近藤は不審そうに、それを凝視した。
今日も多忙な刑事たちが走り回っている警視庁。その中にある、組織犯罪対策部。またまた、その中でも主にテロ事件を担当とする、荒れ者(or変人)が多いと噂のセクション。
その一番奥の席で会議のための資料と睨めっこをしていた近藤の前に、突然差し出されたのは、一枚の紙だった。
「……」
近藤はまず、その紙をじーっと見てからそれが何であるか知ると、むっと眉間に皺を寄せた。
思わず破り捨ててやる!とばかりにひったくりかけて───
「……近藤さん」
頭上から降ってきた低い声に、その手がぴたりと止まった。
視線が、目の前の紙の端を握っているしなやかな指さきから、綺麗にプレスされた真っ白なワイシャツに包まれた逞しい腕、幅のある肩へとあがってゆく。
いやな予感を覚えながら顔をあげると、そこには案の定、近藤の親友であり、このセクションどころか警視庁内でも色々とその名を知られた刑事──土方の端正な顔があった。
切れの長い目を僅かに細めたまま、じっと近藤を見下ろしている。
「あんた、今、これを破り捨てようとしたな」
「い、いや……その、歳……」
「この俺が、めったにとらねぇ休暇届を出したとたん、その仕打ちかよ。労働省に訴えてやるぞ」
「ちょっ…待てって。別に駄目だと云うつもりは……」
「なら、ここに判を押せ」
どちらが上司かわからぬ迫力と威圧感で、土方は休暇届をばんっとデスクの上に置いた。
それに、近藤は深いため息をつくと、しぶしぶ判子を取り出し、ぽんっと課長印を押した。
土方は近藤の認可が押された休暇届をさっと取り上げ、満足そうに眺めた。
何を思ったのか、嬉しそうに形のよい唇の端をつりあげている。
(せっかくの男前も、恋人の事では台無しだな……)
どうせ、可愛い総司とのデートだろうと思いつつ、それでも念のため、近藤は椅子の背に凭れかかって眺めながら訊ねた。
「で? いったい何のための休暇だ?」
「新婚旅行」
「は?」
親友のあっさりした答えに、近藤の目が点になった。
それに、土方は丁寧に紙を折りたたみながら、淡々と答えた。が、その端正な顔は、おさえてもおさえきれぬ喜びに満ちている。
「だから、いわゆるハネムーンって奴だよ」
「ハ、ハネムーンって……あの、結婚したカップルが行く奴か?」
「他に何があるんだ」
呆れたように、土方は近藤を見やった。
が、すぐまた、嬉しそうに笑った。
「いや、総司がさ、北海道に行きたいって云うんだ。俺は海外でいいじゃねぇかと云ったんだが、何か行きたい動物園があるんだってよ。あいつ、動物が好きだからな。可愛いからだって云うけど、そう云ってにこにこ笑う総司の方がずーっと可愛いと思うんだが、近藤さん、あんたもそうは思わねぇか?」
仕事場で堂々と上司相手にのろけまくる土方に、近藤はあんぐり口をあけた。
が、この親友が総司にべた惚れなのは、もう過去の様々な出来事で、いやってほど思い知らされているのだ。
ぶんぶん頭をふって近藤は、書類を取り上げた。
土方の方も、近藤の答えなど期待してなかったらしく、また休暇届の認可さえ入手してしまえば、もう用はない。さっさと踵を返し、総務課に提出するため出ていってしまった。
それに、やれやれと近藤は首をふり、会議のための書類に再び視線を落とした。
しばらくじーっとそれを見つめていたが、突然、大声をあげて立ち上がった。
近くにいた永倉が驚いてふり返る。
「な、何だい? 近藤さん」
「歳! あいつ……十日ぁっ!? このくそ忙しい時に十日も休暇だとぉっ!?」
「もう判を押しちまったんじゃ、仕方ないじゃん。ほら、この間、警視庁で募集された標語でもあったしさ。よく見よう書類、用心しよう押印」
「こっちは来週会議のめじろ押しなんだぞ! あいつがいなかったら……っ」
「全部、あんたの肩にかかってくるねぇ」
