その日、やはり土方は帰って来なかった。
 あのテロのためなのだろう。彼から「すまない」という電話があったが、むしろ総司はほっとしていた。
 隠し事をするのが苦手な総司には、これ以上、彼の前で偽りつづけられる自信がなかったのだ。
 そのため、翌日の夜、買い物から帰った総司は扉を開けた瞬間、鋭く息を呑んだ。
 玄関口に土方の靴があったのだ。彼が帰っている証拠だった。
「……」
 総司はのろのろと扉を閉め、框にあがった。すると、奥のリビングの扉が開き、土方が顔を覗かせた。
「帰ったのか……おかえり」
 優しく微笑みかけてくれる土方に、総司は笑顔をつくった。
「お帰りなさい。非番になったんですか?」
「あぁ、今晩だけな。また明日から泊まりがつづきそうだ」
「そうですか」
 土方はもうシャワーをすませているようだった。
 そのため総司は大急ぎで食事の支度をすませると、彼と一緒に夕食をとった。
 少し話してから風呂に入り、総司はため息をついた。視線をおとすと、湯の中に白い肌が目に映る。
 そこに残された幾つかの咬み痕も───

(どうしよう……)

 こんなものを見れば、土方が怒るに決まっていた。激怒し、いったい誰につけれたのかとさんざん責められるだろう。
 だが、それでも告げる訳にはいかなかった。兄のことを話す訳にはいかないのだ。
 自分を育ててくれた兄だった。
 紛れもなく、あふれるほどの愛情を注いでくれた優しい兄だった。


 兄を裏切られるはずもない───


 総司はわざと長湯した。バスルームから出ても、のろのろと髪を乾かしたりしている。
 その間に、彼が眠っていてくれたらいいなと思ったのだ。
 だが、それは甘い考えのようだった。
「……えらく長湯だったんだな」
 寝室に足を踏み入れると、ベッドに寝転がって雑誌を読んでいた土方がそう云った。
 それに、ぎくりと足がとまったが、総司は慌てて誤魔化すように笑ってみせた。
「う、うん……ちょっと長湯したい気分だったから」
「ふうん」
 土方は何も気づかなかったようだった。
 ベッドにあがった総司に微笑みかけると、そのまま手首を掴んで引き寄せてくる。
 総司は思わずその胸に両腕を突っぱねた。
「だ、だめ……!」
「え?」
「今夜は駄目。なしにしたら駄目ですか?」
「何だ、体調が悪いのか」
「そうじゃないけど……」
「なら、いいだろ? 俺はおまえが欲しいんだ。それに、これからまた泊まりだ。今度いつ、おまえを抱けるかわからねぇんだぞ」
「それはわかるんだけど……」
 総司はびくびくしながら答えた。
 もう我慢できないと云いたげに、首筋や頬に口づけてくる土方に焦る。このままでは、どう考えてもバレてしまうだろう。
 思わず叫んだ。
「お、お願い……! 一つだけお願いを聞いて」
「? 何だ」
 訝しげな表情の土方を、総司は潤んだ瞳で見上げた。
「あのね……明かりを消して」
「明かりを?」
「うん。その、ぼく……肌が荒れちゃって、恥ずかしいの。見られたくないんです」
「肌が荒れたって、どうしたんだ?」
「うん……えっと、汗も、かな。運動した後、そのまま放っておいたから」
「今頃? おまえ、すげぇ敏感な肌してるからな。気をつけなきゃ駄目だろうが」
 呆れたように云ってから、土方は肩をすくめた。
「けど、そんなもの気にしねぇよ。俺は全然平気だ」
「ぼくが平気じゃないんです。明かり消してくれなきゃ、絶対にしません」
 いつになく強引な口調で云いきった総司に、土方はかるく目を見開いた。
 しばらく黙り込んでいたが、やがてため息をついた。くすっと笑いながら、総司の前髪をかきあげ優しく額に口づけてくれる。
「わかったよ……おまえの云うとおりにする」
「土方さん、ありがとう」
 ほっとしたように笑った総司に微笑みかけ、土方は躯を起こした。手をのばし、部屋の明かりを消す。
 とたん、部屋は深い暗闇に満たされてしまった。
 彼が苦笑する気配を感じた。
「これじゃ、全然見えねぇぜ」
「ごめんなさい……」
「ま、たまにはこういうのもいいけどな」
 暗闇の中、そっと抱きしめられた。
 後はもう甘く深く唇を重ね、互いを求めあってゆく。
 窓も厚めのカーテンで覆われているためか、本当に視界は真っ暗だった。それが何だか目隠しされているみたいで、不思議な気持ちになる。
 お互い、手さぐりで感じあった。だからなのか、いつもより快楽が強烈だった。
 何も見えない暗闇の中。
 感じるのは、互いの息づかいと声だけ。
 手さぐりで求め、ふれあって。

