とんでもない話だった。
いくらスナイパーが生業だと云っても、私的なことで動くのは許されていない。犯罪者になってしまうのだ。
それだけは止めなければならなかった。
斉藤は身を乗り出し、手をのばした。立ち去ろうとしている土方の腕を掴む。
「土方さん」
言わずもがなの言葉を口にした。
「あなたがスナイパーを生業にしているのは、国に命じられての事だ。そのあなたでも、許されない事がある。それ……わかっていますよね?」
「わかっているさ」
土方は唇の端をあげた。斉藤の手をもぎはなし、とんと彼の肩を突きながら答える。
「無茶はしないよ。心配するな」
「オレが公安の人間である事を、忘れないで下さいよ」
そう云った斉藤に、土方は片眉をあげた。
「俺が特捜の検事である事もな」
云いきるなり、土方は身をひるがえした。足早に歩き出してゆく。
すっとのびた背も、スーツ姿も、エリート官僚そのものの姿だ。纏う雰囲気さえ、冷たくストイックだった。
「……いったい、幾つ顔をもっているんだか」
その後姿を見送り、斉藤はやれやれと呆れたように呟いた。
そして、危険極まりない男に、溺愛されている総司のことを考えたのだった。
夕暮れの空の下だった。
スタジオから総司が軽やかな足取りで出てくる。
さらさらした絹糸のような髪に、小さな顔、華奢な躯つき。残念ながら大きな瞳はサングラスでかくされ、帽子も深くかぶっているが、それでも、ふんわりとした総司の雰囲気は隠しようもない。
にこにこと笑顔でスタッフたちに手をふると、総司は元気よく歩き出した。家へ帰るまでにショッピングを楽しむつもりなのだ。
「……」
それを見て、壁に背を凭せかけていた男は、ゆっくりと身をおこした。
切れの長い目をその細い背にむけ、少し細める。
艶やかな黒髪はくしゃりと乱れ、遊び人風の感じを醸し出していた。躯のラインを強調するような細身のブラックジーンズに、濃紺のヘンリーシャツ。開かれた襟元から覗く褐色の肌には、じゃらりと音の鳴る銀色のペンダントが光っている。
薄いブルーのサングラスをかけているが、端正な顔だちはあきらかで、すれ違う女性のほとんどがふり返った。
(ボディガードっていうより、尾行だな)
土方はつかず離れず総司を追いながら、微かに唇を歪めた。
まずは、相手が現れるのを待つつもりだった。むろん、総司は何も知らない。今日も土方は検察庁で忙しくしていると、思いこんでいるのだ。
土方がすぐ傍にいると知れば、総司は大喜びで駆け寄ってくるに違いなかったが、彼が一緒にいる限り、ストーカーは現れない。その存在を探るため、こうして尾行までしているのだ。
土方は裏の仕事の時のような、しなやかな獣のような足取りで歩いた。
金曜日の街は賑わっている。少し離れた所で、総司はショーウインドを覗き込んだりしていた。びっくりしたり、嬉しそうな顔をしたり、表情をころころと変える様が可愛らしい。
それを眺めていた土方は、不意に、すっと目を細めた。彼よりも近い場所から、総司を見ている男の存在に気づいたのだ。
「……現れやがったか」
鋭い光を宿した瞳をサングラスに隠したまま、その男を観察した。
若い男だった。
金はもっているようで、身なりはそれ程悪くない。
ただ、だらしない印象を受けた。まともに働いている男には見えない。
ストーカーである事は確かだった。先日、マンションの防犯カメラに映っていた人物と同じなのだ。
あの時も思ったが、あんな薄気味悪い男が総司につきまとい、あまつさえ傷つけたなど、激しい怒りに息さえ出来なくなりそうだった。今すぐ捕らえ、殴り倒してやりたくなる。
だが、土方はその感情を押し殺した。
制裁は後のお楽しみだ。
総司が買い物を済ませ、マンションへ戻るまでの間、ストーカーはずっとつけ回していた。総司はまるで気づいてないようだが、欲望にぎらつく目で凝視している男は異常そのものだった。
あぁいった男は妄想を抱いていると云うが、まさにそうなのだろう。
総司がマンションへ入ると、しばらくの間、その辺りをうろついていたが、やがて、ストーカーも諦めたようだった。タクシーをとめ、乗り込む。
「……」
それを見て、土方はバイクを発進させた。もともと男を尾行するため、地下駐車場からバイクを牽きだしてきていたのだ。
