「……あれ」
不意に、傍で原田が声をあげた。
顔をあげると、ちょっとしかめっ面で町家の中庭の方を見やっている。
「どうかしました?」
そう訊ねた総司に、原田はため息をついた。仕方ねーよなと呟きながら、がしがしと髪をかきむしる。
ますます何が何だかわからず、総司は大きな瞳を見開いた。
それに、原田が笑う。
「おまえだって、困る事だよ」
「え?」
「こんな処で喧嘩しないでくれよ。ただでさえ、今回はややこしいんだ」
「……」
その言葉に、総司は絶句してしまった。
何を意味しているのか、即座に理解したのだ。
総司と原田は、もともと一緒に屯所を出た訳ではなかった。
巡察途中に一番隊が斬り合いになった処へ、原田がたまたま通りかかったのだ。
同行していた斉藤がいたので手出しはしなかったが、一番隊と総司、斉藤という顔ぶれでありながら、かなりの苦戦だった。
相手が相当の手練れであり多人数だったため、総司が手傷を負った事もあり、何人かを取り逃がしてしまったのだ。
皆、勇猛に戦い、後ろ傷など負ったものはいなかったが、逃がしたという事で叱責を受けることは間違いない。
総司は、原田を巻き添えにしてしまった事に責任を感じていたが、原田自身は自分がいながら取り逃がし、その上総司に怪我を負わせた事を気にしていた。豪快に見えても、かなり気を使うたちなのだ。
共に戦い、いつも様々に気づかってくれる斉藤は、負傷した総司の代りで後始末の為この場を離れている。
原田は困惑したように、ちらりと中庭の方へ再び目をやった。
それに、総司はきゅっと唇を噛みしめた。
「……」
総司の応急手当がおわったら、屯所へ帰ろうと思っていた矢先の事だった。斬り合いの現場となった町家の中庭から、男の低い声が聞こえてきたのだ。
それは、原田にとっても総司にとっても、嫌と云うほど聞き覚えのある声だった。おそらく、役人あたりから屯所へ知らせがいったのだろう。
それにしても、まさか、副長自らわざわざやってくるとは思わなかった。
「嫌味を云いに……叱りつけに、来たのかな」
そう、諦めたような笑みをうかべながら呟いた総司の綺麗な横顔を、原田はちらりと見やった。
結局は何も云わぬまま立ち上がると、中庭の方へ出ていこうとする。
だが、それは少し遅かったようだった。
「……」
薄暗い家屋の中へ、土方が不意に踏み込んできたのだ。
男の肩越しに陽の光をあびた明るい中庭が見え、まるで切り取られた絵のようだった。美しく澄んだ青空がひろがり、先程までの血生臭い出来事とは裏腹に、とても穏やかな光景に感じられる。
ぼんやりとそちらの方を眺めた総司に、土方は鋭い視線をあてた。
ふっと形のよい唇の端がつりあがる。
「……一番隊が組随一の精鋭というのは、誤りだったか」
やはりと云うべきか。
彼の唇からもれたのは、明らかな侮蔑の言葉だった。
総司は青ざめた頬を強ばらせ、俯いた。冷えた固い声音で答える。
「二人を取り逃がしました。申し訳ありません」
「精鋭が聞いて呆れるな」
「返上しろと云うなら、返上しますが」
「一番隊隊長の座をか」
「何でも構いません」
切り返してくる言葉に、土方は形のよい唇を歪めた。
「そんなもの、近藤さんが許すはずがねぇだろう」
「副長自身は……全く認めておられぬのに?」
不意に、総司は顔をあげると、その大きな瞳でまっすぐ土方を見据えた。
青ざめた小さな顔が、薄闇の中、息を呑むほど美しい。
思わず目を細めた土方に気づくことなく、きつい口調で云いつのった。
「私の存在を、一番隊隊長としての私を、副長は全く認めていないでしょう」
「……」
「こんな子どもが局長の親衛隊長とも云うべき立場にいる事を、あなたは苦々しく思っている」
「総司」
思わずとも云うように、傍らから原田が袖をひいた。
それに我に返った総司は、自分が激したことを恥じた。俯き、黙り込んでしまう。
気詰まりな沈黙がその場に落ちた。
「……」
原田が謝罪を促している事を知ってはいたが、総司は聞き分けのない子どものような表情で唇を噛みしめた。
そんな総司に、土方はその頬に冷笑をうかべた。
「……苦々しく思いたくもなるさ」
