その時だった。
不意に前方から、ハイジャック犯のうちの一人がこちらへ近づいてきた。銃を向けながら凄んでくる。
「ごちゃごちゃ喋るな! 黙ってろ!」
「……」
土方はそのハイジャック犯に、冷ややかな視線を向けた。
切れの長い目が底光りし、形のよい唇は固く引き結ばれている。端正な顔だちなだけに、ひどく酷薄に見えた。
先ほどからの総司との口論もあり、彼の機嫌は今、氷点下をさまよっているのだ。
それがひしひしとわかるだけに、傍で、斉藤は思わず冷や汗をかいた。
少しでも穏便に事が収まるよう祈るのだが、到底無理な望みなのだろうか?
ハイジャック犯は、土方を見ると、ちょっと顔を顰めた。
「お綺麗な顔しやがって。何の苦労もした事ない、エリートビジネスマンってとこだろうな」
「……」
「黒手団は崇高な目的をかかげた組織だ。おまえらみたいに安穏と暮らしている連中を、退治するためのな」
「……なるほど」
土方は低い声で呟いた。
ゆったりと足を組みながら、冷ややかな瞳で見据える。
「崇高な目的、か。ぜひ聞かせて貰いたいものだな。それに、今、組織と云ったが、黒手団は二年前壊滅したのではなかったのか。なら、おまえたちはその後継者たちという事になるのか」
「──」
一瞬、怯んだようだった。だが、すぐに顔を真っ赤にし、叫んだ。
「そ、そんな事、おまえらには関係ないッ!」
「……確かに」
土方は肩をすくめた。あとは、唇の中で呟く。
確かに関係ないのだ。
この先、彼らが黒手団を名乗ったばかりに、かぶせられる重罪のことなど。
裁くのは、自分たちではないのだから。
「……」
黙って薄い笑みをうかべた土方に、ハイジャック犯は怒りを燃え上がらせたようだった。あきらかに冷笑されているのだ。銃を突きつけても平然としている男に、ハイジャック犯は焦り、その隣にいる総司へと視線をむけた。
歩み寄ると、いきなり手をのばし、総司の腕を掴もうとしてくる。
「な、何!?」
「来いっ、おまえを人質にするんだ!」
だが、それはこのハイジャック犯にとって、まったく無謀な行為だった。
斉藤が「やばい」と慌てて腰をうかせた瞬間、ハイジャック犯は背負い投げをくらわされていた。
「!」
土方が横から総司の腕を掴もうとした犯人の手を捩りあげ、そのまま思いっきり投げ飛ばしたのだ。
当然、床に叩きつけられた犯人の手から、銃がこぼれ落ちた。
それを、土方は身をかがめ、素早く拾い上げた。
慌てて他のハイジャック犯たちが通路を走って来て、土方に銃口を向ける。
「この野郎……! ふざけた真似しやがって」
「それはこっちの台詞だ」
土方は底冷えのするような声音で答えた。
「汚い手でこいつにさわりやがって。殺しても飽きたらねぇよ」
「何だと!?」
ようやく立ち上がった仲間を自分たちの後ろへやりながら、リーダー格らしい男が云った。
「おい、お兄さんよ。早くその銃をこっちへ返しな」
「この銃をか?」
「そうだ。素人が撃てるもんじゃねーんだよ。下手すりゃ、飛行機に穴があいちまうぜ。ほら、早く返せって」
「素人がねぇ」
くすっと笑うと、土方は拳銃をもつ右手をゆっくりとあげた。その構えには全く隙がない。
そして、かるく小首をかしげてみせながら、何気ない口調で呟いた。
「コルト・シングルアクション・アーミー」
「……」
「この拳銃の名前だろ? けど、俺はこれ使い心地悪くて嫌いなんだよな」
「おまえ、銃マニアか何かか」
「いや、そういう趣味はねぇよ。けど、拳銃の事はよく知っている」
土方は唇の端をつりあげ、不敵に笑ってみせた。
そして、答えたのだ。
「……俺は刑事だからな」
