もともと、土方は端正な容姿をもつ男だが、何しろ刑事というハードな仕事柄だ。
 一切の表情を消してしまうと、空恐ろしいほどの凄味があった。今も、眉間に皺を刻み、鋭い視線をむけているその姿は、ものすごい迫力だ。
 傍にいる藤堂の方が思わず後ずさってしまった程だった。
 総司自身も、おそらく高校生の頃なら怯んでしまっただろう。だが、年月を重ねた恋人は強い。
 仁王立ちしている土方の前にたったか歩み寄ったかと思うと、いきなり噛みついた。
「約束破りましたね!」
 きゃんきゃん叫ぶ。
「絶対、大学へは来ちゃ駄目って云ったのに、約束破って! 何で、こういう事するんですか!」
「……ここは大学構内じゃねぇだろ」
「そんな屁理屈が通じると本気で思ってるのっ?」
「思ってる」
 憮然とした表情で答えた土方に、総司はぷうっと頬をふくらました。
「あ、そ」
 藤堂がはらはらしながら見ているのも構わず、ぷいっと顔をそむける。
「土方さんって、ほんーっと身勝手ですよね。自分の論理だけで世界が動いてるとでも思ってるんじゃないですか」
「……」
「でも、そんなのぼくには通じませんからね。勝手に迎えに来たのは土方さんなんだし、ぼくも勝手に帰らせて頂きます!」
 きっぱり云いきると、総司はさっさと背を向けた。歩きだそうとする。
 だが、土方がそれを許すはずがなかった。
 総司の細い腕を掴むと、ぐいっと乱暴に引き寄せた。
「待てよ」
「これ以上、まだ何かご用ですか」
 つーんとした表情で云った総司に、土方は眉を顰めた。
 その冷たい態度が、浮気している証拠そのもののように思え、ますます腹がたってくる。
 嫉妬と怒りで気が変になってしまいそうだ。
 いや、ストーカーのごとく毎日監視した挙げ句、大学の正門前で待ち伏せするなど、既におかしい行動なのだが、今の土方には全く自覚がない。
「これから行く処があるんだ、車に乗れ」
「何で命令すんのっ? 怒ってるのはぼくの方……」
「おまえは、車の中へ放り込まれてぇのか」
 低い声で遮った土方に、総司はようやく気がついた。
 あらためて見てみると、かなり不機嫌そうだ。いやいや不機嫌どころか、形のよい眉は顰められ、その黒い瞳は剣呑な光がうかべている。
 ぐっと固く引き結ばれた口許も、彼の怒りをあらわしているようだった。

(……でも、何で?)

 総司には全く心当たりはない。心当たりはないのだが、ここまで土方が怒っている以上、何か自分がしでかしたのは確かなのだろう。
 これ以上、彼の怒りの火に油を注がないためにも、ここは大人しく従っておくのが得策だった。
 まだ唇を尖らせたままだったが、総司は土方が開けた助手席のドアの中へ身を滑りこませた。窓ガラス越しに藤堂へバイバイと手をふってみせる。
 土方は運転席に乗り込むと、すぐさま車を発進させた。なめらかな動きで紺色のスポーツカーは、道路へと滑り出してゆく。
 車内に満たされた、心地よい程度の空調と、そして、重苦しい沈黙。
 それに、思わずため息がもれそうになるのを堪えながら、総司はきゅっと唇を噛みしめたのだった……。













