「……雪、降ったらいいなぁ」
 突然、総司がそう呟いた。
 二人の上に広がっているのは、東京のグレイの空だ。が、雪など全く降りそうになかった。
 土方は苦笑し、白いコートの襟をそっと直してやった。
「雪、降って欲しいのか?」
「うん」
「もうすぐ春だってのに?」
「そうだけど、でも、雪が降ると綺麗だし……もちろん、粉雪ですよ。ほんのちょっとでいいの。だって……」
 総司は小さく微笑んだ。
「なごり雪って……すごくロマンチックな感じがするから」
 あどけない子供のような表情だった。おまけに、ね?と小首をかしげながら、大きな瞳で彼を見上げてくる。
 土方は思わず微笑み、手をのばした。手袋をはめた指さきで、そのなめらかな頬にふれる。
 かるく身をかがめ、耳もとに唇を寄せた。
「……おまえは本当に可愛いな」
「も、土方さんったら……っ」
 総司はくすぐったそうに身を捩り、男の腕の中でくすくす笑った。その笑顔がたまらなく可愛くて、ますます離したくなくなってしまう。
 だが、ここは公道だった。
 久しぶりの休日。
 二人で、いわゆるウインドウショッピングを楽しんでいるのだ。ただでさえ目立ちまくりの二人なのだから、キスや抱擁は当然家の中でするべきだろう。
(……それに)
 土方は、周囲から向けられる男の視線から守るように、総司をすっぽりと胸もとに抱きしめながら思った。
(総司のめちゃくちゃ可愛い笑顔を、他の連中に見せてやる義理はねぇしな)
 独占欲ばりばりでそう思いながら、土方はそっと腕の力を緩めた。
 だが、それでも総司の手を引き、歩きだそうとした。
 その瞬間だった。 
「きゃあ、歳じゃないのーっ!」
 いきなり、そんなハスキーボイスが聞こえたと思ったとたん、後ろから誰かがガバーッと土方に抱きついてきたのだ。
「!?」
 驚いて見上げた総司の前で、同じく驚きながらふり返った土方が、大きく目を見開いた。
 低い声が、小さく呟いた。
「……とおね?」
「そうよ、あたし♪ 覚えててくれた訳ね?」
 くすくす笑いながら、女は一歩後ろへ下がった。
 その美しい猫のような姿に、総司は目を瞠った。
 均整のとれた抜群のプロポーションをもつ肢体に、ぴっちりとしたセーターとジーンズを纏い、ハイヒールのブーツを履いている。
 肩上で揃えられた黒髪が、さらりと揺れて艶めかしかった。
 真っ黒なサングラスをちょっと下げた事で覗いた、猫のような大きな瞳がくるくると悪戯っぽい笑みをうかべる。
 形のよい唇に塗られた真紅のルージュが、彼女を小悪魔的に見せていた。
「──最近、えらく活躍してるようだな」
 土方は路肩に少し寄ると、親しげな口調で云った。
 それに、女はくすっと笑った。
「まぁね。CMとかに出てるから、いろいろと」
「忙しそうで、結構な事だ」
 親しげに言葉をかわす彼らを、総司は呆然と見つめた。