その言葉に周囲が息を呑んだ瞬間、土方の握る拳銃の銃口が火を吹いた。
男たちの膝が見事に撃たれる。鮮血が迸り、悲鳴と怒号が響きわたった。
斉藤が飛び出し、ハイジャック犯を床へねじ伏せた。
それを見ていた総司は、ある事に気づき、はっとして声をあげた。
「危ない!」
残る一人が銃口を土方達に向け、引き金を引こうとしたのだ。
だが、その瞬間。
「とぉ──ッ!」
見事な気合いが響いたかと思うと、その男は顔面に跳び蹴りを食らわされていた。
呆気にとられる総司の前で、ボブカットの髪が揺れる。
「この連中、最低ッ!」
罵りながら、床でのびてる男の頭をヒールでげしげし踏むその姿。
誰あろう、それは透音だった。
それに、土方が「おい」と声をかける。
「予定が狂っていらつくのはわかるが、その辺りにしておけよ」
「歳も人のこと云えた義理? ちょっと自分の恋人にさわっただけで、血相変えて投げ飛ばしちゃった癖に」
「人の勝手だろうが」
「だいたいね、歳たちがさっさと行動起こさないってのが悪いでしょう。頼りないったら」
「悪かったな」
肩をすくめた土方は、斉藤とともにハイジャック犯たちに手錠をかけ、ついでに足もネクタイなどで縛り上げ、片隅に三人まとめて転がした。
様子を見ていた他の客たちが、ほっとしたように安堵の表情をうかべた。スチュワーデスも駆け寄り、礼の言葉をのべる。
それを受けてから、斉藤が苦笑いをうかべた。
「しかし……まったく、運のないハイジャック犯ですね」
「ほーんと」
くすくすと透音が笑った。
「よりによって、警視庁の刑事が二人も搭乗している飛行機に、乗ってくるなんてねぇ」
「おまけに、空手五段のモデルもいて、跳び蹴りくらわされるしな」
「あら、回し蹴りの方がよかった?」
「そういう問題じゃねぇよ。あんまり危ない事をするなと云ってるんだ」
「ふうん」
透音はちょっと目を見開いてみせた。
「歳でも心配してくれる事あるんだ」
「まさか。一般市民に手出しされたら、邪魔だと云ってるだけだ」
「はいはい」
そうして軽口を叩きあう二人を、総司は遠くから見つめていた。
どこから見ても、似合いの二人だ。
恋人同士にしか見えなかった。
しかも、自分はまったくの役立たずだったのに、彼女はちゃんと彼の手助けをしたのだ。自分の事はもとより、彼の事も立派に支えることのできる美しい女性。そんな彼女に、総司はかなうはずもないと思った。
もともとあるコンプレックスが刺激され、胸奥が苦しくなってくる。
「あの……っ」
その時、奥から一人のスチュワーデスが駆け寄ってきた。
「警察の方ですよね」
そう云いながら、土方たちを見上げてくる。それに彼らが頷くと、今にも泣き出しそうな顔になった。
「申し訳ありませんが、こちらへ来ていただけませんか」
「? 何か」
「いえ、あの……本当に、どうすればいいのか……」
訝しく思いながらも、土方と斉藤はそのスチュワーデスの後に従った。彼女は階段から二階へと上がった。二階席に乗客の姿はなく、どうやら騒ぎの後、皆、1階の空き席へ移らせられたらしい。
誰もいない席の通路を、スチュワーデスは奥のコックピットへと向かってゆく。
それに気づいた土方は、ふと眉を顰めた。
「……待てよ」
「え?」
斉藤がふり返る。
「さっき、あいつら銃を撃って出てこなかったか?」
「あ、確か白煙が……」
「という事は!」
土方は足早に通路を抜けると、コックピット内に飛び込んだ。とたん、大きく目を見開く。
「!」
コックピット内には、肩や腕を撃ち抜かれた機長と副操縦士、通信士が倒れていたのだ。先ほどのスチュワーデスもどうすればいいのかわからなかったらしく、まだ手当はされていない。出血と苦痛のため、彼らは完全に気を喪っていた。
