つめたい冬の夜
 見あげた星空に願うのは
 いとしいきみの幸せ……




















「土方さん!」
 後ろから声をかけると、彼は一瞬びくりと肩を震わせてからふり返った。
 本気で驚いたらしく、その目が見開かれている。子どものような表情に、総司はちょっと申し訳なくなった。
「ごめんなさい、びっくりさせるつもりなかったんだけど」
「……あ、あぁ」
 土方は苦笑し、片手で煩わしげに黒髪をかきあげた。
 そんな小さな仕草さえ流れるように綺麗で、駆け寄りかけていた総司はつい見惚れてしまった。

(……きれい)

 待ち合わせのメッカらしいデパートのショーウインド前だった。
 淡い明かりに金色の豪奢な飾りがきらきらと揺れ、眩い程だ。とてもロマンチックなイメージがある為か、カップルの待ち合わせが多い。
 そこに一人佇んでいる土方の姿は、遠目でも水際立っていた。周囲の女性たちのほとんどの視線を一身に受け、だが、それを全く気にせず物思いにふけっている男。
 なめらかな質感のダークブラウンのスーツに、淡いシャンパン色のシャツが、すらりとした長身によく似合っていた。タイトに締めたネクタイまで、一分の隙もないエリートビジネスマン風でありながら、大人の男特有の色気を甘やかな香水のように漂わせている。
 こんなにも魅力的で綺麗な人は見た事がないと、何度見惚れてしまったことか。
 今も、総司は思わずうっとり見惚れてしまった。それに、土方はどこか困ったように眉を顰め、視線をそらせた。
 だが、怒ったのではない証拠に、優しく総司の手をひいてくれる。
「そろそろ行こうか」
「あ、はい」
「おまえがお勧めの店なんだろう?」
「えぇ、予約とってあるから……あ、急がなきゃ」
 総司は小さく声をあげると、慌てたように走り出した。自然と土方の手をひっぱる形になる。それに、彼が笑い声をたてた。
「おい、レストランは逃げねぇよ」
「だって、予約に遅れちゃうかも。土方さん、急いで急いで」
 手をつなぎあって小走りにゆく二人を、道ゆく人々がふり返ってみた。
 それも仕方がない程、ドラマのワンシーンを見るようなカップルだった。土方も当然だが、総司も可憐で愛らしく、そこらの人気女優顔負けのかわいらしさだ。
 総司は白いセーターにジーンズという格好だったが、肩先で揃えた柔らかな髪や大きな瞳からも、誰もが女の子と思ってしまう。
 そんな可愛い女の子が、スーツ姿のこれまたいい男と手を繋いで走っている様は、本当にドラマのワンシーンそのものだった。
 きっと、誰もが二人はカップルだと思っただろう。
 だが、それは間違いだった。二人は数ヶ月前に知り合ったばかりで、ただの知り合いという関係だったのだ。しかも、男と少年だ。

(……土方さん)

