「送り迎え?」
そう聞き返した藤堂に、総司は箸を握りしめたまま、こっくりと頷いた。
場所は、冬の日射しも柔らかな学生食堂である。
すったもんだ色々の末に、ようやく元の鞘におさまった総司は、今、幸せの絶頂にあった。
無事記憶も取り戻せた事だし、これからは土方と二人らぶらぶ甘い甘い日々を送りたいと、心から願っているのである。(以前のバカップルぶりと何が違うの?などと、聞いては駄目駄目)
そのためにも、総司はある決意をしていた。
「だって、土方さん、最近忙しくて」
「ふうん」
藤堂は頬杖をつき、まるで新妻のような事を云っている総司を眺めた。
総司が記憶を失った原因が土方にある事を知っていた藤堂は、この大切な親友を守るためにも、二人のつきあいをやめさせようとしたのだが、とりあえず元の鞘に戻ってくれたので、やれやれと思っている。
(ま、結局は、元のバカップルに戻ったって事だけど)
そんな事を考える藤堂の前で、総司はなめらかな頬を染めつつ、うきうき言葉をつづけた。
「あのね、土方さん、最近またお仕事が忙しいの。で、終電なんかない時も多くて……タクシーで帰るのも大変でしょ。だから、ぼくが迎えに行ってあげたらなぁって」
大きな瞳がきらきらした。
「きっと土方さんも喜んでくれるだろうし、土方さんが嬉しいならぼくも嬉しいし、それに、きっとその後の夜も二人仲良くあんな事やこんな事を色々……」
放っておけば果てしなく続きそうな桃色ノロケに、藤堂は慌ててストップをかけた。
「迎えに行ってあげるって」
「うん」
「あのさ、総司、今、土方さんと同居してたっけ」
「ううん、別居状態」
「べ、別居……」
……なんか云い方だけ聞くと、すごく寒々しいんですけど。
平気な顔で云いきった総司の言葉、土方さんが聞いたらひきつりそうだなと思いつつ、藤堂は訊ねた。
「なら、迎えに行くと云っても、大変だろ。それに、総司、車運転できるの?」
「うーん、それが問題なんだよね」
総司は可愛い顔で、腕組みをした。
「問題って……」
「免許とらなきゃとは思っているんだけど」
「えぇっ? おまえ、免許とるの!?」
思わず叫んでしまった藤堂に、総司はぷうっと頬をふくらませた。
「何、その云い方。ぼくが運転免許とったら危ないって訳?」
「い、いや、その」
「もうー、腹がたつ。誰も彼も、人を何だと……」
「誰も彼もって?」
「土方さんのこと! この間大反対してきたんだから。ちょっと意味わかんないとこあったけど、結局は、ぼくに車の運転なんかさせたら心配で心配で、おちおち仕事も手につかないって云うんだよ! すっごく失礼な話だと思わない?」
「う、うーん……」
唸ってしまった藤堂を前に、総司はぷんぷん怒りながら食事をつづけている。
だが、土方の心配もわかる事はわかるのだ。
この可愛い総司は意外と気も強いし、元気いっぱいだ。土方のようなタイプが慎重な運転をするのだから安心と思いきや、こういう総司みたいなタイプが案外スピード狂なのかもしれない。
(心配になるの、当然だよなぁ)
そんな事を考える藤堂の前で、不意に、総司が何かを見つけて目を見開いた。視線は、藤堂の鞄の方へ向けられている。
大きな瞳が、気のせいか、きらりんと輝いた。
不思議に思って見下ろそうとしたその瞬間、総司が元気よく叫んだ。
「そうだったんだ! 平助!」
「へ?」
「確か、前に云ってたものね。取りに行くって」
「???」
「今日、申し込みに行くんでしょ、それ!」
総司が指さした先には、鞄からはみ出した一枚のチラシ。そこに書いてある文字は。
学生さん大歓迎!!
いらっしゃいませ、○○自動車教習所!
「こ、これはっ」
慌てて仕舞い込もうとした藤堂の手から、すちゃっとチラシを抜き取り、総司は丹念に眺めはじめた。
「ふうぅん、これぐらいのお値段なら払えるかも」
「あ、あの、総司」
「大丈夫、大丈夫。平助の邪魔はしないから、ね? 一緒に行こ♪」
「って……土方さんにはどうすんの」
「もっちろん、内緒に決まってるじゃない」
総司はにこやかに可愛い笑顔で断言した。だが、藤堂はそれこそムンクの叫び状態である。
「ひぃーっ!? そ、そりゃまずいよっ」
「何で? 教習所に行くの、悪い事じゃないでしょ」
「けど、反対されてるんだろ。もし見つかったら、絶対オレのせいだと思われるよっ」
「平助のせい? まっさか〜」
総司は鈴のように澄んだ声で明るく笑うと、チラシをひらひらふった。
「大丈夫、ぼくが行きたいって云ったんだから。それに、ばれても土方さん、こんな事ぐらいで怒るはずないって」
「その根拠なき自信はどこから来る訳!?」
「うーん、愛の力かな♪ やだ、云っちゃったぁ」
臆面もなく云ってのけた総司は、るんるん気分でチラシを眺めている。
藤堂はまさにサーカスの綱渡り気分で、その可愛らしい友人の横顔を凝視した。
オレ、もともと、あの人には目をつけられてるんだけど。
しかもしかも、今度は、あの人が反対してる教習所行きだぞ!
