ゆっくりと足音が近づいてきた。
 斉藤だ。
 夜の街灯の下、立ちつくす二人へ静かに近づいてくる。
 それを感じながら、総司は土方を見上げていた。どうしたらいいのか、わからなかったのだ。
 土方は一瞬だけ、瞼を閉ざした。それから、目を開くと、すっと表情を引き締めた。
 総司の手を離しながら、ゆるやかに視線をあげる。
「……」
 総司の肩越しに斉藤を見据える、彼の力強い視線を感じた。
 後ろから、静かな声がかけられた。
「……総司」
 ゆっくりとふり返った。
 僅かに躊躇ったが、小さくにこりと笑いかけた。
「斉藤さん、偶然ですね」
 明るい声で云った総司に、斉藤は一瞬虚を突かれたようだった。土方の方へ視線をちらりとやってから、答える。
「あぁ、そうだな。こんな処で逢うなんて」
「斉藤さんは、お仕事帰りですか?」
「あぁ。……総司、おまえは?」
「え、えーと、お食事です」
 そう云ってから、総司は躊躇った。土方を紹介していいのか、わからなかったのだ。
 だが、斉藤が先を促すように黙っているため、仕方なく土方の方へ手をさしのべた。
「……あの、この人と食事していたのです」
「……」
「土方さんといって、ぼくの友人なんです。九つも年が離れてるけど、最近、親しくしていて」
「……そう」
 黙然と斉藤は頷いた。それから、鳶色の瞳で土方をまっすぐ見つめる。
 そこに落ちた奇妙なほど重苦しい沈黙に、総司は思わず息をつめた。
 だが、斉藤は当惑する総司の様子に気づいたようだった。はっと我に返ると、ぎこちなくだが笑いかける。
「じゃあ、オレはこれで」
「あ、はい」
「また連絡するよ」
 そう云ってから、斉藤は背を向けた。そのままふり返る事なく、足早に歩み去ってゆく。
 その背を見送った総司は、どうしてだか、躯中の力が抜けるような安堵感を覚えた。息を吐き出した総司に、土方が歩み寄ってくる。
「土方さん」
 見上げた総司に、土方は黙ったまま手をのばした。
 次の瞬間だった。
 細い腰を男の腕がさらい、背がしなる程きつく抱きしめられる。
「!」
 総司の目が大きく見開かれた。
 手を繋いだりはよくある事だったが、こんな風に抱きしめられたのは、あの初めて逢った時以来だったのだ。
 男のぬくもりと鼓動に、躯中がかぁっと熱くなった。胸がどきどきして、呼吸さえいつもどおりできなくなる。
 だが、抱擁は一瞬だった。
 あっと思った時には引き離され、「ごめん」という低い声が耳もとにふれた。驚いて見上げれば、土方はきつく唇を噛みしめていた。
「ごめん……勝手な事をした」
「……どうして謝るの?」
 総司はふるふると首をふった。


 謝ってなんて欲しくない。
 もっとあなたのぬくもりを感じていたいのに。
 なのに。


「してはいけない事をした」
「今のが? そんな事ないでしょう?」
「いや、俺にとっては許されない事だ」
 そう答えると、土方は僅かに目を伏せた。形のよい眉を顰め、きつく唇を噛みしめている。
 切なげな男の表情に、総司は胸の奥がきゅんっと痛くなった。


 なんて……瞳をするの。
 せつなげで悲しい、何もかも諦めたような。
 あなたを、あたためてあげる事ができたらいいのに。あなたのやすらぎになれたらいいのに。
 でも、そんなの無理に決まっているから。
 あなたにとって、ぼくはただの年下の友人に過ぎないんだものね。ううん、友人と思っているのかさえわからない。
 仕方なくつきあっているだけの、子ども……?