 レストラン近くになって、総司は並んで歩きながら傍の男を見上げた。
 街の明かりの中、端正な横顔がうかびあがっている。
 それを見つめ、きゅっと唇を噛みしめた。
 あの秋の日に逢ってから、彼とはもう幾度も逢瀬を重ねていた。最近では、まるで恋人同士のように、毎週逢っている。
 だが、そうなるまでが色々と大変だったのだ。
 意外な事に、土方はとんでもなく消極的だった。どんな事であっても、総司の方が強く願わなければならなかったのだ。
 携帯電話の番号にしてからそうで、総司が強引に聞き出さなければ、教えてくれなかっただろう。あの助けてくれた日も、朝食をとっただけで結局そのまま別れてしまいそうだった。
 そっけない程に「じゃあな」と立ち去ろうとする土方を、総司は慌てて引き留めた。
「また逢いたいのです!」
 いつもの人見知りに似合わぬ強引さでそう叫んだ総司に、土方は驚いて目を見開いた。呆気にとられている彼の腕を掴み、頼みこんだ。
「だから、あの、携帯電話の番号……教えて貰えませんか」
 そう云ったとたん、土方は形のよい眉を顰めた。
「……どうして?」
「え」
 男の静かな問いかけに戸惑う総司に、土方は言葉をくり返した。
「どうして、俺の電話番号が知りたいんだ」
「ど、どうしてって……」
 総司は口ごもってしまった。
 どうしてって、そんなの決まってるのに。それとも、こんな事を初対面の人に頼むぼくがおかしいのだろうか。
 でも、だけど。
「電話したいのです。その、土方さんにもう一度逢いたいから……だから……」
「……」
 総司の言葉に、土方は僅かに目を伏せ、押し黙ってしまった。その端正な顔には、明かな困惑の表情がうかんでいる。
 それに、総司は泣きだしたくなった。
 きっと、あの時は声も半ば涙声だったのだと思う。とても情けなく、恥ずかしい話だけれど。
「……だめ……?」
 縋るように訊ねた総司に、土方ははっと顔をあげた。涙目になっている総司を見ると息を呑み、そのまま激しく首をふる。
「だめなんかじゃない! そうじゃなくて、俺は……っ」
「……土方さん?」
「その……あぁ、もう!」
 土方は短く舌打ちし、煩わしげに片手でくしゃっと前髪をかき上げた。
「そうじゃねぇんだ。違うんだ。俺は、おまえの方が嫌だろうと思ったから」
「え?」
「おまえが俺なんかと逢ったって、ろくな事がねぇと思ったから、それで……」
「そんな事ありません!」
 慌てて総司は叫んだ。思わず両手をのばして、彼の腕をきつく掴んでしまう。
「絶対に違います。ぼくはあなたともっと話したいって、思っているの。だから」
「あぁ」
 土方は苦笑すると、まだ云いつのろうとする総司の手にふれた。そっと撫でられる。
「わかってるよ。ごめん……よくわかった」
「本当…に?」
「あぁ。その証拠に、ほら、教えるから」
 そう云いながら、携帯電話をさし出してくれた土方に、総司はほっと安堵の息をついた。

(それから、何度も電話したんだよね。全部……ぼくから)

 いつもいつも、自分の方からだった。メールも電話も何もかも。
 何の仕事をしているのかわからないが、かなり多忙そうな彼は、それでも総司からの電話をほとんど受けてくれた。メールへの返事もそれ程長いものではないが、きちんと返してくれた。
 だが、それはすべて、総司からのもので、彼から電話がかかってくる事も、メールがおくられてくる事もなかったのだ。
 それに気づいたとたん、総司はとても淋しい気持ちになった。そして又、どうしてこんなにも彼に執着してしまうのだろうと、自分でも不思議になった。
 九つも年の離れた男なのだ。
 どんな仕事をしているのか、どこに住んでいるのかさえ、未だ何も教えてくれない人。
 なのに、どうしてこんなにも惹かれてしまうの──?
 逢いたい、傍にいたいと望んでしまうの?
 総司は自分自身の気持ちさえ掴めず、戸惑った。だが、それでも、彼に逢いたいと望む気持ちは押さえきれなくて、何度も強引に誘い、機会をもうけて逢った。
 そのうち土方も諦めたのか、割合気軽に逢ってくれるようになったが、それでも、どこか一線をひいたような態度は変わらなかった。
 いつも優しく微笑みかけてくれる。だが、総司がほんの少しでも深入りしかけると、すっと身をひいてしまうのだ。それは驚くほどさり気なく、そして、断固とした態度だった。
 冷たくされる訳ではないが、そんな彼の態度は、総司の心にいつも小さな棘を残した。