けど、これじゃ到底断れそうにないし。
あぁ……!
頼むから、何事もなく平穏無事に免許を取得できますようにっ。
そして。
当然のことながら、そうは問屋が卸さなかったのである……。
総司は嬉しそうに、目の前の綺麗に焼けたお菓子を眺めた。
甘いものを好まない土方にあわせ、甘さ控えめのバナナブレッドだ。総司の方は、ふんわり焼きたてにホイップクリームをのせて、いそいそと土方が待つリビングへ運んだ。
前の官舎と違い、距離のあるあたりがちょっとだけ困る。
「あぁ」
雑誌を読んでいた土方は、総司に気づくと、すぐさま手をさし出してくれた。トレイを受け取り、ソファ前のテーブルの上に置く。
「うまそうだな」
そう云ってくれた土方に、総司は頬を上気させた。紅茶を入れながら、うきうきした口調で答える。
「あのね、バナナブレッドなのです。これだったら、土方さんも食べやすいでしょう?」
「そうだな。頂くよ」
土方は優しく笑い、バナナブレッドにフォークを入れた。口に運べば、ほのかな甘みのバナナの味が広がる。
「うん、うまいな。総司がつくってくれるケーキは、おいしいよ」
「ほんと? そう云って貰えて嬉しいです、ありがとう」
総司は自分も一口食べてみて、頬を綻ばせた。
正直な話、土方と別れている間、菓子を全くつくっていなかったので久しぶりだったのだが、腕は落ちていなかったらしい。その事にほっとしながら、総司は紅茶をゆっくりと飲んだ。
その可愛い姿を、土方は愛しそうに目を細め、見つめている。
一年もの間、離ればなれになっていた恋人に対する彼の愛情は、当然のことながらより深さと強さを増していた。
本当は一瞬たりとも離したくないのだが、そうもいかないので、せめて一緒に暮らせないものかと思ってはいる。
だからこそ、クリスマスの時に云ったのだが、それを総司も承知してくれたはずなのだが、何故かまだ引っ越しは実行されていない。何だか、このままではうやむやにされてしまいそうな雰囲気だった。
それを考えると気が何となく沈んでしまうが、自分から再度云いだしにくい事も確かなのである……。
土方は微かにため息をついた。
「? どうしたの?」
不思議そうに訊ねる総司に、土方は「何でもない」と首をふってから、ふと気がついたように云った。
「そう云えば、おまえ、今もバイトやってるのか」
「バイト? うん、原田さんの処で時々ね」
「ふうん、なら最近電話しても出ないのは、バイトのせいか」
「え、あ……う、うん」
総司は慌ててこくりと頷いた。だが、内心、ひやりとしたのも事実だ。
本当は、バイトは最近休んでいた。それどころではなかったのだ。
毎日毎日、大学が終わるとすぐ、総司は平助と共に教習所へ通う日々だった。二単位入れる事もあるし、かなりハイスピードで頑張っている。
意外と、総司は車の運転があっているようで、教官にもよく褒められていた。
とくに、よく担当になってくれる優しい教官がいて、それが───
「……総司?」
呼びかけられ、はっと我に返った。
慌てて見上げると、土方が携帯電話を指さしていた。
「鳴ってるぞ、おまえの」
「あ」
総司は可愛い音をたてている携帯電話を急いで掴み、開いた。見れば、平助からだ。
万一、教習所の話だったらまずいと、総司は廊下へ出ようとした。だが、土方はそれを察知したのか、素早く総司の細い腰に腕をまわすと、抱き寄せてくる。
「土方さん、ちょっ……」
「ここで受ければいいだろ」
「でも、煩いと思うし」
「別に煩くねぇよ」
そう云うと、土方は総司の腰を左腕で抱いたまま、雑誌をめくり始めた。絶対に逃がすつもりはないらしい。
総司はため息をつくと、仕方なく通話ボタンを押した。わざとらしく大きな声で云ってやる。
「あ、平助?」
「……」
ちらりと土方が視線をあげたのがわかったが、総司はつんとそっぽを向いた。
『総司? あのさ、悪いんだけど』
平助は何だか焦っているようだった。
『明日、一緒に行けそうにないんだ』
「え、何で?」
『風邪ひいちゃってさ』
「ほんと? 大丈夫?」
『寝たら治ると思うけど、総司は一人で行く? 予約いれてんだろ?』
「うん。ぼくは行くよ。だって、明日から……」
初の路上教習だものと云いかけ、慌てて口をつぐんだ。
