斉藤の部屋から戻ってみると、土方はもう帰宅していた。
 が、今帰ったばかりのようで、キッチンでグラスから水を飲んでいるところだった。
 総司はリビングから、その広い背中を見つめた。
 愛しい男だった。何度も抱きついた背中だった。あの修羅場の中、火を吹いた銃口から命がけで自分を守ってくれた背だった……。
 じっと見つめていると、その気配を感じたのか、土方がふり返った。訝しげに眉を顰めている。
 それに、総司は小さく頭を下げた。
「ただいま帰りました……それから、すみませんでした」
「……」
「今日、斉藤さんがあんな言い方をしたこと。本当に申し訳なかったと思っているんです」
「……どうして」
 低い声で、土方は聞き返した。
「どうして……おまえが謝るんだ」
「え、だって……ぼくの友人ですから」
「……友人、ね」
 そう呟き、土方は僅かに目を伏せた。
 が、そのままゆるく首をふると、凭れていたシンクから身を起こした。部屋を横切り、いつもの書斎へ向かおうとした。
 それを感じながら、総司は入れ違いにキッチンへ入った。夕食の用意をしようと、冷蔵庫を開ける。
 だが、ふと気づいてふり返ると、土方が立ち止まり、こちらをじっと見つめていた。
 その深く澄んだ黒い瞳に、どきりとした。
「……」
 思わず息をつめたが、すぐに総司はさり気ない口調で云った。
「……夕飯、ちょっとだけ待って下さいね。すぐに用意しますから」
「あぁ」
 頷いたが、それでも、土方は動かない。総司は小首をかしげた。
「あの……何か?」
「いや、何か……妙な感じがしたんだ」
「妙な感じ?」
「前に同じような会話をした気がして……」
 そう呟いた土方に、総司は息を呑んだ。
 そうなのだ。
 あの諍いで別れた夜も、斉藤のことで同じような会話を交わしたのだ。
『やめろと云っただろ』
『ごめんなさい。でも、斉藤さんは大切な友人だから……』
『……友人、ね』
 思わずぎゅっと両手を握りしめた総司に気づくことなく、土方はため息をつきながら片手で黒髪をかきあげた。
「よくわからねぇな……まぁ、苛々しても仕方ないか」
「……」
「あぁ、そうだ。それより、おまえに聞きたいことがあったんだ」
「え?」
 小首をかしげた総司を、土方はまっすぐ見た。
「おまえに聞く事じゃねぇかもしれないが、実はな……俺の躯には銃創があるんだ」
「……えぇ」
 こくりと頷いた総司に、土方はほっとしたような表情になった。
「知ってるなら、話は早い、おまえ、この傷の理由を知らないか」
「理由……」
「仕事中のものなんだろ? 俺は何かヘマでもやらかしたのか?」
「……」
 総司は僅かに目を伏せた。
「あなたは刑事の仕事中に……庇って撃たれたんです」
「庇った? 誰を?」
「……人質を」
「人質を、か。よほど仕事熱心な刑事だったんだな」
「そうですね……」
 総司は視線を落としたまま、静かに呟いた。
「刑事という仕事に誇りをもっていて、とても誠実で、どんな辛い仕事にも真正面から怯むことなく向かって……」
 ──そう。
 誰よりも真摯だった人。
 妥協や逃げを己に許さず、いつも熾烈なまでの厳しさの中に己自身をおいていた人。
 冷たく見えながら、完璧であるように自信に満ちてるように見えながら、その実、様々な苦しみや悲しみを抱え込んでいた人。
 本当はけっこう子供っぽくて、誰よりも優しくて。
 独占欲が強くて、やきもちやきで。
 誰よりも、ぼくを愛してくれて……。
「……」
 ぽろりと、涙がこぼれた。真珠のような涙が一粒だけ、なめらかな頬をこぼれ落ちた。
 それに土方が息を呑んだ。
 総司は慌てて手の甲で目もとを拭った。
「……ごめん、なさい。ちょっと色々思い出しちゃって……」
「色々って……俺のことか?」
 そう訊ねた土方に、首をふって否定した。
「違います。そんな……あなたのことで泣いたりしませんよ」
「……」
「あなたとぼくには何の関係もないんですから。ぼくはただの同居人、ハウスキーパーです」
「……そう、だな」
 頷いた土方を見ることなく、総司は背をむけた。
 冷蔵庫から取り出した野菜を、シンクで洗いはじめる。背中に痛いほど男の視線を感じたが、決してふり返らなかった。
 今、ふり返れば絶対に泣いてしまう。
 捨てないでと泣きながら、彼に縋りついてしまう。
 それがわかっていたから、ふり返る訳にはいかなかった。 
「……」
 やがて、土方は僅かに嘆息すると、踵を返した。ゆっくりとした足取りでリビングを横切り、いつもの書斎へと入ってゆく。
 静かに閉じられる扉の音を聞きながら、総司は固く目を閉じた……。