(……まるで獣みたい……)

 ふと、そんなことさえ思った。
 土方も同じように思っているのか、いつもより寡黙だった。時折、彼の吐息や息づかいが肌にふれたり、聞こえたりするが、ほとんど口をきかない。ただ、総司の躯を高める事だけに専念しているようだった。
「ぁ…ぁあ、ん…は……ッ」
 不意に熱い濡れた感触が総司のものを包み込み、思わず喘いだ。もちろん、何をされているのかすぐわかる。
 今、土方は総司のものを唇の中に迎え入れ、舐めてくれているのだ。
 思わず手をのばした。宙を探ると、彼の黒髪が指さきにふれた。さらりと流れる癖のない艶やかな髪に、指を絡める。
「……んんっ、くっ、ぅんっ…っ」
 総司の細い腰がベッドから浮いた。手足が突っ張る。
 いつもより快感が上昇するスピードが速い。やはり暗闇だからなのだろうか。
 そんな事を考えた瞬間、男の熱い舌が鈴口に捩じ込まれた。グリグリッとうごめかされる。
「ぁ、ぁああんッ!」
 甲高い悲鳴をあげ、総司は仰け反った。あっという間に達してしまう。
 男の舌は、絶頂の余韻にまだひくひく震えている総司のものを丹念に舐めまわした。最後の一滴まで惜しいと云いたげに、また鈴口に舌を食い込ませ舐めとってくる。腰が抜け落ちそうな快感に、総司は泣きじゃくった。
「やっ、ぁあっ…はっ、ぁあんっ」
 くすっと男が笑った気配がした。やがて、ゆっくりと男の指さきが奥へ滑らされてゆく。
「やだ…っ!」
 慌てて閉じようとしたが、土方は総司の太腿に手をかけると、大きく押し広げた。暗闇の中で見えないとわかっていても、頬を染めてしまう。
 思わず息をつめた瞬間、奥の蕾に指さきが沈められた。
「ぁあ…っぁ」
 ぬぷりと音をたてて入ってくる男の指を、その形まで感じてしまい、総司は息をつめた。
「ぁっ…っ、あっ、やだぁ…っ」
 抜き差しを始めた男の指の動きに、総司はいやいやと首をふった。だが、土方はやめてくれない。
 柔らかな蕾の奥をまるで擽るように引っ掻き、ぐるりと指の腹で撫で回した。
「あ…やあっ」
 思わず腰が浮き上がったとたん、中で指を鉤型に曲げられた。ぐっと感じるポイントを押しあげられる。
 総司は甘い悲鳴をあげて仰け反った。
「ぁあんッ!」
 ぎゅっと両手でシーツを掴んだ。もう我慢できない。
 必死になって懇願した。
「お願っ…早く、早くぅ……っ」
「……何を?」
 ようやく口をきいてくれた土方の声音は、悪戯っぽく笑っていた。
 それに、いつもなら潤んだ目で見上げるのだが、今日は何も見えない。手探りで男の腕にふれ、きゅっと爪をたててやった。
「意地悪…しない、で……」
「痛いな。こんなおいたをする仔猫には、お仕置きが必要か?」
「う…ん、して……お仕置きしてぇ…っ」
 甘ったるい声でねだり、総司は腰を男の躯に擦りつけた。
 それに、土方はくっくっと喉を鳴らして笑った。
 総司の膝裏に手をかけると、ぐっと左右に押し広げた。胸につくほどだった。開かれた割れ目の奥にある蕾に、男の熱い猛りがふれるのを感じた。それだけで、総司はぶるっと身震いした。
 甘い期待と微かな不安に、こくりと喉が鳴ってしまう。
「……可愛いな」
 土方は笑みをふくんだ口調で呟き、総司の蕾に己の猛りをしっかりあてがった。そのまま、ゆっくりと腰を沈めた。
「ぁ…ぁあ…ッぁ…ッ」
 ずぶずぶと突き入れられてくる男の逞しい猛りに、総司は激しく喘いだ。いくら馴らされても、挿入時の苦痛だけは消えなかった。
