速攻で東京駅に駆けつけた総司は、そのまま新幹線に飛び乗った。
幸運にも自由席に座れたため、中でぱくぱくお弁当を食べる。
腹ごしらえも済めば、準備万端だ。
(頑張らなくちゃ)
総司はペットボトルのお茶をごくごく飲みながら、決意を固めた。
まずは、土方の部屋まで行って、顔見たとたんに謝って、謝りまくって。
それで許してくれたら。
だい好きってこと、愛してるってことを告げて……
(だけど)
総司はきゅっと桜色の唇を噛みしめた。
何よりも、まず謝らなければならないのだ。
自分がとても我侭であった事、彼の気持ちを考えようともしなかった事。
それを心から謝って、許してもらいたかった。
あんな冷たい、だけど、どこか哀しげな彼の声は、もう二度と聞きたくなかった。
自分がだい好きな彼を傷つけてしまったのだと思うと、辛くて辛くてたまらなくなる。
今すぐ彼の傍まで走っていって、その躯に抱きつきたかった。愛してるってこと、彼が誰よりも一番大切だってことを、思いっきり伝えたかった。
だからこそ、今、こうして京都へ向っているのだ。
後先考えもせず新幹線に飛び乗って、彼のもとへ向っているのだ。
2時間半かけて京都に到着すると、総司はすぐさまタクシーに乗り、彼が泊まっているはずのホテルへ向った。
時刻はもう10時前だ。
土方も仕事から帰ってきているはずだった。
ホテル前にタクシーで乗り付けるのは気がひけたので、少し手前で降りた。ホテルの建物を見上げる。
大きな玄関へ向って歩きだそうとした、その時だった。
「!」
総司は道の向うを見た瞬間、鋭く息を呑んだ。あっと声をあげてしまいそうになり、慌てて口を塞ぐ。
道の向こうから、土方が歩いてくる処だったのだ。
「土方さ……っ」
思わず駆け寄ろうとして、はっと声を呑んだ。
彼は一人ではなかったのだ。
目を瞠るほど美しい女性が、彼の傍にいた。一緒に歩き、時々、ふざけあって笑いあい、互いをこづいたり腕を組んだりしながら歩いてくる。
それは、どこから見ても、仲むつまじい恋人同士の姿だった。
「──」
総司は慌てて角に隠れた。そのすぐ傍を、二人は全く気づくことなく通りすぎていった。
女性が身につけている品のよい香水がふわりと薫る。
長身の土方と並んでも遜色のないプロポーションだった。
白いシャツに黒のスーツの上下を着こなし、いかにも仕事のできそうな女性だ。亜麻色の髪をきちんとアップにし、美しく整った顔に薄化粧を施している。
僅かに酔っているのか、その頬が上気している様が色っぽかった。
総司が呆然と見送っているうちに、土方とその女性はホテルへ入っていった。ごく当然のように。
「……っ」
のろのろと角から歩み出た総司は、ガラス越しに見える二人の姿を見つめた。ロビーの中は煌々と明かりが灯されているため、外からでもよく見えるのだ。
二人はフロントに寄る事もなく、さっさとエレベーターへ乗り込んでゆく。その間も寄りそい、楽しそうに笑いあっていた。
見事なほど美男美女のカップルに、ロビーにいた他の客たちも皆、見惚れているようだ。
エレベーターの扉が閉じてしまった後も、総司はしばらくの間、そこに立ちつくしていた。もう立っているのがやっとだったのだ。
信じられなかった。信じたくなかった。
だが、今見てしまったものは、事実だった。あれは紛れもなく、総司の愛する彼であり、そして、彼は他の美しい女とホテルに入っていったのだ。
(……こんな事って……)
もとは、自分の我侭から端を発した喧嘩だった。
だが、まさか、こんなふうに展開するとは、こんな行動を彼がとるとは、思ってもみなかったのだ。
それとも、自分は自惚れていたのだろうか。
何をしても許されると、彼なら許してくれると、そう高をくくっていたのだろうか。
とたん、藤堂に云われた言葉が耳奥に蘇った。
『おまえは甘えまくって、土方さんの限界ためしまくってる気がするんだ』
その限界を超えてしまったという事なの?
今更、謝っても、もう遅いの……?