 ───透音とおね

 彼女は、人気のあるモデルの一人だった。総司もよくテレビのCMなどで見たことがある。独特の雰囲気をもった彼女を、美しいと思ったことは幾度もあったのだ。
 だが、まさか。
(……土方さんがこの人と知り合いだったなんて……)
 唖然としたままの総司の前で、二人は会話をつづけた。
「そっちはどうなの?」
「まぁまぁさ。今日も久しぶりの休日だ」
「ふうん」
 頷いてから、透音はちらりと総司の方へ視線をやった。きゅっと唇の端をあげて、笑う。
「可愛い子。ね、恋人?」
「あぁ」
「そう。幸せなのね、よかったわ」
「おまえの云われると、複雑だけどな」
「あら、どういう意味?」
 透音は手をのばし、土方の耳朶を指先でちょっと引っぱった。それに、土方も煩わしそうな顔一つせず、苦笑しているだけだ。
 彼らの親しげな様子に、総司はかるく息を呑んだ。
「じゃ、行くわね」
 透音は肩に提げていたバックを揺すりあげると、微笑んだ。
「せっかくのデート、あんまりお邪魔したら、歳に怒られそうだから」
「もう邪魔してるだろうが」
「それはそれは、失礼致しました」
 悪戯っぽい笑い声をたてて敬礼してみせると、透音は総司の方へ「また逢いましょうね」と手をのばし、無理やり握手した。
 女性なのに、驚くほど力が強い。こんな細い躯なのにどうしてと思う程だった。
「は…はい」
 こくりと頷いた総司ににっこり笑いかけてから、透音は踵を返した。高いヒール音をたて、颯爽と歩み去ってゆく。マネージャーらしい男が土方に一礼してから、後を追っていった。
 それをぼんやり見送っていると、土方が総司に声をかけてきた。
「ほら、行こうか」
「え……」
 総司は驚き、彼を見上げた。
 あんなふうに突然、知り合いだった女──それも人気モデルと逢って、親しく言葉をかわしたのだ。
 なのに、それに対する一言とかは全くないのだろうか。弁明とまではいかないが、せめて少しの説明ぐらいしても……。
 だが、土方は何も気づいてない様子で、空を見上げた。
「何だか……雪どころか、雨が降りそうな天気になってきたな。そろそろ帰るか」
「え、あ……うん」
 総司は思わず土方の胸もとに身をすり寄せた。甘えるような仕草を見せて、問いかけようとする。
「あのね……」
「何だ。あぁ、寒いのか?」
「そ、そうじゃなくて……」
 ふるふると首をふった総司に、土方は優しく微笑みかけた。肩を優しく抱いてくれる。
「ほら、早く帰ろう。おまえに風邪なんざ引かせたくねぇからな」
「……はい」
 こくりと頷いた総司の肩を抱いたまま、土方は歩き出した。
 すらりとした長身にざっくり編まれた黒のセーターとジーンズを纏ったその姿は格好よく、ほれ惚れしてしまうほどだ。
 見上げれば、端正で、だが精悍な男らしい顔だちが、総司の胸をいつもどきどきさせた。
 だが、今は……。
(……土方さん、あの女の人とのこと話したくないんだ)
 総司は長い睫毛を伏せ、きゅっと唇を噛みしめた。
(でも、だったら……やっぱり、そういう関係の人なの? 昔つきあっていた女の人? でも、そうだよね。土方さん、こんなに格好いいんだもの、たくさんの女の人にもててただろうし。この間も、綺麗な芸妓さんがやって来たし……)
 思わず、ぐるぐる回る思考に、はぁっとため息をついてしまった。
 それに隣を歩いていた土方が気づき、眉を顰めながら覗き込んでくる。
「総司……?」
 その濡れたような黒い瞳が綺麗で、うっとりするほど艶めいていて。
 しなやかな指さき一つまで美しいこの男を、恋人としているがゆえの悩みに、総司はきつく唇を噛みしめた。黙ったまま手をのばすと、土方のセーターの袖口を指さきで握りしめる。
 それに、土方がとろけるような優しい笑みをうかべた。
 町中だというのに、身をかがめ、ちゅっと音をたてて頬にキスを落としてくれる。挙げ句、耳もとで甘ったるい声で囁かれた。
「だい好きだ……愛してるよ、総司」
「……ぼくも」
 抱きしめてくれる男の背に手をまわしながら、総司は小さな声で答えたのだった。
「……ぼくも、だい好きです」