 初めのうち、総司はどうせ車は官舎へ向かうのだろうと思っていた。
 もしくは、前のようにその辺りで停めて詰問されるか。
 だが、その予想はあっさり覆された。車はどんどん都心へ入ってゆき、ある華やかな街の一角に停められたのだ。
「……降りろよ」
 車のキーを抜きながら云った土方に、総司は躊躇った。が、ここに坐っていても仕方がないと、助手席のドアを開けて外へ降り立つ。
 小さなポケットパーキングだったが、平日の昼過ぎのため割合空いている。
 土方は車のドアを閉めると、さっさと歩き出してしまった。それを総司は慌てて追った。
「ちょっ……ちょっと待って」
「……」
「土方さんってば」
 彼の腕に手をかけた総司に、土方はちらりと視線を落とした。
「何だ」
「何だじゃなくてですね……えーと、この辺りに何の用事が?」
「さぁ、何だろうな」
「ケーキ屋さんですか? この間行った?」
「そんなものじゃねぇよ。だが……」
 土方はふっと唇の端をつりあげてみせた。
 皮肉っぽい笑いだが、それさえも端正な顔だちの彼がすると恰好よく見えるのだから、いい男というのは得だ。
「おまえはこの辺り、しょっちゅう来てるんだから、飽きちまってるか」
「え?」
 ぎくりと総司は顔を強ばらせた。だが、すぐ、誤魔化すように笑ってみせる。
「そんな、しょっちゅうだなんて。滅多に来ませんよ」
 だが、その言葉が男の神経を逆撫でした。
 今までは薄い笑みさえうかべていた彼の端正な顔から、まるでかき消すように一切の表情が失せてしまったのだ。
 冷ややかな瞳が総司を鋭く一瞥した。
「ふうん……滅多に、ねぇ」
 ゆっくりと低い声で呟いた。
 くっと喉を鳴らし、嗤う。
「おまえ、よくもそれだけ平気で嘘がつけるものだな」
「う、嘘って」
「毎日、来てたんだろ? あの店に毎日通っていた。えぇ、そうじゃねぇのか?」
「! ど、どうしてそれを……っ」
 驚いて訊ねかけた総司は、はっとして自分の左手首を押さえた。そこに嵌められてある銀色のブレスレットの存在を、今更ながら思い出したのだ。
「み、見張っていたの!?」
 思わず叫んだ総司に、土方はむっとした表情になった。
「何だ、その云い方は。見張っていたって、何だよ」
「事実そうでしょう? あなたは、ぼくの事を見張っていたんだ。だから、知ってるんですよね、あの店に通っていた事も皆……」
「あぁ、知ってるさ!」
 土方は両手を大きく広げてみせると、叫んだ。
 怒りに、彼の黒い瞳は獣のように光り、端正な顔は引き締まっている。
「俺は全部知っているんだ。おまえが何であの店に通っていたかもな。そんなにも惚れちまった訳だよな」
「ほ、惚れてって……」
「今更、云い訳はいらねぇよ。俺も一週間我慢したが、もう限界だ。今日こそ、あの男と話をつけてやる……!」
「……え?」
 土方の最後の言葉に、総司は目を瞠った。だが、聞き返す暇もない。
 男の大きな手がもの凄い力で手首を掴んだかと思うと、まるで引きずるように歩き出されてしまったのだ。
 慌てて抗おうとしたが、力で叶うはずもない。
 総司は必死に云いつのった。
「待って! お願い、待って下さい」
「十分、俺は待ったさ。一週間も我慢してきたんだ。だがな、俺はそんな甘い男じゃねぇんだよ」
「あ、甘くないってのはわかってるけど、でも……っ」
「だったら、おまえは俺を莫迦にしてるのか? 俺が、恋人が浮気しても平気でいられるような男だと?」
「う…浮気ぃぃ──ッ!?」
 思わず、総司は叫んでいた。


 いったい何がどうなって、そうなってしまうのか。
 何が浮気だと判断されてしまったのか。
 さっぱりわからなかったが、どうやら土方は完全にそう思いこんでいるらしい。
 今も、「絶対に許さねぇ」とか、「人のもんに手ぇ出しやがって、叩きのめしてやる」とか、呟いていた。