総司は視界がぼやけるのを感じた。慌てて俯き、手の甲で涙をぬぐう。
泣いている場合ではなかった。いったい、何のために京都まで来たのか。彼を追いかけてきたのか。
ここで東京へ戻るぐらいなら、諦めるぐらいなら、初めから来なかったのだ。
たとえ、あの女性が部屋にいても構わない。それでも、彼に謝らなくては、どうしても自分が納得できないのだから。
「……っ」
総司は胸もとを掴み、きゅっと唇を噛みしめた。
(そりゃ、あの女性が部屋にいたらショックだけど……)
それでも、彼を追いかける他、今の総司には術がなかった。
「……はい」
インターホンを鳴らすと、しばらくして男の声で返事があった。
扉ごしなので聞き取りにくいが、総司にはわかる。土方の声だ。
斉藤が教えてくれた部屋の前だった。
あれからエレベーターに乗り、追いかけてきたのだ。
総司は一瞬表情をひきしめてから、静かに云った。
「ぼくです……総司です」
「……えっ」
土方は驚いたようだった。しばらくの沈黙の後、扉が慌ただしく開かれる。
廊下に佇む総司の姿をみとめたとたん、土方は目を見開いた。焦ったように問いかけてくる。
「総司! 急にどうしたんだ」
だが、それに答える事ができなかった。
総司はただ呆然と、彼の姿を見るばかりだったのだ。
(……う、そ……っ)
土方はスーツの上着は脱いで、ネクタイも外してしまっていた。ワイシャツに、スーツのボトムという格好だ。
だが、そのシャツの釦はすべて外され、逞しい胸もとが肌けている。
先程見た時は整えられていた黒髪は艶やかに乱れ、額にさらりと落ちていた。その前髪を指さきでかき上げる物憂そうな仕草が、男の色香を感じさせる。
決定的なのは、シャツの間からのぞく胸もとだった。
艶めかしい赤い痕が散らばっていたのだ。
まるで、情事の最中の男のようだった。否、実際そうなのだ。
その事に思い到った瞬間、総司は頭にかぁぁあっと血がのぼるのを感じた。
気がつけば、思いっきり叫んでいた。
「土方さんなんて……だいっ嫌いッ!」
「は?」
「だいっ嫌い! もう……知らないっ」
そう叫んで踵を返そうとした腕が、ぐいっと掴まれた。あっと思った時には、部屋の中へひっぱり込まれている。
バタンと閉まった扉の音に、総司は思わず身をすくめた。奥にいる女性が出てくる事を懸念したのだ。
だが、そんな総司を、土方は手をのばして鍵をしめながら見下ろした。
「いったい、何なんだ」
事ここに到っても尚、そ知らぬ顔の土方に、総司は唇を震わせた。
「とぼけないで! もう今更でしょう? 嘘なんて全部ばれちゃうんだからっ」
「だから、何の事なんだ。おまえ、そんな嫌いだとか何とか云うために、京都くんだりまでやってきたのか?」
呆れたような土方の口調に、総司は尚更かっとなった。
あくまで落ち着いた表情で接してくる彼に、バカにされてるような気がしたのだ。子ども扱いした挙げ句、誤魔化されるなんて真っ平御免だった。
「ぼく、全部見たんですよ! 今だって、奥にあの女の人がいるのでしょう?」
「女……?」
訝しげに、土方は眉を顰めた。
「女って、何のことだ」
「さっき一緒にいた人です。このホテルへ一緒に入っていくの見たんだから! それで、今も一緒にいるのでしょう、突然来たぼくなんてお邪魔だったって事なのでしょうっ?」
「……おまえ」
土方の声音が低くなった。
さすがに怒ったのか、切れの長い目の眦がつりあがる。
「俺を疑っているのか」
「……」
「俺が、そんな、出張先のホテルに女を連れこむような男だと、本気で思っているのか!」
ぐっと肩を掴まれた。それに、総司は大きな瞳で睨みかえす。
怒りを露にする彼は怖くて今すぐ逃げ出したいぐらいだったが、悪いのは自分の方ではないのだ、どうして逃げなければならないのかと、必死に両手を握りしめた。
「だって、実際そうじゃない。あの女の人と一緒にホテルへ入ったじゃない」
「……」
土方は短く舌打ちした。
しばらく黒い瞳で総司を鋭く見据えていたが、不意にその細い手首をつかんだ。ぐいっと無理やり引き寄せる。