「……総司?」
 不意に手をぐっとひっぱられ、総司は驚いた。
 びっくりして見上げると、土方が困ったように苦笑している。しなやかな指さきがすっと後ろを示した。
「あそこだろ? おまえのお勧めの店」
「あ、そうです。そう、ここ」
 慌てて頷き、総司はレストランが入っているビルの方へ駆け戻った。それに、土方がくっくっと喉を鳴らし笑っている。
「ぼーっと考え事して、素通りだからな。予約に遅れるって走らせたのはおまえだろうが」
「そんな笑うことないでしょう。ぼくだって、考え事ぐらいするんだから」
「ふうん」
 くすっと悪戯っぽく笑い、土方は総司の頬を指さきで突っついた。だが、総司がぱっと頬を染めるのを見たとたん、慌てて手を離した。
 視線をそらし、ビルのエントランスへ足を踏み入れる。それに続きながら、総司はまた唇を噛みしめた。








 螺旋階段は緩やかに続いていた。
 ゆっくりと降りるごとに、足先がふかふかした白い絨毯にうずまる。
 青く塗られた壁に囲まれた白い螺旋階段を、仄かな照明が淡く浮かび上がらせていた。そこを降りてゆくのは、まるでゆらめく美しい湖の底へ沈んでゆくようだ。
「……」
 総司は妙な不安を覚え、後ろをふり返った。
 本当に彼がついて来てくれているのか、不安になってしまったのだ。
 だが、すぐ後ろを歩いていた土方はふり返った総司に気づくと、小さく笑った。黒い瞳が悪戯っぽい光をうかべる。
「何だ、怖いのか」
「別にそういう訳じゃ」
「階段から落っこちそうとか?」
「子ども扱いしないで下さい。大丈夫ですってば」
 唇をとがらせて云い返し、総司は前に向き直った。すると、その細い肩を、男の手がそっと抱いた。
 耳元に優しい声がふれる。
「大丈夫だ……俺はどこにも行かねぇよ」
「……土方さん」
 総司は一瞬、小さく息を呑んだ。
 だが、すぐに笑みをうかべると、こくりと頷いた。なめらかな頬が僅かに上気している。
 そうして、再び螺旋階段をゆっくりと降り始めた。湖の底へ沈んでゆくような不思議な感覚は、もう少しで終わる。
 それを惜しくも思いながら、だが、総司は螺旋階段を下りきった。フロントにいた店員が、丁寧な口調で訊ねてきた。
「いらっしゃいませ。失礼ですが、ご予約はおありですか?」
「はい。7時に予約している、沖田です」
「沖田様。お待ちしておりました。ご案内いたします……どうぞ」
 席まで案内してくれる店員に従って歩きながら、総司はまた後ろをふり返った。それに、土方はまた微笑んでみせた。今度は柔らかく総司の肩を抱いたまま、歩いてくれる。
 その事に嬉しさと安堵を覚えながら、総司は店内を横切った。
 仄かな照明だけに満たされたレストランは、夕食時なだけあって、なかなかの賑わいをみせていた。だが、それでも、流れている静かな音楽、店の雰囲気のため、騒がしい事などは全くなかった。とても落ち着ける雰囲気だ。
 総司たちが案内された席は、夜景の見えるカップルシートだった。大きな窓側へ向けられたふかふかのソファ。店内へは背を向けているため、プライベート感は格別なのだが、こういう席は恋人同士が坐るものだろう。
「……」
 戸惑って見上げると、土方は悪戯っぽく笑ってみせた。ごく当然のように「ほら」と手をさし出し、総司をソファへ坐らせてくれる。そのまま隣へ腰をおろし、もう一度優しく微笑みかけてくれた。
 それに、ちょっとほっとする。
 食事の注文を終えてから、土方は僅かに小首をかしげた。
「随分前から予約していたのか? えらくいい席がとれたものだな」
「いい席って……ここ、カップルシートですよ」
「だから、いい席だろ。夜景が綺麗じゃねぇか」
 そう云ってから、土方は店内を見回した。
「しかし……ちょっと大人っぽい店だな。総司がこういう店を選ぶとは、意外だよ」
「また子ども扱いして。さっきだって、階段から落っこちそうだなんて云うんだもの」
 総司は僅かに桜色の唇をとがらせた。
「ぼくだって、もう二十歳すぎているんですよ」
「怒ったのか? なら、すまねぇ」
 土方はくすっと笑い、ソファの背に凭れかかった。ゆっくりと足を組み、見事に広がる夜景へ視線をやる。
 仄かな明かりの中、男の端正な横顔がうかびあがっていた。
 それを、総司は息をつめるような想いで、見つめた。