「や…ぁ、ッい…たぁ…ぃ…ッ」 
 ふるふるっと首をふると、涙がこぼれ落ちた。それを男の唇が優しく拭ってくれるのを感じた。
 躯を密着させ、何度も甘いキスをあたえながら、躯を進めてゆく。総司の両手があがり、男の背中に縋りつくように抱きついた。
 低い声が耳もとで囁いた。
「息をつめるな……総司」
「ん、ッあっ…やぁあッ、い…ッ!」
「いい子だ……総司、いい子だな」
 あやされるように何度もキスされ、抱きしめられた。それに躯の力が抜けた瞬間、一気に最奥まで貫かれた。
「ん…ぁああーッ!」
 掠れた悲鳴をあげ、総司は仰け反った。思わず男の背に爪をたててしまったが、土方は一瞬眉を顰めただけで何も云わなかった。
 そのまま、抱きこまれたまま柔らかく揺さぶりをかけられる。
 甘く濡れそぼった蕾の最奥を、男の太い猛りがゆっくりと円弧を描くように掻き回した。くちゅっくちゅっと鳴る音に少年の耳朶がピンク色に染まるが、闇の中では何も見えなかった。
 総司は泣きじゃくり、またきつく縋りつく。
「ぁ、ぁあッ…は、ぁあんッ…んんっ…!」
「総司……」
「んっ…ぁあんっ! ぁんっ…ッ」
 もう苦痛など何処にもなかった。甘く疼くような快感の中に溶かし込まれてしまっている。
 総司は土方の背中にしがみつき、熱く喘いだ。
「ふ…ぅ、んぅッんっ……ぁあッ!」
「気持ちいいか?」
「う…んっ、気持ち…い…っ」
 甘く掠れた声で、おずおずと訊ねた。
「ね……土方…さん、も、ぼくの躯の中…気持ち…い……?」
「……っ」
 男が舌打ちする気配がした。
 え?と思ったとたん、両足を抱え込まれ、男の肩にあげられる。
 そのまま先端だけ残した状態まで引き抜かれたかと思うと、次の瞬間、一気に最奥を男の猛りで穿たれた。
「ぁああ─ッ!」
 涙に濡れた目を見開き、総司は泣き叫んだ。
 思わず逃れようとしたが、下肢を抱え込まれた状態では逃れられない。
 息もつまる程の激しさで、蕾の最奥に男の猛りが何度も力強く打ち込まれた。そのたびに、目の前がスパークするような強烈な快感美が、総司の身も心もとろかせてゆく。
 シーツの上、艶めかしく身悶えた。
「ひッ、ぁあっ、ぁあッ…や、ぁああッ!」
「ったく……可愛いこと云うから我慢できねぇだろうが……っ」
「ご、ごめんなさ…ぁあっんっ…ひぁあッ、ッぁあーッ!」
 体重をかけて、男が己の猛りを突き入れてくる。
 それを、すっかり敏感になった蕾は深く受け入れ、締め付けた。
 そこをまたずるりと引き抜かれ、また息もつまりそうな勢いで最奥を一気に抉られる。
 総司の目から、涙がぽろぽろこぼれ落ちた。
「や、ぁあッ! ぁあっ…ぁああっ」
 もう何が何だか訳がわからなくなってくる。
 やがて、男の息つかいが荒くなり、めちゃくちゃに最奥を猛りで穿たれた。
 土方も余裕がないのだろう。まるで獣のような行為だった。
 二人は言葉もなく、ただ喘ぎ、泣き、互いを求めあった。
「んんっ、ぁああっ! ぁああんッ!」
「……は…ぁっ……総…司……っ」
「ぁああッ! 土方…さん、土方…さん……っ!」
 甲高い声で総司が彼の名を呼んだ瞬間、その細い躯は男の両腕にすくいあげられた。きつく息もとまるほど抱きすくめられる。
 蕾の奥に、男の熱がたたきつけられるのを感じた。同時に、総司のものが蜜を迸らせたのも。
「……総司、愛してる……」
 土方の掠れた声を聞きながら、その腕の中、総司は目を閉じた……。