躯が密着し、尚更、彼の怒りを感じた。
「やっ……離して!」
「いいから、来い」
押し殺した声でぴしゃりと命じ、土方は総司を引きずるようにして部屋の奥へ向った。
シングルだが、かなり広めの部屋だ。シックな色合いで纏められた部屋の中央に、セミダブルタイプのベッドが据えられ、窓際にワークデスクが置かれてあった。仕事のチェックをしていたのか、金色のデスクライトが灯され、机上にも書類が散らばっている。
土方は総司の手首を掴んでない方の手で、ぐるりと部屋の中をさし示してみせた。
「見ろ! いったいどこに女がいるって云うんだ」
「……ぁ」
「俺はな、仕事でここへ来ているんだ。出張中なんだ。いきなりそこへやって来て、この間の事を謝るのかと思ったら、だい嫌いだって叫んで、挙げ句の果てには女を連れこんでいるだと? おまえ、本当にいい加減にしろよッ!」
鋭く云い捨てざま、土方は総司の手を離した。まるで突き放すような乱暴さに、彼の怒りがあらわれている。
そのまま背を向け部屋を横切ってゆく男に、押し殺された怒りと冷ややかな拒絶を感じとり、総司は息を呑んだ。のろのろと周囲を見回しても、女の姿など何処にもない。明らかに、総司の勘違いだった。
土方はデスクの前に立つと、書類をとり上げめくり始めていた。
総司は、いつものようにすっと伸びた広い背を見つめ、小さな声で云った。
「……土方さん」
「……」
「じゃあ、教えて。あの女の人は……誰なの?」
「……」
土方はうんざりしたようにため息をついた。ふり返らぬまま、不機嫌そうな口調で答える。
「仕事仲間だ。俺の古くからの友人だが、警官じゃない。自衛官」
「え」
「もう一つ付け加えると、捜査一課課長佐々木さんの奥さんだ」
「ええっ!?」
思わず叫んでしまった総司に、土方は書類をぽんっと投げ出した。くしゃっと前髪をかきあげながら、呟く。
「俺は人妻に手を出すような不埒物じゃねぇし、だいたいおまえがいるのにそんな事ありえる訳ないだろうが」
「だって……」
「まだ何かあるのか」
「その……痕……」
おずおずとした声音で云った総司に、土方はようやくふり返った。訝しげに眉を顰めている。
「痕?」
「だから、その痕。シャツの間から、キスマークが……」
「は?」
土方は呆気にとられたような表情で、己の胸もとを見下ろした。それから、少し黙ってから苦笑する。
「これは、火傷だよ」
「えっ?」
「さっき珈琲を飲もうと思ってな、ドリップにポットからお湯を注いだとたん、すげぇはねちまったんだ。それで慌てて冷やそうとした処に、おまえが……」
「な、何してるんですかっ。そんなの早く冷やさなきゃ!」
そう叫ぶなり、総司は洗面所へすっ飛んでいった。蛇口をひねり、フェイスタオルを水で濡らす。ばしゃばしゃと水音が鳴った。
そのタオルの上に、水以外の雫──総司の涙がこぼれ落ちた。
(ぼくって……莫迦だ)
情けなくて恥ずかしくて、たまらなかった。
謝ろうと決意して、せっかく京都まで追いかけてきて。挙げ句、あんなふうに彼を怒らせ、また傷つけてしまった。
どうして、こんな事になってしまうのか。
どうして、うまくいかないのだろう。
もっと落ち着いて話せば良かったのに、彼の気持ちを、彼の言葉を、もっとわかろうと心がけていれば、こんな事にはならなかったのに。
いつもいつも。
「……っ、ひ…くっ、ぅ…っ」
総司はしゃくりあげながら、震える手でタオルを絞った。
早く戻ろうと思うのに、早く手当してあげなきゃと思うのに、恥ずかしくていたたまれなくて、彼の前に戻るのが怖い。
こんな情けない自分は、いっそ彼の前から消してしまいたかった。
時間を戻して、何もかもなかった事にしてしまいたい。
そんな事を考えていた総司は、ふと視線を感じた。
慌てて顔をあげてみれば、目の前の鏡にすぐ後ろに立つ土方の姿が映っている。
「……ぁっ」
喉がつまった。
鏡ごしに、鋭い光を湛えた黒い瞳で見据えられ、びくりと躯中が竦み上がった。
