ある昼さがりの事だった。
夕食から戻った斉藤は、デスクに腰かけ、ぼんやり窓の外を眺めやっている土方の姿に気がついた。
スーツの上着は脱ぎ、ワイシャツとネクタイ、ボトムスと、どこにでもいるビジネスマンの姿だが、この男の場合は、憎らしいほど艶がある。ぱっと人目を惹いてしまうのだ。
だが、今、その端正な顔には憂いの色が濃かった。僅かに目を伏せ、何か考えこんでいる。
事件でもあったのかと思った斉藤は、歩み寄り、声をかけた。
「土方さん」
「……あぁ」
今、ようやく気付いたのか、土方がふり返った。その隣の席に腰かけながら、訊ねる。
「新宿の方はどうでした。何か収穫ありましたか」
「あまりなかったな。一応、近藤さんの方にあげておいたが」
そう云うと、土方は煩わしげに前髪をかきあげ、また黙り込んでしまった。どう見ても、おかしい。何かあったとしか思えない態度なのだ。
だが、仕事のことなら、一人で悩んだりする男ではない。さっさと公開して協力を仰ぎ、指示し、解決に導くタイプだ。
となると、私事なのだが。
(ってことは、やっぱり……だよなぁ)
斉藤は頬杖をつき、土方を見上げた。鳶色の瞳が面白そうに光っている。
「喧嘩しました?」
いきなりの問いかけにも、土方は動じなかった。無言のまま、切れの長い目で一瞥するのみだ。
それに、にやりと笑ってみせた。
「総司に口もきいてもらえないとか、そんな処じゃないですか」
「どうして、そう思う」
「土方さんが落ち込んでいる理由なんて、他に考えられませんから」
「わかりやすい男で、悪かったな」
「いえいえ、別に悪いなどと云っていませんよ」
あくまでふざけた調子で返してくる斉藤に、土方は肩をすくめた。それから、デスクの上のファイルを取り上げ、ぱらぱらとめくりながら答えた。
「だが、残念ながら、答えはNOだ」
「NO?」
「あぁ、口をきいていないのは、俺の方だからな」
「土方さんが?」
斉藤は呆気にとられた。
まさか、逆とは思わなかったのだ。
一年のブランクをおいて再びつきあい出したこの恋人たちは、こっちが恥ずかしくなるぐらい仲が良いバカップルだった。
喧嘩をしても、すぐに仲直りして、いちゃいちゃしている。
それはある意味、土方が自分を抑えるようになった事も、理由の一つだった。
昔は、独占欲と嫉妬のあまり、とんでもない行動をしていたのだが、最近は大目に見るようになっているのだ。
そのため、喧嘩の回数自体も減っていたし、喧嘩をしても土方の方がすぐに謝るため、仲直りへの速度も速い。
それは、毎回、巻き込まれている斉藤にすれば、有り難い話だったのだが。
「何で、また」
思わずくいついた。
「土方さんがそこまで怒るような何かを、総司がしたって事ですか」
「まぁ…な」
「浮気したとか、じゃありませんよね」
「そんな事あるはずねぇだろう」
「じゃあ、いったい」
「……」
斉藤の問いかけに、土方は形のよい唇を噛んだ。
昨日の出来事を思い出してしまう。とたん、ため息がもれそうになった。
はっきり云えば、最初はくだらない切っ掛けだったのだ。
あんな事で、ここまで揉めるなど思っていなかった。
なのに……
穏やかな休日だった。
夕食を食べた後、二人で仲好く後片付けをして、あとはそのまま寛ぐつもりだったのだ。
結局の処、テレビをつけたのが間違いだったのだと、今でも思う。
「アンケート?」
不思議そうに総司が呟いた。
それに、新聞を読んでいた土方は、顔をあげた。テレビを見ると、バラエティ番組らしく、恋人たちのアンケートと評して色々な事をトークしている。
恋人のこんな処が好きだとか、彼氏のこんな処が我慢できないとか、云いたい放題だった。
「すげぇ云いようだな」
「そうですね」
「ここまで云うのに、つきあっている訳か。不満があるなら、別れりゃいいじゃねぇか」
「そんな簡単じゃないと思いますけど?」
総司は小首をかしげた。クッションを抱え込みながら、言葉をつづける。
「相手に不満があっても、皆、ちょっとは我慢したりして、つきあっているんじゃないですか」
「なら、おまえは俺に不満があるのか?」
「え」
総司は大きな瞳を見開き、土方をふり返った。沈黙が落ちる。
しばらく黙った後、総司は「……別にありませんけど」と呟き、テレビの方へ向き直った。
それに、思わず眉を顰めた。
「あるのかよ」
「……」
