総司は頬杖をつき、窓外を眺めた。
ガラスの向こうには、夜の街が広がっている。きらきら輝くイルミネーションが美しかったが、総司の瞳にそれは映っていなかった。
ここは、あの例の街なのだ。
以前、総司がショットバーであの男を見かけた街。
むろん、素直な総司は、土方との約束を当然守るつもりだった。
あの地下鉄の駅周辺は実際、歩いていて少し怖かったし、自分にあわない気もしたのだ。
だが、しかし。
自ら望まなくても、行く事になることはある。
(これって不可抗力だよね)
そう思いながら、総司はちょっとため息をついた。
その前に、ケーキを盛りつけた皿が置かれた。隣に坐っている磯子が歓声をあげる。
「わぁ、おいしそー!」
「しかし、すっごい量だなぁ。ほんと食べられるの?」
「別腹よ〜。へーちゃんも食べよ」」
もう結構ですという顔の藤堂に、磯子はケーキの皿をさし出した。それから、ぼーっと外を眺めている総司に気づいて首をかしげる。
「総司さん? どうかしました?」
「え、あ……ううん」
総司は慌てて首をふると、目の前の皿に視線を戻した。綺麗に盛られたケーキがとってもおいしそうだ。
だが、どうしても意識が他へといってしまった。
(……土方さん)
あれから十日がたっていた。
土方とはあれきり全く逢っていない。電話もメールも来ない状況に、総司は何だか不安になっていた。
つい色々考えてしまって、気落ちしてしまう。
仕事の邪魔をしたらと考えると電話も出来ず、メールだけ送ってみたのだが、全く反応なしだった。
喧嘩した訳でもないのだから、余程忙しいという事なのだろう。尚更我侭も云えず、総司は彼からの連絡をただ待つより他なかった。以前にも何度かあった事だが、やはり淋しい。
そんな時に、藤堂と磯子に誘われたのだ。
ちょっと元気のない総司のためにというのがよくわかっていたので、もちろん、即OKした。
そして、三人で久しぶりに食事に来たのだった。小さなイタリアンレストランは、磯子が雑誌で探し出してきた店だ。
「でも、あたし、ほっとしました」
磯子が食後のデザートにしては多すぎるケーキをぱくっと食べながら、そう云った。
「京都で会った時、本当に、土方さんと総司さん、また一緒になれたんだなぁって実感できたから」
「いっちゃん……」
「総司さんが幸せになれて、本当に良かったと思っているんです」
「ありがとう」
総司はにこっと微笑んだ。
「いっちゃんにも色々気を使わせて、ごめんね」
「謝らないで下さいよ〜、でもね、昔、ぽろっと土方さんの名前だしそうになって慌てた事、けっこうあったんですよ」
「え、そうだったんだ」
「オレもあったあった」
藤堂と磯子は今だから出来る話とばかりに、楽しそうに話し始めた。
「ほら、バレンタインの時とか、前につくったチョコの話が出て、それでへーちゃんは食べてくれなかったけど、土方さんは……って感じで云いかけて、慌てて口ふさいだりとか」
「大学の駐車場で、土方さんの車と同じの見て、総司が綺麗な車だよねと云った時、乗り慣れてるだろって云っちゃったりとか」
「あ、それ覚えてる」
総司はこっくり頷いた。
「あれ、色違ってたけど、でも、何だか懐かしい感じがして、そうしたら、平助が乗り慣れてるだろって云って、何のこと?と思ったんだ」
「えー! へーちゃん、口軽すぎ! あたしは云いかけたんで、云ったりしてないよ」
「でも、土方さんの名前は出してないし」
慌てて弁明する平助に、磯子は肩をすくめた。それから、前でケーキを食べている総司を見る。
「今夜も、もしかしてデートですか?」
「え」
「何だか、さっきからそわそわ落ち着かないから」
「そうかな……でも、デートの予定はないよ」
総司は首をふり、小さく微笑んでみせた。
実際、今夜は約束していなかった。
だが、総司が落ち着かないのは、この街にいるせいだ。