呑気にふわあっと欠伸をする永倉を残し、近藤は土方を追うため部屋を飛び出していった。
それを見送り、永倉は呟いたのだった。
「北海道土産なら、やっぱり毛ガニかねぇ……」(毛ガニは夏じゃ採れませんよ、永倉さん。BY斉藤)
さて、その翌週。
土方と総司は北海道旭川行きの飛行機に乗っていた。
もうすぐ到着だというアナウンスに、総司は飛行機の窓から下を見下ろし、わぁっと声をあげた。
「土方さん、ほら、見て見て!」
彼の腕をひっぱって、窓ガラスにぺたっとはりついた。
青空の中、白いわた雲がぷかぷかと幾つかうかび、その下には緑の牧場が広がっている。そこに、まるで雲のような丸っこい羊たちが群れていた。
本当にメルヘンの絵本そのものの世界だ。
「可愛いー! すっごくメルヘンー!」
大喜びで叫んでから、総司は土方をふり返った。ぎゅっと彼の腕に抱きついた。
「ありがとう、土方さん。つれてきてくれて、ありがとうね♪」
「あぁ。喜んでくれて嬉しいよ」
土方は優しく微笑み、総司の艶やかな髪を撫でてやった。
もともと新婚旅行と云い出したのは土方だったが、それに「北海道に行きたい!」とおねだりしたのは総司だった。
土方などは海外の南の島でバカンスと考えてもいたのだが、総司の希望が最優先されるのは当然のことだ。
飛行機が無事旭川空港に着くと、土方は手配しておいたレンタカーを回してきた。これまた総司がおねだりしたRV車のラフェスタだった。
「ほらほら、天井が一面ガラス張りー!」
さっそく助手席に乗り込んだ総司は、きゃあきゃあ声をあげて喜んだ。
そんな可愛い恋人の様子にキーを差込みながら、土方は苦笑した。
正直な話、いつも排気量3000のTTに乗っている土方からすれば、ラフェスタクラスの車では物足りないぐらいなのだが、これも可愛い総司のため、馴れないRV車を乗り回す事にした。
ゆっくりと車を滑り出させていきながら、土方はまだ天井ばかり見上げている総司にちらりと視線をやった。
「空ばっかり見ててどうするんだ」
「だって、すっごく綺麗なんだもの。ね、土方さんもそう思わない?」
「運転してて、見れるはずがねぇだろうが」
「じゃあ、あ……ほら! 赤信号!」
赤信号で車が停まったとたん、総司は土方の腕をひっぱり上を見上げさせた。二人一緒にガラスごしに北海道の真っ青な空を見上げた。
街路樹の緑がさわさわと揺れる。
その向こうに広がる青く澄みわたった空に、土方も気持ちがふわっとリラックスするのを感じた。
「……そうだな、綺麗だな」
「ね?」
にっこり笑いながら彼の顔を覗き込んでくる総司が、まためちゃくちゃ可愛い。
土方は小さく笑い、総司の項を掴んで引き寄せると、ちゅっと音をたてて唇にキスしてやった。
「!」
真っ赤になってしまった総司の頬を撫でてやりながら、甘ったるい声で囁いた。
「……とても綺麗だよ」
「ひ、土方さん……っ」
慌てて総司は彼を突き放し、叫んだ。
「信号! 信号、もう青ですよ」
「はいはい」
土方はくすくす笑いながら、アクセルを踏み込んだ。
初めて運転するメーカーのRV車だが、もう馴れてしまったらしい。
難なく車を走らせてゆく土方を見ながら、総司はすごいなぁと思いつつ、これからの旅行を思って幸せそうに微笑んだのだった。
まずは総司ご希望の旭山動物園だった。
夏休みが終わったところで平日だからか、思ったより混んでいなかった。車もスムーズに停めれたので、総司は一安心した。
「土方さん、早く早く」
まるで子供のように叫ぶと、総司は駆け出した。
柔らかな髪が揺れ、生き生きと輝く大きな瞳が彼をふり返って笑いかける。
真っ青な空の下、華奢な躯をつつむベビーピンクのシャツがふわっと風にひろがり、まるで天使の翼のようだった。
それに目を細めながら、土方はゆっくりと後を追った。