 もう一度シャワーをあびて戻ってくると、土方はもう眠ってしまっていた。
 あの鋭い目が閉ざされてしまっているためか、いつも思うことだが、まるで少年のような寝顔だった。
 優しくて純粋で、真っ直ぐで。
 何事にも負けず正面から向かってゆく彼の───

(……ごめんなさい)

 総司はベッドにあがると、指さきで男の頬にふれた。

(ごめんなさい……あなたを偽って。嘘をついて)

 本当なら、彼にすべてを話すべきなのだろう。
 今までずっとそうしてきたのだから。
 だが、そんなこと出来るはずもなかった。
 残酷で恐ろしい兄であっても、それでも、総司にとって伊東はたった一人の肉親だった。そして、幼い頃から総司を守り慈しみ、愛してくれた人だった。
 土方への愛とはまた違う形で、総司は確かに伊東を愛していたのだ。
 この愛しい彼と出逢うまで、伊東は総司にとって世界のすべてだったのだから。

(……兄さん)

 兄を売ることなど、出来るはずがない。
 そのためには偽りつづけなければいけなかった。
 愛する人を欺く罪深さに、胸が痛かった。辛くて苦しくてたまらなかった。
 だが、それでも──

(ごめんなさい……)

 静かに涙がこぼれ落ちた……。










「悲惨な現場でしたね」
 そう云いながら、斉藤はため息をついた。
 斉藤の傍、土方は無言のまま白い手袋を脱いでいる。ポケットにそれを落とし込みながら、ふと後ろをふり返った。
 真っ黒焦げになったビルがそびえ建っている。
 このビルの中で、先週の港近くの事件につづいて爆発があったのだ。時限式のものを仕掛けらたようだった。幸い、前回のものと同様、今回も死亡者はなかった。だが、それでも爆発物近くの有様は悲惨なものだった。
「しかし……まぁ」
 斉藤が肩をすくめた。
「中にいた人たちが爆発のあった5階でなく1階にいたおかげで、皆、軽い怪我で済んだことだけがもっけの幸いでした」
「そうだな」
 頷いた土方は踵を返した。ゆっくりと歩き出した彼の傍にならびながら、斉藤は静かな声で呼びかけた。
「土方さん」
「何だ」
「いえ、何かと聞きたいのはこっちの方なんですが」
「?」
 訝しげに眉を顰めた土方に、斉藤は小さく笑った。
「今日、幾度も何か云いかけてたでしょう? おれに相談ごとでもあるんじゃないですか」
「──」
 虚を突かれたように、土方はその黒い瞳を見開いた。が、すぐに態勢を立て直すと、ほろ苦く笑った。
 くしゃっと片手で黒髪をかきあげながら、呟いた。
「お見通しって訳か」
「短いつきあいじゃありませんからね。で……何があったんですか?」
「……」
 それでも、土方はまだ躊躇うように目を伏せた。だが、そうして黙っていても仕方ないと思ったのだろう。
 先に立って近くの公園に入ると、そこにあったベンチに腰を下ろした。斉藤も黙って隣に坐る。
 しばらくの沈黙の後、低い声が云った。
「……総司の様子がおかしいんだ」
 無言で目をあげた斉藤の方を見ることもなく、膝上で組んだ両手に視線を落としたまま、土方はゆっくりとつづけた。
「この間から、様子がおかしい。何か……俺に隠し事をしてるみたいなんだ。この間も帰ったら、総司、ひどく驚いて……まるで俺を怖がっているみたいだった。視線を出来るだけあわせないようにしてるし。笑顔を見せてくれるんだが……それが今にも泣き出しそうで」
 土方は、その切なく感じた笑顔を思い出した。