 総司はもどかしさに泣きそうになり、長い睫毛を瞬いた。
 それから、小さな声で彼に呼びかける。
「……土方さん」
 それに、土方は我に返ったようだった。はっと目を瞠り、総司を見下ろしてくる。
 綺麗に澄んだ黒い瞳に見つめられ、胸がどきりとなった。慌てて視線をそらしながら、小さく笑ってみせる。
「やっぱり、もう帰ります。土方さんも疲れてますものね」
「え、あぁ……」
「送ってくれなくていいです。食事つきあってくれて、ありがとうございました」
 ぺこりと頭を下げて向きをかえると、総司は一気に走り出した。後ろもふり向かず、地下鉄の地上入り口にむけて駆けてゆく。
 彼が何か声をかけてくれるかと思ったが、ほんの少しだけ、呼び止められることを期待していたが、それは全くなかった。
 土方は総司をそのまま帰らせる事にしたようだった。もしかすると、総司が走り出したとたん、その場を離れてしまったかもしれない。彼こそ背をむけ、一度たりともふり返らず去ったかもしれないのだ。
 その光景を想像するだけで、じんわり涙がこみあげた。

(……まるで失恋した女の子みたいだ)

 総司は地下鉄の駅への階段を下りながら、きゅっと唇を噛みしめた……。










「おはようございます」
 後ろから声をかけられ、ふり返った。
 黒い瞳が僅かに見開かれる。
 それに、斉藤は小さく笑ってみせた。
 駅から本庁への道だった。駅から吐き出された大勢の人々が足早に歩いてゆく。
 その中をゆっくり歩いていた土方に、後ろから追いついた斉藤が声をかけたのだ。
「……おはよう」
 低い声で答えた土方に、斉藤は僅かに肩をすくめた。
 しばらくの間は、無言のまま二人して歩いてゆく。ちらりと見た土方の横顔は無表情だった。あの事件以来、ほとんど笑顔をうかべる事のなくなった彼だったが、最近、その雰囲気が少し和らいだと思ってはいたのだ。
 だが、まさか総司と再会していたとは───
「……総司には今年の秋口に逢ったんだ」
 不意に、土方が口火を切った。それに、斉藤が無言のまま目をあげる。
「事故にあいかけていた総司を助けて、そのままなし崩しに何度も逢う事になった」
「じゃあ、つきあっている訳ですか」
「友人としてな」
「とてもそうは見えませんでしたが」
 僅かな苦笑を滲ませてから、斉藤は少し躊躇った。そっと問いかける。
「……記憶の方は……?」
「むろん、戻ってないさ」
 即座に答えた土方に、斉藤は安堵したのか小さく吐息をもらした。
 それに、苦笑した。
「戻っていたら、逢っていられるはずねぇだろうが。総司の記憶が戻れば、何もかもお終いだ」
「でも、いつかは戻るかもしれませんよ」
「……わかってる」
 低い声で答えてから、土方は一瞬だけ頭上に広がる空を見上げた。今日は天気がいいのか、雲一つない青空だ。
「土方さん、オレは」
 しばらく黙ってから、斉藤は真摯な声で語りかけてきた。
「オレは別に、あなたを責めるつもりはないのです。総司と逢って、それで……記憶が戻らず、このままつきあい続けていけるなら、あなたと総司がまた一緒に過ごしていけるなら、それでいいと思っています」
「……」
「そりゃ、昨夜は驚きましたが、でも……これで良かったんじゃないですか。このまま総司の記憶が戻らなかったら、何もかも元通りになるのなら、それで……」
「元通り、か」
 土方は目を伏せ、自嘲するように低く嗤った。
「そんな事ありえるのか。どんなに望んでも、元通りになんかなるはずねぇだろう」
「土方さん」
「俺だってわかっているさ。おまえは責めなくても、俺自身が日々責めつづけている。今、総司の傍にいるのは許されぬ事だと。どんなに望んでいたとしても、見てはいけない夢を見てしまっているのだと」
 土方の言葉に、斉藤は黙り込んでしまった。


 云うべき言葉が見つからないのだ。
 何の慰めも励ましも、役にたたないとわかっているからこそ。
 彼の苦痛にみちた一年を傍で見てきたからこそ……。


 押し黙る斉藤を残し、土方は足早に本庁の中へ入っていった。エレベーターホールで、いつもどおりの口調で他の者と挨拶をかわしている。
 それを眺めていると、土方がちらりと斉藤の方へ視線を投げかけた。切れの長い目が僅かに伏せられる。
「……」
 だが、それは一瞬の事だった。
 すっと視線をそらすと、何事もなかったようにエレベーターへ乗り込んでいった。
 それを、今の斉藤はただ見送る事しかできなかった。