 総司はさあぁーっと青くなってしまった。
 いったい彼が誰を総司の浮気相手だと思っているのかわからないが、誰であるにせよ、刑事である彼が暴力沙汰など起こせば、懲戒免職だ。自分が原因で、土方をそんな目にあわせる訳にはいかなかった。
 もう目の前に迫った店に、わたわた慌ててしまう。
「待って! 待って……お願いだから」
「だから、待たねぇって云ってるだろ」
「ぼく、浮気なんかしてません! 絶対にしてませんっ」
「だったら、何でこの店に通っていたんだ。おまえ、俺と偶然会った日も店の外から男に見惚れていたじゃねぇか」
「はぁ!? 見惚れてたって……そ、それは違っ……」
「もういい! 言い訳は後で聞いてやる」
 そう云うなり、土方は店のドアを押し開けた。総司を引きずるようにして、入ってゆく。
 とたん、いらっしゃいませ〜と脳天気なほど明るい声が響いた。
 広い店内だった。高級ブランドショップだ。
 吹き抜けの向こうに階段があり、二階にも商品が並べられているようだった。
 大理石ばりの床に仁王立ちになったまま、土方はぐるりと視線をめぐらせた。見たところ、あの男性店員はいない。だが、何が何でもとっちめてやると決心した。
 その時だった。
「あぁ、これは」
 一人のちょっと可愛らしい女性店員が歩み寄ってきた。
 総司に、にっこりと笑いかける。
「毎度ありがとうございます。本日は、ご本人様をお連れ下さいましたのね」
「……?」
 意味がわからず眉を顰めた土方の傍で、総司の顔が真っ赤になった。ちょっと躊躇いがちに、「……はい」と頷く。
 女性店員は土方を一瞥すると、にこにこと営業スマイル(かなり愛想が良かった)を浮かべた。
「この方なら、お客様がおっしゃられた通り、背もお高いしすらりとなさっておられるので、よくお似合いだと思いますよ」
「はぁ……」
「少々お待ち下さいませ。ただ今、ご用意して参りますから」
 そう云うと、女性店員は足早に奥へ消えた。
 それを土方は呆気にとられたまま、見送る。
 いったい何の会話だか全くわからなかったのだが、何となく、総司がこの店へ通っていた理由がわかった気がしてきたのだ。
「……」
 ちらりと一瞥すると、総司はずっと俯いたままだ。ぎゅっと桜色の唇を噛みしめている。
 それに、土方も何と声をかけたら良いかわからず、黙ったまま立ちつくしていた。
 やがて、店員が戻ってきた。手には大きな衣装袋を抱えている。
 それをショウケースの上に置くと、チャックを下げた。中から現れたのは、一枚の男物のコートだった。
 ピュアカシミアの黒いロングコートだ。デザインもすっきりシンプルながらおしゃれで、確かに、土方によく似合いそうだった。
「どうぞ、袖を通してご覧になって下さいませ」
 にっこり笑いながら促され、土方はその黒いコートを手にとった。
 さすがピュアカシミアなので軽い。腕を通してみると、まるで誂えたように、土方のしなやかな長身にぴったりだった。
 土方はスーツの上にコートを纏った状態で、鏡の前に佇んだ。
 その背後で、おずおずと総司が顔をあげるのが見えた。
 黒いコートを纏う彼の姿を目にしたとたん、ぽっと頬が桜色に染めあげられた。ちょっと目を瞠ってから、後はうっとりとしか形容しようのない表情で、彼に見惚れている。
 鏡ごしに視線があうと、嬉しそうに笑ってみせ、だが、はっと気がついたように、また俯いてしまった。
「まぁ、よくお似合いですわ」
 店員の褒め言葉が聞こえたが、土方は総司の方ばかりを見ていた。聞きたい事は山ほどあるのだが、何から云ったらいいのかわからない。
 黙り込んでいると、店員が柔らかな手つきでコートを脱がせてくれた。そのまま衣装袋に仕舞うと、総司に手渡した。支払いは既にすんでいるのだろう、店員も商品を渡しただけだった。
「お直しの方、大丈夫だと思いますが、もし何かありましたらいつでもいらして下さいませ」
「はい……」
 こくりと頷いた総司は、一瞬だけ土方を見あげてから歩き出した。土方もかるく店員へ目礼してから、店を出てゆく。
「ありがとうございましたー!」
 店員の明るい声が二人の背をうつ。
 それを聞きながら、とにかく店を出てからだと思った。店を出てから、色々と訊ね、もし自分の誤解のせいで総司に嫌な思いをさせてしまったのなら(ほぼ決まっているようだが)、きちんと謝ろうと思った。
 だが、店を出たとたん、土方が驚いた事に、総司は走り出してしまったのだ。
 衣装袋を抱えたまま、脱兎のごとく駆けだしてゆく。これには、土方も驚いた。というより不意打ちだ。
「総司……!」
 慌てて叫んだが、総司はふり返りもしなかった。
 それに、土方は嘆息し、片手で前髪をくしゃっとかきあげた。

(……ったく、何をやっているんだか)

 どう考えても誤解だったのだ。
 いったい何故あのコートを買おうと思ったのかはわからないが、それでも、彼のためにバイトをし、この店に通っていた事は確かだった。
 土方は気づいてなかったが、あの時、総司の目が追っていたのは、店員の男ではなく、その店員が手にしていたコートだったのだ。
 さっきのうっとりと彼に見惚れていた表情、あれはあの時に見たものと同じだった。なら、総司はあのコートを纏った彼の姿でも想像して、目を潤ませていたのか。

(可愛いというか、何というか……)