すぐ傍には土方がいるのだ。うかつな事は云えなかった。
絶対内緒にしておかなければ、反対されるに決まっているのだから。
ましてや、総司が今仲良くしている教官の事を知れば、尚のこと……
『総司?』
「あ、ううん。じゃあね、早く風邪なおしてね」
『ありがとう』
その後、藤堂のゲホゲホという咳き込む音と共に、通話は切れた。
電話を畳むと、土方が訊ねてくる。
「藤堂、風邪なのか」
「そうみたい」
「あいつ、いちいちそんな事をおまえに知らせてくるのか」
「ううん」
総司は首をふり、にっこり笑った。
「明日、学食でお昼一緒にとる事になってたからだと思う。でなきゃ、電話なんてしてこないもん」
「ふうん」
「ね、土方さん、それよりね」
総司はすりっと土方に身を寄せ、甘えたような声で云った。
「今日の晩御飯、何がいい? 久しぶりのお休みだから、うんと頑張ってつくっちゃう♪」
「総司」
土方の目がとろけるように優しくなった。より強く引き寄せ、その頬に首筋にキスを落としてやる。
「おまえのつくってくれたものなら、何でもおいしいよ」
「ぁ、んっ……」
「本当は、一番食べたいの、おまえなんだけどな。けど、無理させたら……まずいだろう?」
ぎりぎり理性を保った男に対する答は、うるうるの瞳で。
「ん……土方…さん……」
頬をそめて見上げられ、甘く掠れた声でうっとり呼ばれてしまえば、男の理性もあっさり突き崩される。
思わず抱きしめると、華奢な躯が小さく震えた。だが、すぐ、細い両腕をのばして抱きついてきた総司に、土方は嬉しそうに微笑んだ。
可愛くて可愛くて、たまらない。
土方は愛しい恋人を抱きあげると、さっそくおいしく頂くために、寝室へと運んでいったのだった。
「……あ!」
総司はその教官の姿を車の前に見つけると、ぱっと顔を輝かせた。
大急ぎで駆け寄ってゆく。
まだ若い教官だ。整った顔だちだが、少し子どもっぽい笑顔に愛嬌があり、丁寧で上手な教え方からも、教習所では一番人気のようだった。
総司も、この教官がとても好きで、仲良くしてもらっている。
「伊庭先生」
そう呼びかけると、伊庭はふり返った。総司を見て、笑みをうかべる。
「よぉ、今日から路上教習なんだってな」
「はい」
「しっかり頑張りな」
伊庭は手をのばし、くしゃりと総司の髪をかきまぜた。それに、総司がくすぐったそうに笑う。
当然のことなら、緊張して教習所の門をくぐった総司だったが、一番初めの練習を受け持ってくれたのが伊庭だったのが、かなりの幸運だと思っていた。藤堂を受け持った教官が鬼のように怖かったという話を聞けば、尚のことだ。
何度も通ううちに、総司は伊庭と親しくなり、逢えば軽口も叩きあう間柄となっていた。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
総司はいつもどおり車の前後ろを確認してから、運転席に乗り込んだ。
路上教習は初めてなので、とても緊張している。だが、横に伊庭がついて、常に優しくサポートしてくれることは心強かった。
おそるおそる出た路上を、総司は手に汗握りながら一生懸命運転した。
この辺りは四車線の広い道も多いが、交通量の方は朝夕を除けばさほどの事はない。そのため、安心して練習できるという利点があった。
総司は目の前の信号が赤になったのを見て、ブレーキを踏んだ。
すると、伊庭が傍から云った。
「もっと肩の力を抜きな。リラックスリラックス」
「はい」
こくりと頷きつつ、総司は小さく笑った。
その時だった。
総司が運転する教習車の隣へ、横並びに車が一台停まった。すると、いきなりドアが開き、誰かが降りてくる。
「……?」
こんな信号の前で車道に降りるなんて危ないなぁ。
そう思いながら、総司は何気なく横手を見た。
とたん、息を呑んだ。
こちらを、まっすぐ見つめている若い男。
黒い瞳を底光りさせ、きっと固く引き結ばれた唇。
上質のスーツをすらりとした長身に纏った、その男は───
「ひ、土方さんッ!」
思わずそう叫んだ瞬間、土方がゆっくりと手をあげた。そして、それをいきなり振り下ろしたかと思うと、窓ガラスに己の拳を思いきり叩きつける。
バンッという音が、辺りに響き渡った。