 仕事の合間の休憩時間、土方は、本庁の上階の廊下突き当たりにある窓際に佇んでいた。
 壁に背を凭せかけ、ぼんやりと眼下に広がる都会の光景を眺める。
 青空の下、きらきらと光るビル郡が眩しい程だった。だが、それら全ては今、男の目には映っていない。

(……総司……)

 長い間、味わってきた孤独と淋しさだった。
 もう慣れた──と思っていた。
 躯の奥底から突き上げるような総司への激しい愛を押し殺し、あの幸せだった日々さえも忘れ去ろうとして。そのくせ、そんな事ができるはずもない己の弱さにもがき苦しみ、あがきつづけた地獄のような日々。
 だからこそ、淋しさなど──もう感じないと思っていた。
 あまりの苦しさに、淋しいという感情など麻痺してしまったのだ。
 大きな傷を負ったとたん、ささやかな指さきにある傷の痛みなど忘れてしまうように、何も感じなくなってしまったのだと、思いこんでいたのだ。
 だが……そうではなかった。


 総司の甘く澄んだ声。
 彼にむけられる、あの愛らしい笑顔。
 時折、ふれてくる細い指さき。



 そのすべてが狂おしいほど愛しかった。愛しくて愛しくて、気がおかしくなってしまいそうだった。
 己の中にある総司への執着、愛情の深さを、あらためて思い知らされたのだ。
 確かに愛していると思っていた。命がけで愛していた。だが、こんなにも渇望し、求め続けていたとは。
 まるで麻薬の禁断症状のようだった。
 一度は失いながら、再びあたえられた甘美な夢。
 だからなのか、その歓びは凄まじかった。反動も大きかった。己自身でも空恐ろしくなってしまうほど、無我夢中で総司だけを求めた。
 ふれたい、抱きしめたい、愛したい。
 それしか、もう考えられなかった。
 だが、だからこそ、苦しみはより深まるのだ。
 そんな事、罪深い自分には、許されるはずもないのだから。
「……許されるはずがない、か」
 先程斉藤にも云った言葉をくり返し、自嘲の笑みをうかべた。





 今となっては悪夢のように思えるあのイヴの日。
 総司の幸せだけを考えて決意し、自ら、すべての繋がりを絶ちきった。
 この世の誰よりも愛おしい存在──ずっと愛し守りつづけてきた少年を、これからも守り続けるために。
 その柔らかな心を守りぬくために、別れたのだ。それこそ、身を斬られるような苦痛と引き換えに……。


 むろん、幾度も望みはした。
 もう一度逢いたい──と。
 逢って、この腕に抱きしめたい。あの花のような笑顔をむけられたい。
 だが、罪深い己にはそんな事二度と許されぬのだと云い聞かせ、突き上げる叫びをねじ伏せた。総司の幸せを願いながら、それでも逢いたいと望んでしまう罪深さに、何度も己を責めた。
 だが、その願いは叶えられてしまったのだ。まったく彼自身も予期せぬ形で。自ら策を弄した訳ではなかった。
 むしろ、追いすがってくる総司を、冷たく突き放そうとしたのだ。あのカフェで別れる時、これ以上関わり合いをもつのは総司のためにならないと、自ら背をむけた。
 総司にとって、自分は忌まわしい悪夢そのものだった。
 幸せだけをあたえてやりたい──と、いつもそう願ってきたのに、今や、この存在自体が総司の幸せを何よりも脅かすのだ。
 だからこそ、突き放さなければならなかった。
 どんなに望んでいても。
 心の奥底から叫び狂うように、総司だけを求めていても───





