしまった。
(……これじゃ、土方さんも気が気でないだろうなぁ)
むろん、藤堂は例の浮気騒動の事など全く知らない。
相変わらず、二人はらぶらぶバカップルをやっているのだろうと、思っていた。
だが、その考えはすぐさま覆される。
学食を出た藤堂と総司は、そのまま帰宅するつもりで正門へと向かった。青空の下、広々とした芝生のあちこちに、学生たちが坐ってパンをかじっており、正面の図書館へ入ってゆく学生の姿も多い。
そんな中、すれ違う女学生たちの声に、総司はふと細い眉を顰めた。
「ねぇ? あんな格好いい人初めて見たよね〜?」
正門から入ってきた女学生たちが興奮した口調で、喋っていたのだ。
「ここの学生じゃなさそうだから、お兄さんか何かかな」
「いかにもエリートビジネスマンって感じ、スーツがめちゃくちゃ似合ってるし♪」
「モデルさんかもって、思っちゃった。あんな恰好いいモデルさんいたら、絶対ファンになってるよ〜」
(……恰好いいモデル……まさか……)
妙ないや〜な予感が、総司の胸奥をじわじわと満たした。
だが、まさかとも思う。
総司が大学へ通うにあたって、一つだけ土方と約束した事があるのだ。
それは、絶対、絶対、大学へは来ないという事だった。
土方はかなり不満そうだったが、しぶしぶながらも頷いてくれた。そのため、外で会う時も別の場所で待ち合わせをし、彼が大学まで迎えに来るという事は一切なかったのだ。
その理由は、土方自身にあった。
あまり自覚してないようだが、とにかく、彼は目立つ。
端正な顔だちに、そのすらりとした長身。さすが元モデルだけあって、人を惹きつける華があるのだ。それは恋人としてとても嬉しい事でもあったが、一方で、悩みの種でもあった。
これでも結構やきもち焼きの総司としては、土方が女にもてまくる処など見たくもないのだ。それも、自分が通う大学構内なら尚更の事だった。彼に一目惚れした女学生達に紹介してくれなどと云われたら、何と答えればいいのか。考えるだけで、頭が痛くなりそうだった。
だからこそ、断固として大学へ来る事を拒んでいたのだが───
「……」
思わず立ち止まってしまった総司に、藤堂が訝しげに視線をむけた。
「? 総司、どうかした?」
「んー、嫌な予感」
「へ?」
「これって、高校の時の再現かなぁ……」
そう呟いた総司は、はぁっとため息をつくと再び歩き出した。
藤堂は相変わらず「?」みたいだったが、その疑問も正門まで来た処で氷塊した。
そこには、やっぱりというか、お約束のごとく。
一人の男が佇んでいたのだ。
停めた車の前で、仁王立ちしている。
すらりとした長身に上質のスーツを纏ったその姿は、どこから見てもエリートビジネスマンだ。だが、その雰囲気には明らかに違うと思わせる凄味があった。
「……土方さん」
とんでもなく不機嫌そうな恋人の様子を、総司は大きな瞳で見つめた。
