とろけるような
甘い甘いチョコレート
極上のスイーツ
だけど、でも
世界中には
もっともっと甘いものがあるの
それはね……
「えぇっ!?」
総司は驚いて、思わず叫んでしまった。
慌ててカレンダーを見たが、何度見てもまだ1月も初めだ。
言うなれば、門松がようやくとれたばかりのお正月明け!
なのに、どうして!?
「どうして、もう定員オーバーになっちゃってるのですか!?」
そう叫んだ総司に、受付の女性は申し訳なさそうに微笑んだ。手元の書類に視線を落としながら、答える。
「この教室はとっても人気があるから、いつも前年のうちには満員になってしまうのよ」
「……」
「何しろ、人気パティシエ、マサコさんが自ら教えるバレンタインケーキだから、もう超人気で。本当にごめんなさいね」
そう云われれば、どうしようもなかった。
総司はしゅんとなって、俯いた。
「……」
昨年のバレンタインは、正直な話、さんざんだった。
磯子と一緒にブラウニーを作ろうとして、大失敗してしまったのだ。挙げ句、その焦げたチョコを土方に食べてもらう事になってしまって──
今思い出しても、申し訳ないやら恥ずかしいやらで、総司にとって一生ものの悔恨バレンタインだった。
だからこそ、今年はかなり考えたのだ。
また磯子とチョコを作るのもいいなぁ……と思ったのだが、土方には永倉の家へ二度と行くな!と怖い顔で厳命されている。
となれば、おいしいチョコケーキをつくって、彼にプレゼントするためには、たった一つの方法しかなかった。
総司は料理が好きでなかなか上手だが、お菓子だけは、それ程数をこなした事もないので、あまり自信がない。
だからこそ、この評判の高い教室へ申し込むにしたのだが……
(……でも、満員じゃ仕方ないよね。別の教室を探そうかな)
総司は前向きに考える事にし、顔をあげた。
「お世話かけました」
と、ぺこりと頭を下げて出て行こうとする。
その総司の背に、声がかけられた。
「あ、ちょっと待って」
「え?」
ふり返ると、受付の女性は身をのりだし、にっこりと笑った。
「あのね、バレンタインのチョコをあげる相手は、片思い? 両想い?」
「え……えぇっ?」
「いいのよ、照れなくて。こんなに可愛いんだもの、彼氏いるのでしょう?」
えらく突っ込んだ事を聞いてくる彼女に、総司はちょっと躊躇った。
彼氏なんて云っていいのだろうか?
男であるぼくに、彼女でなく彼氏がいると認めちゃって、変な目で見られないのかな?
そう思ったが、結局は嘘をつく気もなれず、こっくりと頷いた。ぽっと頬が仄かに火照っている処が、まためちゃくちゃ可愛らしい。
それに、女性はうふふ♪と笑った。一枚の紙をひらりと差しだしてくる。
「じゃあね、この教室なんかどうかしら? まだ少しだけ定員空いているんだけど、さっきの教室と同じパティシエが教えてくれるから、こっちも人気なのよ〜」
「ほ、ほんとですか!?」
総司は慌ててカウンターへ駆け戻り、その紙を受け取った。
大きな瞳で、じいっと見つめる。
そして。
「…………え?」
きょとんとした表情で顔をあげた総司に、女性はにっこりと笑ってみせた。
「らぶらぶカップルのための、甘い甘いバレンタインお菓子づくり教室ぅぅ〜っ?」
チラシに書かれた長ったらしい名前を読み上げた藤堂は、明らかに引き攣った顔で総司を見た。
ここは、大学近くのカフェである。
ちょうどお茶の時間という事もあり、わりあい混んでいた。おいしいケーキが評判のカフェは、まるで白雪姫の七人の小人の家みたいな内装で、とっても可愛らしい。
つやつやした木製の椅子に腰かけた総司は、だい好きな紅茶のシフォンケーキにたっぷり生クリームをからめながら、こっくり頷いた。