 ため息をもらし、土方は俯いた。
 どうしても、昨日の別れ際の総司の様子を思い出してしまう。
 潤んだような瞳で見上げてから、不意に背をむけて走り去っていった愛しい少年。
 どんどん遠ざかってゆく細い背を、呼びとめる事さえできなくて、ただ呆然と見送る事しかできなかった。追いかけ、引き留めたいと叫ぶ己自身の衝動を必死に押し殺し、その場に立ちつくしていたのだ。
 気がつけば、口の中に血の味がひろがっていた。きつく噛みすぎてしまったのだろう。
 そんな己を自嘲した。
 総司に背をむけられるなど──当然のことなのに。いや、そうであるべきなのに。
 もういっそ、ここで別れてしまった方がいいのだ。まだ住所も何も教えていない。今なら携帯の電話番号さえ変えてしまえば、別れることができるだろう。
 これきり、二度と逢わないですむのだ。
「二度と逢わない、か」
 土方はどこか空ろな口調で呟くと、のろのろとあげた手を見つめた。


 今、この手で絶ってしまえば、何もかも終わる。
 もう二度と逢わない。
 総司の幸せを守ることができる。だが。


「……そんな事……俺にできるのか」
 男の声音が自嘲を滲ませた。片手で髪をかき乱し、苦々しい笑みに唇の端を歪ませる。
 本当は、一秒でも離れたくないのに。
 今すぐ総司との繋がりを断てと命じる理性のそばから、この心が狂ったように叫ぶのだ。
 愛してる。
 愛してる……! と。
 なのに。
「……総司……」
 土方は誰よりも愛しい名を口にすると、己の凶暴な愛を押し殺すように瞼を閉じた。










 数日後の事だった。
 大学の広大なキャンバス内で、総司は藤堂をつかまえた。
 正直な話、朝からずっと探していたのだが、なかなか見つからなかったのだ。
 広大な芝生の中庭に面しているベンチに、総司と藤堂は並んで腰かけた。もう初冬だが、今日はお天気もよくてぽかぽかと日射しが心地よい。
 それを受けながら、藤堂は「いい天気だなぁ」と両手でのびをした。それに、総司も「うん」と頷く。
「で? 話って何?」
 訊ねる藤堂に、総司は話の糸口を探して躊躇った。
 どう云えばいいのか、ちょっと考え込んでしまったのだ。
「あのね」
 総司はあれこれ考えてから、ようやく口火をきった。
「平助、斉藤さんと親しいでしょう?」
「え?」
「ほら、いっちゃんのお兄さんが、斉藤さんの同僚だって云ってたよね。それで、仲良くしてるって」
「あ……うん。そうだけど」
 藤堂は不思議そうに総司を見返した。
「おまえの方がずっと仲良いと思うけど? オレは時々、電話で話す程度だよ」
 それも、総司の事についての報告だった。
 斉藤は藤堂から聞いた総司の話を、内容を選びつつも土方に伝えていたのだ。それを聞いても、土方はいつも固い表情で押し黙るばかりだったが。
「うん。でも、聞きたい事があって」
 総司はきゅっと両手を握りしめた。


 あの夜から、ずっと考えていたのだ。
 土方と斉藤の様子は、明らかに異常だった。二人の間には、びりびりするぐらいの緊迫した空気がはりつめていたのだ。
 あれはどう見ても、他人ではなかった。お互いを知っているのだ。
 だが、それを総司は土方にも斉藤にも訊ねる事ができないでいた。どちらに聞いても、うまくはぐらかされてしまいそうな気がしたのだ。決して本当の事を教えてくれない、そんな予感がした。
 だからこそ、第三者的な立場にいるはずの藤堂に、訊ねる事にしたのだ。