「……ったく」
土方は鋭く舌打ちした。
「あの連中、飛行機ごと死ぬつもりだったのか」
「ですね。だいたい、機長と副操縦士、二人とも肩を撃ち抜くなんて、どうやって着陸させるつもりだったんでしょう」
ため息をつきながら、斉藤は三人の傍らに跪いた。スチュワーデスに救急箱を持ってこさせ、出来る範囲での応急処置を始める。
何とかそれを終え、三人を客席へ運ぶと、土方は斉藤をふり返った。さすがに厳しい表情になっている。
「さて、どうする?」
「どうすると云われましても……今はオートパイロットで飛んでいるからいいですが」
「着陸の時は、どうしようもねぇよな」
「ずっと飛んでる訳にはいきませんし」
「それに、この状態でヒュースローまでなんざ、到底無理だ。早く、あの人たちを下ろして病院へ運ばないと、出血多量で死んじまう」
「ハイジャック犯たちはいいんですか。あっちも、あなたが撃った一人、出血多量で死ぬかもしれませんよ」
「そこまで構ってられねぇよ」
冷ややかな口調で云い捨て、土方は壁に凭れかかった。
スチュワーデスに調べさせたが、機内には航空会社関係者など全くいず、誰も操縦できないらしい。
「このまま燃料切れまで飛び続けるか」
「そして、墜落ですか。冗談じゃありませんよ」
そう言葉を交わしていると、総司が1階から上がってきた。不安そうな瞳で見つめてくる。
「どうしたの? いつまでたっても帰って来ないから……」
「いや、ちょっと問題があってな」
「え、この人たち……パイロットさんじゃないの? 怪我して……っ」
総司は、客席に寝かせられている機長たちの姿に、さっと顔を青ざめさせた。その意味がわかったのだろう。
小さく体を震わせながら、土方を見上げる。
それに、土方は優しく微笑みかけた。手をのばし、そっと華奢な躯を胸もとに抱きよせてやる。
「大丈夫だ」
「土方さん、でも……っ」
「おまえは何も心配するな。ただ、成田へ戻らなきゃいけない事は確かだけどな」
「……それは当然だと思うけど」
総司は口ごもり、目を伏せた。
少し躊躇いはしたが、やがて、小さな声で訊ねた。
「でも……だけど、いったい誰が操縦するの?」
「……」
もっともな問いかけに、土方はかるく肩をすくめた。
切れの長い目で斉藤を見やり、ごく軽い口調で問いかけた。
「おまえ、操縦の免許、何かもってるか?」
「ヘリはもちろん」
「あたり前だろうが」
「それから、自家用操縦士の免許ですかね」
「回転翼航空機の?」
「はい」
「なら、何とかなるだろう」
「は?」
唖然とする斉藤に背をむけ、土方はさっさとコックピット内へ入った。
「俺がある程度やるから、おまえ、補助しろ」
「ちょっ……えぇっ!?」
「心配するな、俺もおまえと同じ免許しかもってねぇよ」
「尚更、心配です! だいたい、これ、スーパージャンボですよっ。ジェット機なんですよっ。自家用操縦士程度で何とかなるものじゃ……」
「ジェットか。それなら、去年の航空自衛隊での奴はどうだ。二人とも操縦しただろ」
「あれは、ジェットはジェットでもでも戦闘機です。全然大きさが違うでしょうが」
「大きさが問題な訳か? だったら、米軍の戦闘機は? ついこの間、飛ばした処だぜ」
「米軍って……」
一瞬、不審そうな顔をした斉藤は次の瞬間、大声で叫んだ。
「あの米軍基地へ行った時ですかー!? ずるいですよ、土方さん! オレも操縦したかったのに、抜け駆けじゃないですかっ」
「仕方ねぇだろ? マリーが俺だけに内緒でって云ったから」
「うまくたらしこんだ訳ですよね。土方さんは本当に、どこでもモテまくって……」