 大きな瞳を不安と恐れに揺らし、それでも精一杯微笑んで。
 ほんの少しでも、その頬を突けば、今にも涙がこぼれ落ちてしまいそうな……。
 思い出すだけで、胸の奥を錐が刺したように痛んだ。
 あんな表情、させたくなかったのに。
 なのに、その笑顔をむけられているのは自分なのだ。
 そんな顔をさせているのも、自分。
 切なくて辛くてたまらなかった。だが、それでも、土方はそ知らぬ顔でふる舞いつづけたのだ。
 頑なに心を閉ざす総司を、これ以上傷つけたくなかったが為に……。


 土方は一瞬だけ瞼を閉ざした。
 そして、低い──掠れた声で呟いた。
「総司の中に……」
「……」
「俺以外の……他の男の存在を感じるんだ」  
「まさか!」
 思わず目を見開いた斉藤に、土方は嘆息した。組んだ両手を額に押しあて、きつく目を閉じる。
「俺だって信じたくねぇよ……っ」
「……」
「だが、何かがおかしいんだ。どこかで何かが狂い始めているんだ。ずっとあいつを愛して、あいつに愛されて。色々あったが、そのおかげで俺たちの絆は強くなったと信じていた。もう何に揺らぐ事もないのだと。だが、そうじゃなかったんだ」
「土方さん……」
「こんなにも、総司を遠く感じるなんて……」
 血が吹きでそうなほど唇をきつく噛みしめた土方を、斉藤は鳶色の瞳で見つめた。
 やがて、静かな声で云った。
「土方さん……この情報を知っていますか?」
「情報?」
 突然、まるで全く違う事を云い出した斉藤に、土方は顔をあげた。戸惑ったような表情で斉藤を見る。
 それに、斉藤は言葉をつづけた。
「最近、テロが激化してきている理由ですよ」
「……」
「実は、数ヶ月前、狼火の首領伊東甲子太郎が帰国したという情報があるのです」
「!」
 土方の目が大きく見開かれた。


 過激派テロ組織狼火の首領、伊東甲子太郎。
 その名は、むろん警察でもよく知られていた。だが、証拠が全くないため、彼をテロリストとして捕える事が出来ないでいる。その上、今どこで何をしているのかさえ、わからないのだ。
 まさに、正体不明のテロリストだった。
 土方もテロ組織を取り締まるセクションの一員だ。むろん、よく知っている。
 だが、それ以上に彼の認識として、伊東は───