 

 

 
「……ここが?」
 土方は驚いたように見上げた。
 大きな門扉を車でくぐり、広大な敷地をしばらく走るとそれは現れた。
 見事なほど美しく整えられた芝生と花壇が広がり、その向こうに大きな邸宅が堂々と建っている。二階建てで左右に長い棟をもった美しくも豪奢な建物だった。
 土方は車から降りると、僅かに目を細めてそれを眺めた。
 その傍に寄りそった琴美は小さく微笑んだ。
「そうよ、ここがあたしたちの家。あたしと歳三さんはここで一緒に育ったの」
「……覚えてない」
「仕方ないわ。でも、あたしたち仲良かったのよ。血の繋がらない兄妹だったけれど」
 だいたいのことは琴美に教えられていた。
 自分は母が他所でつくった子供であること、琴美は父の愛人の娘であること。
 だが、すべてが他人事にしか感じられなかった。
 突然、正面玄関の重厚な扉が静かに開いた。
 執事らしい初老の男が現れ、恭しく挨拶してきた。
「お久しぶりでございます。歳三さま、琴美さま──」
 それを、土方は冷ややかな瞳で眺めた。
 何もかもが作り物じみていた。まるで映画の中にでもいるような気分だ。
 自分がこの広大な邸宅の持ち主であることも、既に両親は亡く莫大な財産をついでいることも。そして、今ここに立っている自分自身さえ──
「……お父さまとお母さまが亡くなられた時ね」
 琴美は邸宅の中をゆっくり歩きながら、云った。
「この家も売却しようという話になったんだけど、結局、いつか歳三さんが継ぐかもしれないという事で残されたの。だから、今もこうして管理されているのよ」
 広く豪奢な邸宅だった。
 部屋はすべて綺麗に整えられてあり、花まで生けられ、まるで今も人が住んでいるようだ。
 陽光が射し込むコンサバトリーで、琴美はソファに腰かけた。執事にお茶の用意をさせている。
 やがて、執事が銀色の盆を運んでくると、甘い紅茶の香りが部屋いっぱいに広がった。
「……」
 紅茶が注がれたカップを手にとった土方は、僅かに眉を顰めた。
 それに、琴美が小首をかしげた。
「何? どうかした?」
「いや……これは、バニラティーか?」
「だと思うけど」
 訝しげな琴美を前に、土方は黙り込んだ。
 ふっと何かが心にふれたのだ。
 甘い香りのバニラティー。
 好んでよく飲んでいた。
 とくにある紅茶専門店のがお気にいりで、そこのを土産によく買ってやった。
 そんな自分に、嬉しそうに微笑んで。
『ありがとう! 土方さん……!』
 首にまわされた細い腕。
 頬に感じた甘いキス。
 とても幸せだったことを覚えていた。
 おぼろげな記憶の中で、俺は確かに幸せだった。
 あれは──誰なんだ……?
「……」
 僅かに唇を噛みしめ、深く考え込んだ。
 そんな土方を、琴美は見つめた。
(……兄さん……)
 記憶を失った彼に、自分が婚約者だったと思い込ませることなど、造作もないことだった。
 そうして確かに、彼を手に入れた。
 だが、心はやはり手に入らなかったのだ。
 兄として接していた時より、ずっと冷たい目で彼は自分を見ていた。愛情のかけらもない瞳だった。
 まだ、昔の方が、妹としてだったが、優しく慈しむような瞳で見てくれていたのに。
「……」
 琴美はぎゅっと両手を握りしめた。
 どうして?
 そんなに──あの子がいいの?