「うん。長い名前でしょ?」
「な、名前じゃなくて……これが、オレに頼みたいことな訳っ!?」
「そうなんだ。だって、カップルって書いてあるのに、ぼく一人で参加できる訳ないじゃない」
「ちょっ……待ってくれよ!」
慌てて、藤堂はチラシを握りしめ叫んだ。
「何で、オレが総司と一緒にこの教室に参加しなきゃならないんだ!」
「だから、何度も云うように、カップルなのに、ぼく一人じゃ無理だし。それに、向こうの人、ぼくのこと女の子と間違えてるから……」
「じゃなくて! その相手が何で、オレ!?」
「適当だからじゃない?」
そう答えたのは、総司でなく、藤堂の隣の席でパンケーキにメープルシロップをかけている磯子だった。
おいしそ〜♪と目を輝かせた総司に、「あ、食べます?」などと、フォークであーんを彼氏(この場合、藤堂)の前で堂々とやってのける強者だ。
「て、適当って……」
「だって、一番声をかけやすいのが平ちゃんだった。そうでしょ?」
「うん。ごめんね、平助」
「謝られても……けど、こういうのは当の本人と行けばいいんじゃないのか? 土方さんとさ」
藤堂の言葉に、総司はうーんと小首をかしげた。ケーキをぱくりと食べてから、答える。
「それはそうなんだけど……でも、それじゃバレンタインにならないでしょ」
「去年の事があるからですか? 秘密にできなかったから、今年こそは! って事ですよね」
「うん。目の前でチョコケーキ作るどころか、これじゃ土方さんにも手伝ってもらう訳でしょう? なんかあげる意味がないような……」
「そうかなぁ。オレだったら、嬉しいと思うけど」
「あーら」
とたん、磯子がきらりーんと目を光らせた。
「だったら、平ちゃんは、あたしとケーキ作れるの? あたしの指示どおり、やれるって事なの?」
「い、いえ。それは……遠慮させて頂きます」
磯子にこき使われまくる菓子づくり惨状を想像した藤堂は、慌てて首をふった。
そんな二人の前で、総司ははぁっとため息をついた。
「やっぱり、駄目かなぁ。この教室……」
「悪いけどね、オレも命が惜しいの」
「そんな大げさな」
「だって、土方さんにバレたらどうなると思う? 今までさんざんヤキ入れられてやるって脅されてきたオレだよ、こんな事したらマジで半殺し」
ぶるぶるーっと身震いした藤堂に、磯子がにんまり笑った。
「そりゃ、平ちゃんも、バンバンバーンッなぁんて──狙撃練習の的にされたくないわよねぇ」
「いっちゃん、あのね……」
がっくりきている藤堂の傍で、総司はしゅんとなった。
「じゃあ、諦めなきゃ駄目ってこと?」
きゅっと桜色の唇を噛みしめ、涙をためた大きな瞳でじいっとチラシを見つめている。
そのいたいけで可愛らしい姿に、藤堂と磯子は思わず顔を見合わせた。しばらく黙っていたが、やがて、磯子が不意に「あ!」と声をあげた。
ぽんっと手を打ちあわせる。
「そうよ! 適任がいるじゃない!」
「え?」
顔をあげた総司に、磯子はにっこりと満面の笑顔をむけた。
「軟弱者の平ちゃんと違って、土方さんにしっかり対抗できる人が」
「???」
「しかも、総司さんの云うことなら、なーんでも聞いてくれる人! ほら、あの、えーと……何ていったっけ……」
「…………あ」
総司も、すぐにその人物が思い当たったようだった。
どっちにしろヤバくない?という顔の藤堂をよそに、二人してこくこく頷きあう。
「そうかぁ、あの人に頼めばいいんだぁ〜」
「そうそう」
「絶対、引き受けてくれるわよ! だって、総司さんからの頼みなんだもの!」
「うん♪」
総司は嬉しそうに笑うと、チラシをきゅっと胸に抱きしめたのだった。
……さて、その人物とは?