面白くなさそうにぶつぶつ云っていた斉藤だったが、突然、背後からのひんやりした空気に気がついた。
はっと我に返った土方も、慌ててふり返った。
「そ、総司……」
どろどろどろ〜。
そんな効果音さえ聞こえそうな、不穏な気配を漂わせながら、総司はそこに佇んでいた。大きな瞳で、じーっと土方を見据えている。
やがて、不気味なほど静かな声で訊ねた。
「……マリーって?」
「え、いや。その」
「恋人さん? アメリカ人の彼女?」
「ち、違う! この間、ちょっと話をして戦闘機をさわらせて貰っただけだ」
「で、そのお礼にキスでもしてあげた訳?」
「そんな事するものか! 俺にはおまえという恋人がいるんだぞ!」
慌てて抗弁した土方に、総司は「ふーん」と云うなり、つんっとそっぽを向いてしまった。桜色の可愛い唇を尖らせている。
そのまま出ていこうとする総司の前に、土方は素早く回り込んだ。その両手をとって握りしめる。
「信じてくれ! 絶対何があっても、おまえだけだ。他の奴になんざ目もくれた事ねぇよっ」
「……嘘ばっかり」
「嘘なんかついてないって」
「だったら、透音さんは? 透音さんの事はどうなるのっ?」
「だから、あれは違うって云ってるだろ! 俺はモデルをやって事がおまえにばれるのが恥ずかしくて、透音の事も黙っていたんだ。他意は全くねぇよ」
「信じられない。だって、あんな綺麗な人……っ」
「おまえの方がずっとずっと綺麗で可愛いって! 俺はおまえにべた惚れなんだ、おまえしか目に入らないんだ。頼むから、信じてくれよ」
「……」
総司はまだちょっと頬をふくらましたまま、土方の顔を上目遣いに見つめた。それを土方も真剣な表情で見つめ返す。
しばらく黙ってから、総司はようやくこくりと頷いた。
それに、土方がほっとしたように安堵の息をもらし、総司の手をひいて引き寄せると、ぎゅーっと抱きしめる。総司もおとなしく彼の胸に頬を寄せ、その背中に手をまわした。
二人して互いを抱きしめあうと、たちまち甘ったるい雰囲気が漂い始める。
その時、こほんこほんと咳払いがした。
はっとして総司がふり返ると、斉藤が憮然とした表情で佇んでいた。
「早く操縦しないと、本当に飛行機おっこちてしまいますよ」
「あ……ごめんなさい」
顔を真っ赤にして慌てて離れる総司とは裏腹に、土方は平然とした様子で頷いた。
「あぁ、そうだったな」
そう云ってから、またシートへと足をむける。総司はそれを見送り、コックピットを出ていこうとした。とたん、後ろから腕を掴まれ、ふり返させられる。
「えっ、な……んんっ……!」
いきなり唇を重ねられ、総司は目を見開いた。
斉藤さんが見てるー!と、ばしばし彼の腕や肩を叩くが、めちゃくちゃ濃厚なディープキスをされてしまう。
キスの後、
「いったい、何するんですか!」
そう叫んだ総司に、土方はにっこり笑った。思わず見惚れるような、綺麗な笑顔だ。
「大丈夫だっていう、おまじない」
「え?」
「ほら、行け。ちゃんとシートベルト締めておくんだぞ」
土方は総司の躯の向きをくるりと変えさせ、コックピットから押し出した。「じゃあな」と手をふり、ぱたんと扉を閉めてしまう。
シートに戻り、あちこち機器を確かめはじめた土方に、斉藤が訊ねた。
「さっきのまじないは、総司が不安がらないようにって奴ですか」
「いや、俺と総司、両用」
「は?」
「俺も不安でいっぱいだって事だよ。大丈夫なんて、断言できる状況じゃねぇからな」
「……ですね」
斉藤は神妙な面持ちで頷いた。
生存率がいったい何%なんか、全く考えたくもない。あれこれ軽口を叩きでもしなければ、とてもやっていられる状況ではなかったのだ。