黙りこんでしまった総司に、土方は「あるんだな?」と念押ししたくなったが、馬鹿馬鹿しくなってやめた。
総司の云うとおり、不満ぐらいあるだろう。
仕事が忙しくて滅多に家に帰ってこないし、独占欲が強いし――と、これでも色々と自覚はあるのだ。
だからこそ、正直に云ってほしいと思った。
直せるところは直したいのだ。
だが、総司の拗ねたような顔を見ていると、土方も素直になれなかった。
つい、ぶっきらぼうな口調で促してしまう。
「云えよ」
「何も……ないもん」
そう云って、総司はクッションに顔をうずめてしまった。頑な総司に、ため息をつきそうになる。
その時だった。
テレビの方から、聞こえてきたのだ。
「恋人とのH、その気がない時に、強制されるのが嫌なんです」
と。
次の瞬間、総司の肩がびくりと震えた。怯えたような目でテレビをふり返り、その後、土方の方を見てから慌てて俯いてしまう。
「……」
その様子を見たとたん、総司の不満が何であるのか、わかってしまった。
つまりは、そういう事なのだ。
確かに、強引に事を運んだ覚えはたびたびある。
だが、最後の方になると、いつも総司は気持ちよさそうに、もっともっととねだったりしていたため、まさかそこまで嫌がっているとは思っていなかったのだ。
「……わかったよ」
土方は低い声で云うと、立ち上がった。
それに、総司が慌てて顔をあげた。
「あの、土方さん」
「とりあえず、この話は終わりだ。俺も色々考えたいからな」
「考えるって……別れるってこと?」
「は?」
部屋を出ていきかけていたのだが、思わず足がとまった。ふり返り、呆気にとられた顔で総司を見る。
それに、総司が叫んだ。
「だって、さっき云ったじゃない! 不満があるなら、別れればいいって」
「あのな……」
「ちょっと不満があるだけでも、駄目なわけ? そんな完璧じゃないと、駄目なの?」
「おまえ、何を云っているんだ」
「だから、ぼくと別れたいの?って聞いているの。でも、そんなの絶対に……嫌だから! ぼく、別れない! あなたと別れるぐらいなら、ぼく……っ」
「総司ッ!」
思わず一喝していた。
これ以上云わせたら、とんでもない事を口走りそうな気がしたのだ。
怒鳴られて、我に返ったのだろう。はっとして唇をおさえた総司を、土方は真っ直ぐ見据えた。
だが、何も云う気になれなかった。口許を固く引き結ぶと、部屋を出ていく。
つい荒々しく閉めてしまった扉の向こうで、総司が泣いている気がした。
「怒っているというより、冷却期間だよ」
土方はため息をついた。
「俺が何か云っても、今のあいつはおかしな方向へとってしまう。それがまずいから、口をきいてねぇんだ」
「それって、総司の様子……おかしすぎませんか」
斉藤は眉を顰めた。
「話を聞いていて思ったんですけど、総司らしくありませんよ。なんか、妙に思いこんでいるというか、切羽詰まっているというか」
「そうだよな」
目を細めた。
「あいつらしくないと、わかってはいるんだ。正直な話、ここ最近ちょっとおかしかったし」
「おかしかった?」
「俺が話しかけても上の空だったり、考え込んでいたり」
「昨日より以前に、何かあったんじゃないですか」
「何も……ねぇと思うけどな」
土方は考えてみたが、さっぱり思い当たる節はない。あとは総司に直接聞いてみる他ないが、それも今の状況ではかえってまずい気がした。
「とりあえず、様子を見てみるさ」
そう云った土方に、斉藤は心配そうな顔で頷いた。
「えっ、そんなこと云いかけたの?」
平助は驚き、思わず叫んでしまった。
いつもながらの学食だ。
総司はオムライスをスプーンですくいながら、こくりと頷いた。
大学に来てからずっと黙りこんでいる総司の様子に異変を感じた藤堂が、昼時に学食に誘い、事の次第を聞きだしたのだ。
「それは、まずいよ」
「平助もそう思う?」
「うーん、でも、実際云ってないんだよね?」
「土方さんがとめてくれたから、でも、云っちゃう処だった」
「それ云われてたら、土方さん、どう思っただろうなぁ」
「わかんない。でも、本当に……なんかもう、自分がますます嫌になっちゃった」
総司の言葉に、平助は小首をかしげた。
「ますますって、どういう事?」
「だって……」
口ごもりつつ、総司は長い睫毛を伏せた。
「ぼく、土方さんにいっぱい悪い事しているし」
「はぁ?」
平助は思わず聞き返してしまった。
総司が、土方さんに悪い事をしている?