それは徹夜明けの事だった。
ぐったり疲れ切った気分で駅から官舎へ歩いていた彼は、途中、コンビニの前を通りかかり、ふと気がついた。
(……そうだ)
冷蔵庫には何もなかったというか、干涸らびたネギしか転がっていなかったはず。せめて、弁当とかインスタントラーメンとかを買って帰るべきだろう。
などと思いつつ、彼はコンビニの扉を押した。とたん、中から出てきていた少年とぶつかりかける。
「あ、ごめん……」
律儀に謝った彼に、明るい声がかけられた。
「斉藤さん!」
「え?」
どうして、気づかなかったのか。やはり、徹夜明けでぼけていたのか。
よくよく見ると、そこにいるのは、ずーっと報われぬ片思いの相手、総司だった。つやつやした桜色の唇に笑みをうかべ、大きな瞳で斉藤を見上げている。
「どうしたんです、こんな時間に」
「三日連続の徹夜明けだよ。さすがに帰ってきた」
「ふうん……もしかして、今から食事?」
「あぁ」
「じゃあね、うちで食べます?」
にこにこと可愛い笑顔で誘う総司に、斉藤はぴくっと顔を引き攣らせた。
「ま、まさか! あの試食会とか……っ」
「やだなぁ、違いますよ」
総司はくすっと笑った。
「昨日の晩ご飯の残りだけど、肉じゃがです。土方さんも昨日食べて、おいしいって云ってくれましたよ♪」
「ならいいけど……」
思わず疑ってしまった自分をちょっとだけ恥じながら、斉藤は呟いた。そして、ね?と見上げてくる総司に、頷く。
何も買わずにコンビニを出た斉藤は、歩き馴れた官舎への道を行き、予定どおり土方と総司の愛の巣へと招き入れられた。
相変わらず、ここは、らぶらぶバカップル〜♪な雰囲気に満たされている。というより、充満しきっている。
(……空気中にまで、ハートマークが飛び交ってると感じるのは、気のせいか)
などと心の中で呟きながら、斉藤はコートを脱ぎ、椅子に腰かけた。
ちょっとまだびくびくしていたが、目の前に出されたのは、ごく普通の肉じゃが。ほくほくして、とてもおいしそうだった。
「……いただきます」
斉藤はきちんと手をあわせて頭を下げてから、食べ始めた。
「たくさん、食べて下さいね♪」
総司はにこにこしながら白いご飯と、味噌汁、胡瓜の酢の物まで出してくれた。いやに、サービスがいい。
だが、徹夜明けで疲れ切り空腹だった斉藤は、もはや疑う事さえしなかった。総司のおいしい手料理をぱくぱくと食べてしまう。
若い男の旺盛な食欲のまま、楽しくおいしい食事をすませた。
箸を置いた斉藤に、総司が「はい」とすかさず熱いお茶をさし出してくれた。
それを受け取り、すすりながら云った。
「ごちそうさま。とてもおいしかった」
「良かったぁ。斉藤さんにそう云ってもらえて、ぼくも嬉しいです」
にっこり可愛い笑顔で、総司は答えた。そんな少年に、斉藤はちょっとくらくらするものを覚えた。
めちゃくちゃ可愛い!
ふわっとした白いセーターを来ている姿がウサギのようで、恐ろしいほど似合っていた。なめらかな頬は淡いピンク色で、大きな瞳をきらきらさせている。
こーんな「狼さん、食べて下さいね〜♪」状態の可愛いウサギちゃんが恋人では、あの土方さんが我慢できるはずもないよなぁ。このオレだって……
などと、つい思ってしまい、斉藤は慌ててぶんぶんと首をふった。
そんな斉藤に、総司が頬杖をついた。ちょっとだけ身を乗り出してくる。
「あのね、斉藤さん」
「え?」
「お願いがあるんだけど」
「…………」
とたん、斉藤は固まった。
まさかまさか、この後、あの試食会が行われると云うのだろうか。
おいしい肉じゃがで油断させておいて、さぁ、次は「デザートでぇーす♪」とか何とか云いながら……
(冗談じゃないぞ!)
思わず、斉藤は中腰になってしまった。椅子は完全にひいていいる。
「総司、悪いがもう腹いっぱいで」
「え?」
「申し訳ないけど、徹夜明けで早く休みたいし」
「あ、でも」
総司は大急ぎでテーブルを回ってくると、斉藤の傍にぴとっとくっついた。腕に手をかけてくる。
「だけど、ちょっとだけ」
「いや、本当に申し訳ないけど」
「ちょっとだけ駄目? お話だけでも聞いて欲しいんだけど」
「悪いが……え?」
半ば出ていきかけていた斉藤は、総司の言葉に思わずふり返った。聞き返す。
「話?」
「そう。斉藤さんにね、相談事があるんです……」
「……」
たちまち、斉藤は悔恨のみちた表情になった。一見冷たく見えても実は気の優しいその胸いっぱいに、後悔と罪悪感がこみあげる。
いつもいつも、総司の力になってやりたいと願っているのに。なのに、早とちりで、とんでもない事をしてしまう処だったのだ。
勇気をふり絞ってオレを頼り、相談しようとしてくれた総司を拒絶するなんて!