今いるレストランのすぐ近くが例の地下鉄の駅であり、先日、あの男を見かけた店もすぐ近くにある事は、先程から頭の中をちらちらしている。
むろん、反対側に歩いていけば、土方の教えてくれたデパ地下直結の地下鉄の駅へ出る事もできる。
実際、藤堂と磯子はその地下鉄に乗って帰るつもりのようだった。
なら、一緒にそこから帰ればいいのだが────
総司はフォークを手に、きゅっと唇を噛みしめた。
「じゃあね」
レストランを出た処で、手をふった総司に、磯子は心配そうに訊ねた。
「本当に一人で大丈夫なのですか?」
「もちろん。いっちゃんは平助とデート楽しんでよ」
「でも……」
総司はにっこりと微笑んでみせた。
「ちょっと用事があるんだ。一人で行きたい処だし……ね?」
「じゃあ……」
まだ躊躇いがちだったが、磯子は納得したようだった。藤堂も心配そうだが、総司がいったん云い出したらきかない事は知っている。
「気をつけて」
とだけ云って、磯子と一緒に去っていった。
それを見送った総司は、くるりと踵を返した。ちょっと、どきどきわくわくした気分で歩き出す。
「……なんか、気になっちゃうんだもの」
総司は小さく呟いた。
結局、土方に教えられた駅ではなく、例の地下鉄の駅へと向ってしまったのだ。
しかも、今、あの例の店の前を通ろうとしている。
それが何のためか、総司自身はよくわかっていた。
まずいとか、やばいとか、色々自覚はあるのだが、つい好奇心の方が勝ってしまう。
例の店の前にさしかかった。
さり気なさを装いながら、おそるおそる店の方を覗いてみる。
とたん、総司は目を見開いた。心臓がどきりと跳ね上がる。
「……あ」
例の、あの男がいたのだ。
ちょうどショットバーの扉に手をかけ、中へ入ってゆく処だった。
黒のオーバーシャツに、細身の黒革のジーンズを、しなやかな長身に纏っていた。今日も、やはり整った顔にサングラスをかけている。
開かれたシャツの襟元からのぞく逞しい褐色の胸もとできらりと光ったあれは、シルバーのペンダントだろうか。
しなやかな指にも男ものの指輪が嵌められ、いかにも遊び人風だった。
黒を基調にした装いのせいか、先日と比べると、夜行獣めいた印象がより強い。
「……」
総司が見つめるうちに、男はさっさと扉を押し開け、店の中へ入っていった。
それに、息をつめる。
(やっぱり、土方さんに似てる……でも、違うよね。全然、雰囲気も格好も違うし)
(なら、それでいいじゃない。他人のそら似でしょ)
(こんな処にいたら、土方さんに怒られちゃう。早く帰らないと……)
幾つもの言葉が頭の中をぐるぐる回った。
だめだめだめ!と、わかっているのに、どうしてだか、一歩前へ踏み出してしまう。そのまま、総司は吸い寄せられるように、そのショットバーの扉に近づいた。
躊躇いがちにだが手をのばし、ドアノブを掴んでしまう。
「……っ」
ひんやりした金属の感触が指さきにふれ、あっと思った時には、カチリと音が鳴ってノブが回っていた。扉が開かれ、中の喧噪があふれてくる。
騒々しい訳ではなかった。だが、流れる音楽と人のざわめきが総司をくらりとさせたのだ。
薄暗い店内に目が慣れてくると、そこが意外に広いことを知った。ぐるりと見回せば、カウンターに、幾つものテーブル席があり、奥の方まで広がっている。
「いらっしゃいませ」
カウンターのバーテンダーに声をかけられ、総司はおずおずと頷いた。こうしたショットバーなどに来たのは、全く初めてなのだ。
端の方のスツールに腰を下ろすと、にこやかに訊ねられた。
「お一人様ですか?」
「はい」
「何をお飲みになりますか?」
「……えっと……」
総司はこういう場所に全く慣れていない。どう受け答えしたらいいのかわからず、視線をさまよわせた。
それから、小さな声で答えた。
「何か……カクテルを。アルコール軽めでお願いします」
「畏まりました」