どう考えても逆だろう! と、突っ込みたくなった。
何しろ、平助から見れば、土方は顔は確かにいいし、頭も切れて仕事も出来るが、性格は危険極まりない男なのだ。
嫉妬深いし、独占欲は強いし、強引だし、あまりの俺様ぶりに、世界には自分と総司しかいないと思われていません? と聞きたくなる事もたびたびある。
なのに、その俺様な土方が総司に悪い事をされているなど、絶対絶対ありえないのだ。
だが、そんな平助の考えをよそに、総司は小さな声で云った。
「ぼく……我儘だから、最近、土方さんに迷惑ばかりかけているんだ。土方さん、優しいからつきあってくれるけど、でも、本当はうんざりしていると思う」
「そりゃ、ないだろう」
「だって、云われたんだもん」
「何が」
「あんまりがっついている肉食系って、好きじゃないって」
「……は?」
突然、飛んだ話に、平助は頭が混乱した。
まったく意味がわからない。
がっついている? 肉食系?
「……あのさ、全然わからないんだけど」
平助は頭の中を?マークでいっぱいにしながら、訊ねた。
「それって、もしかして……総司のこと?」
「決まってるじゃない」
「決まってるって……でも、何で、総司が肉食系になる訳? がっついているって……」
云いかけ、そこで、平助はようやく話の筋が見えた気がした。学食でする話題じゃない! と思いつつ、声をひそめて問いかける。
「……もしかして、それって夜の方の話?
「――」
この場合、沈黙が答えだった。
総司は耳朶まで赤くしたまま、スプーンを握りしめている。それに、言葉をつづけた。
「がっつくって事は、総司が積極的だった訳? そういうこと……しちゃった訳?」
「……うん」
こくりと頷いた。
そう思ったら、いきなり、がばっと顔をあげ、総司は大きな声で叫んだ。
「だって、したかったんだもん!」
「そ、総司っ」
慌てて平助がとめようとしたが、総司は完全にキレてしまっている。
スプーンを皿に投げ出し、澄んだ声で早口にまくしたてた。
「ずっとずっとご無沙汰で、逢っていなくて、それで……我慢できなくて! でも、翌朝、土方さん、あくびばかりで疲れきっていて、なのに、ぼく、また懲りずにそういう事何度もしちゃって」
「ちょ、ちょっと、総司ってば」
「挙句の果てに、云われたんだもん。がっついている肉食系って、好きじゃないって……っ」
「……」
どう考えても、学食でする話ではなかった。
だが、後悔しても今更遅い。
周囲から鋭く突き刺さる視線をひしひしと感じながら、平助は身をのりだした。総司の手にスプーンを握りなおさせながら、なだめる。
「と、とにかく、オムライスを食べよう。食べてから、ゆっくり話を聞くから、な?」
「平助、うう……っ」
「だから、早くご飯すませようって。話は後ってことで」
そう云いながら、平助は次の講義は出られそうにないなぁと、頭の中で考えていたのだった。
土方とはもう二日も口をきいていなかった。
というか、あれきり仕事で徹夜つづきになってしまい、帰ってこなかったのだ。
「でも、絶対怒っているよね」
総司は濡れた髪をぬぐいながら、はぁっとため息をついた。
お風呂あがりだった。もう夜の11時をまわっている。
むろん、土方が帰ってくる様子もなかった。
総司は冷めてしまった料理にラップすると、冷蔵庫に入れた。一応、メモをダイニングテーブルの上に残し、寝室へ向かう。
広いベッドに一人ぽつりと坐ると、淋しさがこみあげた。
「土方さん……」
このベッドで彼に抱かれたのは、1週間前のことだった。とても気持ちが良かったのだが、翌日、土方は疲れた様子であくびばかりしていたのだ。
その時のことを思いだし、総司はきゅっと唇を噛んだ。
「眠い……?」
そう訊ねた総司に、土方は「いや、大丈夫だ」と云った。
かるく頭をふってから、新聞を取り上げる。それを心配そうに見つめていると、土方がその視線に気づいた。
苦笑しながら、総司の頭をぽんぽんと叩いた。
「大丈夫だ、ちょっと疲れているだけだから」
「じゃあ、あの……お昼寝する?」
「そうだな、昼から少し眠るか」
余程眠かったのだろう。
土方にしては、珍しくあっさりと昼寝を受け入れた。いつもの彼なら、これぐらい平気さと笑って流すところなのだ。
実際、とても多忙だった。毎日、夜遅くまで働いていることも知っている。
そんな彼に、無理をさせてしまったと、総司は深く落ち込んでしまった。
シリアス展開にはなりませんので、ご安心を。