あぁ、オレはなんて酷い事を……!
「総司!」
斉藤は総司の手をがしっと掴んだ。その綺麗な顔をのぞきこみ、優しい声で云ってやる。
「云ってごらん? おまえの相談なら、何でも聞いてやるよ」
「何でも? 本当に?」
とたん、総司の顔がぱっと輝いた。
それを全く不審に思うことなく、斉藤は力強く頷いた。
「あぁ、おまえの力になれるなら」
「嬉しい! だから、斉藤さんってだい好きなんです!」
男の腕を両手で抱きしめながら、総司は甘ったるい声で云った。ここがまた小悪魔ポイントなのだが、斉藤は気づいてない。
優しく促してやった。
「で? 相談って、何なんだ?」
「うん! あのね」
総司はうきうきとした様子で、その「相談事」を話した。
「ぼくと一緒に、お菓子作り教室へ行って欲しいのです」
「え?」
「だから、お菓子作り教室。いいでしょう?」
小首をかしげながら訊ねてきた総司に、斉藤はほっと息をついた。
どんなすごい相談事なのかと身構えていたので、思わず気が抜けてしまったのだ。そこにふかーい落とし穴があるとも知らずに。
「何だ、そんな事か」
「うんうん、とっても簡単な事なんですよ」
「それぐらいだったら、いいけど。時間あうかな」
「斉藤さんに合わせます。この日程表の中から選んでね」
そう云うと、総司はいそいそと一枚の紙を持ってきた。何やら、ピンク色の可愛らしいちらしだ。
ふーんと頷きながらそれを受け取った斉藤は、とたん、絶句した。鳶色の瞳を見開き、愕然とした表情でそれを凝視している。
やがて、絞りだすような声で呼びかけた。
「……そ、そ、総司……っ」
「はい?」
「これ、これ……!」
「あ、知ってます? 斉藤さんもこのパテシィエ知ってるんだ。とってもおいしいお菓子を作るって評判で……」
「そうじゃなくて! このチラシの題名だっ!」
思わず叫んだ斉藤は、そのチラシをばっと総司にむかって突きつけた。それに、総司が小首をかしげる。
「え? なぁに?」
「なぁにじゃなくて、見ればわかるだろ! ここ! ここに書いてある題名!」
「もちろん、見えますよ」
総司はにっこり笑うと、元気よく答えた。
「らぶらぶカップルのためのあまぁいバレンタインお菓子づくり教室!」
「〜〜っ」
思わず斉藤はフローリングの上にしゃがみ込んでしまった。ぶるぶる震える手でちらしを握りしめている。
「? 斉藤さん?」
不審に思った総司が傍に膝をついて覗き込むと、何やらぶつぶつ呟いていた。
「……やっぱり、おかしいと思ったんだ。肉じゃがだけでなく、胡瓜の酢の物まで出てきた段階で気づくべきだったのに。SATで鍛えたオレの危険回避能力も、もう失われてしまったのか……」
「斉藤さん? 何を一人でぶつぶつ云ってるの?」
不思議そうに問いかけた総司は、斉藤の傍にぺたんと坐り込んだ。
ねぇ?と小首をかしげると、柔らかな髪がさらりと揺れた。その間から覗くまっ白な耳朶が可愛い。
思わずそれに目を奪われてしまった斉藤に、総司はにこやかな笑顔をむけた。
「ね、斉藤さんはいつがいいの?」
「……行かない」
「え?」
「オレは絶対に行かない!」
斉藤はすっくと立ち上がると、決意を固めた表情で総司を見下ろした。きっぱりした口調で云いきる
「肉じゃがまでご馳走になってて悪いが、オレはそういうものには行けない。行く気もない。オレは土方さんじゃないし、おまえの恋人でもないから、カップルの菓子作り教室になんか行く義理は……」
そう滔々と云いかけた斉藤は、不意に言葉を途切らせてしまった。
床の上にぺたんと坐り込んだまま斉藤を見上げていた総司の大きな瞳から、ぽろぽろーっと大粒の涙がこぼれ落ちたのだ。
呆然と見下ろす間に、弱々しく細い肩を震わせ、しくしく泣きはじめた。