 記憶を失ってもやっぱり、兄さんの心にはあたしが入る隙間なんてないの?
 そんなの、絶対いや!
 ずっと子供の頃から、あたしは兄さんだけを見ていたのよ。兄さんの妻になるんだって、決めていた。そう、お母さまとも約束したんだもの。
 兄さんはあたしのものよ。
 絶対、誰にも渡さない……!
「……この家なんだけど」
 ゆっくりと口を開いた。
 その栗色の瞳で土方だけを見つめながら。
「あたしたちが結婚したら、ここに住みましょうね」
「……」
「懐かしい、あたしたちの家だもの。よくこの部屋でも歳三さんと遊んだわ。あなたはいつも優しかった……」
 うっとり夢見るように話す琴美の言葉を、だが、土方は全く聞いていなかった。
 窓ガラスのむこうに広がる庭を眺めていたが、不意にその目をすがめた。
「……」
 すっと立ち上がり、コンサバトリーを出てゆく。それに琴美は驚いた。
「歳三さん!?」
 だが、それにさえ応えなかった。
 土方はさっさと隣の部屋へ行くと、大きなフランス窓の鍵を外した。大きく押し開き、テラスへと歩み出た。そのまま躊躇うことなく、広い庭を横切ってゆく。
 琴美は慌ててその後を追った。
 だが、不意に、彼がどこへ向かおうとしているのかに気づき、はっと息を呑んだ。
「だめよ! 兄さん……!」
 思わずそう叫んだ声さえ、耳に入ってないようだった。
 土方は固い表情のまま歩き、そのフェンスに手をかけた。鍵がかかってるのを見てとると、ひらりと身軽に乗り越えた。まるで少年のような敏捷な動きだった。
「兄さん……!」
 慌てて琴美はフェンスに走りより、ついてきた執事に鍵を開けさせた。角を曲がり、五段ほどのステップを上がると、そこにはもうソレが広がっていた。
 美しい光景だった。
 周囲を囲むようにして植えられた樹木。まるで、森の中にあるホテルの一角のようだった。水面に緑が鮮やかに映し出された。
 そこにあるのは──プールだった。
 青い水を並々と満たしたプール。
 いつでも泳げるよう管理されてあり、水は綺麗に澄んでいた。
 その傍に、土方が立ち尽くしていた。
 呆然とした表情で、プールの水面を見つめている。
 大きく見開かれたその瞳には、明らかに激しい恐怖があった。
「……何だ……これは……っ」
 絞り出すような声がもれた。その喉もとを押さえる手も震えている。
 土方は喘ぎながら後ずさり、のろのろと首をふった。
「どうして……こんなに怖いんだ、俺……何で……っ」
「兄さん」
 急いで琴美は走り寄った。手をさしのべようとしたが、それは荒々しくふり払われた。
 焦点のあってない黒い瞳が、琴美を見た。
「いやだ……来るな、俺にさわるな……っ!」
「兄さん! しっかりしてっ」
「絶対いやだ! 一度だって俺を愛してくれなかったくせに、今更……!」
 土方は自分自身を守るように、両手で己の体を抱きしめた。大きく躯を震わせる。
 だが──もう限界だった。
 突然、その躯は力を失い、崩れるようにその場へ倒れこんでしまった。
 琴美は思わず悲鳴をあげた。
「兄さん……!」
 慌てて執事が携帯電話で救急車を呼んだ。
 琴美が彼の躯に必死になってすがりつき、何度も呼んだが、反応は返らなかった。ぐったりと目を閉じ、気を失っている。
 その騒ぎの傍で、青い青い水は静かに揺れていた──
 