喉奥で低く嗤った。
「……」
思わず顔をあげた総司に、土方は冷ややかなまなざしを向けた。
「今の無様さを見れば、認めたくないのも当然だな」
「……」
「子供だと侮られたくなかったら、それなりの働きをしろ」
ぴしゃりとした口調で云い捨て、土方は踵を返した。大股に土間を横切り、中庭へと出てゆく。
それを追ったのは、総司でなく原田だった。
「土方さん……!」
出ていこうとしていた土方の袖をとらえ、引き留めた。それに、土方が僅かにふり返る。
一度だけちらりと中へ向けられた気遣わしげな瞳に、原田は思わず苦笑した。
……こんなにも。
心配で心配で仕方がないのだと。
傍から見れば、わかりすぎる程なのに。
(……まったく)
隊士たちの耳に入らぬよう、庭奥へ引っ張っていった。それに、土方は逆らわず黙ったままついてくる。
庭の物陰まで行ってから、原田は静かに云った。
「土方さん、あれは云いすぎじゃねぇのか」
「云いすぎ?」
「あぁ、そうだ」
きっぱりとした口調でつづけた。
「今度のこと、総司だけの責任じゃねぇよ。あまりに相手の人数が多く、しかもかなりの手練れだった。云い訳にはなるが、生半可な相手じゃなかったんだ。一番隊と総司、斉藤だったからこそ、これぐらいですんだ」
「……」
「あんたは、あまりにも多くのものを総司に求めすぎだよ」
原田は一気に云ってから、ちょっとため息をついた。
半ばうんざりしたような表情で、その場に黙然と佇む男を眺める。
その端正な顔にある僅かな焦燥と苦しさを読みとり、それと同時に、彼の訪れを困惑しつつも、心ひそかに喜んでいただろう総司の表情を思い出した。
「まったく……どうしてこう、二人とも素直になれないんだろうねぇ」
「? どういう意味だ」
「あんたさ」
原田はがしがしと頭をかいてから、はっきり云った。
「総司が手傷をおったと聞いたから、ここへすっ飛んできたんだろ?」
「!」
土方の目がかるく見開かれた。
思わずとも云うように、固く拳が握りしめられる。
だが、すぐ感情をかくすように、顔をそむけてしまった。
それに、原田はやれやれと肩をすくめた。
「本当は心配で心配でたまらねーくせに。今でも駆け寄って、具合を確かめたいんだろ? 大丈夫かって聞きたいんだろ」
「……俺は別に」
「意地はってねぇで、優しい言葉の一つもかけてやれよ。それを総司も待ってるはずだぜ?」
「総司が……?」
土方は戸惑ったように、呟いた。
それに原田は小さく笑うと、背をむけた。隊士たちの様子を見るため、歩み去っていってしまう。
その後ろ姿を見送った土方は、僅かに嘆息した。
何もかも、原田の云うとおりだった。
屯所の副長室に、突然、飛び込んできた知らせ。
それは、一番隊が巡察中に斬り合いになり、総司が負傷したというものだった。
その報告を聞いた瞬間、心臓を鷲掴みにされたような衝撃が襲った。
───総司が負傷した。
それは、本当なのか。
どれぐらいの傷なのか、どこを負傷したのか。
命に別状はないのか。
そんな問いかけが喉奥まで突き上げ、だが、どれも言葉にする事さえできなかった。
険しい表情で立ち上がり、知らせをもってきた山崎を押しのけるようにして部屋を飛び出したのだ。気が付けば、屯所を出ていた。
馬でも使えば良かったと思ったのは、道の半ばもいった頃だ。
どれだけ頭に血がのぼっていたか思い知らされ、道すがらひとり苦笑した。
そのくせ、総司の無事な姿を見たとたん、ほっと安堵した反動なのか、口を突いて出たのは皮肉ばかりで───
「……無様だな」
土方は目を伏せ、呟いた。
己の未熟さに自嘲の笑いがこみあげてくる。どんな事にも冷静沈着に対応できる彼が、総司の事となると我を忘れてしまうのだ。
だが、これも恋ゆえなのか。
愛しいという想いがあるからこそ、なのか。
たとえ、それが一縷の望みもない恋であったとしても───
「……」
ほろ苦い想いを噛みしめながら、土方は踵を返した。ふわりと黒い小袖の袂が翻る。
一瞬躊躇った後、土方は、総司がいる町家へ、ゆっくり歩き出していった。
今度こそ。
少しでも優しい言葉をかけられればいい……と。
そう、心から願いながら。