「……行ってくれるって、さっき云ったのに……っ」
総司は可憐に泣きじゃくりながら、訴えた。
「一緒に行くって約束してくれたから、すごく嬉しかったのに……っ」
「え、いや。それは」
「斉藤さんは……嘘つかないって思ってたのに、なのに、やっぱり違うんだ。信じたぼくがバカだったんだ……」
「総司。それは違うんだ。嘘とかじゃなくて、その」
「義理だなんて、ぼくとのおつきあいも義理だったんだ。斉藤さんは、ぼくの友達だと信じていたのに、なのに……っ」
「え、えぇっ!? 義理って、おまえとのつきあいが義理のはずないだろ!」
慌てて斉藤は跪き、総司の手を固く握りしめた。だが、総司は泣き濡れた瞳のまま、ふいっと顔をそむけてしまう。
「だって……さっき、義理って……」
「だから、それは菓子教室に行くことで」
「でも、さっき、一緒に行くって約束してくれたのに」
「それはそうなんだが……」
「斉藤さんは……」
不意に、総司は斉藤を見上げた。うるうるっと潤んだ瞳で、縋るように彼を見上げてくる。
桜色の唇が、甘く掠れた声で訊ねた。
「ぼくと一緒……いや……?」
「!」
斉藤は総司を抱きしめたい衝動にかられてしまった。
自分の腕の中に、この華奢で可憐な想い人の躯をおさめたい! だが、そんな事をすれば、バンジージャンプよりも恐ろしい事態が待ち受けているのは、よーくわかりきっていた。
そのため、懸命に押さえ込みつつ、答えた。
「ま、まさか! そんないやだなんて」
「じゃあ……ぼくと一緒なの…いい……? 構わない……?」
「もちろんだ」
斉藤は思わず頷いた。それに、総司の涙をうかべた瞳が一瞬きらりと光ったのに、気づくことはない。
「じゃあね……一緒に…行ってくれる?」
「あぁ」
そのとたん、だった。
「やったぁ! ありがとう!」
総司はぱっと顔を輝かせると、立ち上がった。ささっと床上に落ちていたチラシを拾い上げ、「はい♪」とさし出してくる。
その可愛い笑顔を見れば、さっきのは嘘泣きか!?と突っ込みたくなるのだが、当の斉藤はただもう呆然しているばかりだった。
「……」
何度も何度もはめられてきたのに、あぁ、なんて学習能力のないオレ!
あの可愛い顔に、涙に、甘ったるい声に、またもや墓穴をほってしまった。いや、墓穴の底へどーんっと突き落とされてしまったのだ。
「日にち決めて下さいね!」
元気いっぱいの声で云ってくる総司を前に、斉藤はもう黙って頷くより他なかったのだった……。
あっという間に日も過ぎていき。
2月に入ると、街はもうバレンタイン一色になった。赤いハートの飾り付けがあちこちでされ、街がまた違った感じに見える。
「今年は俺も渡そうか?」
そう訊ねられ、総司はびっくりした。
驚いた顔で、傍に立っている土方を見上げてしまう。
百貨店の特設会場の前だった。まだ2月も始めだし平日だという事もあって、それほど混んではいない。
だが、バレンタインの飾り付けがされた最前のショーケースには、幾つかのチョコがならんでいて、とてもおいしそうだった。可愛らしいのやら綺麗なのやら、綺麗にラッピングされた中、きらきらとまるで宝石のように輝いている。
それをおいしそ〜と見つめていた総司に、土方が不意に云ったのだ。
「俺も渡そうか?」
と。
「え、だって……何か変ですよ」
総司は小さく笑ってみせた。
「ぼくが土方さんから貰うなんて、何だかおかしい」
「そうかな。最近は、自分用だと買う女性もいるらしいぞ。おまえも欲しいのがあるんじゃねぇのか?」
「ん……それはそうなんだけど」
「色々と見てみろよ。欲しいのがあったら、俺が買ってやる」
そう云って促す土方に肩を抱かれ、総司はおずおずとバレンタイン会場へ入ってみた。が、たちまち後悔してしまう。