 

 

 知らせを受けた総司は慌しく部屋を出た。
 斉藤が途中寄ってくれたので、迎えの車にそのまま乗り込んだ。
「……容態は?」
 そう訊ねた総司に、斉藤は首をふった。
 彼にも詳しい情報は入ってないのだろう。
「……」
 総司は唇を噛みしめ、俯いた。
 彼が生まれ育った家で倒れたと聞いた。それも、あのプールの傍で。
 当然だろうと思った。
 あんな事があった場所だ。
 彼の悲鳴が聞こえるようだった。
(……土方さん……)
 きつく両手を組みあわせた。
 あの時の彼の様子を思い出した。
 記憶を失う数日前だった。
 子供のように震えていた彼。夢を見るのだと、自分に縋りついてきた。
 先日、斉藤から、その事件のことは聞いたのだ。
 土方が14才だった、あるパーティの夜、それは起こった。
 失踪していた潤が突然そこに現れ、久しぶりに抱きしめてきた兄の存在に、黛が恐慌状態になったのだ。
 そして、ずっと精神的に己を追いつめていた彼女は自殺をはかった。
 ──兄との罪の子である歳三を道連れにして。
 邸宅のプールは深く、しかも服をつけたままだ。絡みつく母親の腕に引きずりこまれ、歳三は逃げることができなかった。
 そして、それを、黛の夫であり戸籍上の父である義諄は、静かに眺めていたのだ。
 助けようともせず、満足げに笑いながら。
 結局、歳三は使用人の手で助け出され、だが、黛は死んだ。そして、義諄は醜聞を恐れたのか、それとも彼も長い確執に疲れ果てていたのか、邸宅の屋上から飛びおり自殺をはかったのだ。
 主を失った土方家の企業はすべて、縁つづきである佐藤グループに吸収合併され、歳三も琴美も佐藤家に引き取られ養育された。
 姉の信子はもちろん、佐藤家の主である彦五郎も、かなり歳三を可愛がったらしい。不憫な弟を大切に育てた。
 だが、彼の心が開かれることはなかった。次第に土方は荒れるようになり、ほとんど家にも帰らない生活となった。毎日、喧嘩と酒と女にあけくれていた。
 それを救ったのが近藤だった。
 斉藤が傍から見ても呆れるほど通いづめ、睨みつけ悪口雑言を投げつける土方にも、決して怯まなかった。いつも穏やかな瞳で彼を見守り、手をさしのべていったのだ。
 だから、今の彼があるのは、近藤のおかげだった。恩人なんだと云っていた土方の言葉も当然だった。
(……でも、あの人の心は完全に癒された訳じゃない)
 今も、傷はずくずくと疼いているのだ。
 それほど、深いのだ。
 ほんの少しの切欠で新たな血を流すほどに……。
「……っ」
 総司は愛する男のことだけを想い、きつく目を閉じた。
 

 

 

