甘いキス
 切ないキス
 優しいキス

 キスにも色々あるけれど













 ……そっと、キスをした。
 一瞬、離れて。
 でも、また柔らかく唇を重ねた。
 そうして、ふれあうだけのキスをくり返す。
 互いの躯を熱くふれあう事もなく、指さきだけを絡めて。


 愛してる、愛してる、愛してる。


 心からの想い、どうか伝わって。
 そう心から願いながら、唇を重ねた。
 彼の唇はほんの少し冷たくて、指さきはもっと冷たくて。
 それをあたためてあげたくて身を寄せようとしたとたん、すっと離れられた。
 まるで……拒まれているように。








「……土方…さん?」
 目を開き、そっと彼を見上げた。
 こちらをじっと見下ろしている、端正な彼の顔。
 きれいなアーモンド形の切れの長い目。濡れたような黒曜石の瞳。
 その僅かに開かれた唇はキスのためか、少し濡れていてとてもセクシャルで、またキスをしたくなる。
 もう一度求めようと彼の腕に手をかけたとたん、やっぱり避けられた。
「……総司」
 困ったように笑い、土方は総司の手を柔らかく引き離した。そのまま肩を抱いて、連れだそうとしてくる。
 総司が唇を尖らせると、仕方ないだろうと云いたげに肩をすくめた。
「ここ、路地裏だぞ」
「だけど、ひっぱりこんだのは土方さんの方でしょ?」
「それでも、まずいだろ。本庁も近いし」
 土方は総司を連れて表通りへ出ると、持っていた鞄を渡してくれた。さっき、キスした時に、総司が思わず地面へ落としかけたものだ。
「ほら、気をつけて帰れよ」
「……また泊まり?」
「わからない。また連絡するよ」
「……」
「そんな拗ねた顔するなって」
 くすくす笑いながら、土方は総司の小さな頭を己の胸もとにそっと抱きよせた。ふわっと香る、コロンと混じり合った彼の匂い。
 だが、その匂いに包まれたのは一瞬だけだった。
 あっと思った時には引き離され、土方は腕時計にちらりと視線をやっていた。そのまま踵を返そうとしている。
「土方さん」
 慌てて叫んだ総司に、土方は少しだけふり返り、優しく笑いながら手をふった。
「気をつけて帰れよ」
「……うん。……お仕事、無理しないで」
 言葉の語尾は聞こえたのかどうか。
 土方はそのままふり返る事なくコートの裾をひるがえし、本庁の方へ歩み去ってしまった。どんどん遠ざかるその広い背を、ぼんやり見送る。
 しばらくたってから、総司は、はぁっとため息をついた。
 自分もくるりと向きを変えると、とことこと駅へ向って歩き始める。


 もともとデートだった訳ではなかった。
 ここ最近、とんでもなく忙しい土方と全く逢えず、仕事の合間を縫っての逢瀬だったのだ。
 それも、ほんの30分。食事どころか、お茶もまともに出来ていない。
 公園のベンチに腰かけて少し話して、それからそろそろ時間だからと戻る最中で路地裏にひっぱりこまれてキス。
 でも、それだけ、だった。
 本当にキスだけで。

(そ、そりゃ、ぼくだって本番までなんて思ってないけど)

 総司はぱっと顔を赤らめ、慌ててぶんぶん首をふった。


 幾ら何でも路地裏でなんて!
 想像するだけで、わーわー叫びたくなるぐらい御免だけど、でも。
 抱きしめてくれたりするぐらいは、いいんじゃないかなぁ……と、ついつい思ってしまうのだ。
 何しろ、彼の逞しい両腕で抱きすくめられると、とっても気持ちがよくて安心できて、ここが自分の居場所なのだと思えて。
 あたたかくて、世界で一番だい好きだから。
 なのに。


「指さきしかふれてくれないって、どういう事?」
 ぷんっと頬をふくらまし、総司は呟いた。地下鉄の駅で切符を買い、家へと向う電車に乗り込む。むろん、家とは総司自身のマンションだ。
 何となく切っ掛けが掴めず、二人はまだ同居できていなかったのだ。だからこそ、逢えないのがつまらなくて仕方ない。今日だって、たった30分でも逢えると聞いただけで飛び上がるほど嬉しくて、大急ぎで走っていったのに。
「ほんと30分きっかりなんだもん」
 総司は、あーあとため息をつき、電車の椅子に腰かけた。
 かたんかたん揺れる電車の中は程ほどに混んでいるが、坐れない程でもない。