まずは、お目当ての北極グマを見に行った。
ところが、ちょうど大人気のもぐもぐタイムにあたったらしく、ガラス前はもの凄い人だかりだった。
「……これじゃ見えない」
総司はあちこち走り回り、一生懸命背伸びしてみたが、やはり見えなかった。
がっかりして俯いてしまう。
白クマが見たかったのに、どう頑張っても見えないのだ。子供みたいだと自分でも思ったが、思わず唇を噛んでしまった。
その小柄な躯が不意に、ふわっと抱きあげられた。
「え?」
突然の浮遊感に目を見開くと、土方が総司の躯を両腕に抱きあげていた。たて抱きでもちあげてくれる。
もともと183pある土方が、総司を抱き上げたのだ。
見事なほど視界が広がった。
「わぁ!」
思わず歓声をあげた総司に、土方は笑った。
「見えるか?」
「はいっ、すごく見えます」
嬉しそうに笑い、土方の首に両腕をまわした。ちょっと小首をかしげ、彼の黒い瞳を覗き込んだ。
「重くない?」
「全然、すげぇおまえ軽いしな。それより……ほら、始まるみたいだぞ」
「あ、はい」
総司は慌てて白クマに視線を戻し、じいっと見つめた。
その真剣で子供っぽい表情に、土方は思わず微笑んだ。
何にでも一生懸命で好奇心いっぱいの総司が、たまらなく可愛かった。
総司のためなら、どんな事でもしてやりたかった。
世界中の誰よりも、幸せにしてやりたい……。
やがて、もぐもぐタイムが終わると、白クマのガラス前は人もまばらになった。
そっと抱きおろしてやると、総司は大喜びでガラス前に駆け寄った。とたん、白クマが柱に隠れ、こちらをじっと覗き込んでくる。
「可愛い!」
総司は両手を叩いて喜んだ。にこにこしながら、土方を見上げる。
「ね? まるでかくれんぼしてるみたいですね」
「まぁな。けど、おまえ、知ってるのか?」
「え?」
きょとんとした総司を、土方は悪戯っぽい瞳で見下ろした。
「この白クマはおまえを喰いたくて、あぁして狙ってるんだぞ」
「えぇっ!?」
総司は大きな瞳をまん丸にし、白クマの方をふり返った。相変わらず白クマは総司の方をじっと見ている。
それに、総司は慌てて土方の背の後ろに隠れてしまった。ぎゅっと彼のシャツを掴んでしがみつく。
「おいおい」
苦笑する土方に、総司はふるふるっと首をふった。
「だって、食べるだなんて……怖い」
「可愛いって云ってたのは、どこの誰だ?」
「ぼくだけど……土方さんの意地悪」
つやつや桜色の唇を尖らせた総司に、土方は喉を鳴らして笑った。
そっと総司の細い肩を抱いてやり、そのブースから離れながら耳もとに囁いた。
「おまえを食っちまえるのは、俺だけだよ」
「──?」
一瞬、意味がわからなかったらしく、総司は訝しげな表情で彼を見上げた。が、すぐに、ぼんっと耳柔まで真っ赤になると、土方の手の甲をきゅーっと抓った。
「土方さんの……えっち」
「痛いな。けど、おまえ、どういう意味にとったんだ?」
「もう……知りませんっ」
総司は頬を薔薇色に染めたまま、さっさと歩き出した。だが、それでも彼が追って来てくれているか、時々ふり返って確かめてるところが可愛らしい。
次に行ったのはあざらし館だった。丸い筒上のガラスをあざらしがぷかぷか行ったり来たりしている。
総司はガラスの前で、じーっとそれを見つめた。
土方は反対側からそれを眺めている。
熱心にあざらしばかり見ているかと思えば、時々、総司は彼にむかって手をふってみせた。
すると、何を思ったのか、くるりとあざらしが彼の方をふり返ったのには、驚いてしまった。
くすっと笑った土方に、総司も幸せそうに笑った。すぐさま駆け寄ってきて、彼の腕に手を絡めてくる。
「ね、見ました? あざらし、あなたの方をふり返ってましたよ」
「たまたまだろ」
「ううん、絶対あなたを見てたんですよ」
「おまえみたいに?」