土方のバイクは大型の1000ccのFZ1であり、加速も凄い。怖がらせるからと後ろに乗せた事がないため、総司は彼がバイクを乗り回す事自体知らなかった。
男を乗せたタクシーは都心を走り、やがて、一軒の屋敷の前でとまった。都内で豪邸とも言える広さをもつ一軒家なのだ。相当の金持ちと云っていいだろう。男がその屋敷の中へ消えるのを、土方は少し離れた所から眺めた。
ヘルメットを脱ぎ、乱れた黒髪を片手でかきあげる。そうしながら、切れの長い目を細めた。
「なるほど、ね」
金持ちのドラ息子だからこそ、昼の日中から働きもせず、総司の後をつけまわしていられるのだ。
土方自身、金銭的にも愛情的にも決して恵まれたとは云えぬ育ちであり、そのため、スナイパーなどという因果な仕事につかなければならなかったが、だからといって、恵まれた者たちを羨んだことはない。人は人だと割り切っているからだ。
だが、この場合、ストーカーが金持ちの息子である事は、腹ただしかった。働く必要がないからこそ、総司をつけ回している理由となるからだ。
土方の思考方法は異端であり、すべて総司が中心なのだ。
総司が被害を受けることなら、それは悪となり、総司が喜ぶことならば、善となる。
「さて、どうするか」
皮の手袋の指さきに歯をたてながら、土方は考え込んだ。
相手の正体はわかった。
後は、始末のつけ方だ。二度と総司に近づかぬようさせたいし、痛い目にあわせてやりたい。
随分と、斉藤は心配していたようだが、相手を殺すつもりはなかった。もっとも、死以上の苦しみを与える術もあるのだが。
「……」
しばらく考え込んでいた土方は、やがて、携帯電話を取り出した。ある番号を呼び出し、手短に話をつける。
相手は裏の仕事で色々と世話になっている男だが、以前、助けてやったことをひどく恩にきて、土方が云うことなら何でもしてくれるのだ。
その手配を終えてから、もう一度、別の場所へ電話をかけた。
「――相手の正体がわかった」
いきなり切り出した土方に、斉藤は「成程」と呟いた。しばらく黙ってから、訊ねてくる。
『それで、この先どうします?』
「わかりきった事を聞くなよ」
『……あまり無茶はやらかさないようにして下さいよ』
やはり心配げに忠告してくる斉藤に、土方はくっくっと喉を鳴らした。
「わかっているさ」
『本当ですかね』
「それより、総司にはバラすなよ。片付いたって事だけ云ってやればいい」
『当然でしょう』
斉藤は大きくため息をついた。
『一連のこと知れば、ショック受けるに決まっているじゃありませんか。総司にとって、土方さんは優しくて甘い恋人なんですから』
彼の言葉に、土方は口角をあげた。
確かにそうなのだ。総司にとって、彼はあくまで優しく甘い恋人だ。残酷で危険極まりない顔は、永遠に見せるつもりはなかった。
斉藤との電話をきると、土方はバイクのエンジンをかけた。
夜の街に、低く唸るようなエンジン音が響き渡った。それは次第に遠ざかってゆき、やがて、闇にとけ消えた。
その翌日の事だった。
突然、入った知らせに、検察庁にいた土方は切れの長い目の眦をつりあげた。
「……何だって?」
「だから、総ちゃんが怪我したの」
まだ午前中だった。11時にもならない頃で、仕事の方も打ち合わせが終ったばかりだ。
土方は腕時計に視線を走らせた。
「今日は、千葉の方で朝からポスター撮りだったはずだろう」
「そうなの。その撮影が終った後、着替えるために車へ向ったの。着替えだから、総ちゃん、一人で。まさか、沢山スタッフもいる近くで、そんな数メートル先で襲われるなんて思ってもみなかったから。実際、総ちゃんの姿はずっとあたしも目で追っていたし」
「それで?」
「着替えのための車へ行く途中に、一台の車があったの。その横を通りすぎようとしたん、いきなりドアが開いて総ちゃんが引きずりこまれそうになって、さすがに悲鳴をあげたら、顔を何発か張り飛ばされたのよ。それで総ちゃんは道路に倒れ込んで……」
「……」
「一瞬の出来事だったわ。あっと思って駆け出した時には、車は発進してしまっていて……あたし……っ」
磯子の声に、悔しさが滲んだ。
「どうして、もっと気をつけてあげなかったのかしらって、何度も悔やんでしまうの。今更云っても仕方ないけど、でも、総ちゃんを守るのがあたしの役目なのに」