「まずは管制塔に連絡をとってくれ」
先ほどまでとは打って変わった、仕事の時特有の落ち着いた低い声で、土方は命じた。
「この状況を説明して、至急、緊急着陸の準備を整えてもらうんだ」
「了解」
斉藤も仕事の表情になると、彼の指示に従うため手をのばした……。
1階席へ戻った総司は、ビジネスシートの人々も皆、後ろのエコノミーの席へ移されたのを知った。
恐らく、墜落時の危険のためだろう。
総司は唇を噛みしめ、自分に割り当てられた席へと向かったが、その途中、透音に呼びとめられた。
すっと指さきをその手にふれさせ、魅惑的な瞳で見つめてくる。
「……どうだった?」
囁くような声で訊ねられ、総司は「え?」と小首をかしげた。
それに、透音は真剣な表情で言葉をつづけた。
「かなりやばい状況なのでしょう? 歳たちはどう判断したの?」
「え、あ……」
真実を告げていいのかわからず、総司は視線をさまよわせた。
それに、透音はしばらく黙ってから、くすっと笑った。驚いた総司に、肩をすくめてみせる。
「やっぱりねぇ」
「? 何がですか」
「歳たちが操縦する事になったんでしょう?」
「どうして、それを……」
「あの歳の事だから、そうじゃないかと思って」
透音はちょっとため息をついてから、僅かに目を細めた。どこか遠い処を見つめ、呟いた。
「でも、きっと大丈夫よ」
「透音さん……」
「歳たちなら、何とかしてくれるわ。そう信じましょう」
「……」
総司は、透音を見つめ、深く息を呑んだ。
彼女の表情は毅然とし、とても美しかったのだ。
どんなに困難にあっても泣いたり狼狽えたりせず、しなやかに立ち向かってゆく強靱さがあった。それは、土方自身にどこか似ているようで、総司はつと胸を突かれた。
(……叶わない……)
心底、そう思った。
この人なら、土方と一緒に肩をならべ、彼を時には支え励まし、ともに強く生きてゆけるだろう。邪魔になるどころか、土方を公私ともに上へと押しあげてゆくに違いない。二人が互いを選べば、誰もが祝福するに違いなかった。
(それに比べて、ぼくは……)
総司はきゅっと唇を噛みしめた。
こんな少年で、甘えてばかりで、土方の邪魔をしてばっかりだった。
役にたたなくてもいい。愛していればいいと思ってはいたが、それでも、こうして目の前で、彼にふさわしい理想的な女性を見せつけられると、心が揺らがないはずがない。
総司はぺこりと頭を下げると、自分の席へ戻った。
シートベルトを締めようとした総司は、その時になって、周囲の様子に気がついた。
皆、おおよその状況を察してしまったらしく、啜り泣く声や苛立った声に、みちていたのだ。中でも、子供たちが異様な雰囲気を察して泣き出し、手の負えない状態になっている。
総司はしばらくそれを見ていたが、やがて立ち上がると、スチュワーデスに声をかけた。
「すみませんが、何枚か布を貸して頂けませんか?」
「布…でございますか?」
訝しげに問いかけるスュチュワーデスに、総司はにこりと笑ってみせた。
「えぇ。ハンカチやナフキンでいいのですが」
「畏まりました」
不審げでありながらも、彼女は用意してくれた。礼を云い、総司はそれを手にして席に戻った。せっせと幾つかのものを作り始める。
すぐ隣の席で泣きじゃくっていた子供が、こちらを涙でいっぱいの瞳で見た。
それに笑いかけ、手にしたハンカチ人形をさし出してみせた。
「こんにちは」
器用に動かしたそれは、うさぎの人形だった。ぴょんっと耳を揺らしながら、頭を下げる。
それに、子供はちょっと目を見開いた。
総司はにこにこしながら、うさぎ人形を片手で動かし、踊らせてみせた。そうして、ひとしきり踊らせてから、訊ねた。