 土方が警察の人間であり、また、その中でもテロ対策というとんでもなく多忙なセクションに身を置いている事は、よくわかっていた。
 だからこそ、ずっと支えたいと思っていたし、官舎にいた頃はまるで奥さんのごとくせっせと家事にも励んでいたのだ。
 仕事だと納得するのはわかっているし、その多忙さを心配したりする事はあっても責めようとは思わなかったが、それでも……それでも逢いたいと思ってしまうのは恋人としてごく当然のことで。
 30分きっかりで腕時計に目をやった彼の事を思うと、あり得るはずがないとわかっていても、こうして逢いたいと思っているのは自分だけなのかも……などとつい考えてしまうのだ。

(ぼくって、我侭なのかなぁ)

 総司は電車の窓に映る自分を眺めながら、小さくため息をついた。












「……え?」
 総司はその箱を開けたとたん、呆気にとられた。



 数日後の日曜日の事だった。
 せっかくの休日だろうが何だろうが、相変わらず逢えないどころかお電話もない土方に、ちょっと拗ねた気分になりながら、総司は自分のマンションにいたのだ。部屋でクッション抱えて、ごろごろしていた。
 そこへ、突然届いた土方からの贈り物。
 どきどきしながら開けてみれば、出てきたのはケーキだった。
 綺麗にラッピングされたレモンケーキ。
 つるんとしたレモンのホワイトチョコも、ふっくらしたカステラ生地もとてもおいしそうなのだが……でも、何でレモンケーキ?
「……うーん」
 総司は腕を組み、悩んでしまった。
「おいしそうだけど、何でレモンケーキ?」
 ?マークで頭をいっぱいにした総司が、箱を持ち上げてみると、何かが傍らにカタンと落ちた。挟んであったらしいメッセージカードだ。
 慌てて拾い上げてみると、彼の筆跡で一文だけ。


    レモンはファーストキッスの味っていうが、
    レモンケーキだったら、どんなキスだろうな?


「これって、お誘い……?」
 謎かけみたいなメッセージに、ますますわからなくなってしまう。
 キスしたいって事なのか。
 それとも、ただ単にお菓子を贈ってくれただけなのか。
 でも、きっと出先でおいしそうなレモンケーキを見つけ、甘いものだい好きな総司のために送ってくれた事だけは間違いないだろう。それに、どんな彼なりの意味が含まれているにしても。
「……お茶にしよっかな」
 総司は立ち上がると、お気にいりの紅茶をこぽこぽ入れ、カップと皿とフォークをもってリビングに戻ってきた。小さな丸いテーブルの上に置き、レモンケーキを一つ封を破って取り出す。
 ふわりと広がった甘酸っぱい匂いに、やっぱりレモンケーキだなぁと思った。とてもおいしそうだ。
 紅茶を一口飲んでから、ぱくっと食べてみた。
「あ、おいしい♪」
 思わず笑顔になってしまった。
 カステラがふわふわして、コーティングされたホワイトチョコの甘さ加減が絶妙だった。今まで食べたレモンケーキの中で、一等賞と云ってもいいんじゃないだろうか。
 おいしくておいしくて、幾つでも食べられそうだ。
「……でも」
 総司は紅茶を飲みながら、視線を前にやった。小さな部屋の窓際では、チェックのカーテン越しに春の光がきらきら揺れている。
 それを眺めながら、そっとため息をついた。
「こういう時でも、土方さんと一緒に食べたかったと思っちゃうのは……我侭なのかな」
 お仕事忙しいのもわかってる。
 大変なのもわかってる。
 でも、逢いたいと思うのは正直な気持ちだし、それに、たまに逢った時ぐらいはもっともっとふれて欲しいと思ってしまうのだ。
 もっといっぱいふれて、あの人を感じたい。
 その腕の中にいれて欲しいし、ぎゅっと抱きしめて欲しい。
 一年間、彼と逢わずにいたからこそ──その隙間を埋めていきたいと、そう願っているのに。
 総司は携帯電話を取り出すと、ちょっと迷ってから、メールを打った。
 もちろん、土方にむけて。


 レモンケーキ、ありがとうございました
 とてもおいしかったです
 でも、土方さんのキスの方がいいです


 ちょっと気恥ずかしい文面だったが、思いきって送信してしまった。
 すぐ後で何だかめちゃくちゃ恥ずかしくなり、総司は顔を真っ赤にしてフォークを取り直した。ぱくぱくレモンケーキを食べ始めた。ぺろっと二つ連続で食べてしまう。
「ご馳走さま」
 手をあわせ、食器をもって立ち上がろうとした。
 すると、まるで見計らったように、電子音が鳴った。
 開いてみると、土方からだ。
「!」
 メールの内容に、総司は目を見開いた。


 俺のキスが欲しいなら、明日夕方4時にこの間の公園へおいで
 泊まりの支度を忘れずに


「え……え、えええぇーっ!」
 思わず、総司は大声で叫んでしまった。


 泊まりの支度をと云う事は、たくさん逢えるのだ!
 一晩、彼と一緒にいられるのだ!