「あいつが…総司の兄が帰ってきたと云うのか……!」
 思わず声をあげた土方に、斉藤は頷いた。
「数年前から、日本での活動を休止させてましたからね。国外へ逃げたのだろうと噂され、挙げ句死亡説まで出ていたのは、あなたも知っているでしょう。だが、どうやら伊東は帰国したらしいのです。その情報があちこちから入ってきています。もっとも、その居場所はわかりませんが」
 すべて、総司の線から探ればわかるはずだった。だが、伊東は戸籍も名前も偽造してしまっていたのだ。
 総司の家族の戸籍上、伊東は交通事故により死亡とされている。だが、それは彼自身が改竄したものだと、土方は総司から聞かされていた。伊東甲子太郎という名も、テロリストとしての名であり、他にも幾つもの名をもっているのだろう。
 斉藤は思慮深げなまなざしを、土方にむけた。
「これと……総司の態度、考えればおのずと答えが出るんじゃないですか」
「……」
 土方は息を呑んだ。
 しばらくの間、じっと斉藤を見返している。だが、やがて目をそらしたのは土方の方だった。
 組んだ両手を口元に押しあてると、低く呻いた。
「総司が……伊東と会っているという事か」
「そうです。そして、それを総司は隠している」
「どうして」
 訊ねる土方に、斉藤は嘆息した。僅かに躊躇ったが、はっきりと言葉を告げる。
「わかりきった事でしょう、兄である伊東を庇うためですよ」
「……伊東を庇う、ため?」
 土方は低い声で呟いた。
「そのために、総司が……あの総司が俺を欺いていると云うのか?」
 そう呻いた土方の瞳が、堪えきれぬ苦痛をうかべた。
「俺と総司は……恋人同士だ」
「土方さん」
「何も隠さないでおこう、お互いを理解し想いあっていこうと約束した。なのに、総司は俺よりも伊東を選んだというのか? あいつを庇うために、俺を嘘をついたというのか……っ」
「実の兄です。それに、あなたも聞いたでしょう。総司はあの伊東に育てられた、あなたへのものとは違う愛情を紛れもなく抱いているはずです」
「わかっている……わかっているんだ」
 宥める斉藤の前で、土方は煩わしげに片手で髪をかきあげた。
「総司は優しい。兄への愛情を捨てきれるはずがないし、ましてや刑事である俺にその存在を話せるはずもない。そんなこと皆、わかっているんだ」
「……」
「だが、わかっているのは理性だ。感情はそれを裏切ってしまう。総司は俺だけのものであるはずなのに、総司の身も心も全部、俺だけのものだと信じていたのに。なのに、他の男のために俺を欺くなんて……!」
「……土方さん」
「そんなこと、どうしても納得できないんだ。嫉妬と怒りで、気が変になっちまいそうで……っ」
「なら……」
 斉藤は静かな声で訊ねた。
「総司に直接訊ねますか? 伊東と逢ってるのではないかと、問いただしますか?」
 それに、土方は大きく目を見開いた。
 一瞬、何も云えず斉藤を見つめたが、すぐに視線をそらせた。男にしては長い睫毛が、その頬に翳りをおとした。
「そんなこと……できるものか」
「……」
「あいつが苦しんでるのに、必死になって俺に隠そうとしているのに。それをぶち壊す事なんか、俺にはできねぇ。総司を……あいつを傷つける事だけは絶対に……!」
「土方さん、あえて云わせてもらいますよ。これはあなたの友人として、同僚としての忠告だ」
 斉藤は厳しい口調で云った。
「あなたは今すぐ総司を問いただすべきです」
「!」
 弾かれたように顔をあげた土方を、斉藤は鳶色の瞳でまっすぐ見据えた。
「あなたが総司を問いたださず、見て見ぬふりをする。それは恋人としての立場だけならいいでしょう。優しい恋人で済む話です」
「……」
「だが、あなたの場合、それじゃ済まないんですよ。土方さん、あなたは刑事だ。しかも、相手は残虐極まりないテロを繰り返してきた犯罪者です。あなたは今すぐ居場所を総司に問いただし、伊東を追うべきだ。私情に左右されている場合じゃない」
「斉藤……」
「そりゃ、おれだって総司が大切ですよ。でも、こうしている間にも伊東はテロを激化させてゆく、しかも次第に規模を大きくさせながら。これ以上、罪なき人々が傷つくのをくい止める責任が、警察官であるおれたちにはあるはずです。そうではありませんか?」
 斉藤は立ちあがると、土方の肩にそっと手を置いた。
 真剣な表情で、同僚であり友人である男を見つめ、云った。
「しっかりして下さい、土方さん」
「……斉藤」
 土方は息をつめるような表情で斉藤を見上げ、そして静かに目を伏せた。両手をきつく組み合わせ、唇を噛みしめている。
 その彼を残し、ゆっくりと斉藤は歩き出した。
 しばらく一人になる時間をあたえる事で、彼に考えを固めさせようと思ったのだ。
 公園を出る直前、ふり返って見た土方は俯き、その瞼を固く閉ざしていた……。