 病院へ着くと、総司と斉藤はすぐさま土方の病室へ向かった。
 駆け込んできた二人の姿に、廊下にいた男がふり返った。
 一度だけ逢ったことがある。信子の夫であり、土方の義兄にあたる佐藤彦五郎だった。
「……土方さんは大丈夫なんですか」
 そう訊ねた総司に、彦五郎は頷いた。
「大丈夫だよ。精神安定剤を打たれて、眠っている。もうだいぶ落ち着いたようだ」
「よかった……」
 安堵の息をもらした総司は、だが、すぐにはっと息を呑んだ。
 その場には、琴美もいたのだ。そうではないかと思っていたが、やはり土方は彼女と行動を共にしてた。それが酷く胸に痛かった。
 だが、その琴美の前には、信子が立っていた。
 普段の朗らかでおおらかな彼女からは想像もできない程きつい目で、琴美を見据えていた。それを琴美も光る目で睨み返している。
「あなた、ここで何をやってるの」
 低い声で問いかけた信子に、琴美は肩をすくめた。
「何をって、決まってるじゃない。兄さんにつきそってるのよ」
「冗談じゃないわ!」
 信子が鋭く吐き捨てた。
「あなた、まだ留学中のはずでしょう? なのに、何で日本にいる訳?」
「兄さんの傍にいたいからよ! そうやって兄さんとあたしを引き離そうとしても、駄目なんだから!」
「琴美!」
「あたしたちは、お母さまと潤おじさまみたいに、引き離されたりしない……!」
 そう叫んだ琴美に、信子は瞳を燃え上がらせた。 
「なら、どうして、あんな所へ連れていくの! 歳を大切に思うなら、どうして。歳があの事でどれだけ苦しんでいるか、あなたも知っているはずでしょう!?」
「あの家はあたしと兄さんの家よ! 行ってどこが悪いの?」
 琴美は胸に手をあて、挑戦的に信子を見上げた。
「あたしが、兄さんの傷を癒してあげるわ。あの家で昔のように暮らして、ちゃんと癒してあげる」
「琴美、あなた何を云ってるの。そんな事できるはず……」
「できるはずないって云うの? できるわ、絶対。あの家はあたしと兄さんのものだもの。ちゃんと二人で暮らせるわ」
 そう云ってから、琴美は嘲るような笑みをうかべた。
「だいたい、わかってる? 姉さんには何も口出しできないのよ」
「……どういう意味よ」
「だって、姉さんには何の権利もない。お父さまに認知さえしてもらえなかったんだから……!」
「琴美!」
 かっと信子は声を荒げた。思わず手をふりあげる。だが、それが下ろされることはなかった。
 間に、彦五郎がわって入り、その手をとめたのだ。
「よしなさい、信子」
「あなた……」
「ここは病院だ。その辺りにしておいた方がいい」
 静かにそう云ってから、彦五郎は琴美の方をふり返った。
「琴美、おまえが自分の思うまま行動するのは構わない。それはおまえ自身の意思だろう」
「……」
「だが、それで周りの人間を傷つけるのは、あまりにも子供すぎると思わないか。おまえは自分自身さえ良ければいいのか」
 穏やかだが、気迫のこもった声音だった。
「私の大切な妻である信子や、義弟である歳三を傷つけることを、私は絶対に許さない。それだけは覚えておきなさい」
「……」
「帰りなさい」
 そう云われ、琴美は唇を噛んだ。
 が、ここまで彦五郎に云われてはどうしようもないと思ったのだろう。身をひるがえすと、足早に歩み去っていった。
 すれ違う瞬間、総司を見た目には憎悪がこもっていた。だが、それを総司は咎める気になれなかった。
 琴美は土方を愛しているのだ。
 いや、もしかすると、愛してるという妄執に取りつかれているのかもしれなかった。
 幼い頃から言い聞かされた黛の言葉に縛られて。
 自分が土方を愛してると思い込んでいる。そして、土方もまた自分を愛してくれて当然だと思っているのだ。それが正しい形だと信じている。
 だからこそ、手段も選ばないのだろう。
 総司の大学にまでわざわざ来て脅しをかけ、それでも総司が彼の傍を離れないとなると、あんな写真を送りつけて仲を引き裂こうとした。
 なりふり構わぬ琴美の行動に、玩具にしがみつく幼い少女を見た気がして、総司は唇を噛んだ。
「……総司」
 そっと斉藤に促され、総司は顔をあげた。病室へ入れと云ってくれる。それに思わず信子の方をふり返ると、優しく頷いてくれた。
「……」
 総司はゆっくりと扉を開き、中に入った。
 ベッドで土方は静かに眠っていた。
 少し青ざめた頬に、男にしては長い睫毛が翳りを落としている。唇からもれる息が苦しげだった。
(土方さん……)
 そっとベッドの傍に腰かけ、総司は彼を見つめた。
 まるで、あの頃のようだった。
 あの、土方の意識が戻らず毎日泣いてばかりいた頃──
(今でも泣いてばっかりだけどね……)
 総司は小さく笑った。
 こんなに泣き虫な自分を見たら、土方はどうするだろう?
 たぶん、ちょっと困ったような顔をして、「泣くな」と抱きしめてくれるのか。
 そして、自分は彼のシャツごしに感じる肌の感触や、静かな鼓動だけで、幸せになって、甘えるように頬を擦りつけて。
 今の彼からは考えることもできな行為だが──
「……」
 総司はゆっくりと手をのばした。
 どうしてもふれたくてたまらず、そっと彼の頬にふれてしまう。
 そして、優しい唇にも。
(……少しだけ)
 身をのり出し、目を伏せた。
(ごめんなさい……少しだけふれさせて)
 もう限界だった。
 愛しい男にふれたかった。ほんの少しでも彼を感じたかった。
「……」
 柔らかく──唇を重ねた。
 一瞬だけのキス。
 唇を離し、彼を見つめた。
 愛しくて愛しくて、涙がこぼれそうになる。
 どんなに冷たくされても、他人として扱われても。
 たとえ、この人の中に自分が全く存在しなくても。
 それでも──愛してるから。
 ずっと、ずっと、いつまでも……。
「……」
 総司は静かに身を起こし、立ち上がった。一度だけ土方の寝顔を見つめてから、そっと音をたてぬよう部屋を出ていった。
 そして。
 扉が閉じられた瞬間。
「……」
 ゆっくりと、土方は目を開いた───









 

[あとがき]
 やっとこさ、お話も佳境に入って参りました。土方さんのトラウマに関しては、大方の方の予想どおりだったと思います。さて、ラストで勿論、土方さんは総司のキスに気づいてます。これから、どうなるのでしょう?(笑) また、つづき読んでやって下さいね♪


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