(こういう場所に、この人はとてもよく似合う。本当に、この人は大人の男の人なんだ。ぼくを子ども扱いするのも……ある意味、仕方ないよね)
(いつまでたっても、プライベートも教えてくれなくて、どこか一線ひいていて……)
(姿形も、心も……とてもきれいな人。どこか子どものような脆さがあるのに、でも、強くてきれいな人……)


 土方は今何を思っているのか、ソファの肘掛けに頬杖をつき、僅かに目を伏せていた。
 男にしては長い睫毛が頬に翳りをおとし、その憂いにみちた表情は、見るものの胸が切なくなってしまう程だ。
 艶やかな黒髪をすっきりと整え、アーモンド形の切れの長い目は、とても印象的だった。すうっと通った鼻筋、きれいな形のよい唇。頬から顎にかけてシャープな線。
 今、ソファにおかれている手、そのしなやかな指さき一つまで、きれいだ。
 仕事帰りのため、スーツ姿だ。今は仕立てのよいスーツの上着を脱ぎ、シャツにネクタイ、ボトム姿だった。どこからみてもエリートビジネスマンだが、それ以上の華やかさを纏いつかせていた。
 大人の男の艶とも云うのだろうか。彼には、えもいわれぬ独特の雰囲気があった。否応なく人を惹きつけ虜にしてしまう、魔力めいたものが。
 今も、レストランの中を横切った時、店にいる女性のほとんどが、彼の方へ視線をやっていた。
 だからこそ、総司は思ってしまうのだ。
 こんな自分と会いたがらないのは、当然なのかも──と。
 何しろ、自分は男で、しかも、九つも年が離れているのだ。話があうはずもなかったし、土方自身、もっと美しい女性と一緒にいる方が楽しいだろう。
 さきほども云われた事だが、自分のような子どもと一緒にいて、楽しいはずがないのだ。だが、だからこそ、少しでも背伸びしたくて、この店を選んだのだが───


「……このお店、気にいらなかったですか?」
 問いかけた総司に、土方はびくりと肩を揺らした。驚いたように顔をあげ、総司をふり返る。
「え……?」
 完全に己の思考に沈み込んでしまっていたらしい。その黒い瞳が戸惑いの色をうかべていた。
 総司は明るく笑ってみせながら、くり返した。
「このお店、気にいらなかったですか? って聞いたのです」
「あ、あぁ……いや」
 土方は首をふり、微かに笑った。
「そんな事ねぇさ。静かで落ち着けるし、俺好みの店だな」
「本当に?」
 とたん、総司の顔がぱっと輝いた。
 彼のやわらかな笑顔と優しい言葉に、気持ちがうきたった。
 自分でも単純だなぁと思いはするが、どうしようもない。初めて逢った時から、自分は彼の言動に浮き沈みをくり返してしまうのだ。不安と喜びの間をいったりきたり、まるで振り子時計のようだ。
 今も総司は彼のちょっとした言葉に頬を上気させ、ちょうど運ばれてきた料理を、うきうきしながら取り分けた。コース料理でなく、二人であれこれ楽しめるアラカルトにしたのだ。
 土方はさり気ない仕草で皿をとると、それに、料理を綺麗に盛りつけてくれた。優しい笑顔とともに手渡してくれる。
 それを「ありがとうございます」と受け取りながら、総司はいつも感じる疑問をまた蘇らせた。ちょっと小首をかしげながら、皿の上を見つめる。
「……」
 もともと、それ程、好き嫌いのある総司ではなかったが、それでも、だい好きな食べ物はやはり決まっているのだ。なのに、土方は初めからごく当然のように、総司の好きなものだけを取り分けてくれていた。
 まるで、総司の好みも何もかも知りつくしているかのように───