   その胸に秘めた不安を、愛する男に告げれぬまま……。








「……ごめんなさい」
 そう云った総司に、斉藤はかるく首をふってみせた。
 ここは、警視庁の近くにあるカフェだ。
 土方は今日新宿署の方へ出ずっぱりで、本庁へは戻ってこないはずだった。それを朝に知った総司は、こっそり電話をかけて斉藤を呼び出したのだ。
「お仕事中に、本当にごめんなさい」
「いいさ」
 斉藤は注文した珈琲を飲みながら、笑った。
「おまえに呼び出されるなんて、珍しい事だし。山積みだった仕事、放り出して来てしまったよ」
「……ほんと?」
「いや、冗談」
 あっさりと答えた斉藤に、総司はぷうっと頬をふくらました。その表情がまた可愛らしい。
 くすくす笑いながら、斉藤は小首をかしげてみせた。
「で? 何か相談ごとなんだろう?」
「あ……うん」
 総司は口ごもり、躊躇った。
 こちらも先ほど注文したミックスジュースフロートを、ストローでぐるぐるかき回す。
「あのね……」
「あぁ」
「土方さんの事なんだけど……」
 そう云った総司に、斉藤は頷いた。
 もちろん、まったく驚いたりしない。初めから、どうせ彼の事だろうと思っていたのだ。
 だが、次に総司が云った言葉は、思いもかけないものだった。
「斉藤さん、透音さんって知ってる?」
「……は?」
 斉藤は目を見開いた。
 一瞬、何を云われたのかよくわからない。
 そんな彼を、総司は大きな瞳でじいっと見つめた。
「ほら、モデルの。最近よくCMでてるじゃありませんか、綺麗なモデルさん」
「あ……えーと、そんな名前も聞いた事あるような……」
 あまりテレビは見ないどころか、家にテレビを置いてすらいない斉藤は、ちょっと困惑してしまった。
 何しろ、彼はたまの非番の日、宝物であるデッキで音楽を聴くのと、プロジェクターで映画を見るのが最大の楽しみのため、テレビは全く見ないのだ。
「あ、そうでしたね」
 その事情を知っている総司はそれを思い出し、こくこく頷いた。
「ごめんなさい。でも、あのね、透音っていう名前の、とっても綺麗で人気のあるモデルさんがいるんですよ。釣り広告なんかだったら、見たことあるかもしれないけど」
「で、それが……」
 斉藤は全く話の先が見えず、首をかしげた。
「おまえと土方さんに、何の関係が……」
「ぼくにって訳じゃないんだけど」
 総司はまたストローでミックスジュースフロートをぐるぐるかき回しながら、口ごもった。
「あのね。この間のお休みの時、土方さんと街を歩いていたら、突然、後ろから声をかけられたんです。その透音っていうモデルさんに。歳って呼んでいたし、土方さんもすごく親しそうで、それで、ぼく……びっくりして……」
「なるほど」
 低く呟いた斉藤に、総司は頬をほんのり桜色に染めた。顔をあげると、慌てたように言葉をつづける。
「で、でも、土方さんだって、女友達ぐらいいると思うんです。あんなに格好いいんだから、人気があって当然だし。だから、ぼく、何も土方さんの交友関係を色々詮索するつもりはなくて……でも、だけど、その女の人、とっても……」
「美人だったし、親しげだったしで、不安になった訳だ」
 斉藤が納得したように云うと、総司はかあっと耳朶まで真っ赤になってしまった。もじもじと恥ずかしそうに俯いてしまう。
「……な、なんかみっともないですよね。悋気もちの奥さんみたいで……」
「土方さんが知れば、可愛いって思うだろうけどな」
「……」
「けど、まぁ。確かに、土方さんはよくもてるから……ほら、この間の芸妓騒ぎでもよくわかっただろう?」
「う…ん。でも、あれは……」
「まぁ、確かに片付いた。けど、また別の件が出てきた訳だ。土方さんもつくづく罪作りな男だよなぁ」
 肩をすくめてから、斉藤はまたカップを口にはこんだ。
 しばらく考え込むように飲んでいたが、やがて、ふと気がついて訊ねた。
「それで? 土方さんはそのモデルの事をどう云っているんだ?」
「何も」
「え?」
「だから、何も、なんです」
 桜色の唇を尖らせ、答えた総司に、斉藤は目を見開いた。
「何もって、本当になーんにも説明なしだったのか」
「えぇ。その人と別れた後、まるで何もなかったみたいに、空が曇ってきたとか、そろそろ帰ろうかとか云うばかりで。ぼくが聞こうとしても、さり気なく拒まれているみたいな感じで……」
「そりゃ、気になるよな」
「でしょっ!?」
 総司は思わず身をのりだし、叫んだ。
「何もやましい事がないなら、ちゃんと紹介するなり説明するなりがあると思いません? でも、土方さん、なーんにも云ってくれないんですよ! で、結局、ぼく、何も聞けなくて……っ」
「で、オレに聞きにきた訳か」
 斉藤はため息をつき、やれやれとばかりに首をふってみせた。それから、その鳶色の瞳でまっすぐ総司を見つめた。
「わざわざ聞きにきてくれたのに悪いけど、オレもそれ知らないよ」
「本当に……?」
「オレは総司に絶対嘘つかない。いや、つけない。だから、本当に何も知らないんだ」
「……」
 総司は見る間に、がっかりした表情になってしまった。
 それに、斉藤は慌てて手をのばし、ぽんぽんっとかるくその頭を叩いてやった。
「大丈夫だって。何もないから、説明しなかったんだよ。それだけだって」
「そうでしょうか」
「そうに決まってるって。あんまり心配しても仕方ないんだから、いっそのこと忘れちゃいなさい」
「……うぅー」
 総司は小さく唸り、唇をきつく噛みしめた。
 目の前のミックスジュースフロートは、とうの昔にアイスクリームがでろでろに溶けてしまっている。
 だが、そんな事にも全く気づかず、総司はまたストローでぐるぐるかき回し始めた。
 総司自身の苛だちを表わしているように、その速度はドンドンドンドン早くなってゆく。
「……」
 それを眺めた斉藤は、一騒動もちあがりそうな──しかもその渦中に、自分自身が思いっきり巻き込まれそうな予感に、ぞくぞくっと思わず身震いした。