「嬉しい! めちゃくちゃ嬉しいよー!」
 総司は携帯電話を握りしめたまま、部屋の中をぐるぐる回った。嬉しくて嬉しくて、舞い上がってしまう。それこそ地に足がついてない状態だ。
 しばらく頬を紅潮させ、うきうきしていたが、返信しなければという事に気がついた。はやる心をおさえ、返信する。


 はい!
 楽しみにしてますね


 総司は明日の用意をするために、押し入れからバックをひっぱり出したのだった。












 ところが。
「……遅い」
 月曜日、夕方4時20分だった。
 いつもなら先に必ず来てくれるはずの土方が、なかなか現われないのだ。だいたい、土方自身が最近嫌うため待ち合わせ自体が稀だったのだが、遅刻するなんて彼の性格からすれば到底考えられない事だった。
「何かあったのかも!」
 とうとう我慢できなくなった総司は、警視庁にむかって走り出した。
 どのみち、そこから歩いてくるに決まっているのだから、行き違いになるはずもない。
 ぱたぱた走っていくと、警視庁前の道路脇に車が停められ、そのすぐ傍の男たちが目に入った。しかも、それは斉藤、永倉、島田──と、お馴染みのメンバーばかりだ。
「斉藤さん!」
 とりあえず一番仲の良い斉藤の名を呼んだのだが、結局、三人ともくるりとふり返った。永倉と島田が総司を見つけたとたん、にこにこ笑う。
「おー、総司くんじゃん。元気してた?」
「お元気そうですね。今日はまたどうして」
「え、あ、はい。こんにちは」
 ぺこりと頭を下げた総司に、斉藤が歩みよってきた。小首をかしげられる。
「こんな処で何してるんだ?」
「えーと、あの」
 総司はちょっと口ごもってから、ちらりと周囲に視線を走らせた。
「その……土方さんは?」
「あぁ、今日、デートの約束だったのか」
「うん」
 頬を染めてこくんと頷いた総司は、めちゃくちゃ可愛らしい。彼に逢える事が嬉しくて嬉しくて仕方がない!という素直な気持ちが、本当に丸わかりだ。
 そんな総司に苦笑しつつ、斉藤は云った。
「久しぶりの休みだって、あの人もほっとしてたものなぁ。さっそく総司に連絡とった訳か」
「……そんなに久しぶりなの?」
「そうだな、一ヶ月近く休みなしだと思うよ」
 深々とため息をついた。
「オレたちは結構交代でとってたけど、土方さんは責任感強いし仕事熱心だから。それに、あの人じゃないと収まらない仕事けっこう多くて、色々ありすぎで休めなかったんだ」
「そう……だったの」
 総司は、そういう誠実で仕事熱心な彼を誇らしく思いつつも、その躯の事を思うと心配でたまらなくなった。
 そんな事していて倒れないのだろうか。
「それで、あの」
 訊ねかけた総司を、斉藤は気の毒そうに眺めた。
「今日のデート、たぶん、キャンセルだと思うよ」
「えっ」
「さっき池袋の方で爆破事件があって、今から向う処なんだ。土方さんはあっちで電話している」
「……」
 斉藤の指さす方を見ると、確かに、数メートル先に土方の姿があった。
 黒っぽいスーツを纏った長身が、歩道の脇に佇んでいた。
 形のよい眉を顰め、険しい表情で携帯電話を耳にあてている。時折、鋭い口調で何か云い返していた。
 ひどく張り詰め、とてもじゃないが近寄りがたい雰囲気だ。
「な、何か……怒ってる? 土方さん」
 思わず後ずさってしまった総司に、斉藤は苦笑した。
「まぁ、総司とのデートがおじゃんになって機嫌悪いんだろう。おまえに連絡つける暇もなく、さっきからずっと電話だし」
「ずっと?」
 そう斉藤に訊ねた時、突然、土方がこちらに気づいた。
 一瞬目を瞠ったが、携帯電話を耳にあてたまま手招きしてくる。
「……」
 ちょっと躊躇いつつも、総司はおずおずと歩みよっていった。