(……偶然、かな)

 総司は箸をとりながら、きゅっと唇を噛みしめた。
 そんな事あるはずがないのだ。彼とは数ヶ月前に逢ったばかり。なのに、自分の好みをすべて知られているなんて、ありえるはずがないのだから。
「どうした、食べないのか?」
 気が付くと、土方が訝しげな表情でこちらを見ていた。
「それ、なかなかうまいぞ。薄味だし」
「え……あ、はい」
 総司はこくりと頷くと、箸をすすめた。彼がすすめてくれた海老の揚げものは、とてもおいしい。トロピカルソースとからみあい、口の中にふわりと甘酸っぱい味が広がった。
「あ、本当ですね。おいしいー!」
 嬉しそうに食べる総司に、土方は頬を綻ばせた。
「これ、トロピカルソースっていうんですよね。こんなおいしいの初めて食べました」
「? ここ、おまえの行きつけの店じゃねぇのか?」
 不思議そうに小首をかしげた土方に、総司はううんと首をふった。
「違います。ここは、大学の助教授に教えて貰ったんです」
「助教授……」
「と云っても、若い女性で……土方さんと同じぐらいかな。とっても美人なんですよ」
「……」
 可愛らしい笑顔でうきうきと話す総司に、男の切れの長い目がすうっと細められた。形のよい眉が顰められる。
 だが、そんな彼の様子にまったく気づくことなく、総司は言葉をつづけた。
「お酒が強くてね、気が強くて、男勝りで、でも、一緒にいてとっても楽しい人なのです」
「……ふうん」
「学生達にも人気があるんですけど、ぼくと同じ研究室なので、いつもよくしてもらっています」
 そう云った総司に、土方は無言だった。完全に黙り込んでしまい、食事をつづけている。
 それに、総司は小首をかしげた。
 何だかわからないが、彼が怒っている気がしたのだ。先程までの優しい雰囲気が消え、苛立っているような印象さえ受ける。
「あの……土方さん?」
「何だ」
「えっと、あの、怒ってます?」
「怒ってるはずがねぇだろうが」
「だって……」
 おずおずと話しかけた総司に、土方は視線を落としたまま答えた。
「……ここへはよく来るのか」
「え?」
「その助教授とだ。ここへ一緒に来たのか」
「いいえ」
 総司はきょとんとしながら、それでも素直に答えた。
「ここは教えて貰っただけですし、それに、助教授と大学外で会った事もありませんよ」
「……え」
 土方は顔をあげ、総司を見つめた。それに、恥ずかしそうに笑ってみせる。
「あのね、ここは教えて貰ってから一度来たいなぁって、ずっと思ってたんです。でも、一人じゃ不安で……だから」
 総司は上目遣いに彼を見上げた。その甘えるような表情が、たまらなく可愛らしい。
「だから、土方さんと来られるならとっても嬉しいし……それでこのレストランにしたんだけど、いけない事でしたか?」
「……いや」
 ゆるく首をふり、土方は微かに吐息をもらした。箸をおくと、片手をのばし、総司の手にそっとふれてくる。
 驚いてみあげると、優しく微笑みかけられた。
「いけないなんて事ねぇよ。俺と一緒に来たいと思ってくれた事は、とても嬉しい。……ありがとう」
 柔らかく低めた声で囁きかけられ、総司の頬がぽっと紅潮した。微笑みかけられ、手まで握られて、鼓動がどきどきと早くなってしまうのを感じる。
 彼の濡れたような黒い瞳で見つめられるだけでも、頭の中がぼうっとしてしまうのに、手までふれあって、指さきがまるで心臓になったみたいにどきどきした。
 熱くてたまらない……。
 総司は自分でもわからない熱をもて余しながら、目を伏せた。長い睫毛を伏せ、はじらうように唇を噛んでいるさまは、とても可憐だ。
「……」
 それを見つめ、土方は微かな吐息をもらした。
 彼の手の中にある、華奢で白い手。細い指さき。
 そっと握りしめれば、折れてしまいそうなほど頼りないその愛おしさ。
 恋人として愛していた頃なら──このまま、白い指さきに唇を押しつけただろう。もっとふれたいという衝動のまま、指さきをからめ、キスの雨を降らせたに違いない。
 今だって本当はもっとふれたい。もっと感じたい。
 愛したい。