「気をつけていても、限界があるだろう」
土方は前髪をかきあげつつ、つづけた。
「24時間ボディガードできる訳じゃないんだ。だいたい、総司を守るのは俺の仕事だ。磯子ちゃんが悔やむことじゃない」
「土方さん……」
「とにかく、そんな状況じゃ仕事は中止だな。心配だから、すぐ迎えに行くよ」
「そうして貰える? さすがに、総ちゃんもショックを受けているみたいだから」
「わかった」
総司をピックアップする場所と時刻を打ち合わせてから、電話を切った土方は、しばらくの間、考え込んでいた。
(絶対に……許さねぇ)
ストーカーの男への怒りと憎しみが、土方の中で渦巻いた。
報復はむろん行うつもりだったが、それがより酷いものになるのは確実だった。手加減などしてやるつもりもない。今回のことで、斉藤も納得するだろう。
同僚たちに断りを入れ、早退の手続きを済ませた。
可愛い恋人のためなら、仕事など二の次だった。何よりも、あの素直で優しい総司のことだ。今回のことでショックを受けているに違いなかった。
迎えに行く手段にバイクも考えたが、やはり車がいいだろうと電話を入れた。早退届けを出し、検察庁を出る。
寄越された車はBMWのコンヴァーチブルだった。その車に乗り込み、待ち合わせ場所に向った。
あるビルの前に、磯子と総司が佇んでいた。車で来た土方に、総司が驚いた顔になる。
「土方さん……?」
「……」
だが、土方の方も、総司の切れた唇に、息を呑む思いだった。恐らく、切れの長い目の眦がつりあがったのだろう。
一瞬、総司が怯えたような表情になった。それを見て、すぐさま土方は表情を和らげた。
「総司……ほら、乗って」
何事もなかったように云う土方に、安堵したように頷いた。助手席に乗せてからドアを閉め、磯子をふり返った。
磯子は真剣な表情で、ガラス越しに総司を見つめている。
「総ちゃんを、お願いね」
「わかった。それから、あっちの方も心配するな。今夜中にすべてが終る」
「任せるわ」
はっきりと答えた磯子に、土方は頷いた。
今回の事で、彼女も手段を選んでいられなくなったのだろう。
何よりも、総司を傷つけた者への怒りと、守りきれなかった悔恨が強い。
それは、土方も同じくだった。
車の中で、総司は黙り込んでいた。
何しろ、誘拐されそうになった挙げ句、殴られたのだ。ショックのため、可愛い顔が青ざめてしまっている。
それを痛ましげに見やりつつ、土方も余計な事は何も云わなかった。
やがて、マンションの部屋に着くと、総司はほっとしたようにソファへ坐り込んだ。土方はキッチンに入り、ハーブティーを入れてやる。気持ちを少しでも落ち着かせてやりたかったのだ。
「……怒って、る?」
やがて、小さな声でおそるおそる訊ねた総司に、土方は眉を顰めた。傍らに腰を下ろしながら、問いかける。
「怒るって……おまえに?」
「うん」
「何で、俺がおまえに怒るんだ?」
「だって……土方さん、怖い顔してた」
子どものような舌っ足らずな云い方に、土方は苦笑しかけた。だが、そんな凶悪な顔をしていたのかと、心の中で己に舌打ちする。
まだまだ修行が足らないなと思いつつ、柔らかく小首をかしげてみせた。
「迎えに行った時のこと?」
そっと頬を撫でた。
「あれは……守りきれなかった俺自身と、おまえに酷い事をした奴への怒りだよ」
「でも」
総司はふるりと首をふった。
「土方さんが悪いんじゃないもん。注意されていたのに、ぼくも気をつけていなかったし」
「それは違う、総司」
手を握りしめて、真摯な声音で云った。
「磯子ちゃんにも云ったが、気をつけるにも限度があるだろう。誰が悪い訳じゃない。ストーカーの奴が悪いんだ」
きっぱり断言した土方に、総司はほっとしたようだった。安堵の吐息をもらし、土方の肩に小さな頭を凭せかける。
その時、ピンポーンと呼び鈴が鳴った。総司がびくりと肩をすくめるが、土方は相手がわかっている。
「斉藤だ」
「え? どうして、斉藤さんが?」
「今日一緒だったんだろ? 機材片付けたら来るって云っていたからね」
そう云うと、土方は玄関の方へ出ていった。
それを見送り、総司はクッションを膝上に抱え込んだ。
次、お褥シーンがありますので、苦手な方は避けてやって下さいませね。