「──総司!」
 土方はバンッと拳を窓ガラスに叩きつけ、叫んだ。
 怒りのあまりか、切れの長い眦がつりあがっている。思わず身を竦めてしまうほどの、もの凄い迫力だった。
「降りてこい!」
「ひ、土方さ……」
「おまえ何やってるんだ。どういう事なのか、説明しろ!」
「だから、これは……あのっ」
 総司は慌てて弁明しようとした。
 見れば、土方が降りてきたのは助手席の方で、運転席には永倉が坐っていた。こちらを見て、やれやれという感じで笑いながら肩をすくめてみせた。
 だが、総司にすれば笑い事ではない。
 どうしようと思っているうちに、当然の事ながら、信号が青に変わってしまった。
「あ、あの……」
 助けを求めるように伊庭を見ると、困ったような顔で微笑いかけられた。
 そのやり取りがまた、土方の怒りに油を注いだらしい。
「総司!」
 無理にでもドアを開けようとする土方に、総司は思わず叫んだ。
「土方さん、危ないから離れて!」
 そう叫ぶなり、アクセルをゆっくりと踏み込んだ。発車した車に、土方もさすがに手を離す。
 何か後ろで叫んでいるみたいだったが、総司は構わず車を走らせた。
 前方だけを見据え、一心不乱にハンドルを握りつづける。
「……波瀾万丈の路上教習だねぇ」
 助手席に座った伊庭が、妙に楽しそうに呟いた。












 むろんのこと、教習所に戻ってすぐ、総司は伊庭に謝った。
 ご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした──と。
 それに対して、伊庭は、総司の頭をぽんぽんと叩いた。どこか悪戯っぽい目で、覗き込んでくる。
「別に謝る程の事じゃねぇけど、一つ聞かせて欲しいね」
「一つ?」
「あの男、総司の彼氏かい?」
「えっ」
 総司は思わず詰まってしまった。
 自分は男なのだ。それで、彼が恋人だと認めれば、同性愛者であることが伊庭に知れてしまう。
 だが、否定するのも何だか嫌で。
 黙ったまま頬を桜色に染めてしまった総司に、伊庭はくすくす笑った。
「可愛いねぇ。まぁ、その可愛さに免じて、これ以上の追究はなしって事にしておこうかね」
「あのっ」
「大丈夫大丈夫。オレ、どっちもいけるタイプだから」
「えぇぇっ!?」
 驚いて目を見開いた総司に、伊庭はウインクしてみせた。
「可愛い男の子も、可愛い女の子も、大歓迎さ」
 にこやかに云ってのける伊庭に、総司は慌てて云った。
「あのっ、ぼくは、その……」
「もちろん、人のもんに手ぇ出す気はねぇよ。そのあたりの仁義ってものは心得てる」
「……」
「それとも、手ぇ出して欲しいかい?」
「いえ!」
 そんな事されたら、あの独占欲の強い土方がどれ程怒ることか。目に見えるようで、総司は大急ぎで両手をふった。
「え、遠慮させて頂きますっ」
 わたわた慌てる様子が面白かったのか、伊庭は楽しそうに笑い出した。おかしくてたまらないらしく、声をあげて笑っている。
「可愛いねぇ」
「え……」
 その朗らかな様子を見ると、さっきの言葉が冗談だったのかと思えた。
「な、なんだぁ。冗談ですか」
「そう思って油断したなら、もっけの幸い」
「え?」
「いや、こっちの話さ」
 伊庭はにっと笑うと、総司の頭にぽんぽんっと手を置いた。
「じゃあな、お疲れさん」
 そう云って、歩み去ってゆく。
「……ありがとうございました」
 土方とはまた違うタイプの伊庭の後ろ姿を見送りながら、どっと疲れた思いで総司はため息をついた。