    ──もちろん。
    数週間後、その予感は見事、的中する……。








 確かに、総司も忘れようと思った。
 考えても仕方ない事だったし、こんなやきもちを妬いてるなんて、とんでもなく恥ずかしい気がしたのだ。
 だから、総司は何もなかったように振る舞った。
 もとより、土方も全くあの事には言及しなかったので、一見すれば普段どおりの穏やかな日常生活が過ぎてゆくように見えたのだ。
 その奥深くに、波乱の予感を含みながら。
「……土方さん?」
 とんとんっと書斎をノックして、総司は扉を開けた。
 顔をのぞかせ、呼びかける。
「あのね、そろそろ3時なんです。お茶にしません?」
 それに、色々な書籍や書類に目を通していた土方がふり返った。扉の影から可愛らしく顔を覗かせている総司に、その黒い瞳が和らぐ。
「あぁ、そうだな。休憩するよ」
 云いながら、ぱたんと本を閉じて立ち上がった。んーっと、ちょっとだけのびをしてから、部屋を出る。
 リビングに戻った二人は、総司が入れた紅茶を飲み、菓子を食べた。今日のお茶うけは、クッキーだが、総司が土方の事を考えて甘さ控えめで焼いたものだ。
「おいしい?」
「あぁ、旨いよ」
 そう答えてくれた土方に、総司は嬉しそうに笑った。甘えるように彼の肩に凭れかかり、ちょっとだけ頬をすり寄せる。
 土方の手がその細い肩に回され、優しく抱き寄せてくれた。
 冬の静かな昼さがりだった。
 テレビでは、スポーツ中継がされている。だが、音量がおさえられてあるので、それ程、賑やかではなかった。
 ゆったりとした時間が流れてゆく。
 総司はニ杯目の紅茶を飲みながら、見るともなしにテレビを見た。そのとたん、「あ」と声をあげる。
 それに顔をあげた土方も、かるく息を呑んだ。
「……」
 テレビ画面には、あの透音が映っていた。
 車のCMだ。まっ白なドレスシャツに短いジーンズという格好で、綺麗な笑顔と見事なプロポーションを、惜しげもなくふりまいている。
 艶やかなボブカットの髪が風に靡き、青空の下、その姿は瑞々しく眩しいほど綺麗だった。
「これ……」
 総司は躊躇いつつ、小さな声で云った。
「前に、街で逢った人だよね」
「……あぁ」
「透音さんって……モデルさん。すっごく人気らしいよ」
「そうか」
「ぼく、知らなかった。土方さんが、モデルさんと知り合いだなんて……」
「……」
 それに、土方は何も答えなかった。
 無言のまま、紅茶のカップを口にはこんでいる。
 やがて、それも飲み干すと、さっさと立ち上がった。「まだ仕事があるから」と、書斎へ歩み去ってしまう。
 そんな男の後ろ姿を見送り、総司はきつく唇を噛みしめた。