売り子の女性店員たちが皆、彼の方ばかりをふり返ってゆくのだ。羨望と嫉妬の視線まで感じ、総司は思わず身をすくめた。
いつもいつも思ってしまうのだが、彼の傍にいるのが美しい女性でなく、こんな男の子であること、周囲の人々はどう思っているのだろう? 絶対、不相応だと思われているに違いなかった。
(……だって、こんなに格好いいんだものね)
総司は店員からチョコの説明を聞いて、微笑んでいる土方の端正な横顔を見上げた。
コートを腕にかけ、紺色のセーターにジーンズを長身に纏っている。引き締まった躯つきで、シンプルな装いがよく似合っていた。
オフなので、無造作に流されただけの艶やかな黒髪。それを時折、かきあげるしなやかな指さき。
店員の説明を聞きながら、総司の方にむけられる切れの長い目。その濡れたような黒い瞳。形のよい唇にうかべられた、優しい笑み。
何もかも格好よくて、見慣れてるはずなのに、どきどきしちゃうぐらいで────
「……総司?」
ぼーっと見惚れてしまっていたのだろう。
気がつくと、土方が訝しげに顔を覗き込んでいた。そっと肩を抱き寄せられる。
「どうした、ぼんやりして」
「え……あ、ごめんなさい」
「別に謝る事はねぇが、疲れたのか? 少し休もうか?」
「ううん、大丈夫です」
総司は慌てて首をふり、少し離れた処にあるショーケースへ視線をやった。とたん、「あ」と声をあげてしまう。
「? 総司?」
小首をかしげる土方から離れ、総司はその店先へと駆け寄った。ショーケースの中、可愛らしいチョコやケーキが沢山ならべられている。
やはり、思ったとおりあのパティシエの店だった。総司が斉藤と菓子つくり教室で教わる予定の。その証に、教室のポスターが後ろの壁に貼られてある。
「へぇ、女性のパティシエか」
歩み寄ってきた土方が小さく呟いた。それに、はっと我に返った。
見上げると、黒い瞳でじっと見下ろされた。
「おまえ、ここのケーキが好きなのか?」
「う、うん! とってもおいしいから」
慌てて答えた総司に、土方は視線をショーケースへ戻した。それから、ふと気づいたように後ろのポスターへも目をやる。
「菓子づくり教室? そういうのもやってるのか」
「み、みたいですね」
「バレンタインにカップルで? 最近は男も大変なんだな」
くすっと笑い、土方は総司の肩をまた抱き寄せた。内心びくびくしている総司に気づかぬまま、訊ねてくる。
「で? おまえはどのケーキが好きなんだ?」
「え……あ、いいですよ。ここのすごく高いから」
「いいって。食いたいもの、云ってみろよ」
「だって……」
「後で、ちゃんとお礼は貰うから」
「え?」
きょとんとした総司に、土方は綺麗な笑顔を見せた。それにまたぼーっと見惚れていると、耳もとに唇を寄せられ、そっと甘ったるい声で囁かれた。
「……ケーキより甘いおまえ」
「え」
「後で、ちゃんとお礼に食わせてくれよな」
「ぇ…え……あっ」
男の言葉の意味を理解したとたん、総司はぼんっと音が出そうなほど真っ赤になってしまった。耳朶まで真っ赤にし、恥ずかしそうに俯いてしまう。
そんな恋人に、土方は低く笑いながら身を起こした。
そして、結局。
ケーキを買ってもらったその日の夜、総司は、恋人である男においしく頂かれてしまったのだった。
さてさて、2月14日。
バレンタイン当日である。
今年は平日のため、土方も警視庁でいやになるほどチョコ攻勢に追い回されていた。何しろ、独身で端正な容姿をもち、出世間違いなしのキャリアだ。婦警などにもてまくって、当然の事だろう。
それを何とか振り切り、ふり切れなかったものは全部きっぱり断り、昼食をとるため食堂へとたどり着く。
「よう、色男さん」