「ぼく、お腹すいちゃった。きみは好きなものは、なぁに?」
「……いちご」
「わぁ、ぼくも苺だい好き。あれっておいしいよね」
総司がそうやって子供の相手をしていると、他の子供たちも興味をもったようだった。首をのばし、覗いてくる。
それを見てとり、総司は立ち上がった。両手に、うさぎの人形とオオカミの人形をもち、それをかざした。他にも器用にハンカチでつくった花や、ボートが座席に転がっている。
総司は明るい笑顔で、即席の人形劇を始めた。
ウサギとオオカミで声色を変え、時折、花やボートもまじえながら、劇をすすめてゆく。
総司の生き生きした可愛らしい笑顔と、澄んだ甘い声は、子供たちばかりか、大人たちも惹きつけた。皆、総司が一生懸命演じる劇を見ている。いつのまにか、機内には笑い声と総司の声だけが響いていた。
一つの劇が終わると、拍手がわきおこり、子供たちが「お姉ちゃん、もっと演ってー!」と叫んだ。
そのお姉ちゃんというフレーズに、ちょっと怯んだが、総司はにこにこしながら応じた。窓から成田が見えるようになっても、総司は劇をやめなかった。
結局、席についたのは、着陸態勢に入ったからシートベルトをとスチューワデスに促されてからだった。それでも、ウサギ人形とオオカミ人形を、周囲の子供たちから見えるように大きく動かした。
やがて、飛行機は下降を始めた。成田空港がどんどん近づいてくる。
窓から見れば、他の飛行機はすべて退避させられ、大きく滑走路があけられていた。緊急車両が幾台も停まっているのが見えた。
「……」
総司は思わず、ぎゅっと両手を握りしめた。
微かに躯が震えた。
土方の事を信じない訳ではなかったが、何と云っても、彼は素人同然なのだ。幾ら戦闘機を動かした事があったとしても、スーパージャンボを操縦するのとは全く訳が違うだろう。
きつく唇を噛みしめた。
その時、そっと総司の手にあたたかい誰かの手がふれた。
「……」
驚いて顔をあげると、あどけない瞳がそこにあった。
さっき泣いていた隣の子供だった。
澄んだ瞳で総司を見つめ、にこりと笑ってみせる。
「……だいじょうぶ」
「え?」
「ひこうき、ちゃんとつくもん。おねえちゃんの好きなひと、きっとしてくれるよ」
「……」
それに、総司は目を見開いた。
さっきまでビジネスクラスの席にいたので、きっと土方が総司を守って戦ってる様を、見ていたのだろう。
思わず息をつめ、その子供を見つめてしまった。
「……ありがとう」
総司の瞳に涙があふれた。だが、花のような笑顔をうかべ、子供の手を握り返す。
「大丈夫だね……うん、ちゃんとしてくれるものね」
ここで泣いて不安がっても、仕方ないのだ。
土方は今、必死になって戦っているに違いないのだから。
最後の瞬間まで決して諦めず、立ち向かい闘ってゆく。
それが総司の愛した男の姿だった。
土方という男がもつ本当の意味の強靱さだった。
それを総司が信じなくて、誰が信じると云うのだろう。
「……」
総司は席に座りなおすと、凜とした表情で前を見つめた。
つづく
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[あとがき]
いろいろ調べはしたのですが、飛行機関係あちこち間違ってると思います。いやいや、お遊び妄想。あれ?と思われても、知らんふりしてやって下さいませね。
次で最終話。色々サプライズがありますので♪ もうおわかりの方いらっしゃるかもしれませんけど……(笑)。
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