 その翌日。
 総司は、とある門の前で行ったり来たりをくり返していた。
 事前に連絡はしてあるのだが、どうしてもインターホンを押す勇気が出ないのだ。
(……どうしよう。やっぱり、やめた方がいいんだろうか。でも……っ)
 きゅっと唇を噛みしめ、両手を胸あたりで祈るように握りしめた。
 その瞬間だった。
 押してもいないインターホンが、いきなり叫んだ
『もうっ! 総ちゃんったら、いつまでそうしてるつもり!?』
「え……えぇっ!?」
 慌てて周囲を見回すと、今まで気づかなかったが、門上から、ジーッと防犯カメラがこちらを見下ろしている。
 総司は耳朶まで真っ赤になってしまった。
『ほら、早く入ってらっしゃいよ。総ちゃんが来てくれるっていうから、おいしいケーキを用意したんだから』
 そう明るい声が云ったかと思うと、ガシャッと音をたてて門扉の鍵が開いた。ゆっくりと自動的に門扉が開いてゆく。
 それに、総司は慌てて門の中へ飛び込んだ。すると、また門扉が自動的に閉じられる。
 待たせてはいけないと、総司は足早に庭を歩いた。だが、いかんせん佐藤家の庭はだだっ広い。屋敷の玄関まで行き着いた時には、はぁはぁ肩で息をしてしまっていた。
 それに、出てきた信子がちょっと笑った。
「だから、タクシーで来なさいって云ったのに。帰りは送らせるわね」
「いえ、そんな……」
「以前、うちにいた時、総ちゃん、ヴィタメールのケーキが好きって云ってたじゃない? 二人でお茶にしようと思って、朝のうちに買いに行かせたのよ」
「そ、それはご面倒かけて……」
「なーに、他人行儀なこと云ってるの」
 信子は朗らかな笑い声をたてた。
「あなたは、私の弟嫁同然じゃないの。歳にとって一番大事な子なんだし、それに、わたしも総司ちゃんのことだい好きなのよ」
 相変わらずの口調で喋りながら、信子はさっさと長い廊下を歩いた。すれ違う使用人が恭しく頭を下げるのに、鷹揚に頷き、時折、何か用事を云いつけている。
 凜として美しい様は、まるでどこかの女王様のようだった。
 明るいコンサバトリーに案内され、総司はふかふかしたソファに身を沈めた。
 すると、メイドの一人がしずしずと入ってきたかと思うと、その目の前に、おいしそうなケーキの数々が並べられた銀の盆を置いた。
 とたん、総司は、当初の目的も決意もスッコーン!と忘却の彼方へやってしまい、「わぁ♪」と目を輝かせた。
 それに、信子はにっこり微笑んだ。
「おいしそうでしょう?」
「はい!」
「じゃ、食べましょう。紅茶は総ちゃんの好きなヴァニラティーにしたから」
「ありがとうございます。遠慮なく、いただきまぁす♪」
 総司はフォークを取り上げ、ケーキの一つを皿に取った。一口ぱくりと頬張ってから、
「んんー、おいしい〜♪」
 と、幸せそうに目を細める。
 それを、信子はにこにこしながら眺めた。
「たくさんあるから、好きなだけ食べてね」
「はい♪」
「この三層になってるとこがいいのよね。わたし、キャラメル味が好きなんだけど。ちょっとモカが入ってるとこが、ビターで大人向けだし」
「ですよね! ぼくは、マンゴーのがだい好きなんです。甘酸っぱい感じがまたおいしくて」
 二人はケーキ談義に花を咲かせ、楽しくお茶の時間を過ごした。
 そうして、あらかたケーキもなくなり、お腹いっぱいになると、総司は満足そうな表情でソファに身を沈めた。
 信子は紅茶をポットから注ぎながら、云った。
「やっぱり、総ちゃんとお茶するの楽しいわぁ。以前、うちにいてくれた時、毎日、こうしてお茶してたじゃない。なのに、歳がさっさと浚っていっちゃうから……」
「え……えーと……」