本日のA定食をトレイにとっていると、後ろから声がかけられた。ふり返ると、永倉が立っていた。
にやにや笑いながら、話しかけてくる。
「大変そうだったねぇ。追い回されてるの、見てたよ」
「見てたなら、たまには助力してくれ」
「そんな事したら、こっちが恨まれるぜ〜」
肩をすくめ、永倉もトレイにA定食をとった。二人して席につき、食事を始めながら言葉をつづけた。
「けどさ、あんたも大変。受け取れば受けとったで、総司くん怒るものな」
それに、土方は小首をかしげた。
「いや、怒らねぇだろうよ」
「嘘だろ」
「本当だ。怒らないが、ショックを受けて部屋の片隅で泣いてるタイプだ」
「……それって、過去の経験に基づく予測って奴?」
「あぁ。去年も俺が受け取ったと云ったとたん、泣き出した」
「あんた、去年、受け取ったのか!?」
「総司自身からな」
「……あんた、性悪すぎ」
「お互い様だ」
永倉は「ちがいね〜」と首をすくめた。本日のA定食に視線を戻すと、きのこハンバーグを箸で切り分ける。
しばらくの間、二人は黙々と食事をとっていたが、やがて、土方がふと気づいたように顔をあげた。、
「そう云えば、斉藤と島田は?」
「あ、島田はまだ出先から戻ってきてねーけど、斉藤は早退だって」
「斉藤が早退? 珍しいな」
土方は訝しげに眉を顰めた。
それに、永倉がにやにや笑った。
「ま、オレの予想が正しければ、たぶんあれだな」
「え?」
「バレンタインチョコのお菓子づくり教室だよ。何でもさぁ、カップルで作る教室ってのがあるんだって。で、それに、斉藤が参加するって聞いたんだ」
「それって……マサコとかいうパティシエの教室じゃねぇのか?」
「何だ、土方さん、知ってるんだ」
永倉はちょっと安堵したように、頷いた。
「そうだよ。すげぇ人気だって。シングルじゃもういっぱいで、カップルの方でなきゃ参加できないらしいと、磯子の奴が云っててさ。で、斉藤が参加する事になったんだ」
「? 何で斉藤が?」
思わず、土方は小首をかしげた。
「藤堂とかいう子がいるだろ? それに、磯子ちゃんはたいして斉藤と面識もねぇはずだし」
「あぁ、違う違う。磯子じゃない。斉藤が一緒に菓子づくりするのは……」
云いかけ、不意に、永倉はハッと我に返った。
危うく口をすべらせる処だったのだ。慌てて土方の方を見たが、彼は何ら変わりない様子で食事をつづけている。
それに、ほっとして永倉は胸を撫でおろした。とたん、土方が口を開く。
「……それで?」
「え?」
「一緒に菓子づくりするのは?」
(……げっ)
永倉は思わず絶句してしまった。
ゆっくりと顔をあげた土方の切れの長い瞳は、底光りさえしていたのだ。何一つ見逃さねぇぞ!と云わんばかりの様子で、じっと永倉を見据えている。
形のよい唇がつりあがり、冷ややかな笑みをうかべた。
「ほら、答えろよ。斉藤と一緒に教室へ行くのは?」
「……う。あ、えーと……」
「磯子ちゃんじゃねぇのに、磯子ちゃん経由で情報がまわってきたんだ。自然と、範囲も絞られてくるよな。まさか、藤堂って訳がねぇし、となると……」
「…………」
たらたら冷や汗かきながら沈黙する永倉に、土方は食事用ナイフをぐいっと突き出した。もちろん、食事用のものなのでたいした鋭さもないが、彼が使うとなればこれも十分な武器になるだろう。
永倉は、身の危険をひしひしと感じてしまった。
それも警視庁の食堂で! 同僚刑事相手に!
恋にとち狂った男は恐ろしく勘がいい上に、制御不能の危険ぶりなのだ。
「……おら、さっさと吐け。新八」
凄味のある声で脅しまがいに(いや、立派な脅しです)云ってくる土方を前に、永倉はあっさりと降参した……。
後編へ 長いお話へ戻る 「かくれんぼの恋」の扉へ戻る