 正直な処、教習所の門前で待ちかまえているかと思っていたのだ。
 もちろん、総司の彼氏──土方の事である。
 だが、考えてみれば彼も仕事中のはずだ。おそるおそる出てみた門前には、誰も立っていなかった。
 その事に、安堵感と、どうしてだか小さな落胆を覚えつつ、総司は家路を辿った。途中、本屋などに寄っていたので、ついつい帰りは遅くなってしまう。
 結局、マンションに辿りついた時は、もう夜の7時をまわっていた。
 総司は家に帰ったら晩御飯をつくってなどと、あれこれ考えながらマンションの中へ入った。郵便受けを覗いて夕刊だけ取り、それを持ってエレベーターに乗ろうと、くるりと向きを変える。
「!? わ、ああっ」
 思わず叫んでしまった。
 いつの間に現われたのやら、すぐ目の前に土方が立っていたのだ。
 昼間と同じスーツ姿なので、おそらく仕事帰りなのだろう。腕を組み、じっと総司を切れの長い目で見下ろしている様は、見惚れるぐらいの格好良さだが、とんでもない迫力だった。
「ひ、土方さん」
 慌てて後ずさったとたん、ガツンッと郵便受けにぶつかってしまった。だが、目の前にいる彼の方が恐ろしくて、痛さなど全く感じない。
 そんな総司に、土方はどこか意地悪い笑みをうかべた。
「こんばんは」
「あ、はいっ、こんばんは!」
 思わず元気よく挨拶してしまった総司に、土方は目を眇めた。
「……部屋にあげてくれねぇのか」
「え、あの」
 総司は慌てた。
 別にあげたくない訳ではないが、何か今、この状況で二人きりになるのはとんでもなくやばい気がする。
「えーと、その……」
「晩飯、まだだよな?」
 ちらりと総司の格好に視線をやりながら、土方は訊ねた。それに、こくこく頷くと、手に下げていた紙袋をさし出した。
 覗いてみれば、それは総司がだい好きなデパ地下のお惣菜弁当だった。なかなかゲットの難しい人気店のものなのだ。
「わぁ、これだい好き!」
「この間食ってみたいって云ってただろ? 今から上にあがって一緒に食べようぜ」
「うん」
 食べ物にあっさりつられてしまった総司は、内心うまくいったと思っている土方と一緒にエレベーターへ乗り込んだ。部屋に入ってすぐ大急ぎでお湯をわかし、惣菜弁当を皿にうつして、食事の用意を始める。
 キッチンから覗いてみると、土方は部屋の真ん中に突っ立ったまま、どことなく懐かしそうな表情で見回していた。
 その姿に、再会してから初めて部屋にあげた事を思いだした。
「土方さん、坐って」
「あぁ」
 総司はてきぱきと小さな折りたたみテーブルを取り出してくると広げ、土方の前に置いた。二人ではちょっと狭いが、いつもこれで食事をとっているのだ。
 食事の最中、土方は例の事に一切ふれなかった。そのあたりは、彼も以前と違う。
 最近身の周りであった事や、この弁当を買った時の事などを、面白可笑しく話してくれた。それに総司も無邪気に笑う。
 結局、話の口火が切られたのは、食後、デザートのゼリーを食べている時だった。
「……総司」
 妙にあらたまった口調になった土方に、総司は(来た!)と思わず身構えた。スプーンを握りしめたまま、大きな瞳で見返してしまう。
 土方は頬杖をつき、スプーンでゼリーを突きながら云った。
「おまえ、一人で教習所に行ってるのか?」
「え……えーと、その」
「誰と行ってるんだ」
「へ、平助です」
 あっさりバラしてしまい、総司は思わず心の中で藤堂にむかって合掌した。
 思ったとおり、土方の黒い瞳がきらりと光り、形のよい唇の端がふっとつりあがった。
「ふうん……藤堂か。やっぱりな」
「……」
「相変わらず余計な事しやがって、今度こそヤキ入れてやらねぇと……」
 ぶつぶつ物騒な事を呟いている土方に、総司は慌てて身をのりだした。
「ち、違うの! 平助に誘われたんじゃなくて、たまたま、平助が持ってたチラシをぼくが見て、それで申し込みに行ったから……」
「それっていつだ」
「え?」
「いつの事だ」
「一ヶ月前の事だけど、でも、平助は別に」
「一ヶ月前だと!?」
 総司の声は、土方の大声で遮られてしまった。
 目をまん丸にして見上げると、土方は怒りまくった様子でバンッとスプーンをテーブルに置いた。呑気にゼリーなど食べている気分ではなくなったらしい。
「そんな前から、おまえ、俺を騙していたのかよ!」
「だ、騙していたなんて人聞きの悪い。ちょっと黙ってただけじゃない」
「人の知らない間に教習所なんかに行きやがって、しかも、あんなにやけた男と二人きりで車に乗るなんて、許せる訳ねぇだろうが」
「にやけた男って……伊庭先生の事?」
 総司はきょとんとして、小首をかしげた。それから、不意に目を輝かせると、嬉しそうに話し始めた。
 それが、怒りまくっている男にとっては、まさに火に油を注ぐ行為である事など、この天然なピンクうさぎは全くもって気づいていない。
「そう云えば、伊庭先生ってとっても人気があるんですよ。優しいし教え方も丁寧だし、ぼく、よく担当になって貰えてるから嬉しくて♪」
「……」
「それできっと上達も早いのかなぁ。伊庭先生もよく褒めてくれるし」
「……もういい」
「え?」
「もういい。聞きたくねぇ」
 土方は眉を顰め、そっぽを向いてしまった。



 いったいどこの誰が、恋人から他の男の話など聞きたいものか。
 ましてや、一年ものブランクの後に、さんざんの修羅場を乗り越えてようやく取り戻した恋人なのだ。
 空白の日々を埋めるためにも、もっと一緒に過ごしたいのに。
 恋人同士の甘い日々を幸せに送りたいと、そう心から願っているのに。

 なのに、そう思っているのは……俺だけなのか?