「しかも、総ちゃん、滅多に訪ねてきてくれなくて……とっても淋しかったのよ」
 よよっと、わざとらしくハンカチで目元をおさえる信子に、総司は慌てて坐りなおした。疑うことの知らない純真無垢さなのだ。
「そ、そんな。すみません! これからは、もっと伺わせて頂きますね」
「本当……?」
「はい! お約束します」
 素直に答えた総司に、信子はハンカチの陰でにんまり笑った。
 もちろん、総司自身も可愛くて好きだし、こうしてお茶する事も楽しいが、何よりも弟の歳との事を聞き出し、それをネタに歳三をからかう事が面白くて仕方ないのだ。彦五郎とかに知られたら叱られそうなので、秘密なのだが。
「じゃあ、二人の約束ね♪ ちょくちょく訪ねてきてちょうだいね」
「はい」
 こくりと頷いた総司は、とたん、ここに来た目的を思い出した。何もケーキをお腹いっぱい食べにきた訳ではないのだ。
「あ、あの……信子さん」
 そう呼んだ総司に、信子は小首をかしげた。
「なぁに?」
「えっと、その、お聞きしたい事があって、今日はお伺いしたんですけど……」
「あぁ、電話でそう云ってたわね」
 信子は頷き、先を促した。
「で? どんなことが聞きたいの? もちろん、歳の事でしょう?」
「はい。あの……」
 総司は一生懸命に話し始めた。
 先日、街であった女性のこと。
 それが人気モデルの透音であったこと、その時の土方の態度。以後もまったく説明がない事などなど───
 すると、信子は途中でくすくす笑いはじめた。
 驚いて見た総司を、土方によく似た悪戯っぽい瞳で見つめる。
「そりゃ、歳、何も説明しないはずよ。絶対いやに決まってるもの」
「え……それは、どういう……」
「ちょっと待ってて。いいもの見せてあげる」
 うきうきした様子で、信子は部屋を出ていった。それを総司は不安そうな瞳で見送る。
 数分後、戻ってきた信子はたくさんの雑誌を抱えていた。それをバサバサーッとテーブルの上に置きながら、云った。
「捨てたと思ってるみたいだけど、まだまだ甘いのよねぇぇ。こんな楽しいネタ、だーれが簡単に手放すものですか」
「はぁ?」
「うふふっ、総・ちゃ・ん♪」
 信子は一冊の雑誌を手にすると、
「じゃーん! この写真、だぁ〜れ?」
 そう云いながら、総司の目前へ突きだしてみせた。
 総司も、思わずその雑誌の表紙を見つめてしまう。
「──」
 それは、大手のファッション雑誌だった。
 その表紙を飾っている、一人の男性モデル。
 淡いパープルのシャツにブラックジーンズをすらりとした長身に纏い、その艶やかな黒髪を僅かに乱して。
 ちょっと躯を斜めにしながら、どこか誘うような艶っぽい視線を、こちらへ投げている。
 濡れたような黒い瞳、微かに開かれた形のよい唇、引き締まった腰にかるくまわされた逞しい腕までが、男の色気を感じさせて。
 思わず見惚れてしまうほど、魅力的な男のグラビア写真だった。
 そして。
 それは、どこからどう見ても。


   「……ぇ、えぇええええ──っ!?」


 総司は大きくのけぞり、叫んだ。
 見間違えようもない。
 愛する男──土方のグラビア写真を、呆然と見つめながら……。








つづく  






[あとがき]
 とことんいっちゃえ妄想本編スタート。土沖のためなら、細かい事なんか全然気にしないわ〜♪という寛大な方だけ、寄ってらっしゃい見てらっしゃいです。
 しかし、おのぶさんが手離さないのもわかる、土方さんモデル写真が載ったお宝雑誌。私自身、ぜひ拝ませて頂きたいものでございます(笑)。


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