黒い瞳で覗き込んだ彼に、総司はちょっと頬を紅潮させた。そのまま土方の腕に頬を寄せ、こくりと小さく頷いた。
いつだって、二人はお互いを見つめているのだから───
それからも、あちこちの動物を見て回ったが、総司も、さすがに少し疲れてきたようだった。土方は時計にちらりと視線をやった。
「お茶にでもするか」
「あ、じゃあね!」
とたん、ぴょんっと元気になり、総司が叫んだ。
「プレーンソフトクリームがいいです。すっごくおいしいって評判で」
「それでお茶した事になるのか?」
「何云ってるんですか! 北海道に来たらソフトクリーム! これが定番でしょう?」
「ふうん」
甘いもの大好きな総司を相手にここで言い争っても仕方ないと、土方は肩をすくめておくにとどまった。
結局、ベンチの一つに並んで腰掛け、そのプレーンソフトクリームを幸せそうに食べる総司の傍、土方は紙コップの珈琲を飲んだ。
桜色の舌でぺろぺろとソフトクリームを舐めながら、総司は小首をかしげた。
「土方さんも買えばよかったのに」
「俺が甘いもの駄目なのは知ってるだろ? そんなもの一個食えると思うか?」
「すっごく濃厚な牛乳の味がして、おいしいですよ。ね、一口だけ食べません?」
「いらな……」
云いかけ、土方は不意に周囲からチラチラ向けられる視線に気がついた。
行きかう男たちの大半が、可愛い笑顔でソフトクリームを食べている総司に、熱い視線をむけていくのだ。わざわざ何度もふり返る輩までいる。
「……」
土方は思わず、総司の姿を上から下まで見直してしまった。
柔らかな髪に、大きな瞳。ふっくらしたなめらかな頬に、桜色の唇。
若鹿のように小柄で華奢な躯に、少し大きめのピンク色のシャツを纏い、下はジーンズの短パンを履いている。
甘い花のように艶めかしく瑞々しいその姿は、男が皆ふり返って当然の可愛さだった。
(……もう少し地味な格好をさせた方が良かったかな)
端正で華のある容姿をもつ自分への、女たちからの熱い視線など全く気づかぬまま、嫉妬と独占欲で頭をいっぱいにしてしまった男は短く舌打ちした。
それに、え?と総司が小首をかしげる。
「土方さん?」
「いや、何でもねぇ。……あぁ、一口もらうよ」
「ほんと?」
総司が嬉しそうにスプーンでクリームをすくい、さし出した。
それを食べた土方は、優しく微笑んでみせた。
「うまいな」
「でしょっ?」
総司はにこにこしながら、またソフトクリームを食べ始めた。
そんな恋人の姿を土方はじーっと見ていたが、不意にくすっと笑った。
「クリームついてる」
「え?」
慌てて拭おうとする総司の手を、土方は柔らかく掴んだ。そのまま身を乗り出すと、唇の端についたクリームをぺろりと舐めとってやった。
「!!!」
総司の目が大きく見開かれ、慌てて男を突き放した。それでもソフトクリームは落とさないよう握りしめてるあたりはさすがだ。
「な、ななな……っ」
公共の場でのキス(ほとんどそれに近い)に呆然としている総司に、土方は綺麗な顔で笑ってみせた。
濡れたような黒い瞳に悪戯っぽい笑みをうかべ、形のよい唇の端をちょっとだけつりあげて。
誰もが思わず見惚れてしまう、魅力的な笑顔だ。
そうして笑いながら、全然懲りてない男はわざと甘く掠れさせた声で云った。
「クリームより、おまえの唇の方が甘くてうまいな」
「土方さんの……ばかっ」
総司はそう叫ぶと、後は背をむけてソフトクリームをせっせと食べ始めた。それに、土方はしばらく喉奥で笑っていたが、やがて悠然と足を組みなおし、珈琲を飲みはじめたのだった。
もちろん、その後。
旭山動物園を出るまで、周囲の男たちが総司に声をかける事はおろか、半径2メートル以内に近寄れる事さえ、全くなかった……。
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