「あのね、この間の夜、斉藤さんと会ったんだ」
「斉藤さんと?」
「うん。街中でばったり。で、ぼく……その時、別の人と食事に来てたんだけど」
 総司は一瞬、口を閉ざした。
 それから、顔をあげると、大きな瞳でまっすぐ藤堂を見つめた。
「平助、あのね」
「何?」
「土方さんって人、知ってる?」
「!?」
 答は明白だった。
 その名を聞いたとたん、藤堂の顔色がさっと変わったのだ。愕然とした表情で、総司を見つめている。
 大きく見開いた目が「何故?」と問いかけていた。
 その驚きように、総司はびっくりした。ここまで顔色を変えるとは思ってもいなかったのだ。
「やっぱり、知ってるの?」
「やっぱりって……どこで? いったい、どこでその名を聞いたんだ!?」
 藤堂は腰を浮かし、総司に掴みかからんばかりだった。
 常にないその様子に思わず身をひきつつ、総司は答えた。
「聞いたんじゃなくて、知ってるの。ぼく、この秋から土方さんとおつきあいしてるから……」
「おつきあい!?」
「え、あ、友人としてね。事故にあいかけたぼくを、土方さんが助けてくれたんだ。それから、時々逢ったりしてて、斉藤さんと会った時も土方さんと一緒だったんだけど、二人とも何だか様子が変だったから……」
「……」
 藤堂は深々とため息をついた。
「……知らなかった。そんな事になってたなんて」
「そんな事って……。平助、何か事情を知っているの?」
「……」
 藤堂は目を伏せ、押し黙った。だが、いつまでもこうして黙っていても埒があかないとばかりに、大きくため息をついた。
 不意に総司の方へ向き直り、身をのりだした。
「総司」
「えっ、何?」
「この話、真剣に聞いて欲しいんだ」
「う、うん」
「あの人と……土方さんとは、もう逢わない方がいい」
「……え?」
 総司の目が瞠られた。一瞬、何を云われたのか、わからなかったのだ。
 きょとんとした表情で、目を瞬いた。
「逢わないって?」
「だから、もう逢わない方がいい。あの人はおまえを傷つけるよ」
「な…に……それ、どういう事? やっぱり、平助は土方さんのこと知ってるの?」
「……」
 一瞬、迷うように藤堂は唇を噛んだ。だが、すぐ意を決したようにきっぱり云いきった。
「知ってるよ。よく知ってる」
「平助、じゃあ……」
「おれだけじゃない。近藤さんはあの人の親友だし、斉藤さんは古くからの友人で今は同僚なんだ」
「近藤さんが親友、斉藤さんは同僚って。じゃあ何、土方さんは刑事なの?」
「そうだよ」
 驚きのあまり息を呑んでいる総司に、藤堂は言葉をつづけた。
「総司がさ、あの人に惹かれるのは……わかる。当然だと思う。でも、駄目なんだ」
「駄目って……」
「おまえはきっと傷つくよ。あの人の傍にいたら傷つくに決まっている」
 藤堂の言葉に、総司は目を見開いた。そのまま、ふるりと首をふったとたん、柔らかな髪がふわっと揺れた。
「わからない……云ってる意味がわからないよ」
「ごめん、うまく云えなくて。でも、これ以上、おれの口から話してあげる訳にはいかないんだ」
「まだ隠し事をしてるって訳?」
「ごめん。でも、あの人も恐れているはずだから。おまえに逢う事を、おまえと親しくなってゆく事を、土方さんはきっと望んでいない」
「──」
 総司は息をつめたような表情で、藤堂を見つめた。
 しばらくの間、この親友を見ていたが、やがて、ゆっくりと視線を落とした。両手を握りしめ、きゅっと唇を噛みしめる。
 重苦しい沈黙の後、小さな声が告げた。
「……ごめん、平助」
「え?」
「悪いけど、その……一人にして貰える?」
 総司は顔をあげると、きれいに澄んだ瞳で藤堂を見つめた。
「しばらく、一人で考えたいんだ」
「……わかった」
 藤堂は頷くと、静かに立ち上がった。そのまま、ゆっくりと歩み去っていってくれる。
 それを見送ってから、総司はため息をもらした。
「皆、だったの」
 突然、聞いた事ばかりで何だか頭の中がぐるぐる回っている。
 だが、それでも肝心な事はよくわかっていた。藤堂の言葉が何を意味するかも、全部。
「皆、ぼくに隠し事を……」


 ずっと思っていたのだ。
 平助も斉藤さんも、近藤さんも、永倉さんも、皆……何かぼくに隠している、と。きっと、それはぼくのあやふやな記憶に関係しているはず。
 そして、あの人も──土方さんもだった。秘密をもっていたからこそ、あの人はいつもぼくとの間に一線を引いてきたんだ。
 そう……いつだって、誘うのはぼくの方からだった。電話するのもメールするのも、次の約束をとりつけるのも。強引に誘わないと、絶対にふり返ってくれなかったから。
 それは、ぼくが子どもだからだと思っていたけど、でも、もっと他に理由があったんだ。
 ぼく自身を傷つける……そんな理由が