 ちょっと甘酸っぱいような想いを噛みしめながら、土方は歩き出した。おそらく、車の傍で待っているだろうと思ったのだ。
 いつでも、総司は逃げるくせに、土方が追いかけて来てくれるのを待っているのだから。
 そして、それは今回も同じくだった。
「……総司」
 駐車場に停められた紺色のスポーツカー。それに凭れるようにして、総司は佇んでいたのだ。衣装袋を胸もとにぎゅっと抱きしめ、拗ねたような表情で俯いている。
 土方はその前に立つと、そっと手をのばした。総司の手にふれようとしたが、それは素っ気なく払われてしまう。
 やばい、かなり怒ってるぞと、怯んだが、ここで引いたら後々が困るのだ。
「……ごめん」
 土方は出来るだけ柔らかな声で謝った。
 まだアスファルトに視線を落としたままの総司に、一生懸命心をこめて話しかける。
「その、本当に誤解して……ごめん。悪かった。おまえがバイトに励んでいた理由も、あの店に通っていた理由も全部よくわかったよ」
「……」
「だから、なぁ……許してくれねぇか? 機嫌を直してくれ」
 そう頼みこむように云ったが、総司は相変わらず拗ねた表情で俯いている。返事一つ返してくれない。
 それにため息をつき、土方は空を見あげた。
 しばらく考えていたが、やがて、ある事を思いつくと云った。
「じゃあさ、お詫びに、おまえが俺と一緒に見たいって云ってた展覧会、今から見に行こうか」
「……」
 俯いたままだったが、ちょっとだけ総司の表情が動いた。
 それに気をよくし、必死にせっせと言葉をつづける。
「で、帰りに、あのレストランで夕食はどうだ? ほら、おまえが好きな青山の店」
「……」 
「食後に、デザートブッフェがついてくる処だ。20種類のデザート、制覇したかったんだろ?」
「……予約」
 ようやく、口をきいてくれたた総司に、土方はほっと安堵の吐息をもらした。 
「今からでも……大丈夫?」
「平日だ。大丈夫さ、今すぐ聞いてやるよ」
「うん!」
 ご機嫌が直ったのか、にっこり笑ってくれた総司に、やれやれ……と肩の荷をおろした。まるで子供を相手にしているようだが、こういう処も可愛いのだから仕方がない。
 土方はさっさと携帯電話を取り出すと、件のレストランに予約を入れた。
「あの……ごめんね」
 パチンと音をたてて携帯電話を畳んだ時、彼の背後で、総司は小さく謝った。
 それにふり返ると、ちょっと恥ずかしそうに笑ってみせる。
「余計な心配かけて、ごめんなさい」
「謝るのは俺の方だ。勝手に誤解して、勝手にやきもち焼いていた」
「それは……ちょっと困ったけど。でも、このコート、クリスマスプレゼントにしたかったから。気にいってくれた?」
「あぁ、もちろん」
「よかった」
 総司は衣装袋を「はい」と両手でさし出した。中に入っているのは、勿論あの黒いコートだ。
「本当はクリスマスまで秘密のつもりだったけど、もう渡しちゃうね。クリスマスプレゼントです」
「ありがとう」
 受け取り礼を云いながら、土方はかるく小首をかしげた。
「だが、一つ疑問が残るんだけどな」
「え?」
「何で、このコートなんだ。あそこの高いし、俺、あの店に行った事なかっただろ?」
「うん。でもね、同じようなコートを試着した事はあるんですよ。ほら、銀座のお店で……でも、すごく高くて、土方さん、似合ってたし気にいってるみたいだったけど、やめておくって云ってたから」
「そうだったかな」
「同じ店で買おうと思ったんだけど、もう売り切れちゃってて、で、あちこち探していたら、あの店でよく似たこのコートを見つけたんです。ぼく、どうしても、このコートを土方さんに着て欲しくて着て欲しくて。だって、すっごく似合っていたんだもの」
「それはありがとう」
「一目惚れって云うのかな」
 うきうきした声で、総司はつづけた。
「ぼくね、あらためて土方さんに恋しちゃった」
 うふふっと笑う総司に、土方はようやく合点がいった気がした。
 かなり前になるが、カフェで喧嘩した時、あの時、ぼーっと総司が思い描いていたのは、土方のことだったのだ。というより、土方があのコートを纏った姿を想像し、うっとりしていたのだろう。

(それなら……そうと云えばいいのに。一目惚れだとか、恋してるとか云うから、訳わからなくなっちまうんだ)

 思わずため息がもれそうだったが、こうして時々、意味不明の行動をおこして彼の手を焼かせてしまう、そんな無邪気な小悪魔的な行動も、また可愛いのだ。
 それに、ある意味、人の事は云えない。
 何しろ、土方は毎日毎日、総司に一目惚れしているのだから。
 朝起きて、そのキュートで可憐な笑顔を見た瞬間、好きだなぁとしみじみ思ってしまう。
 所謂、キューピットの矢に射抜かれてしまう。
 そして、きっと。
 そんな日々は、これからも、ずっとずっと続いていくのだ。
 いつまでも。


「愛してるよ」
 不意に、そう云った土方に、総司は驚いたようだった。びっくりした顔で目を瞠り、彼をじっと見つめる。
 だが、すぐ頬を染めると「ぼくも……」と云いながら俯いた。
 それに低く笑い、土方はその細い躯を抱きよせた。なめらかな桜色の頬に、そっとキスを落としてやる。
「土方さん……」
 総司は顔あげ、恥ずかしそうに彼を見つめた。
 そして。
 両手をのばすと、可愛い花が咲いたような笑顔で、土方に抱きついてくれたのだった。





      恋しちゃう瞬間は、永遠だから
















[あとがき]
 はい、これで番外編は終わりです。次からは本編スタートとなります。番外編とは全く違う、どシリアスです。土方さんVS伊東兄のお話。
 また読んでやって下さいね♪