バーテンダーはカクテルをつくり始めた。それを総司はしばらくぼうっと眺めていたが、やがて、背に視線を感じた。びくんっと肩が震えてしまう。
慌ててふり返ってみると、少し離れた席から一人の男がこちらを見つめていた。
あの例の男だ。
サングラス越しだからよくわからないが、それでも、こちらを見つめているのは確かだった。
この店でも、男は水際立っていた。ゆったりと脚を組み、グラスを口許に運んでいる。時折、隣で彼にしなだれかかっている女の耳もとに何か囁いた。そうしながらも、視線はこちらにまっすぐ向けられている。
総司はどきどきしながら前へ向き直った。
やがて、運ばれてきたカクテルに口をつけた。少しずつ舐めるように飲み始める。
すると、突然、傍らから声をかけられた。
「可愛いね、一人?」
「……え」
驚いて見上げると、全然知らない男が覗き込んでいた。まだ大学生ぐらいの若い男だ。
「そう…ですけど」
「こんな可愛い子が一人だなんて、もったいないねぇ」
「……」
「どこか別の店へ行かない? いい処知っているんだ」
「いえ」
総司は首をふった。
「いいです。すぐ帰るつもりですから」
「そんな事云わないでさぁ」
大学生は粘ついた視線を総司にあてながら、その手首を掴んできた。引っぱり、無理やりスツールから立ち上がらせようとする。
それに、総司は身を竦み上がらせた。
必死になって手を振り払おうとするが、大学生の力は強い。バーテンダーがやめるように云ってきたが、酔っているのか、大学生は全く聞く耳もたないようだった。
「や……っ」
男の手に引きずられる。だが、それが不意に解放された。
ガシャンッと音をたててスツールが倒れたかと思うと、それと一緒に大学生が無様にひっくり返るのが見えた。
だが、それも一瞬だ。
気がついた時には、総司の目の前には黒いシャツの背があった。反対側の手を掴まれ、そのまま後ろへ押しやられたのだ。
「……いい加減にしろ」
凄味のある低い声が、静まり返った店内に響いた。
それに、総司は鋭く息を呑んだ。目を瞠り、自分を庇ってくれた広い背を見つめる。
あの男だったのだ。長身に纏った黒のオーバーシャツと、黒革のジーンズが、やはり獣のような印象を与える。
男は冷めた声音で云い捨てた。
「嫌がってるのがわからねぇのか」
「何を……っ」
突き飛ばされた大学生は立ち上がった。顔を真っ赤にして怒鳴る。
「横から割り込んで格好つけんなっ」
そう叫びざま男に殴りかかってきた。だが、男は何の躊躇いもなくその手を掴むと、軽々と捻りあげてしまう。痛い痛いと悲鳴をあげる大学生を、そのまま店の外へ向って放り出した。
ほうほうのていで逃げてゆくのが見える。
それをぼーっと見ていると、不意に肩が掴まれた。
「え?」
見上げれば、さっきの男が眉を顰め、こちらを見下ろしている。総司は慌ててぺこりと頭を下げた。
「あ、ありがとうございました! 助けて頂いて、あの……っ」
「……また叱られたいのか」
「え?」
「こんな処に来るんじゃねぇよ」
そう云い捨てると、男は踵を返した。さっさと店の外へ歩き出してゆく。
総司は慌てて支払いを済ませると、男の後を追った。
店の奥から女の子が幾人か、彼の名らしいものを呼んだのが聞こえたが、男はふり返りもしない。
店を出てしばらく歩くと、男は路地裏へ歩み入った。
総司が追ってみると、路地裏の小さな店の扉に手をかける姿があった。クローズの札がかかっているが、平然と鍵を開き中へ入ってゆく。
「……」
まるで誘うように開かれたままの扉に、総司は躊躇いがちに歩み寄った。
そっと中を覗き込むと、やはり薄暗い。
微かな明かりに照らされたそこは、プールバーのようだった。大きなビリヤード台が中央に据えられてある。
そのビリヤード台の傍に、男が佇んでいた。かるく台に凭れるようにして腕を組み、サングラス越しにこちらを見据えている。
「……っ」
一瞬、息をつめた。
だが、すぐ決意すると、総司は店内へと歩み入った。