(……総司……)

 息苦しいまでに突き上げる凶暴な愛情を押し殺し、土方は無理やり手をひきはなした。そのまま膝上に戻すと、己の爪が喰いこむ程きつく握りしめる。
 一瞬、総司の瞳が淋しげに曇ったが、土方がそれに気づくことはなかった。



 テーブルに置かれたキャンドルが、ふたりの気持ちをあらわすように揺れた……。










 レストランを出ると、夜の9時をまわっていた。
 地上に降りれば、華やかな夜の街が視界に広がる。金曜日であるためか、会社帰りのビジネスマンやOLたちがたくさん行き来していた。
 ショーウインドからこぼれる光も、まだまだ眩い。
 そんな中、土方は腕時計にちらりと視線をやった。総司の細い背を柔らかく押すようにして、低い声で促す。
「……送っていこう。地下鉄だったな」
「……」
 一瞬、総司は頷くのが遅れた。
 まだ9時なのだ。
 いくら子ども扱いされていたとしても、それでも、もう少し一緒にいたかった。
「あのね」
 手をのばし、総司は彼のスーツの袖口をとらえた。大きな瞳で縋るように土方を見つめる。
 見下ろした彼がどこか苦しげに眉を顰めたのが、夜の街灯の下でもよくわかった。だが、それでも言葉をつづけた。
 懸命に、気持ちをこめて。
「あの、もう少し……一緒にいては駄目ですか」
「一緒に……?」
「まだ9時です。あと少しだけでいいから、あなたと一緒にいたくて」
 思いきって云った総司に、土方は驚いたように目を見開いた。その黒い瞳が一瞬だけ総司を見つめる。
 だが、すぐに視線をそらすと、目を伏せてしまった。男にしては長い睫毛が頬に翳りをおとす。
「総司、俺は……」
 しばらく逡巡するように黙り込んでいたが、やがて、土方は顔をあげた。
 何か答えようとする。
 その瞬間だった。
 何気なく総司の後ろの方へ視線をむけた土方の目が、大きく見開かれたのだ。鋭く息を呑む。
 そのまま言葉を途切れさせてしまった土方に、総司は細い眉を顰めた。いったい、どうしたのだろうと彼の視線を追ってふり返る。
「……?」
 だが、総司は、別段驚くべきものをそこに見つけなかった。ただ都会の雑踏があるだけだ。
 首をかしげながら視線を戻そうとして、彼が見ているものにようやく気がついた。土方は一人の男だけを見つめていたのだ。
「……あ」
 総司は小さく声をあげた。
「斉藤さん」
 夜の雑踏の中、まぎれもなく斉藤が立っていた。仕事帰りなのか、スーツ姿でそこに佇んでいる。
 だが、その斉藤もまた愕然とした表情だった。明らかに顔を強ばらせ、こちらを凝視している。
「……?」
 総司は小首をかしげ、斉藤の方へ歩み寄ろうとした。とたん、傍らから強く手を掴まれる。
 驚いて見上げれば、土方が総司の手を掴んでいた。ぐいっと引き寄せられる。行動だけを見れば強引そのものだ。だが、その表情はまるで縋りつくようだった。
 行かないでくれ!
 そう、心の中で叫んでいるようで、思わず息を呑んでしまう。
「土方さん?」
 彼の声なき声に従い、総司は立ち止まった。少し躊躇ったが、そっと指をからめて握り返す。
 僅かに震えている気さえする、彼の指さきを。
「……」
 問いかけるように見上げた総司を、土方は黒い瞳で見つめ返した。




 それは、断頭台の前。
 愛する恋人に、永遠の別れを告げる男のような表情で───