「傷つける……」
 小さく呟いてから、総司はのろのろと顔をあげた。少し潤んだ瞳で、ぼんやりと空を見上げる。
 きれいに晴れ渡った青空だった。もしも翼があるのなら飛びたくなるだろうなと思ってしまう程、綺麗な空だ。
 しばらく青空を見上げていたが、やがて、総司は鞄から携帯電話を取り出した。慣れた仕草で短縮ダイヤルを押す。通話が繋がり、二言三言会話をかわした。
 とても短い会話だった。それも、相手からすげなく切られてしまう。
 総司はもう物言わぬ携帯電話をぼんやり見つめていたが、それを膝上に置いた。そっと俯いた。
「……あの人が」
 くすっと笑った。
「ぼくを傷つける、だって」
 自嘲するように、泣き笑いのように。 
 そして、呟いた。

「それでも……逢いたいよ。躯も心もみんな傷だらけになっても、ぼくは土方さんの傍にいたいよ……」


 なめらかな白い頬を、小さな涙がこぼれ落ちていった───。










 新宿署の屋上だった。
 見上げれば、澄み渡った青空が広がっている。初冬には珍しいほど鮮やかな青空だった。
 それを眺めながら、土方は給水塔の壁に背をかるく凭せかけた。スーツの胸もとから煙草とライターを取り出すと、口にくわえ、火をつける。
 ゆっくりと紫煙を吐き出しながら、己の思考を追うように視線を遠くへ投げた。
 とたん、傍らから声をかけられる。
「……まるで高校生のサボタージュですね」
 ふり返ってみると、斉藤が笑いながらこちらへ歩み寄ってくる処だった。
「授業のかわりに打ち合わせさぼって、こんな処でこっそり喫煙ですか」
「こっそりじゃねぇよ、堂々とだ」
 そう云いながら不敵な笑みをうかべ、空にむかって紫煙を吐き出してみせる。
 斉藤は呆れたように肩をすくめた。
「確かに……昔からそうでしたよね。事実、高校生の時点で、あなたは喫煙も酒も女も、さんざんやり尽くしてましたし。それも堂々と」
「おまえもやるか?」
 まるで、あの頃のように煙草の箱をさしだされ、斉藤は微かに苦笑した。ちょっと考えてから頷く。
「貰います」
「ライターは?」
「お借りします」
 先程の土方と同じように煙草に火をつけ、一口吸い込んでから吐き出す。斉藤は久しぶりの煙草に、微かに眉を顰めた。
「……」
 かなり、きつい煙草だ。
 昔の土方は、ここまできついものを吸っていなかったはずだった。
 その事からも、今の彼の精神状態が伺える気がしたが、むろん、口には出さない。
 しばらくの間、土方と斉藤は、並んで壁に凭れかかったまま紫煙をくゆらせた。
 すると、突然、軽やかな電子音が鳴った。
 斉藤が見やると、土方がスーツの胸もとから携帯電話を取り出していた。画面に表示された名を見て一瞬眉を顰めたが、結局は通話ボタンを押した。
「……はい、土方です」
 どこか掠れた、低い声で答える。
 それに気をつかい、斉藤は背をむけるようにして煙草を吸いつづけた。後ろで、土方は会話をつづけている。
「あぁ。……え? 土曜日? それは無理なんだ……すまない。いや、当分、逢えないだろう。仕事がたてこんでて忙しいんだ、すまない。あぁ、また連絡する」
 静かな低い声で告げると、土方は携帯電話を折り畳んだ。
 それに、斉藤はふり返った。思わず訊ねてしまう。
「今の……総司ですか」
「あぁ」
「また連絡するって、そんな気あるのですか?」
「……」
 土方は黙ったまま、紫煙をくゆらせた。その端正な横顔を、斉藤は見つめた。