「とにかく、今すぐ教習所はやめろ。おまえに車の運転させる気はねぇよ」
「ええぇーっ!?」
 ごくごく当然のように云ってのけた男の言葉に、総司は不満の声をあげた。
 先程の土方のようにパシッとスプーンを置くと、大きな瞳で彼をまっすぐ睨みつけた。なめらかな頬が紅潮した。
「絶対、嫌です」
「何だと」
「だから、絶対に嫌と云ったの。お断り! ぼくにはぼくの自由ってものがあるんだから。恋人だからって、いつでも何でも土方さんの思い通りになると思わないで!」
「……いったい、おまえがいつ俺の思い通りになってくれたんだよ」
 思わずそう呟いてしまった土方だったが、総司はそんな彼に全く気づいていなかった。
 勝ち気そうな瞳をきらきらさせ、言葉をつづけた。
「だいたい、今日やっと路上教習だったんですよ。後少し頑張ったら仮免。その次は免許取得。今まで頑張ってきた全部を、土方さんはふいにしろって云うの?」
「……」
「土方さんは、ぼくの努力をないがしろにするんだ。そんな酷い人だったんだ」
「……いや、その……」
「それに、それに……ぼくがどんな気持ちで、免許取りに行ったか知りもしないで……」
 ううっとばかりに唇を噛みしめ、総司は俯いてしまった。気のせいか、細い肩が震えている気がする。
 それにハッとした土方は慌てて傍らに寄り、その可愛い顔を覗き込んだ。
「……総司、泣いているのか」
「だって……っ」
「ごめん」
 総司の涙に弱い土方は思わず謝ってしまった。
「おまえを泣かせるつもりはなかったんだ。けど、どうしてもわからなくてさ」
「何が……わかんないの?」
「だから、どうして急に免許なんか取ろうとしたかだよ。そりゃ大学生だから車を……」
「そんなの!」
 不意に、総司は顔をあげた。
 両手を握りしめ、叫んだ。
「そんなの全部、土方さんのために決まっているじゃない!」
「……え」
 思ってもみなかった総司の言葉に、土方は目を見開いた。
「俺?」
「そうですよ! 土方さん、お仕事大変みたいだから。終電なくなっちゃった時とか、車で迎えに行ってあげたら、どんなにいいだろうと思ったから……だから」
「総司……」
「だから、免許取りにいったのに……なのに……っ」
 総司のつぶらな瞳がうるうるっと潤み、桜色の唇が微かにわなないた。
 そのいたいけな表情を見たとたん、土方の胸はずきっと痛くなった。たまらない罪悪感が押し寄せてくる。


 あぁ、俺はまた総司を悲しませてしまった。
 総司の気持ちを知りもしないで、酷い言葉をぶつけてしまったんだ。


 土方は思わず両手をのばすと、総司の細い躯を引き寄せた。胸もとに引き込み、ぎゅっと抱きすくめる。
「……ごめん」
「土方…さん……」
「本当にごめん。おまえの気持ちも考えず、本当に悪かった」
「ううん……いいの」
 総司は土方の胸もとに小さな頭を凭せかけ、そっと擦りよせた。心地よさげに目を閉じ、小さな小さな声で訊ねてみる。
「だから、土方さん……?」
「うん?」
「教習所、これからも……通っていい?」
「……」
「土方さん、あなたのためだもの」
 総司は彼の胸もとに手をつき、柔らかく身を起した。長い睫毛を瞬かせ、つぶらな瞳で彼を見上げると、そっと小首をかしげてみせる。
 その姿は可憐でベリーベリーキュートで、最高に可愛くて!
 だが、しかし、その後ろからちょこっと先の尖った黒い尻尾が見えたりしているのだが。
 そんな事に全くもって気づかない男は、思わず息をつめてしまった。あまりの愛らしさに、そのまま押し倒してしまいそうだ。
 手をのばしてその細い肩を掴むと、総司は可愛らしくにっこり微笑んだ。
「ね、いいでしょう……?」
 それに対する、男の答は────












「で、あっさり許しちゃったと」
 一部始終を聞き終えた後、呆れたように呟いた斉藤の前で、土方は、
「……あぁ」
 と、力なく頷いた。
 日にちもかわって、その翌日の昼。
 ここは、ご存知、警視庁食堂である。
「しかも、その後色々致しちゃって、何もかもうやむやに?」
「あぁ」
「土方さん、それじゃまるで年下の恋人にふり回されるお莫迦な男ですよ」
「それって、まんまじゃねーの?」
 横合いからちゃちゃを入れる永倉をじろりと睨んでから、土方は苛々した表情で味噌汁を口に運んだ。
 それを眺めながら、斉藤が呑気に言葉をつづける。
「しかし、まぁ……よく許可しましたね。心配じゃなかったのですか」
「心配に決まってるだろ」
「ですよね。無事免許とれたとしても、総司が車の運転なんてしたら心配で……」
「違う、そこじゃねぇ。教官だ」
「は?」
 思わず聞き返してしまった斉藤、永倉、島田の前で、土方はもの凄い勢いでまくしたて始めた。怒りに我を忘れているのか、割り箸を折れそうなぐらい握りしめている。
「教官が気にいらねぇんだよっ。だいたい、考えてもみろ。教習の間、ずっと総司はあの野郎と二人きりなんだぞ! にやけきった顔で総司と仲良くドライブなんかしやがって……!」
「ドライブって……路上教習の事ですか」
「あんなもの教習じゃねぇよ。ああああ、考えただけで頭に血がのぼりそうだっ」
「もうのぼりきってる気もしますが、しかし」
 斉藤は腕を組み、ちょっと考えこんだ。
「確かに面白くない話ですね」
「だろう?」
「総司と二人きりで車の中だなんて、オレだって滅多にないのに」
「あたり前だ」
「それで? その教官は若い、いい男なのですか?」
「…………」
「なるほど」
 無言を肯定と受け取った斉藤は、やれやれと肩をすくめた。
「よぼよぼのおじいさんとかだったら良かったんですけどねぇ、それって総司が選んだのですか」
「知らねぇよ」
「知りたくもありませんか。なるほど」
 ふむふむと頷く斉藤の傍から、永倉がにやにやしながら云った。
「確かにさぁ、オレもちょーっと見ただけだけど、結構イケメンだったぜ? 土方さんとはまた違った感じのいい男でさ」
「……」
「案外、総司くんも好みのタイプだったりして。けけっ」
「……永倉」
 地を這うような土方の声に、永倉は首をすくめた。くわばらくわばらと呟きながら、ポークソテーを食べ始める。
 それを不機嫌そうに眺める土方に、斉藤は訊ねた。
「で、どうするのです」
「どうって」
「結局、教習所へ行くこと許可しちゃったんでしょう。だったら、もう傍観するしかありませんよね」
「傍観なんかするものか」
「えっ、じゃあ妨害するのですか」
「しねぇよ」
「……まさか」
 ずっと黙っていた島田が何を思いついたのか、おそるおそる訊ねた。びくびく怯えているのが、丸わかりだ。
「覆面パトで後をずーっとつけていく……なんて、云われませんよね」
「あぁ、それいいな」
 案の定、土方は感心したように手を打って頷いた。それに、斉藤は呆れ返った視線をむけた。
「冗談じゃありませんよ。そんなの公私混同もいい処じゃないですかー!」
「何も即実行するとは云ってねぇだろ」
「土方さんなら本気でやりそうだから、怖いんですよ」
 そう云った斉藤に、土方は「おまえは俺を何だと思っているんだ」と云いかけたが、結局は口をつぐんだ。
 ここで、これ以上あれこれ云っていても仕方がないのだ。仕事がつまっているし、明日の予定のためにはさっさとそれを終わらせてしまわなければならなかった。
「御馳走様」
 そう云うと、土方は立ち上がりトレイを取り上げた。さっさと返却口へ歩み去ってゆく。
 そのすらりとした長身を見送り、永倉はやれやれと肩をすくめた。
「元の鞘に戻ったのはいいけど……相変わらずのバカップルぶりだねぇ」
「当然ですよ」
 そう答えてから、斉藤はふと目を伏せた。
「でも、あぁいう風に、前と同じように痴話喧嘩やら何やらしてる二人を見ると、良かったなぁと思うのです。元の鞘におさまってくれて、何もかも前と変わらずで……総司も幸せそうで……本当に良かったなと」
 しみじみ呟いた斉藤を、永倉と島田はじっと眺めた。微妙な沈黙がその場に落ちる。
 やがて、永倉が深く頷きながら、斉藤の肩にそっと手を置いた。
「変わらないのは、はじめちゃんのポジションもだね」
 それに、斉藤はピーマンをせっせとより分けながら、答えたのだった。
「……余計なお世話です」